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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第八章
383/630

23.生き延びるための

 

 シアンたち一行は村人の案内で巨岩の祭壇に向かっていた。

 シアンたちがいたセーフティエリアは別の方角にあったのだが、逃げ出した男と行き会ってしまったのだ。

 神の生贄になるという言葉を伝え聞いたシアンが茫然として動けずにいたということと、役目から逃げるのに必死になった男の行動が素早かったのである。

 男はシアンたちの姿を見て驚いて逃げ出そうとしたが、それが翼の冒険者だと知ると奇妙なほど馴れ馴れしく近寄って来た。

 そして、あれこれと言葉を尽くしてシアンを祭壇に連れて行こうとした。

『これはあれですね。旅人を代わりに差し出そうという魂胆です』

『もしくは我らをぶつけてその神とやらを倒そうとでも考えているのやもしれぬな』

『どっちが倒れても逃げ出そうとしていた男には損はないのにゃ』

 そう、シアンたちが負ければ神の供物となり、約定は果たされる。逆にシアンたちが勝てば、供物を要求する者がいなくなり、男はもしかすると村へ戻り英雄として遇されるかもしれない。

『そ、そんな』

『我が倒そうか?』

 落ち着きをなくす麒麟に一角獣が気負いなく言い、却って慌てさせている。

 精霊の加護を受けた海の王レヴィアタンや闇の上位神と遭遇している一角獣だ。神であっても勝算があると判断した。水の精霊の加護を持つ一角獣ならばこその自覚だった。

『シアン、そのままついて行っても良いの?』

 一角獣の背の上のバスケットから鎌首をもたげるユルクをそっと撫でる。

 それを見ていた村人が気味悪そうにする。

 男には普通の蛇に見えているだろう。それをバスケットに亀や兎と共に詰め込み、微笑みながら撫でるのは正気の沙汰には思えないのかもしれない。

 確かに、人を供物とする神と称される者の下へ大人しく向かうのは気が触れていると思われても仕方がないかもしれない。

 男が案内した先は滑らかな楕円形や球形の岩が連なる先だ。シアンはティオに乗って向かった。村人が自分も乗せて欲しいと言ったが、彼らは幻獣で、殆どの人を乗せないのだと断った。本当のことだ。

 シアンも自分で歩こうとしたのだが、ティオが足下が悪いからと再三背中に乗ることを勧めた。九尾やカランもシアンが村人に付き合うことはないと言うのにそれもそうかと従った。

 男の恨めし気な視線に、素知らぬ振りで案内を促す。

 村人は何度も滑っては岩山を登り直し、ようやく着いた時には疲労困憊の態だ。

 そこは巨石が円形を成す神の祭壇だった。

 ティオは歪な角のない岩が折り重なった見るからに足場の悪い所へ、強靭な膂力でもってして危なげなく降り立つ。

 シアンの方はといえば、ティオの背から降りた途端、足が滑り、鋭い鉤爪で微調整して身を寄せたティオが頭で支えてくれる。精霊の加護がある自覚がもっとあれば、難なくバランスを取ることが出来るのだが、念頭にない。

