14.島での出来事 ~痛い!/ぼくのなの!~
とある小島では夜、波打ち際が青く発光した。
海辺に沿って青く長く伸びる景色は星空と相まって神秘的であった。
『わあ、空が映っているの?』
『日中の空が? 今?』
リムの歓声に一角獣が小首を傾げる。
『星空じゃないの?』
ユエもまた首を傾げる。
『これは水の華と呼ばれる現象だ。極小の海中の植物プランクトンが刺激を受けて酸素と反応して発光する。この生物発光は船が海水中の酸素を攪乱して起こる。このように海岸で起こるのは珍しい』
波の一つひとつが青白い光を放つのは、無数の植物プランクトンが打ち上げられたことによるものだと風の精霊は説明する。
見たことも想像したこともない光景にしばし見とれていた麒麟は、小さくなって共に景色を楽しむユルクとネーソスに礼を言う。
『こんなに綺麗なものが見られたのはユルクとネーソスのお陰だよ』
『特訓に付き合ってくれたカランとね』
『……』
『レンツが自分で勝ち取ったのにゃよ』
「みゅ!」
「「「わん!」」」
カランの言葉にユエとわんわん三兄弟も賛同する。
麒麟と共に遠出をすることが叶ったことに鸞と一角獣も喜びを噛みしめる。
リリピピは気の置けない仲間たちと共に旅をする楽しさを知った。
和気藹々とする幻獣たちを余所に、リムがしょんぼりと頭を垂れた。
『リム、どうかした?』
『こんなに美しいのだもの、シアンと一緒に見たかった』
『『『……』』』
幻獣たちが息を呑む。
シアンは島に設置したテントで眠っている。
ティオは黙ってリムに付き添った。
鸞が嘴を開けたが、何も言えずに閉じた。諸書に通じるといえども、こんな時には役に立たないことが悔まれる。
いつもは賑やかなわんわん三兄弟も静かだ。これはリム自身が乗り越えなければならないことなのだと知っているのだ。
麒麟はおろおろとテントとリムを見比べる。
ネーソスは無言を貫き、ユルクはしきりに鎌首をたわめる。
一角獣とユエ、カラン、リリピピは顔を見合わせ、互いが互いに何か言ってやれと背中を押し出す。
『じゃあ、明日シアンちゃんが起きてきたら、訊いてみようよ。シアンちゃんの都合がつけば夜も過ごしてくれるやもしれないよ』
その場合、昼間は一緒にいられないかもしれないという九尾に、リムがぱっと顔を輝かせる。
『うん、訊いてみるね!』
シアンの異界への眠りは邪魔してはいけないとばかり思っていた幻獣たちはそんな柔軟な風で良いのかと目から鱗が落ちる面持ちだった。
全てはシアンの事情に準じるが、訊いてみる分には構うまいと言う九尾にそれぞれが得心が行く。
果たして、リムのおねだりは受け入れられ、幻想的な地上の空にシアンは感激し、高揚した気分のまま楽器を奏で、みなで音楽を楽しんだ。
『深遠と稀輝の曲!』
はしゃぐリムの様子に幻獣たちは目を細めた。
リムと九尾のお陰で信じられない光景を目にすることが出来たとシアンが礼を言い、白頭二頭は顔を見合わせてうふふと笑い合った。
違う島では切り立った崖の下に咲く白花の美しい光景が見ることげできた。
緑野が削られた険しい茶色の側面、下に広がる青海原に思わずシアンは崖下を覗き込んだ。
その日はそこでログアウトし、翌朝ログインすると朦霧に覆われていた。
テントを出て濃く立ち込める霧の最中、シアンは利かない視界に戸惑う。意識すれば感知することが出来るのだが、その発想にたどり着けなかった。
そして、足を一歩踏み出したその靴底の感触が脆く崩れ去る。
あっという間もなく、中空に投げ出される。思わず首をひねり、幻獣たちとしかと視線が絡み合う。
幻獣たちが素早く飛び出した。
「ピィ!」
「キュア!」
空中に投げ出されたシアンを助けようと幻獣たちが殺到した。
だがしかし。
シアンは空に浮くことができる。
逆に、幻獣に纏わりつかれ、身動きが取れなくて慌てる。
「前が見えない。どうしよう。落ちそう」
幻獣たちは何とかシアンを引き上げようとした。
