39.首無し事件3
「おいおい、そりゃあまずいだろう。生き返る可能性は皆無なのに、力づくで奪っていこうってか? どこの居直り強盗だよ」
後ろから聞いたことのある声がする。マウロだ。
「マウロさん、どうしてここに?」
出入口は魔法職の男女と密偵で塞がれている。振り向いて見た先、マウロは尖った杭を並べた壁の上にしゃがみこんでいた。身軽かつ器用にバランスを取っている。
シアンはようやく視野狭窄に陥っていたことを知った。感覚が戻ってくると、肩に乗ったリムの柔らかい毛の感触も感じることができるようになる。
不安そうにシアンの顔を覗き込んでいるのを、安心させるように背筋を撫でた。けれど、まだ顔がこわ張って、笑いかけることはできなかった。
「そこのおっさんの森の中の施設に関して調べていたら、ここに行きついたのさ」
「先ほどからの話を総合すると、グリフォンの主の君がわしの施設を発見して冒険者ギルドに密告したのかね? では、そのせいでわしは施設と研究を奪われたということなのかね?」
ぎらつく目でシアンを睨みつける。思わず後退さるシアンの前にティオが身を乗り出す。男の視線からシアンを庇う動作は、だが、シアンの不安を誘う。ティオの翼を寄こせと言われているので、極力隠れていてほしいが、生憎、巨躯を隔てるものは何もない。
「貴様のせいか! 寄こせ! そのグリフォンの片翼を。そうすれば、わしの研究は成果を結ぶのだ!」
「死んだ動物に人の頭をつけて生き返らせるなんて、無理だ」
マウロが言うが、男の耳には届かない。
「第一、あんたはもともと国からもう手綱を取れないと見放されかけていたんだ。だから欲をかいた冒険者ギルドの上層部が国の弱みを握ろうとして独断で暴走したのを機に、これ幸いと放り出した。生物兵器を作り出して戦争に使う、しかも、アダレードの歴史に深く惨く刻まれた非人型異類を作り出すなんざ、狂気の沙汰だ。どうやったって民意を得ることができないやり口だ。どうせ、グリフォンの片翼云々も国の奴らが希少な素材だとかなんとか吹き込んだんだろう? 信ぴょう性がないって、そんなの。冒険者ギルドの阿呆と国のお偉いさんが悪いんであって、シアンには何の責任もない」
「うるさい、うるさいうるさい! ちゃんと神秘書に書いてあったんだ! 幻獣の中でも特に魔力が高いものの部位を使えば、異類を作り出すことも可能だと。それにこれは異類の異能の研究にもつながるんだ!」
癇癪を起し、地団太を踏む男に、マウロが畳みかける。
「首を切断して血を止める装置もこっちで押収した。あんたは持ち出せなくて、そこの動物だけなんとか数頭連れて来たらしいがな。こいつらをちゃんと死なせてやれる。物的証拠を白日の下に晒せばことは収まる」
証拠を押さえられたと知った男は身を翻し、小屋の中に駆け込んだ。
「シアン、今のうちに逃げよう。何されるかわからないぜ。道理もへったくれもない。自分の思い通りにならないことに対してへそを曲げているだけさ」
「逃がさないぞ!」
剣士が鞘から抜いた剣を、シアンに向けて構える。
それに倣い、密偵が弓に矢をつがえ、魔法職が杖を掲げる。
ティオが静かに首を向ける。
剣士たちが怯む。
「キュァァー」
リムが低い鳴き声を上げて威嚇する。
ティオやリムに気おされつつ、包囲網を解かないNPCパーティに構わず、シアンはティオの背に乗った。
「マウロさんも逃げてください」
「おうよ、証人にたっぷり衝撃的事実ってやつをご覧になっていただいたしな」
何のことか問うている間はなかった。
男が小屋の中から台車を押してきた。
鉄のような何らかの金属でできた巨大な箱に漏斗状のものが取り付けられている。
「このまま逃げられるとは思うなよ!」
外へ持ち出した装置を操作している。あれは危険だとシアンの脳裏で警鐘が鳴る。
「偉そうに、知ったことのように言いやがって。見ていろ、首の切断機よりこっちの確保を優先させた意味を見せてやる」
何かぶつぶつと呟きながら一心に装置をいじっている様はまさしく異様だった。
「ティオ、行こう。英知、マウロさんをお願い。もし同行者がいたら彼らも」
マウロを逃すよう、風の精霊に依頼する。風の精霊は一瞬不服そうな表情を浮かべたが、目線でお願い、と訴えた。リム程の可愛さはないが、必死さは伝わったようで、かすかに頷いた。九尾もたまには役に立つ。
シアンもまたティオに乗って逃げ出した。
男が引っ張り出してきた箱が小刻みに揺れ、不穏な振動音を響かせる。男が機械から離れると、天に向かって漏斗が口を大きく開ける。漏斗の口に紋章陣が薄く発現する。目に見えて、周囲の空気を吸い込み始めた。風を送る扇風機の逆、掃除機の強力版だ。
シアンの服も風圧ではためいた。
「ははは、どうだ、わしの発明は! 飛ぶ魔獣もこれで引き寄せられるのだ!」
機械のすぐ傍に位置する小屋ががたがたと音を立てる。今にも瓦解しそうな激しい音に変わっていく。
「やべえ、お前ら、逃げるぞ!」
「小屋の後ろへ回り込め!
