36.異能を持つ貴族3 ~プラカード要求~
ふとシアンが幻獣たちに視線をやると、今だとばかりに一頭が妙な動きをした。
九尾が幻影のプラカードを掲げて後ろ脚で仁王立ちする。
『我々はスイーツを要求する!』
『我々って、お主の他に誰がいるんだ』
鸞が胡乱気な視線になり、慌ててカランが九尾の後頭部を叩いて四つん這いに戻す。
「きゅっ」
麒麟とわんわん三兄弟が九尾と鸞、カランをおろおろと見比べ、一角獣とネーソスは我関せずで、ユルクは困り顔で鎌首をたわめ、ユエとリリピピは少し離れて様子を見守っている。
九尾はめげずに幻影の狐を二、三作り出しアピールする。
「幻影もスイーツを食べるのかな?」
シアンは思わず呟き、オルティアは噴き出した。彼女もまた幻獣たちの出来事を目撃したらしい。
「オルティア?」
「いえ、済みません」
エミリオスの不思議そうな声に咳払いでごまかす。
どうやら、オルティアとシアンにしか見えない類の幻影だったらしい。
「フィロワ夫人」
オルティアがイアンテに声を掛ける。
「いつもとイアンテと呼んで頂戴と言っているでしょう? ああ、でもそうね。これからはお義母様と呼んでくれてもよろしくてよ」
いたずらっぽく笑う可愛らしい妻に、エリックの顔が緩む。
「それは……、では、お言葉に甘えまして、お義母様」
一旦は戸惑ったものの、オルティアは腹を据えた。
イアンテとハールラ夫妻、アイオロスが驚きの表情を浮かべる。エミリオスが笑み崩れる表情を隠すためにカップを持ちあげたが、中は空だったので侍女に目配せする。茶を注ぐために動いた侍女が契機にイアンテが我に返って微笑む。
「何かしら?」
「先日は沢山のチョコレートを送っていただき、わたくしからもお礼を申し上げます。ありがとうございます。同僚たちも大変喜んでいました。実はそれをこちらのシアンにもお渡ししたのです。フィロワの誇る菓子をぜひ召し上がって貰おうと思いまして」
「とても美味しかったです」
オルティアとシアンの称賛にフィロワ家の者がまんざらでもなさそうな表情を浮かべる。
「そう仰って頂けて、光栄ですわ」
「それで、ぜひ、もう一度、幻獣たちに食べていただきたくて……」
「そうそう! 幻獣様たちもお気に召されたのよね!」
クリスタが高い声を上げる。
「はい。人間の味付けも好んで食べます」
シアンは現実世界で有閑階級との付き合いがあった。はしゃぐ身分のある女性の対応にも慣れている。
「実はね、クリスタが感激してレシピを教えることを願い出ましたのよ。もちろん、わたくしどもも幻獣様たちの意に沿うのに否やはございませんわ」
クリスタだけでなく、イアンテも喜びに満ちた表情を浮かべる。
「ありがとうございます。レシピを教えて頂けると伺って、幻獣たちと一緒に楽しみにしていたんです。幻獣たちの一部は器用で料理もするんです」
「「まあああ!」」
高貴な女性二人の声が重なった。
「お教えしますとも! それでその、幻獣様たちと一緒に料理ができるのかしら?」
「ええ、もしよろしければ」
イアンテが身を乗り出すのにシアンが微笑む。
「わ、わたくし、料理はできませんが、その、見ていても構わないでしょうか?」
クリスタが両手を胸の前で組み、懇願に近い表情だ。
「僕は構いません。もしかして、フィロワ夫人が教えて下さるのですか?」
「そうですわ」
侍女が注いだ新しい茶を飲んで高揚する気持ちを一旦落ち着けさせたイアンテが肯定する。
「妻はフィロワ家の菓子のレシピの考案にも力を貸しておるのだ」
自慢気に言うエリックに素晴らしいですね、とシアンは笑う。
阿るでもなくてらいなく言うシアンに、エリックは好感を持った。事実をそのまま告げていて、大げさでないところが良い。
