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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第八章
402/630

42.白銀の森3 ~限る/カチッと~



 少し行った先でシアンは足を止めた。

 先ほどの狸の姿をした神獣とのやり取りを見ている者がいるとティオが言ったからだ。それが人型をしており敵意はないというので、一応声を掛けてみることにした。

「あの、何かご用ですか?」

 何の反応も返って来なかったらそのまま進むつもりだった。

 この先にセーフティエリアがあるそうなので、そこで休憩するつもりだ。

 シアンも認識すれば自然とその姿を見せない目撃者の気配を辿ることができた。木々や茂みの向こうでこちらを窺う様子が感じ取れる。シアンの肩ほどの身長で華奢な感を受ける。

 複数の高位幻獣を連れているので怯えているのかもしれない、と思い、無用に刺激しないように立ち去ろうとした。

 と、慌てた風情で梢や茂みを揺らして出て来た。

「エルフ?」

 流行り病の時に出会ったことがあるハーフエルフと似た雰囲気を持つ人型異類にシアンは目を見開いた。

 次いで飛び退る。

 エルフの少女はシアンの前で両膝をつき、頭を下げたのだ。

 いわゆる土下座である。

「な、何ですか?」

「あの狸の神獣様を難なく退けられたその手腕! お連れの幻獣様! さぞや名のあるお方だとお見受けします! 感服いたしました!」

『そうでしょうとも、天上天下唯狐独尊!(きゅうちゃんに限る)』

『九尾に限るのなら唯をつける必要がどこにあるのかにゃ』

 フォーエバーポーズを取る九尾にカランが胡乱な視線を送る。

『おお、慧眼にござりまする!』

『まさしく、殿はいと尊き御方!』

『我ら幻獣の尊崇の的にござりまする!』

 わんわん三兄弟が吠え立て、リムが肩の上であれは何の遊びだと小首を傾げ、ティオがセーフティエリア以外で長く留まることを厭い、ひれ伏したまま動かない少女を一角獣が角で突いてみようとし、麒麟に諫められ、リリピピは念のためシアンの傍に身を寄せ、ユルクが一連の騒ぎに困惑し、いい加減こんなものだと慣れるべきだとユエが言い、ネーソスが同意する。

『そう畏まることはない。そなたらエルフは高い魔力と森の深い知識を有しておろう。良ければ吾に教えてくれぬか』

 人の前に滅多に現れない種族に、鸞が教授を乞う。

「そういえば、エルフは音楽を能くすると聞いたことがあるなあ」

 ふと思い出したことを口にしたシアンに、ティオがたん、と前足を軽く踏み出した。

『じゃあ、そのエルフの住処に行こう』

「え? ティオ?」

「は、は、はいっ! 案内させていただきますでございます!」

 口は禍の門。

 シアンはこの言葉を実感する羽目になった。



 エルフの少女はクリジンデと名乗った。

 シアンはティオとクリジンデの双方に無理にエルフの住まいに行く必要はないと言った。

『でも、ぼくがエルフの音楽を聴いてみたい』

『ぼくも!』

 ティオの言葉にリムがぴっと前脚を上げて言う。

 他に鸞やユエも乗り気だった。幻獣の三分の一が興味を示せば大体においてそちらの流れになる。大体から漏れるのはシアンが拒否した時などだ。

「そういうことでしたら、ぜひ案内させてください!」

 クリジンデのやる気に満ちた顔にそれ以上遠慮することはできなかった。シアンが興味を持っていたということもある。

「ありがとうございます。でも、突然、こんなに大勢の幻獣と人間とがお伺いしてもよろしいのでしょうか?」

 奥へ向かって行ったのにいつの間にか入り口に戻って来るという迷いの森を住まいにしているのだ。他者の目を厭うているのではないかと考えた。

 両親や大人たちに勝手に連れて来たと詰られることはないのだろうか。

「大丈夫です。これほど高位幻獣で敵意がない方々ならば、森の民は歓迎いたしましょう」

 その物言いに、年端も行かないように見えるものの、それなりの年頃なのだろうかと思った。

「クリジンデさんは幻獣の言葉が聞こえるのですね」

「はい。森の民は魔力が高く、獣の声を聞く者がいれば、木々や花々の声を拾う者がいます。私は幻獣の声を解します。ですが、これほどまでに力ある幻獣の声を聞いたのは初めてです」

