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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第一章
38/630

38.首無し事件2

 

 しばらく行くと、先ほど先ほどまでいた簡易宿泊施設よりも二回り大きいくらいの小屋が見えてきた。周りを先の尖った丸太で囲ってはいるが、高さもシアンの肩くらいまでしかないし、セーフティエリアでもなし、ここで人が居住するには難がある。何より、さきほど見た奇妙な首無し動物が襲ってはこないのだろうか。

 密偵と剣士は次々に柵の留め金を外して中に入る。

 何かの装置でもついて来訪者を感知するのか、小屋の扉が開いた。

 フラッシュと同じく平服に白衣を羽織った五十絡みの黒髪に白髪が混じった男性だ。背は低めでやせぎすで、青白い肌は不健康そうだ。

 目は変にぎょろぎょろ動き、唇が不意にニヤッと吊り上がった。

「君たち、連れてきたんだね!」

 興奮した様子でじっと見つめる先にティオがいた。

 粘着質の視線を真横にいたシアンもまともに受け、背筋を何かが走った。

 視界の隅で何か茶色いものが映った。

 体長はニメートルもあったのだろう。灰色を帯びた茶色の毛皮に覆われたずんぐりした体をしていたが、首がなかった。

 そんな状態で後ろ脚二本で歩行している。鋭い爪や後ろ脚立ちする様子から熊だと思えた。

 シアンがそちらを見たことを察し、白衣の男が両腕を広げて自慢げに笑う。

「どうだ、凄いだろう。わしの研究の成果だ。頭がなくとも少しの間なら普通と変わらぬ動きができる!」

 首のない熊が背中を木にこすり付け始めた。念入りに擦り付けている。

 マーキングだ。自分のテリトリーだと匂いで表すための行動だ。

 頭がなくても通常通りの行動をするのに胸がきしんだ。


「どうしてこんなことを」

「人の首を付けるんだ! そうすることで動物の強靭な肉体と力と持久力に人の知能をつける試みだ。できるはずもないなどと言っていた愚かなやつらもいたがね。見てみるがいい、こんなに成功しているんだ!」

 男が別の方向を指し示した。

 そこには茶色い四つ足の動物だったものがいた。蹄のついた細い脚をもち、引き締まった胴体、短い尾からしてみると鹿か。牛かもしれない。やはり首はなく、その先にあるはずの角もないので、鹿なのか牛なのか判別は難しい。

 また、別の動物もいる。短い脚に蹄、ぼってりした胴体は長めの毛におおわれている。イノシシだ。首がないので牙もない。

 これだけ多種多様な動物でも首がなければその多様性も半減する。

 何がしたいのか。


「魔獣は狂暴すぎて生きて捉えるのがなかなか難しくてね。まずは動物で実験さ。あとは強い個体の素材が必要だ。わしの研究の実現には必要不可欠なのだよ」

 にやついた顔がのっぺり無表情に変わった。

 一目で異様だとわかる程に変貌していた。

「これが出来上がるまで、わしがどれだけの時間と労力を費やしてきたか」

 どれだけの生命をも奪ってきたのか。

「なのに、国の奴らは冒険者ギルドにちょっと何か言われたくらいでわしを放逐しよった。あれこれ口を出してくる煩わしい役人どもからようやく離れて森の奥深くで充実した施設、いわばわしの城で研究しておったのに、全て破棄すると言われたんだ。分かるか、わしの苦しみが! 半生をかけた研究が全て取り上げられたんだ!」

 口角から泡を飛ばして喚いた。

「わしは絶対に完成させる! 完全かつ強力な兵士を作り上げて、国の重鎮どもをひれ伏させてやるんだ」


 現実世界でも、動物の脳のどの部位がどう作用するのかを解明するために、神経核を破壊し、その影響を調べる研究が行われていた。そういった試みを積み重ねることによって、築き上げた文明だ。そのことに関しての是非を語れるほどシアンは文明科学の歴史に明るくはない。

 しかし、目の前の男は学究の徒であるよりも、狂気に取りつかれているように見えた。自己顕示欲と利己的で虚栄心の強さとが相まって、そんなことのために奪われる命の軽さにシアンは気分が悪くなる。


「そして、国はわしが守る! 最終的には蔑んだわしに救われるのだ! その時になって掌を返しても遅いのだからな。考えてみるがいい。以前、アダレードを滅茶苦茶にした異類をわしが作り出し、今度はこの国を再度踏みにじろうとする隣国を滅茶苦茶にしてやるんだ! ああ、さぞかし胸がすく光景だろう」

 その情景を思い描いて恍惚とした表情を浮かべる。

「それにはな、まだ希少な素材が必要なんだ。人間の首はどれでも良い。けれども、神経伝達させるには強靭な肉体と高度な知能、何より高魔力を持つ幻獣の大きな翼が必要なんだ。複雑な異類の回路を成り立たせるには膨大な魔力が必要不可欠だ。なに、ドラゴンでも狩れというのではない。そんな危険を冒さずとも、街中を歩いているじゃないか、グリフォンが」

