32.工作員の暗躍
自分は同族のように頻繁に宿主を得ることが出来ない。
寄生する手法が異なるからだ。
同族は自分の身を切り離して増やす。同時期に多くの宿主を持てば再生能力よりも減少の方が早くなり、今と同じく休眠状態に陥る。
一方、自分は産みつけた卵が孵って体の内部から脳に到達することが出来た時に操ることが叶う。時間は掛かるものの、親である自分には何ら影響はない。魔獣を苗床にしたことから、短い生が大分伸びた。だから、子らは短い期間で死んでしまうが、孫、ひ孫が孵化していく。そのうちの一人二人が宿主を操ることができるようになったら、こちら側に引き入れる。彼らは狂乱の世をもたらすという壮大な話に目を輝かせた。負の感情を間近で感じることが出来るのは得も言われぬ快感をもたらすのだ。
いや、言い過ぎた。
自分たちは同族と違って、それほど思い通りに宿主を操ることが出来る訳ではない。あれはもはや分身と言って良いほど表情も変えて見せるが、自分たちには無理だ。
ただ、何となくこうしたい、こうしなくてはいけないという指針を示して見せるのだ。
それをするに、ここの人間たちは打ってつけだ。感情のままに振舞う者が多い。だから、周囲におかしいと気づかれる危険性が低い。
子や孫に手伝わせ、研究し尽くした非人型異類たちを野に放った。
散々実験体となり、素晴らしい記録を残し、実験体仲間である壊れてしまった人間を綺麗に掃除してくれた者たちは、最後には人の世に混乱をもたらすのに役立つのだ。
一体で何度もおいしい。
ただ、運ぶのには苦労した。
知性もなく非常に強大かつ不可思議な異能を持つ生物だ。
まず、地下実験室から運び出すのが難しい。人目に付かないようにしなければならなかった。
そこで、出入りの商人を抱き込んで、「特別な薬草」を秘密裏に売買するのに紛れ込ませた。これで運び出すのも向こうの役目となる。
重さが違う以前に、運搬途中に頑丈に梱包された木箱の中から音がする。薬草だけではないと知られていただろうが、後ろ暗いことをしているのは彼らも同じだ。
箱詰めする際に眠らせておいた非人型異類が薬が切れて活動し始める物音に、好奇心で木箱を開けてしまった運搬業者、つまり商人の子飼いが真っ先に非人型異類の餌食になったこともある。
商人から非人型異類の襲撃に遭ったという話を聞き、その姿かたちから事の次第を類推した。
「特別な薬草」を横流ししているのを調べていた薬草園の小柄な老人も非人型異類の食料となった。食料調達の手間が減った。
商人から得た金銭は子や孫が操る宿主に協力させる代金として使った。宿主たちはどういった経緯で手伝うようになったかはっきりとは覚えていないものの、この神殿の中ではそうやって私腹を肥やす者は多い。自分たちも同じことをしているだけという認識に落ち着いているらしい。
これで新しい非人型異類の異能を調べることが出来るし、野に放つことで混乱を招くことができる。神殿の礼拝堂を時折覗いてみると、家族を殺された者、家を壊された者、貴重な財産である田畑や家畜を害された者の怨嗟と困惑、悲嘆が渦巻いており、それはそれは気持ちが良いのだそうだ。
「アーロ殿も行ってみればよろしいのに。あの快楽は格別ですよ」
言いながらいやらしく笑うのは子が宿ったのだったか、それとも孫だったか。そろそろひ孫の他に玄孫もできそうだ。
ここには長らく棲みついた。
これほど住み心地が良い場所はついぞなかった。
宿主も存分に研究を続けることが出来、知的好奇心を満足させている。
いや、満たされることなどない。
これからもまだまだ進めて行かなくてはならない。
そう考えて、何を進めて行かなくてはならないのだろうか、とアーロはふと我に返った。自分は何をしていたのだろう。子とか孫とか考えていたように思う。しかし、自分は婚姻しておらず、婚外子もいなかったはずだ。
まあ、良い。
それよりも、研究の続きを行おう。
アーロは時折記憶が虫食いになり、自分が何をしているか分からなくなる時があったが、特に気にすることはなかった。
ラウノは黒いローブを脱ぐと乱暴に椅子に引っ掛け、テーブルに両手を置き、重い体をようやっと支えてため息を吐いた。
後ろから入って来たエイナルが気づかわし気な雰囲気を纏うのを放置した。正直に言ってどう取り繕えば良いのかわからないというのもある。
体力的には余裕はある。
しかし、心情が付いて行かない。
今回の仕事は工房の物をくすねて売り払った職人を脅し、秘密裏に指示して動かすというものだった。