 憧憬を込めた眼差しで幻獣たちを見渡す。

「すごい……、四霊が揃っている。……聖獣までも」

 うっとりとして眺めているが、森の民と称するだけあって、足下を取られる森の中を泳ぐように歩いて行く。

『ほう、四霊を知っているのか』

「リムがドラゴンだとよくわかりましたね」

「魔力感知は得意なのです。ただ、そちらのドラゴン様はちょっと、いえ大分不思議な気配がしますね」

 おそらく、精霊の加護があるせいでリム自身にも影響が及んでいるのだろう。

『まあ、リムですから』

 九尾の言葉にリム以外の幻獣たちが揃って頷いた。思わずシアンも首肯する。

 クリジンデは森のことについて教えてくれた。この森の植生は特殊で、あり得ないものが育つという。

「そういえば、シェンシがさっき、標高が高い所に育つはずの樹があると言っていたね」

『島と同じだね』

『あ、うん、そうだね』

 リムが言い、麒麟がそう言われれば、と頷く。幻獣たちは住み慣れた島と同じ環境か、とあっさり森の特異性を受け入れた。

 クリジンデは他にもこの森と同じような場所があるのかと驚愕する。

『なるほど。そういった特異な場所であるからこそ、ティオの威圧にも気づかずに向かって来るのであろう』

『ティオさんはもちろん、ベヘルツトも相当なものなんですがねえ』

『でも、島ではティオやベヘルツトが気配を薄めていなかったら襲い掛かってこないよね?』

『どんな所からいらしたのですか?』

 クリジンデは困惑する。

 と、木の根がするりと忍び寄って来、シアンは足を取られてつんのめる。

「キュアァァァァァ」

 リムの小さい丸い顔は横から見ると鼻先が長く伸びる。その下にあるへの字口が威嚇の鳴き声を上げたことによって薄く開き、牙を覗かせる。今、長い体を柔軟にたわませ、Ω型に丸めた背中の毛を逆立て、牙を剝く様は野生の敵意がむき出しだ。鼻に寄った皺、強く光る目を怒らせている。

