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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第八章
389/630

29.前後不覚1 ~ネーソスも気にしてた~

 


 〇月×日

 駄目だ、もう駄目だ。

 やるしかない。やっぱりやるしかない。

 それしかない。

 痛い痛い。

 あいつら、本気だった。

 怖い怖い。

 元々、そのために預かったのだ。

 ごめん、ごめんな。

 最期に肉をいっぱい食わせてやるからな。



 〇月×日

 本当はこんなことやりたくはなかった。

 でも、自分は音楽家になりたかった。

 音楽だけで食べていけるのなんて、取り入るのに長けた詐欺師くらいなものだ。それと、一握りの天才と。

 分かっていた。自分は天才なんかじゃないってことくらい。

 じゃあ、詐欺師になるしかないじゃないか。

 俺はずっと認められないままだった。踏みつけられて馬鹿にされてきた。

 だったら、次は俺が踏みつけたって良いじゃないか。

 ひもじい思いもみじめな気持ちも、恐怖や痛みも、感じずに済むのだ。

 こんな俺に預かられたことを、俺のしたことを許さなくて良い。憎んでいてくれたら良い。

 そうやって独りくらいは俺のことを覚えておいてくれたら良い。


 怖い怖い

 痛い痛い

 くそが。

 見ていろ。絶対に後悔させてやる。

 どうせ死ぬんだ。だったら。





 シアンはこの手記をどこで手に入れたのか盗賊たちに聞いた。

 彼らは口々に言った。

「幽霊城でだよ」

 どこかで聞いたな、とシアンは眉根を寄せる。その表情をマイナスに受け取ったのか、口々に言い募る。

「俺たちが見に行った後、怖いもの見たさの連中が行って、ほら、噂になっている」

「元々はあれは俺たちが見つけて捕まえた幻獣だ」

「俺たちは依頼されて借金の取り立てに行っていたんだ」

「借りたのに返さない方が悪いんだ!」

「だから、あいつに幻獣の怪我を直させて人馴れさせさせるっていう仕事を与えてやったんだよ。ちゃあんと借金を帳消しにする代わりを与えてやったんだ」

「あ、あんたが持っているみたいな高位幻獣なんて、存在するかどうかさえ怪しいんだ。下位幻獣とはいえ手に入れるのにどれほど苦労したことか!」

「それを人慣れさせて貴族や金持ちの好事家に高値で売りつける寸法だったのさ」

「そうすれば、その手間賃だけで借金を帳消しにしてやろうって温情よ」

「なのに逃げ回って、あんな所に住み着いて」

「ようやっと見つけてちょっと痛めつけてやったら、言うことを聞くようになったんだ」

「でも、あいつ、ブツを引き渡す時に言ったんだ」

 可愛くてそこそこ賢い。

 初めは警戒していたが、次第に慕って来る。

 馬鹿な所もあり、賢い所もあり、微笑ましい。

 思う通りに育てられただろう?