NPCパーティたちが慌ただしく動き出す。
ティオはいつもの速度が出せない。懸命に羽ばたくが、風の流れ渦巻く乱流に邪魔され、失速する。
後方を見れば、風が渦巻いて漏斗に吸い込まれていく。そこに、先ほど見た猪や鹿、熊も螺旋を描いて竜巻上に巻き取られて飛ばされている。あの重量を軽々と巻き込める吸引力と、どう見てもあの箱の大きさに収まらない分量が吸い込まれていく不条理に唖然とする。漏斗の紋章陣に触れた途端、プレイヤーの死亡のように光の粒となって、質感が崩れ落ちるように消え去る。
唐突に理解した。紋章陣は異界への出入り口なのだと。
シアンは心臓を掴まれた気になって、懸命に落ち着くために深呼吸する。
白衣の男が、漏斗に吸い込まれようとした首のない熊の鋭い爪の一撃を胸に受け、よろめいた。ぐらりと漏斗の方へ体が倒れ、すぐさま吸い込まれてしまった。
最期は悲鳴すら漏らす間もなかった。
徐々に席巻していく竜巻が小屋を壊し、杭の壁を根こそぎ倒す大分先に、マウロを始め、数人の人影が森を駆けていく。髪の先を持って引っ張られるみたいに、周囲の木々が梢を引き延ばされて、ついには一本、二本、根こそぎ引き寄せられている。しかし、マウロたち周辺は風の影響を受けていない。
あちらは大丈夫だ。
シアンたちは上空へと逃げているが、渦状に吸い込んでいく吸引に引き込まれそうになる。懸命にティオが羽ばたき、魔力を消費し、前進する。
ティオの体勢も安定せず、突然大きく傾き、リムがシアンの肩から転がり落ちる。
「リム!」
「キュア!」
腕を伸ばすが、間に合わない。
リムが自分の羽根をせわしなく動かす。下から吸引するそれに捕まりそうになりつつも、上下しながら飛ぶ。
振り向いて腕を額に当てて風を防ぎながら、目を細めてリムの行方を追う。
心臓が早鐘のように打つ。
落ち着かなければ。こんな場面で強制ログアウトにでもなったら。
シアンがあの装置に捉われたら、ティオは戻ろうとするだろう。リムも気を取られて絡めとられるかもしれない。
深呼吸したいところだが、呼吸がうまくできない。身体を巻き取って行こうと圧力がのしかかる。
ふと体を覆っていた重圧が緩んだ。
ティオとシアン、少し離れたところを飛ぶリムを光と影が覆っていた。辺りが濃い闇で覆われ、その中に光のカーテンが幾重にも取り巻いている。暗い闇にたなびくオーロラは明瞭で、あれだけ力強く吸い込んでいた風は届かない。まるでフラッシュが作ったバーチャイムが奏でる音のように虹色のカーテンが囁いているような光景だ。
「リム!」
自由が利くようになったリムがシアンに飛びついてくる。胸にしっかり抱きしめる。
そのまま周囲を見渡し、シアンは心当たりに声を掛ける。
「稀輝、深遠、ありがとう!」
『ほれ、もう少しじゃ、頑張れ』
老人の豊かな声がしたかと思うと、ティオの体勢が安定し、先ほどまでせわしなく羽ばたいていたのが、力強くゆっくりしたものに変化する。
「雄大も!」
『吸い込む風は遮断している』
『怪我はない?』
光の精霊と闇の精霊の声が届く。
『早く離れた方がいい。あれはもうじき魔力が切れる』
風の精霊の声もする。シアンの傍らにほっそりした姿を現している。
「英知! マウロさんたちは逃げられた? 魔力が切れたらどうなるの?」
『不完全なからくりだ。吸い込むのが止まって二度と動かなくなるか、あの箱が壊れて、吸い込んだものが飛び出すか、だね。ただ、あの男も首無し死体も生きてはいない。吸い込んだものの魔力を還元して使用しているから。あの人間たちはまだ森の中を走っているところだ。大丈夫、ちゃんと感知しているから』
勢い込んで問うシアンに、風の精霊が丁寧に答える。
「ありがとう。でも、あの装置は壊すこともできないんだね」
飛び出すというのはどんなものだろうか。爆発を伴うといった危険性はないのか。そして、あんな危険な代物を残しておいても良いものなのか。
「じゃあ、雄大が硬い岩か何かで覆って密閉した後、英知が吸い込んだ分だけの空気を抜いたら大丈夫じゃない?」
『大地のと協力を?』
顔の造作が美しい者は呆気にとられた表情を浮かべても秀麗さを損なわないのだな、と明後日な考えが浮かぶ。
「そう、それで、装置自体は地中深くに埋めてくれたら、掘り起こされなくて済むんだけど。駄目かな?」
首を傾げると風の精霊はうっすら微笑んだ。
『いや、他の精霊王と協力するなんて考えてみたこともなかった。どうだ、大地の。やれるか?』
『わしは作れるが、完全に密閉する寸前に空気を抜ききらぬと、いかな硬い岩盤とはいえ、持たぬじゃろうな』
『その時機は私が見定める』
『では任せようかの』
二柱のやり取りを見守っていたシアンが安堵の息をつく。
「ありがとう、英知、雄大」
優雅に腕を胸に添え軽く一礼する風の精霊とは異なり、面はゆそうに顔を歪めた大地の精霊は照れ隠しのようにティオに檄を飛ばす。
『それ、大空を自由に行くものよ、もうひと頑張りじゃ』
「キュィ!」
大地の精霊の励ましに、ティオが勇ましく鳴いた。
「英知、雄大、後はよろしくね!」
シアンも前傾姿勢になり、風の抵抗をなるべく減らすようにする。
ティオは力強く羽ばたき、闇と光の囲いの中から飛び出した。そして、高く高く飛び上がる。
猛り狂う風をはるか眼下に空を駆けた。
シアンが決して譲らなかった翼でもって、自由に大空を翔けた。