 白い毛並みの下、くっきりと分かれたピンクの指から鋭い爪が伸び、しっかと地を踏みしめている。

「リム、大丈夫だよ。なんてことなかったんだから」

 微笑みながらシアンはその腹に掌を掬い入れ、逆の手で首筋や頬、顎を撫でる。

「キュア」

 先ほどの敵愾心はどこへやら、気持ちよさ気に目を細めて高く可愛い鳴き声を上げる。

 リムに威嚇されて固まっていた木の根はそそくさと潮が引くように撤退していく。

『あんなに怒っているリムを瞬時にして可愛いオコジョに変身させるシアンちゃん!』

『リムはドラゴンだよ』

 感心して後ろ脚立ちし、前脚を組む九尾を、ティオが打ち据える。

『やれ、九尾はほんに懲りないな』

『あは。きゅうちゃんの言う通り、シアンはいなすのがうまいねえ』

『うん。我もシアンに笑い掛けられると苛々した気持ちがすうっと落ち着く』

『リム様は可愛いドラゴンでござりまする!』

『殿がそうさせるのです!』

『御主人の御傍におられる時は可愛さ倍増!』

「みゅ!」

『……』

『本当に、可愛いね』

『歌も上手いのですよ』

『このメンバーはどこでもこんな感じなのにゃよ』

 九尾がそうするのだから自分も良いだろうとカランが四つん這いをやめて二足歩行をする。カランとしてはこちらの方が歩きやすいのだ。

 何度目かの驚きで声もないクリジンデはカランの言葉にただ頷くしかできなかった。



 シアンたち一行はクリジンデの指示の下、それぞれ樹の幹の影に身を寄せた。虫が大挙してくるというので、やり過ごすのだ。

「そういえば虫取りというのはやったことがないかもしれない」

 セミや蝶を網で捕まえるということをしたことがないなとふと思い出す。単なる記憶の確認だ。

 しかし、シアンの呟きを拾ったティオが言う。

『獲ってこようか?』

「ううん、いいよ」

 慌てて首を振る。

 そして、現れた虫の大群は虫取りといった生易しいものではなかった。

 低い羽音がすぐに大音声になる。

 隠れた樹の幹のすぐ傍を虫が無数に大挙して飛び去って行く。

 群体だ。

 意志を持つ一つ一つの個体がそれぞれ動いているように見えて、群れという大きな流れに乗って、全体で緩急つけた動きでうねうねと動き、最後にはひと塊の奔流となる。

 かち合わないように避けたシアンの隠れる樹に群れからはぐれた一匹が眼前、視点が合わなくなりそうなほどの距離で幹に止まる。掌ほどもありそうな昆虫がじりじりと細長い脚を動かして触覚をうごめかす。

 咄嗟に息を止めてゆっくり顔を後退させる。

「あれは四つのコブを持つ虫です。腹に二つの丸い溝があり、コブが嵌るようになっています。残りの両脇の大き目の二つのコブは胴体が挟まるように収めます。カチッと音がするまで嵌め込みます。そうやって同種の虫がどんどん上に重なっていくんです」

『カチッとってなんだ』

 クリジンデの説明に九尾が突っ込み、シアンも大いに疑問に思った。

『あれは長く尾を引く角の先から煙状の分泌物が噴出される。群体であれば、相当な散布量となる』

『面白そう! 捕まえてやって貰おう!』

 風の精霊の言葉にリムが好奇心でいっぱいになる。

「あ、リム!」

 リムが飛び出し、昆虫の後を追う。

「む、無理です。あれはとんでもなく早く飛ぶので追いつけませ……え、何で戻って来て、え、さっきのドラゴンが追い付いて誘導している?」

 クリジンデが混乱した様子だが、シアンは何と説明したらよいか分からない。それこそ、リムだから、という言葉に集約されてしまう。

『おお! フュージョン!』

「きゅうちゃん、フュージョンは融合で、合体はフィットだよ」

『そうでしたか。確かに、フィットのほうがしっくりきますな』

「うん、ものすごくぴったり合っているよね」

『これぞ、生命の神秘!』

 視線を合わせてみれば、不思議な形の角が無数に折り重なり合い、上部のシルエットが何とも言えない形を作り出している。

 そして、それが小刻みに絶え間なく動く。

 シアンたちの眼前に黒い棒状に合体したステッキのように見えるものが幾つも出来上がっていた。

「空飛ぶステッキ……。一体、何のために合体するんだろうね?」

 空気抵抗のデメリットよりも大きく見せることに何らかのメリットがあるのか。

『天敵がにおいと音に敏感で視力が弱いので、大きく見せることで追い払う、とかかにゃ?』

『煙状の分泌物が高低に満遍なく行き渡るようにしているのやもしれぬな』

『散布範囲拡大ですか』

 動物や昆虫は描かれた絵ではどんな写実なものでも欠けがなく完璧なものになる。実物は少しへこんでいたり、でっぱりがある。それが個性であり個別であるということだ。そしてそれこそが生命である。

 弱い生き物は群れを作る。群れからはぐれることは死を意味する。人間も徒党を組む。パーティもそうだ。そして、欠けがあったり規格が違い過ぎるとはみ出ざるを得なくなる。

 そういう数匹が周囲を飛び回る。

「ああやって群れから弾かれた者は長く生きることはできません」

『カチッと出来なければ生きて行けないんですね』

「そうです」

「そうなんだ……」

 そんな風にして不思議な植生を眺めつつ神秘の森を進み、一行はエルフの集落へと到着した。



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