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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第八章
371/630

11.大聖教司たちの潜行

 

「力をつけてきた、か。再び巨大化したという話は聞かぬが」

 オルヴォが呟くのが翼の冒険者と称される者のうちのドラゴンについてだと察したものの、ヒューゴは口を挟まず控えていた。

「ヒューゴ」

「はっ」

 やがて思考の海から抜け出たオルヴォが呼ばい、ヒューゴはすぐさま応えを返す。

「エディスの黒の同志は翼の冒険者の支援団体を執拗に追い回していたが、壊滅もしくは解体させたのか」

「いいえ、キヴィハルユの黒の同志一番隊の精鋭を借り受け、一度は大きな打撃を与えたものの、以降は大した成果を挙げておりません」

「さようか。その結社は今どうしているのだ」

「大陸西の各地で団員と思しき者の姿が見られます。しかし、性急に増員をしているのでもない様子です」

「ふむ。ならば、転移陣を用いて移動しているのであろうよ」

 息を呑む気持ちを鉄面皮の下に隠す。それなりに長い付き合いだが、この大聖教司の慧眼はいつでもヒューゴを驚かせる。まさしく神の啓示もかくやで、この世で神にまつわること以外で、唯一爽快な心持ちにさせる。

「ふ、驚くには値しまい」

 そしてまた、オルヴォも無表情のヒューゴから感情を読み取るに長けている。ヒューゴの驚愕を一笑に付される。良く見通せる者特有の、持たざる者の心情が分からないのだ。だからこそ、少しでもオルヴォの視点を知りたいと思い、研鑽を積んできた。

「翼の冒険者は噂されし剛の者だ。団員に転移陣を使わせる資金など大したものではなかろうよ。しかし、それだけ配下の行動に金銭を掛けるのだ。何らかの重要任務を与えているに相違ないな」

 返事を必要としているのではなく、自身に問うたオルヴォは再び思考の海に潜り込む。そういう時の大聖教司は美しい相貌が人ならざる者に近づいていく風情さえあった。

 しばらくして夢から覚めたような面持ちのオルヴォが視線を向けてくる。

「ヒューゴ、翼の冒険者について探れ」

「はっ」

 判断材料が少ないという結論に達したのだろう。

 聡明なオルヴォは貴光教の中にあって、自分の思い込みで事実を捻じ曲げることのない稀有な存在だった。

「ヨキアム大聖教司の件はいかがいたしましょう」

「ヨキアム師は自身の嗜好に耽溺して身を亡ぼすだろう。放っておけば良い。他の大聖教司らが互いに食い合ってくれよう」

 ヒューゴは深々と頭を下げて御前を辞した。



 貴光教の聖教司の頂点に立つ大聖教司は現在四人が在位している。

 そのうちの一人、エルッカは子飼いから受けた報告に苦虫を嚙み潰したような表情になる。

「ヨキアムのやつめ。薄々気味が悪いとは思っていたが、これほどの変態趣味の持ち主だったとは」

「いかがしましょう」

「いかがも何もあるか! 至高の光の神の御許でこんな痴態を行っているなど! 恥さらしも良いところだ! これが大聖教司! 聞いて呆れるわ!」

 子飼いの言葉にエルッカは散々にわめきたてた。腸が煮えくり返る気持ちをそのまま盛大に垂れ流す。

 子飼いは奥まった大聖教司の私室とはいえ、外に聞こえるのではないかと危惧したが、そう進言しても火に油を注ぐだけだ。黙って頭を垂れ拝聴するしかなかった。

 好きなだけ怒鳴り、ある程度はすっきりしたのだろうエルッカが荒い息を繰り返しながらテーブルに置いた盃から水を飲む。喉を鳴らして干し、音を立て戻す。言動の一つ一つが騒々しい男だった。

「まあ良い。それでも必要悪だ。奴は魔族を掣肘しているのだからな」

 エルッカは敬虔なあまり、魔族や異類を極端に敵視していた。貴光教の中では一般的な認識である。

「それに、わしが動かなくても頑固者のグスタフが存分に攻撃してくれよう」

「では、グスタフ大聖教司にヨキアム大聖教司の諸々がそれとなく伝わるよう手配いたします」

「うむ。くれぐれもわしが関わっていると悟られるなよ」

「かしこまりました」

 子飼いは有能な手腕を発揮し、ほどなくしてグスタフの耳にヨキアムが残虐な拷問をしていることが伝わった。

 エルッカに頑固と称されたグスタフも敬虔な神のしもべであり、激怒した。

「一心に神を愛すべき立場にありながら!」

 グスタフは一本気だったため、直接ヨキアムに詰め寄った。

「不穏な動きをしていた魔族が強情でね。つい口を割らせるのに夢中になってしまったんだよ。行き過ぎてしまった。申し訳ない」

 にたにたと粘着質の笑いを浮かべながらも、一応は謝罪の言葉を口にしたものだから、グスタフとしても引かざるを得なかった。

 学識が高く、グスタフの良い知恵袋である学者コンラッドに諫められたのもある。貴光教の厚い保護によって大学で地位を得た彼は大聖教司同士の諍いは良きものをもたらさないと苦言を呈した。グスタフはそうやって耳に逆らう忠言をも取り入れることができる人物だった。