 男がティオを指さした。

 シアンは思わず一歩後退した。

 ドラゴンはここにいる。

無意識に手を肩にやって、なるべく白い毛並みの幻獣を男の目に触れないように体が動く。ティオの体はどうやって隠そうかという考えが膨れ上がる。


 剣士の熱血漢がシアンに向き合って言う。

「俺も話を聞いた途端に、五里霧中に風穴があき、光が差した気がしたよ」

「あ、貴方たちは何を言っているんですか?」

 かすれた声しか出なかった。

「片翼を捥いだくらいでは死なないよ」

 男の甘く囁く毒に、酔ったように熱血漢が続く。

「リーダーを生き返らせることができるんだ。死なないんだから、翼くらい貰ってもいいよな」

「でも飛べなくなります」

 言いながら、そうではない、とシアンは歯噛みする。

「ああ、だから、俺たちがその分、狩りをやってやろう」

「そうだな、これから稼がなきゃな」

 後ろから魔法職の男が同意した。

「うん、お金を定期的に届ければ、テイムモンスターと同じ役割を果たすってことだよね」

 密偵の女性が出入口を塞ぐように位置に立つ。

 シアンにはにわかに彼らが言っている意味を測りかねた。

「そのグリフォンの片翼をくれ」

「リーダーをよみがえらせるのに必要なんだ」

「片翼がないくらいどうってことないって」

「大丈夫、飛べなくなっても、私たちが狩りに行くから」

「ちゃんと食料も確保するし、金も稼いでくる」

 だから、悪い話ではないだろう、と口々に言われるのをどこか遠いところの出来事のように聞いていた。


 人間の感情など化学反応、脳内ホルモンの起こす錯覚だろうか。

 腹の奥底から焼け付く感覚に、頭のどこかで戸惑った。けれど、それ以上にこみあげてくる強烈なものが全てを押し流した。

 ティオはあんなに力強く羽ばたいて、どこへでも自由に行けて、急旋回急下降の速度などシアンは乗っていられないほどで、着地も柔らかく、とにかく遠くへ高く飛べるのに。

 それができなくなっても大したことではないと言う。

 そうでなくても、生きたまま翼を捥ぐなど、どれほどの痛みを感じるだろう。


「いいえ、お断りします」

 かすれた声でようよう答えた。

 知らず、左腕を右手で掴んでいた。服の上からでも痛みを感じるほど、爪を立てた。何かで留めておかなければ、と無意識のうちに考えた。

「なんでだよ、あんただって会って話して世話になったリーダーだぜ? そのリーダーを助けてくれるっていうんだぜ?」

「そうです。飛べなくなるのは死ぬことじゃない」

「リーダーは死んでいるんだよ?」

 勝手な言い分を並べ立てられ、頭が沸騰した。全身の血液も煮えたぎる。

「飛べなくなるのは死ぬことだ。自由に飛べるのに、飛ぶことが好きなのにそれができなくなるなんて……っ! 自分で自分の食料を狩ってこれなくなるのは野生動物には死に等しい」

 途中で激高しそうになるのを理性でねじ伏せ、息を整えて続ける。

 音楽を好きだった。それがうまく楽しむことができなくなった。でも、全く違う世界で、弾いたことがない楽器で、うろ覚えの曲を演奏してみた。その時の音楽にティオが関心を示し、一緒に楽しむ喜びを与えてくれた。

 その時からティオはもう空を自由に飛び回っていた。それをできなくなっても大したことではないと言う。もう一度楽しむことができるようになった音楽を、今のシアンが取り上げられて、大したことがないと言われたら、どうだろう。


「わっかんないかなあ! 死ぬわけじゃないって言っているじゃん!」

「リーダーは死んでいるんだってば!」

「死ぬより大変なことなんてないでしょう!」

 人の死は絶大だ。色んなものをなぎ倒していく。

 シアンも音楽の高みを同じく目指した妹を、つい先日、亡くしていた。

 親しい人を亡くし、失ったものを取り返す術を提示されれば何にでもすがりたくなるだろう。その時、必死であればあるほど視野狭窄になり、他など構っていられなくなる。彼らはその状態なのだろう。

 シアンだって急変した妹の病室でもっとできることがあったのではないかという思いに駆られずにはいられなかった。

 ただ、唯一の救いは最近ピアノコンクールで入賞を果たしたことだ。妹は至極満足気な笑みを浮かべて逝った。


「落ち着いて下さい。第一、亡くなった人をよみがえらせることができるなんて、そんな神でもできないことを、人間がなし得るんですか?」

 静かに述べた内容に、彼らは怯んだ。どこか疑う気持ちがあるのだろう。

「首無し実験は冒険者ギルドでも違法性が高く非人道的でかつ信ぴょう性がない実験だと判断していました。僕も調査に行き、実際に見て異様でいびつだと思いました。施設も被検体も実験そのものも、実験をする研究者もみんな。そんな実験を引き継いだからといって、死んだ人間が生き返るわけがない」

 四人をかわるがわる見ると、気まずそうに目線をそらしたり、唇をひん曲げたり、眉根を寄せたり、様々だった。

 絶望のさなかに飛びついたものの、冷静になって考えれば容易にわかることだ。

「だからって、何もできないとか……何かできないのかよ!」

 剣士が慟哭した。

「ティオの片翼を持って行ったところで、リーダーが生き返らなければどうするんですか」

 言葉に詰まり、それを振り払うように顔を腕で拭い、腰に佩いた剣に手をかけた。

「生き返らないって決まったわけでもないだろう!」

 こんな異様で途方もない実験が本気で成功すると思っているのだろうか。

「どうして生き返ると思えるんですか? 明確な根拠もなしに、大して親交のない人間に、死んだ人間のために片脚を寄こせと、あなたは言えるんですか? 職人にその腕を差し出せと言えるんですか? 片方の脚や腕がなくても死なないからいいだろうと? それまでの生活が一変するのに?」

 正論は人を追いつめる。もはや後に引けなくなったのか、剣を鞘から抜いた。

 至近距離で向けられた刃物に、怖いとは思わなかった。感情が高ぶっていて、なのにどこか醒めていた。




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