「フィロワ夫人さえよろしければ、ハールラ夫人やオルティアさんも一緒にしましょう。ボウルの中身をかき混ぜたりするだけでも、料理の過程の一部を楽しめて良いと思うのですよ」
「もちろん歓迎しますわ」
「奥様、シアン様、寛大なお言葉、大変嬉しゅうございます」
シアンの提案にイアンテが頷き、クリスタは貴族的な表面上の笑顔や言葉ではなく、心からの笑みと礼を発する。
「流石だな」
「ああ、フィロワ一族の影の権力者をこんな短時間で掌握するとは」
エミリオスとアイオロスが囁き合う。
イアンテはエリックの言の通り、フィロワの特産品を作成するのに大きな影響力を持ち、クリスタは夫アザロスを助け何かと貢献している。
フィロワ一族はオルティアを幻獣のしもべ団に入団させたのだから、敵ではない。ただし、後ろ盾になるにふさわしい人品かを見定める腹積もりはあった。
シアンに向けられる感情は親しい友人へ向けるものに変じつつある。
「調理に入る前にぜひご賞味なさってください。宜しければ、幻獣様たちも」
「ありがとうございます」
イアンテが指示し、東屋の他に、幻獣たちにも菓子が配られた。
シアンは力ある幻獣たちが貴重な陶磁器を壊さないためにと断り、マジックバッグから専用の器を取り出して移し替え、幻獣たちに菓子を配った。
料理をする者もいると言ったのだから構うまいと九尾とリムにカトラリーを渡してやる。
それでもリムは大きく切り分けて頬張る。
「まあ! まあ! まあ!」
「何て美味しそうに召し上がるのかしら。本当に器用にカトラリーを操られるのね」
クリスタは歓声を上げるばっかりで言葉もない様子で、イアンテは嬉し気に侍女に追加で菓子を持ってこさせる。
「美味しいです。形も綺麗ですね」
「そうですの。見た目もとても重要なんですのよ」
席に戻ったシアンの言葉に、我が意を得たりとイアンテが身を乗り出す。クリスタは茶菓そっちのけで幻獣たちに釘付けだ。そのうち席を立ちそうだ。
「旦那様もハールラ家当主も美味しければ何でも良いなんて仰いますけれどね! この美しい形が重要ですのよ!」
「そうですね。料理は味はもちろんのこと、色合い、盛り方も重要です。勿論、香りも」
「まあああ! シアン様は料理人と伺いましたが、造詣が深くていらっしゃるのね!」
今度はイアンテが声を上げる。自分の領域で同じ考えを持つ者がいたことが嬉しかったのだろう。
「仰るほどではありません」
あちこちの国へ行って各国料理を教わるのを楽しみにしているのだというと羨ましがられ、ぜひ教示してほしいと言われる。シアンは快く頷き、それぞれレシピを教え合うことになった。
嬉し気にはしゃぐ妻にフィロワ当主が目を細める。
ハールラ当主は妻の常にない高揚ぶりを時折たしなめながらも、こちらもまんざらでもなさそうだ。
「オルティアもシアン様から教わっているのだろう?」
「教わるというほどのものではなく、先ほどシアンが言っていたような下ごしらえくらいだな」
「オルティアさんはとても包丁の扱い方が上手なんですよ」
シアンが褒めるとエミリオスの方が嬉し気だ。オルティアは訓練をしてきたから刃物の扱いに慣れているだけだと淡泊だ。しかし、続くエミリオスの言葉には慌てた。
「今度料理を作って食べさせてくれないか?」
「えっ、その、本当にまだ一品も作れないのだが」
「いつでも良い。待っているから」
熱心に言うのを無碍にもできず、さりとて自信なげなオルティアは視線をさ迷わせる。
「オルティアさんの時間ができた時に僕もお教えしましょうか? クロティルドさんやロラさんの方が良いかな?」
「あ、ああ、では、宜しければ、また、みなで伺っても? その、以前の料理を習ったのが楽しかったので」
「まあ、素敵! オルティア、わたくしも婚約時代に旦那様に食事を作って差し上げたのよ」
「オルティアも女性らしいことをするようになるなんてねえ」