 これで金が手に入る。

 元々そのつもりだったんだ。

「初めは俺たちにブツを見目良く育て上げた成果を話していたのかと思ったんだ」

 しかし、彼は言葉を解することができる幻獣に言い放った。

「お前なんて好きではない。研究のためだけに育てていた」

 それを聞いた幻獣は信じられないという表情で彼に縋りつこうとした。それをナイフで刺した。

 痛みと精神的衝撃で幻獣は狂ったようにその場で暴れまわった。

 その弾みで飛び散った血肉が、床に掛かれていた奇妙な文様に掛かり、途端、光を放った。

 眩しい光の向こうに、巨大化した幻獣に食い殺される彼が見えた。

「慌てて適当にそこらにあるものをひっつかんできたけどさ」

「骨折り損のくたびれ儲けだ」

「借金の回収もできやしねえ」

 ぼやくのを無視して幻獣に付いて尋ねる。

「さあ、知らんね」

「俺たちだって命が惜しい」

「魔獣と化したんじゃないのか?」

 どうなったか見届けた者はいないという。

「なんかでも、他の影も見えたような?」

「見間違いだろう」

「どうするよ、翼の冒険者さんよ。凶悪な魔獣が誕生しているかもしれないぜ? 討伐依頼を受けるかい?」

「俺たちが事情を話してやったんだ。分け前を貰わなくちゃなあ!」

 シアンは口々に勝手なことを言う盗賊たちを捨ておいて、幽霊城へと急いだ。



 それは要塞のような堅固な城館だった。

 四方を高い壁に囲まれた重厚な造りである。

 そして、幽霊城と呼ばれるだけあって陰鬱な場所だった。

 手入れはされておらず、窓はあちこち割れ、外壁もところどころ崩れ落ちている。

『こういう場所だから幽霊城と呼ばれるんでしょうなあ』

 とにかく急いだため、幻獣たちに簡単な事情は空の上で語った。

 九尾はティオの背の上で手記を読んだ。その後、手記はカランに渡っている。

 過去について聞いたことはないが、何となくカランには読んでほしくないと思った。カランは特に気落ちした風を見せていないが、何でもない様子を装うのに長けている。

 そして、言葉少ななシアンに代わり、九尾とカランがそれぞれ幻獣たちに説明してやっていた。

 幻獣たちは落ち着いたものだ。

 力ない者が力ある者に屈するのは世の常である。

 その理不尽さを受け入れきれないシアンの方がよほど頑是ないのかもしれない。だから、幽霊城の前に立ってもまだ躊躇していた。

『こういう場所だから潜伏先に選んだのではないかにゃ』

『それもあるやもしれぬが、それだけではないだろう』

 どういうことだと鸞に聞く前に麒麟が落ち着かな気に首を左右に振り、しきりに宙を蹄で掻く。

『強い感情を感じる。何かもっと全く別のものも微かに混じっている。何だかとても嫌な感じがする』

『嫌な感じですか?』

 リリピピが警戒を強める。

『その魔獣になった幻獣が発しているのではなくて?』

 ユエが確認する。

『うん、その子は悲しみとか怒りとか慕わしいとかそういうのを感じるんだけど、その子に対して、何だか煽っているような、馬鹿にしているような感じ』

 高い感知能力を持つ麒麟が離れた場所、目視できない複数対象の心情を読み取る。

 それはとても嫌なものだ。

 盗賊たちから幻獣を預かった彼はもっと違うやり様があったとは思う。

 ただ、それはシアンが精霊たちの助力を持つからそう思えるのかもしれない。そして、この世界よりももっと文明の進んだ世界の人道に重きを置く価値観を持つからだ。命が軽いこの世界では、その重みは均一ではない。何かにつけ、力を有する者の事柄が優先される。

 彼と幻獣は恐らく懸命に生きようとした。

 けれど、それは叶わなかった。

 彼は恐怖から逃れるために最悪の手段の一つを選んでしまった。

 捨て鉢な気持ちで、借金取り兼盗賊たちを見返してやるために、そして何より幻獣に力をつけてやるために何らかの儀式めいたことを行ったのだろう。

 そして、それを嘲笑う第三者がいるという。

『……』

『ネーソスがあの岩山で会った巨人と同じような気配がするって』

 ユルクが鎌首をたわめる。

『では、また神でしょうや?』

『なれど、先の巨人と言い、こちらから感じる存在と言い、あまり質が良くないように感じまする』

『恐らく、神と言えど下級神なのでは』

『行ってみたら分かるよ』

 わんわん三兄弟の言葉に、一角獣が首を下げ、角の切っ先を城館に向ける。今にも突進していきそうだ。

『下位神なんかよりもリムやティオ、ベヘルツトの方がよっぽど強いにゃよ』

『いや、下位神どころか、上位神すら凌ぐだろうよ』

『そんな三強に言い聞かせることができるシアン様……』

『でも、本人にはその自覚がないの』

『あは。みんな、シアンが好きだものねえ』

『我らは殿に愛されてこそ!』

『可愛いと思っていただいてこそ!』

『だからこそ、力の限り可愛くあるべき!』

『『『全ては可愛いのために!』』』

『……』

『大丈夫だよ、シアンはこないだネーソスのことも可愛いって言っていたよ』

『! ……?』

『え、どんなって、ゆっくり四肢を動かすのとか、あ、そうそう、頭がゆるゆる動くのとか、目をきゅっとつぶるのとかが可愛いって言っていたよ』

 幻獣たちが口々に言うのを聞きつつ、シアンは館を見上げる。島の住み心地良く手入れされたものとは似ても似つかない不穏な雰囲気を漂わせている。

『シアン、この中に入るの?』

 ティオの静かな目に、ふと自分の心が定まるのが分かる。

「うん、行きたいんだ」

 自分のわがままに幻獣たちを付き合わせることになる。

 わんわん三兄弟はこの先に神がいると言っていた。

 それでも、手記を目にしてしまっては、行かないという選択肢はなかった。

 その気持ちを察したのか、ティオは特段止めようとはしなかった。

 ティオからしてみれば、シアンのしたい通りにすれば良く、自分はそれを叶えてやるために行動するのみだった。

『じゃあ、行こう!』

 リムが片前脚をぴっと上げて元気よく言う。こちらも特に身構える様子はない。

「うん、行こう」

 シアンはこの世界で彼ら幻獣と様々なことを分かち合ってきた。

 常に独りではなかった。

 だから、どんなことがあっても乗り越えて来られた。

 心躍らせて、輝かしい途を、初めての視点を見い出して来ることが出来た。

 けれど、力ない者は力ある者に踏みにじられる。

 シアンはそのことを目の当たりにすることとなった。




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