盗難はちょっとした物だったし出来心によるものだろう。
それを、何故か見ず知らずの人間に突かれて親方に告げられたくなければこうしろああしろという指示があるのだ。自分が普段使う棚や抽斗から指示が書かれたメモが出て来る。他の者の目につかないように慌てることとなる。
なまじ読み書きができたので、姿を見られることなく動かすことが出来るという要素だけで選ばれた人間だった。
それにどんな意味があるのか分からないまま、言われるままに行動させられるのだ。不気味で得体が知れず、さぞ不安なことだろう。
そういった任務がここ最近増えていた。
そして、ゆくゆくは幻獣のしもべ団という噂に名高い翼の冒険者の支援団体の仕業だと擦り付けるつもりなのだという。
時に、幻獣のしもべ団が有利になるよう事を運び、誰かが仕向けたものだと露見させる。自分も同じような手口で動かされていたと言い出す者が出てくるだろう。小さなことで散々脅され怖い思いをさせられたのだ。
時に、幻獣のしもべ団の不利になるよう持っていく。窮地に立たせてぼろを出し、ならず者でしかないということを世に知らしめてやるのだという。
流石にラウノは何故そんなことをする必要があるのかと隊長ヒューゴに問いかけた。
答えは短く、それが必要だからだ、というものだった。
全く分からなかった。
幻獣のしもべ団は確かに異能を有する者も存在する。
だからといって神の説く輝かしい世を積極的に汚す存在には思えなかった。逆に、翼の冒険者と共に非人型異類を排除し、人の世の安全を保持しているではないか。
それを、正面切って非難するならともかく、裏から手を回して他の人間に悪く見えるように立ち回るのだ。
それこそ、清浄とはかけ離れたことではないか。
迂遠な手を回しながら情報操作し、悪い印象を持たせるなど卑劣である。
ラウノはつくづく、貴光教の暗部、犬目と揶揄されるこの役目に嫌気がさしていた。神への愛だけを胸に、人助けのために剣を振るえたらどれだけ良いだろう。
「気持ちは分かるがな。したくないことでも、しなくてはならないこともあるさ」
エイナルが頭部のフードを後ろに押しやって顔を出す。
同年代の同僚の大人の発言に、自分の頑是なさを感じるラウノはため息を飲み込んだ。
それをどう思ったのか、エイナルがお前は純粋なだけだと言う。
そうではない。ただ、我儘なだけだ。自分がしたいことだけをして生きていける者などほんの一握りだ。
と、エイナルがローブを脱いだ。
「なあ、街の外へ行こうぜ」
「外へ? 今からか?」
「ああ。気晴らししよう。非人型異類が出没するって言っていたじゃないか。俺らで片付けようぜ」
「お前、さっき下の酒場で食事がてら給仕の女性を口説いて気散じするって言っていなかったか?」
「だってさあ、お前の方がもてるじゃないか。せっせと粉掛けているのに、お前ばかり見ているってのは、俺が可哀相だろう?」
唇を尖らせるエイナルに噴き出す。つい今しがた大人だと思ったら、途端にこうだ。子供っぽい仕草は殊更自分の気分を変えようとしてみせたことだろう。
その心遣いが有難かった。
「あ、何だよ。笑うなんて酷えよ。ちょっと見た目が良いからってさ」
「何馬鹿なことを言っているんだ。それより、ローブを脱いでいくのか?」
「そう。堂々と一階に降りて正面玄関から出掛けよう」
それも良かろうとラウノはエイナルと連れ立って宿を出た。黒い装束を脱いでようやっと息を吐いて伸び伸びと動けるような気がした。
冴えわたるラウノの剣技が非人型異類の異能ごとその身体を切り飛ばす。甲高い喚き声を立てる非人型異類から、大きく飛びのいて距離を取る。死に際の、文字通り死に物狂いの状況は非常に危険だ。
エイナルも油断せず、それでも考えずにはいられなかった。
やはり、ラウノの技量はすさまじい。
隊長ヒューゴは別格として、三番隊でももはやトップクラスである。
エイナルも有力株として武力を磨きつつあったが、ラウノには敵わない。
だからこそ、こんなところで隊を抜けてほしくはなかった。
アリゼの薬は強力だ。できれば、使いたくはない。
ラウノとなら、見たこともない武の段階を見ることができるのではないか。
そう思うと、なりふり構わずラウノを引き留めようとするエイナルはそれが自分のエゴなのだと知りつつ、諦めることが出来なかった。
ある意味、ラウノは目標であり、常に前を走り続けていてほしい。我ながら変だとは思うが、一種の安心感をもたらすライバルなのだった。