「あら、クリスタ。オルティアはとても女性らしく愛らしくなっていてよ。ねえ、エミリオス」
アルムフェルトでも有数の貴族の当主二人と次期当主二人は女性陣の話に口を挟めずに茶を喫していた。
その後、シアンは手土産にと島の素材と野菜や果物を渡した。非常に珍しがられ喜ばれる。
シアンの相談に乗ったオルティアも家族らの喜びように嬉し気だ。
「これは?」
「海産物を乾したものです」
「ほう、珍しい」
「まあ、カカオではござませんの! バニラも!」
シアンが取り出した品にイアンテが歓声を上げる。
「はい、チョコレートのお菓子を教わるのでお持ちしました」
カカオは処理に手間と時間を要するので、今日は使えないが、貴重な素材を補填しようと思った。
「ほう。随分良い品だな」
「全くです。手に取ってみても?」
「どうぞ」
エリックとラザロスが自領の収入源の特産品に用いられる素材に興味を持つ。
「確かに実に素晴らしい品質だな」
「これほどの品をどちらで? ……ああ、いや、失敬。そういったことは聞いてはいけませんね」
アイオロスはあまりの良質さに興奮してしまい、相手の手札を尋ねてしまったことを詫びる。
シアンとしても魔神から紹介して貰い、魔族から仕入れているとは言えなくて曖昧に笑った。
茶会は和やかに進んだ。
「エルフの森?」
「そうです。そんな噂があるのですよ。シアン様は各地を巡られているとか。噂を耳にしたことは?」
気を取り直してアイオロスが話すのを鸚鵡返しにしたシアンはそう言えば、とアレンたちがそんなことを話していたなと思い出す。
「そういった場所があるということだけなら」
シアンの言葉にアイオロスは一つ頷いた。
「神秘の森と称される場所にはエルフという魔力が高い種族が住んでいるのです」
その森は多種多様な生態系を築き、他では見られない動植物があるのだそうだ。
「ただ、慣れない者は奥へ進むことができなく、いつの間にか森の入口へ戻って来てしまうのだそうですよ」
『面白そう! 行きたい!』
『多種多様な生態系か。良い薬草が採取できるやもしれぬな』
『道具作りの材料も!』
リムの上げた声にすかさず賛同したのは、いつの間にやら東屋に近寄って来ていた鸞とユエである。釣られるようにして他の幻獣たちも寄って来る。
「じゃあ、帰りに行ってみようか」
場所を教えるアイオロスは思いもかけず幻獣たちの気を引くことができて嬉しそうだ。
そんな兄の様子に、オルティアは意外な気持ちを隠せずにいた。それを察したのか、自分の発言にこれほど反応を返されたら嬉しいだろう?と照れくさそうに笑った。
シアンが口の周りを焦げ茶色に染めるリムを拭ってやっていると、クリスタが熱いため息をつく。
「全く嫌がらないのですね。素晴らしいわ。信頼関係がありますのね」
イアンテも感心して言う。
シアンが高位幻獣たちに心許される人物なのだとフィロワ一族の者は感じた。
「シアン様、何かありましたら、遠慮なくこのクリスタに仰って! 出来得る限りのことはさせていただきますわ」
「わたくしもよ。シアン様や幻獣様たちが健やかにお過ごしなられるよう、微力ながら力を尽くしますわ」
クリスタが真剣な表情で言い、イアンテがにこやかに後押しする。
「ああ、オルティア! 貴女はシアン様たちの安寧を守るとても崇高なお役目についているのね!」
まさしく幻獣のしもべである。
「母上の仰る通り、お前は先見の明があったのだな」
家族に手放しで喜ばれてオルティアが目を白黒させる。
何より、これほどテンションが高い母親の姿は見たことはない。常に冷静沈着を良しとしていたのだ。
母がはしゃぎすぎの感はあるものの、和やかな茶会の雰囲気が不意に破られた。
「まあ、このブラシはとても良いものですのね。わたくしが貰って差し上げますわ」