 ようやっと足下に慣れて来たころ、男の方も落ち着いてきたようだ。

 男は荒い息を繰り返し、顎の下の汗を拭うと懐から何かを取り出した。

 巨石の中央に立ち、深い赤色の実を握りつぶす。

『シアン、下がって。何か来る』

『大きいね』

 遠出で初めてティオとリムが警戒を見せる。

 シアンは四方に意識を飛ばす。

 と、腹に響く音がする。間遠なものが徐々に近づいて来る。

『ふむ。生贄を捧げる合図としてあの実を祭壇で潰すというところでしょうか』

『あの実は赤い果汁が血を連想させると言われている。確かに別の国では神への供物として扱われているな。その神は人肉の味がすると言って好まれるようだが』

 九尾や鸞の言葉に耳を傾けているうちに、生臭い臭いが漂ってくる。

「か、下級神が降りられた!」

 村人の悲鳴じみた声には畏怖と嫌悪が滲んでいた。

 上位神は高度知能を持つことが多いが、下位神ともなれば、そうでないことも多い。力があるだけに逆に厄介なこともある。

 視界の隅で村人が悲鳴を上げて逃げていく。

『目が一つしかないね』

 岩の間からぬっと姿を現したのは一つ目の巨人だった。

 身長としてはティオの体長よりも大きいが、両翼の先から先までの長さはない。

 眼前のグリフォンを掴もうと腕を伸ばす。

「あの、僕は冒険者のシアンと言います。話を聞いてください!」

 声を張り上げるシアンが言いたいことを言うまでは、と一角獣は蹄で岩を掻く。つるりとした岩の上に巨躯を立たせるだけでも大したものなのに、普段と変わらぬ仕草である。

 わんわん三兄弟が激しくほえたて、ユエとリリピピはそれぞれ跳ね、飛び上がり、さっと岩場の影に隠れる。

 ユルクは本来の大きさに戻る。ネーソスはその頭の上で泰然としているものの、いざとなったら敏速に動き、敵に牙を剝くだろう。

 カランはシアンの傍らに立つ。

 そこが一番安全ということもあったが、シアンに潮時を告げたり、精霊たちの力を借りる時機を逸さず助言ができるように心づもりをする。

 シアンは落ち着きなく首をせわしなく動かす麒麟を呼び寄せ、その背中を撫でた。

『あの人間はシアンをうまく利用しようとして、その結果を見届けるために付いて来たのだと思っていたにゃが』

『さっさと逃げてしまいましたなあ』

 祭壇を検分していた九尾と鸞がシアンの所まで下がって来る。

『シアン、あの神は知性に乏しく、力だけはある存在だ。こちらの言葉には耳を貸さぬよ』

 鍛冶神として敬われてはいるのだという。

「生贄ってよくあるの? 前もあったよね」

 南の大陸でもあったし、砂漠の炎の民やレフ村でもあった。

『それだけ、強者に頼るということはままあること。各地にあることです。流行り病も神頼みです!』

「あっ」

 それは弾みだった。

 低いうなり声をあげて振り回される巨人の腕を、ひらりひらりと危なげなく避けていたティオはどうやらシアンから引き離そうと誘導していたようだった。

 一角獣はティオに任せておけば大丈夫だと静観の構えだ。確かに突進を得意とする彼には、シアンから敵を引き離すと言うのは面倒な戦法だろう。

 そのティオが避けざま、煽るように尾で巨人の横っ面を叩いたのだ。

 巨人が折悪くそちらを向いたため、顔の中央にある大きな目に直撃してしまった。

 大地がひび割れたのではないかという濁った低い音が響き渡る。それが巨人が上げた悲鳴だと分かるのに数瞬掛かった。

 巨体がぐらりと傾ぎ、踏ん張る余地もなくどうと倒れた。その下は巨石の岩場だった。地響きが起き、もうもうと砂煙が舞い上がる。巨人の体がずるずると傾斜を滑っていく。その下には先ほど村人が潰した実の果肉のような赤黒いものが太く尾を引く。

『まさか、一撃』

『まさしく、一撃』

『流石はティオ様!』

『一撃必殺の雄!』

『巨人も一撃!』

『我の出番はなかった』

『ごめん、シアン。話しかけていたのに、死んじゃった』

 戻って来たティオが小首を傾げてシアンに謝った。

 シアンは感極まってティオの首筋に抱き着いた。出会った時よりも大きくなった首の付け根は、腕を上に伸ばす位置にある。

「ティオが無事で良かった」

 ティオはアダレード国に滞在していた時、何かと目を付けられ、効果の高い素材扱いすらされた。シアンがそういったこと厭うたことを感知した精霊たちが神を通じて人の世の各団体に手出し無用と通知してくれていた。上位の神を通じての下知であるのだから、今回の神もそのことに言及すれば引いてくれるのではないかと思った。