「ふん、一々突っかかってきおって。自分だけが神を愛していると信じる頑固者め。わしを誰だと思っている。慮外が過ぎるわ」

 期せずして、エルッカと同じ評価をグスタフに下したヨキアムは拷問をやめるとは言っていないとうそぶいてみせた。

「また追求されれば、愛の鞭だとでも言っておくか? まあ、しおらしさを装っておけば良かろう」

 鞭が振るわれ、激しく打ち付けられる度に皮膚が破れ、肉がはじけ飛び、血がにじむ。赤い筋が幾つも走る。そのたびに魔族を縛める鎖が鳴る。

 鋭いじくじくした痛みが明滅するのだろう、打たれるたびに魔族の男はうめき声をかみ殺そうと歯を食いしばる。痛みのあまり、歯がすり減ることもあると聞く。それまでもってくれると充分長く楽しめるのだが、とヨキアムは舌なめずりした。

 愛の鞭とは言い得て妙ではないか。

 ヨキアムは美しい顔が激しい痛みで歪むのを愛しているからこそ鞭を振るうのだ。

 以前、銀食器を盗んだ咎で捕まった労役係は薬師長のイルタマルに下げ渡した。殺人者の調毒師と影で称される醜く太った薬師長は嬉々として実験台にしていた。

 彼女が調剤した薬を飲めば恩赦を与えてやると言えば、唯々諾々と飲んだ。労役係は結石を持っていたのだ。これさえあれば大丈夫だと思っていたのだろう。結石を飲み込んでからイルタマルが渡した毒を飲んだ。

 欲深い労役係は痛みにもだえ苦しみ、体が燃えていると悲鳴交じりに叫んだ。

 イルタマルは丸い顔ににやにやした嫌らしい笑いを浮かべながら被験者を観察し続けた。

 ヨキアムは美しいものが好きだった。

 その点に関してはイルタマルもまた同じだった。

 イルタマル自身はだらしなく肥え太った美しさからはほど遠い存在ではあったが、利用価値はある。

 だから、魔族の拷問者に加えた。薬師長という立場も有益だった。

 彼女の拷問は見るに堪えないものだった。

 魔族の男性の背後から胸へ手を伸ばして撫でまわす。さあ、吐けと耳にささやきを吹き込みながら唇で食む。

 ヨキアムの方が吐きそうだった。

 あんなに醜悪な姿をしているにもかかわらず、そんなことを無抵抗な人間によくできるものだと呆れた。

 しかし、利用できる部分は利用する。

 そういった合理性が重要なのだ。

 それを有しているからこそ、ヨキアムは今の地位にまで上り詰めたのだ。

 ヨキアムの下についた者は黙々と今日も死体を片付ける。

 拷問する被験体については暗部に言えば大聖教司の任として何とでもなる。それでヨキアムの評判が地に落ちても知ったことではない。

 清浄を良しとする教義の中にあって、あまりにも悲惨な仕儀ではあったが、立場が一番上の人間に不要物を排除するのだと言われれば従うしかない。

 嫌だとは言えなかった。

 本来であれば嫌だと言えたし、逃げれば良いだけだった。だが、逃げ出す発想ができなくて思考停止のまま動いているのだった。



「神託の御使者だという者が現れた?」

 ゴスタはひざを折り、深く頭を垂れながら、その薄くなった後頭部でエルッカ大聖教司の声を受け止めた。

「また、いつもの自称選ばれし者だろう」

 貴光教総本山の神殿ともなれば、参拝者は多い。

 その中に毎年少なくない人間が、自分は神から啓示を受けた重要人物なのだと名乗りを挙げた。

 人は常に自分を尊重して欲しいと願う。大した人間だと遇されたい。

 寄りにも寄って貴光教本拠地で言い出すのは、腹が据っているのか、真実そう思い込んでいるのか。小銭をせしめようという人間や、精神に異常を来している者もいた。

 たまたま稲妻を見て着想を得たという者もいた。

 その全てにお引き取り願っている。

 そして、ゴスタは逐一それらをご注進に及ぶ。

 同じ大聖教司でも、ヨキアムやグスタフに報告すればあからさまに嫌な顔をされる。

 前者は興味がなく、後者はけしからん者どもだというところだ。

 オルヴォは穏やかな笑みを浮かべつつ聞くには聞くが、特にゴスタの苦労を汲み取ってくれない。

 エルッカは取り扱いを間違えれば厄介な人間だったが、欲望をむき出しにしてくれている分、付き合いやすい。追従を言うのもそれを念頭に入れておけば、大抵気持ちよくさせることができる。

 ゴスタはヘイニに命じて念のため、本当に神の啓示を受けたのかを確認させた。

 話を聞いてみると、支配的だったり高圧的な親がいる者、酒浸りの者、はたまたは人間嫌い、毒を盛られるという妄想を持つ者までいた。

 エルッカにこうして時折報告を上げていることが後々のゴスタやヘイニの命運を分けることになるとは、その時は予想だにしていなかった。



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