九尾などはシアンにしがみついていただけだ。シアンの後頭部から前脚で抱えるようにして抱き着き、よって、後ろ脚が肩に乗る。
「キュア!」
ぼくのなの!と憤るリムに、こんな時にまで肩縄張りですか!と九尾が前足を動かした。そのため、シアンの目がふさがれる。
「ほ、本当に見えない!」
特訓の成果を発揮した麒麟がシアンの尻を額で支えようとし、一角獣がシアンを傷つけないように足を背に乗せようと頑張った。
もはや、シアンはじっとして風の精霊に任せて浮いているのが一番だと悟り、そうした。そんなシアンの諦念を知ってか知らずか、幻獣たちは一層シアンの体に纏わりついた。
わんわん三兄弟は腹から胸にかけて、カランは背中に、ユルクは一角獣とは逆の足に巻き付き、その頭の上にはネーソスが乗っている。ユエはシアンの腕に乗り上げる。
鸞とリリピピはすぐそばを弧を描いて飛び回る。
と、シアンの体がぐんと上昇した。
纏わりつく幻獣ごと、ティオが持ち上げ始めた。左の翼に一角獣、右に麒麟を乗せ、魔力だけで飛び上がる。
「ティオ……全員乗せられるんだね」
そういう問題でもない。
『きゅうちゃん、退いてよ!』
『ちょ、痛い痛い!』
「ちょ、痛い痛い!」
リムが肩縄張りから九尾を引き離そうとし、そうはさせじと九尾がシアンに更にしがみつき、声を上げつつもシアンは他の幻獣たちが落ちないように不用意に動かないようにした。
『わわっ、浮いています!』
『急上昇です!』
『怖いのです! 落ちるのです!』
わんわん三兄弟もシアンの胸や腹にしがみつく。非常にくすぐったい。けれど、動けない。何の拷問か。
『むきゅ~にゃ!』
シアンの背とティオの背に挟まり押しつぶされたカランが悲鳴を上げる。
『ふむ、語尾がついているということはまだ余裕があるな』
鸞が傍らを飛びながら冷静そうに言うが、こんがらがる幻獣とシアンに、実は混乱していた。
『あ、わ、我は自分で』
『大丈夫だから、ゆっくり動くと良い』
慌てて身を起こそうとする麒麟にティオが平然と返す。
『くっ、我も乗せて飛べるなんて!』
ティオの翼の上で腹ばいになる一角獣が悔しそうに蹄で空を掻く。
『わあ、速いね。地面があんなに遠くなっている』
『……』
ユルクはシアンの脚に巻き付いたまま、下を覗き込み、ネーソスも同意する。非常にマイペースかつ呑気な二頭である。
「みゅ!」
『ユエ殿、そんな場所で落ち着いてしまわれたのですか』
ふう、やれやれ、とため息を漏らしたユエはシアンの腕の上ですっかり寛ぐ体勢で、リリピピはシアンのためにも一旦離れてやった方が、と首を左右に忙しなく傾げる。
シアン一行はティオによって無事に島の中ほどに降ろされ、事なきを得た。
いや、九尾はリムに怒られてはいたが。
『ぼくのなの!』
『不可抗力です』
『ぼくの! なの!』
また違う島では、大地の精霊の警告に、シアン一行は迅速にネーソスに乗って海に出た。
と、水面が揺れ動く。
ネーソスがいつになく忙しなく足を動かして島から遠ざかる。
地響きが起こり、眼前の島の縁が崩れ海中に零れ落ち、水柱が立つ。
つい今朝ほど崖から投げ出されたことを、シアンは想起せずにはいられなかった。
砂浜めがけて水面がぐぐ、と持ち上がった。見る間に壁のように高くそびえる。美しいひだを幾つも作りながら、半透明なターコイズブルーの輝きを持つ壁は飛沫で白く泡立たせながら迫っていく。
意思を持ったように白い飛沫を先頭に迫っていく。
捕らえられる。
見上げているしかなかった。
そして、水に飲みこまれる。
ざあ、と水の壁は巻き込むようにして弓なりになり、やがては水面に着水、もうもうと雲のような水流を作り空気を巻き込みながら泡立つ。その光景におぞけがふるう。
「随分大きな地震だったね」
『ユルクのおじいちゃんの手下たちも最近地震が多いって言っていたものね』
津波に飲み込まれる浜辺は小さくなっていく。




