37.異能を持つ貴族4
クロエは物心ついたころから父親にファガー家こそが一族の次席に相応しいと聞かされていた。幼心にも、どうせ目指すなら、次席ではなく主席にすれば良いのに、と呆れたものだ。
一族を牽引する力も責任感もなく、ただ安定した権力に追随して大きな顔をしたいだけなのだ。ファガー家はその地位に胡坐をかいているのではなく、それなりに協力してきた。そう、それは協力止まりだった。自分たちが考え、主導権と共に責任を持とうという考えはなかった。他人の企画に乗り、そこそこの努力で大きな余禄を得ようとした。
それが透けて見えたが、クロエ自身も希望することがあってもそれを叶えるのは他者だった。父であったり、夫となる人だ。クロエはただ美しくあれば良かった。外見を磨き、礼儀作法を学び、周囲に笑顔を振りまいた。そうすることで欲しいものは得られる。
そんな中、主席であるフィロワ家のエミリオスは次期当主の座を約束されているのにも関わらず、現状維持のままでは先細りするだけだと地固めを行い、新しい血を迎え入れた。
閉鎖的な血統主義の一族の中でやり遂げたのだ。どうやったのか全く見当もつかなかったし興味はなかったものの、物すごいことだ。
その目的を果たすためだけに、他家の意に沿わぬ正妻を得た。流石はエミリオス、クロエの初恋の人だ。
むくつけき男どもとは異なり、いかついフィロワ家当主よりもフィロワ夫人に似たエミリオスは麗しい容姿をしていた。フィロワ家次期当主であり、貴族らしく座していても咎められないのに、一族のために様々に考え実行し、今では頭の固いうるさ型を黙らせてしまってまでいる。
見目良く地位もあり才能まであるのだ。
これほど優良な条件の結婚相手が他にいるだろうか。
ハールラ家の次女オルティアと婚約していたが、そこは以前からハールラ家に対抗心を燃やしていた父親をたきつけ、首尾よく婚約し、さっさと結婚した。
オルティアなど女性らしさの欠片もない者よりもクロエの方がよほどエミリオスを癒してやれる。なんだかんだ言いつつ、男性は女性の容姿と若さを求める。後は可愛げがあれば良い。
複数と遊んでも男の甲斐性だとうそぶく者こそが、女性には貞節や健気さを求めるのだ。
貴族だけでなく、使用人の様子を見てつくづくそう思った。
その双方を兼ね備えたクロエが注目を浴びない訳はない。
社交界でつつがなく、フィロワ家次期当主の側室として振舞い、父はもちろん、フィロワ家当主にも認められつつあった。
次第にクロエはエミリオスの側室は自分だけなのだから、と気ままに振舞うようになった。
仕方がないことだと思う。オルティアは全く女性らしくないし、次席であるハールラ家との結びつきのために結婚するのだ。幼馴染とは聞いていたが、あれほど異性を感じさせなければ友人のような関係だったのだろうと思い込んでいた。
突然、幻獣のしもべ団なんていう得体の知れない庶民の団体に入団したと聞いて驚き呆れ、軽蔑していたが、アルムフェルトから離れたので喜んでいた。これでしばらくは側室ただ一人という地位は安泰である。
そう思っていたのに、オルティアはすぐに姿を現した。
しかも、とても柔らかで艶やかさを帯びていた。まだ固い蕾が膨らみ、ともすれば綻びそうで今か今かと気を引かれずにはいられない感があるのだ。きっと花開けば得も言われぬ香りを発するだろうという期待感があった。
その少し前からエミリオスはそわそわしていた。どこかクロエによそよそしかったエミリオスだが、それはオルティアのような女性が近くにいたのだから、自分のような愛らしい女性に免疫がなく戸惑っているか照れているだけだと思っていた。
邪魔なオルティアがいなくなれば自然と距離は縮まると思っていたので放置していた。それより今は美しい季節だ。社交界シーズンで忙しかったのだ。
側室一人という地位のお陰であれこれと手に入れることができ、その検分や身に着けてどう自分のものにするか、自分を良く見せるか、余念がなかった。
気が付いた時には、落ち着きがなかったエミリオスがいつしか柔和な雰囲気を纏っていた。ちょうど今のオルティアのように。
どこか不安定な二人の関係は離れていても確固たる芯を持ち、いつの間にか揺るぎなくなっていた。それが寄り添えば、さらに強固なものになった。共にはにかみながら照れた風で、その醸す雰囲気に苛立たせられた。何より焦燥が募った。
何とかして二人の間に割り込もうとしたが、大切な客を迎えるに当たり、準備に忙しそうにしていた。
ならば、と自分も友人を呼ぶことにした。
フィロワ家当主もその夫人もその客を迎えるために数日前から入念な準備をしていたが、当日になってハールラ家の当主夫妻と次期当主まで一緒にやって来たのには驚いた。
そして、微かに不安が過った。
友人エマヌエラ・フリストスは美しい伯爵令嬢で、それだけに傲慢なところがある。見劣りすることがないから付き合っている。急な思い付きで、近々の招待に応じることが出来たのは彼女だけだったのだ。
いいや、何かがあったとしてもそれはエマヌエラの自己責任だ。
クロエからしてみれば、次期当主の側室である自分をのけ者にする方がいけないのだ。気分を害すると何故わからないのだろうか。
友人と客間で茶を喫した後、少し庭を歩こうと誘って外に出た。
侍女たちが当主の客人がいる東屋の方へは行かせないようにするので、遠回りして彼女たちの目が離れた隙を狙って横道に逸れた。
「ねえ、こんな狭い所、歩きたくはないわ。ドレスが汚れてしまうわ」
嫌がるエマヌエラを宥めすかして何とか東屋に近づく。
そこには驚きの光景が広がっていた。
「まあ!」
「あれは幻獣? こんなに多く。一体どうして?」
フィロワ家は翼の冒険者を支援するという方針を持ったと聞いている。今日の大切な客人とは翼の冒険者と幻獣たちだったのだ。
当主夫妻を含む東屋、時折はしゃいだ高い声が聞こえてくる中にオルティアがいることが許せなかった。
クロエは翼の冒険者の来訪を知らされず、茶会への出席も打診されなかったのにもかかわらず、何故、オルティアが席を賜って談笑しているのだ。あそこにいるのは自分の方がふさわしいのに。単なる許嫁に過ぎないのに、第一にして唯一の側室である自分を差し置いて、何故平然と座っていられるのか。
そんな風にいら立ちを募らせていると、いつの間にか友人の姿が消えている。
「まあ、このブラシはとても良いものですのね。わたくしが貰って差し上げますわ」
見れば、エマヌエラが東屋に近寄り、幻獣に話しかけていた。
他家の客人を招いた茶会に、招かれもしないのに乗り込んで勝手な物言いをする友人を目にしてクロエは青ざめた。