 甘い考えだと思い知らされた。

 力があっても意思疎通ができない者もいるのだ。

 その甘さが自分に返って来るだけなら良い。けれど、幻獣たちを巻き込むのだ。今は多くの幻獣たちが行動を共にしており、身を守るすべがない者もいるのだ。

「みんな、怪我していない?」

 ユエとリリピピも戻って来て、全員の姿を見て安堵する。

 シアンはそのまま村に行き、事の次第を村長に話そうとしたが、九尾が押し止める。

『気持ちは分かりますが、シアンちゃんは翼の冒険者だと知られています。夜半に強力な幻獣を連れて強引に村に押し入り、下位神を倒したという話をしても逆にシアンちゃんが悪者にされますよ』

 たとえ、村人に生贄の代わりをさせられそうになったと話しても信じられないだろうという九尾の言葉に頷き、セーフティエリアに戻ってログアウトした。

 恐らく九尾は一旦ログアウトしてこの世界から離れ、冷静になるよう仕向けてくれたのだろう。

 シアンは翌日村に行き、村長に面会を求めた。村長に事情を話し、マジックバッグにいれておいた一つ目の巨人の亡骸を見せる。

 村長は絶句した。

 シアンが祭壇で実を潰すことを知っているのは、生贄である村人が実際やってみせたということだ、と納得してくれた。

 そして、シアンに暗い目を向けてくる。

「貴方はその男一人と会ったのだね」

 頷くと、顔を覆うようにしてこめかみを揉む。

「何か?」

「貴方は私たちが生贄を一人で送り出すと思うかい? 今回みたいに逃げ出すことを想定しないとでも?」

 シアンは息を呑んだ。

「そうさ。あいつにも付添人が付いていた。それも二人だ。そいつらは帰ってきていない。あいつが手に掛けたんだろうね」

 村長は付添人と言ったが、正しくは見届人だろう。見張りと言っても良い。

 世界は脅威に満ちている。この村でも魔獣や非人型異類の襲撃に悩まされているのかもしれない。

 九尾は強者を頼みにするということは各地にあることだと言った。

 けれど、何ということだろう。

 強者に縋るために同じ村人を差し出す。それを承諾させるために務めを果たすまでは良い思いをさせてやるのだ。村人の中では何かと優遇されている者が複数いた。体格や色艶が良いことから、恐らく食べる物は質量共に他とは違っていたのだろう。そして、他の者に対して偉そうにしていた。自分たちの命で安全を贖っているという思いがそうさせるのだろう。

 シアンの顔色を読み取って、村長は目を伏せた。一気に年老いた風情である。

「皆がみな、君のような力を手に入れているのではないさ。でも、生きて行かなければならないんだ」

 シアンがその村を辞した後、村長は村人たちに事情を詳らかにした。嘘偽りなくすべてを明かした。

 生贄候補たちから爆発的な歓声が上がる。

 しかし、それは長く続かなかった。

 常に偉ぶり、時には暴力さえ受けていた他の村民が今までの仕打ちを忘れた訳ではなかった。暴力や罵声が返されることはなかったが、向けられる冷たい視線に、生贄候補たちはまごつく。

 村長は痛む胃を抱えながら、それでも告げた。

 下級神が保証してくれていた安全を守るためにどうするかをみなで考えなくてはならないと。

 驚き戸惑いざわめく村人たちから、ならば倒した翼の冒険者の庇護を受けようという声が上がる。

 賛成の声が次々発せられるが、いかんせん、翼の冒険者はその二つ名の通り翼を持ち、自由に飛んで行ってしまった。

 そして、ようやく彼らは現実を突きつけられる。

 自分の身は自分で守らねばならないのだと。

 強者に頼ることに慣れ切った彼らは茫然とした。

 そんな彼らを導いていかねばならない村長は自分も呆然としたいと思うのだった。


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