37.南の大陸 ~同行者によりけり~
「もう一つの大陸? 南にあるの?」
『そうにゃよ』
カランは猫が島を去った後、いつになくやる気に満ちていた。
それで、シアンに自分も鸞のように遠出に同行したいと話した。
シアンはゼナイドがある大陸の西方部で活動することが多いが、鸞の求めに応じて神秘書を探しに行ったのは南東の大陸だ。そこには砂漠があり、火山があった。さらに南下すると巨大な溝帯やテーブルマウンテンもあった。
カランはその西側にある大陸に行こうと言った。
『この島から真南の位置にあるのにゃ』
「へえ、そうなんだ。随分詳しいけれど、カランは言ったことがあるの?」
『ないのにゃ。だから、行ってみたいと思ったのにゃよ』
『初めての大陸、か』
『シアン、また遠出するの?』
短く呟くティオの背の上でリムが長い首を伸ばし、わくわくとした顔を近づけてくる。
「そうだなあ。夏にも皆で遠出をするから、そんなに時間を取れないと思うけれど」
話が決まり、早速同行者は他にいないか幻獣たちに声を掛けて回った。
新しい研究室に籠る鸞は多忙を理由に断り、夏にネーソスが乗せてくれての遠出を楽しみにすると言った。
『それに、最近では自由な翼が方々から集めてくれる資料や情報を整理しなければならんからな』
鸞を手伝いながら、麒麟が気づかわしげに言う。
『我に遠慮しているのなら、大丈夫だよ?』
『いや、先だって行った遠出で見つけてきた情報についても検証を重ねたい。やることは多いのだ。レンツ、済まないが、引き続き、手伝いを頼みたい』
天帝宮にいる際、麒麟は鸞の薬作成を手伝っていた。気心知れた有能な助手なのだ。
『あは。もちろんだよ。夏までに終わらせて、のんびり遠出を楽しみたいものね』
『そういうことなら、我も手伝う!』
『ベヘルツトが?』
名乗りを挙げた一角獣に鸞は驚く。
『我にはできない?』
じれったそうに地面を蹄で掻く。戦闘能力では秀でていても、器用さでは劣る自覚はあった。
『ふむ。では、ベヘルツトには島の見回りのついでに必要な素材を採取してきて貰おうか』
『任せて!』
鸞が話す注意事項に熱心に聞き入り、ついでにユエが必要とする素材も聞いてきて欲しいと言われ、俄かに忙しくなったベヘルツトには留守を頼んだ。
ユエは幻獣のしもべ団に渡す調理器具作成に大わらわだ。
一応聞いてみたが、夏までには全てのことを終えて、心おきなく遠出を楽しみたいから、と断られた。
一角獣に必要な素材を聞かれ、浮き浮きと話していた。
わんわん三兄弟も揃って首を横に振る。
『我らはもっと殿に相応しい幻獣になれるように精進中なのです!』
『猫にからかわれたのは我らに隙があったから!』
『可愛く、かつ、威厳に満ちた幻獣を目指しまする!』
言いつつ、三匹はティオに熱視線を送っている。
こちらもやる気に満ち溢れていて、水を差すことはできなかった。
ユルクとネーソスは夏に幻獣たちを乗せて海を渡るための特訓をするのだという。
「訓練をしなければならないくらい大変なの? 英知や水明に力を借りようか?」
『……』
いつもは緩慢な動きをするネーソスが即座に首を左右に振る。しかし、こんな時も声は出さない。
『えっ、いいよ、大丈夫。ただ、万が一にもわんわん三兄弟が海に落ちないように、もし落ちたら私がすぐに助け出せる練習するだけだから。ねっ!』
ユルクもまた万全を期すためだとシアンの申し出を慌てて断った。
「そう? 二人とも、無理しないでね」
後に、この訓練が意外な所で役に立つ。
結局、ティオとリム、九尾の他、カランと連れだって出掛けることになった。
ティオにカランも背に乗せて欲しいと願うと、気軽に頷いてくれる。にもかかわらず、毎回九尾が乗るのを渋るのは、もう、様式美のようなものなのかもしれない。
「それにしても、皆、遠出を楽しみにしているんだね」
『皆で行くものね!』
『全員で島を出るのは初めてじゃない?』
『おやつにバナナは含まれますか?』
『どこからバナナが出て来たのにゃ』
「そ、それはどうかな。でも、おやつも料理も沢山準備しておこうね」
『ぼく、料理、手伝う!』
リムがぴっと片前脚を上げて力強く宣言する。
『ぼくは狩りをしておく』
『きゅうちゃんは味見係をしましょうかね』
『『ずるい!』』
『味見は料理する者の特権だからにゃあ』
メンバーが多少変わっても、相変わらずの一行である。
そうこうするうち、ティオの素晴らしい飛行速度と相まって、一日で新しい大陸に上陸した。
そこは熱と湿気があふれる場所だった。
眼下には緑滴る森が広がっていた。
遠目に緑野に見えるほど、どこまでも続いていて、空と森の境目がうっすら霞掛かって見える。
茶色の曲がりくねった大河が緑を横断する。
と、突然雨が降る。すぐに雨脚が強くなり、ティオは高度を下げて木陰に入った。
重くのしかかってくる湿気を含んだ空気に、カランの息が短く頻発になる。
シアンは風の精霊に調節を依頼する。
リムがドラゴン襟巻と化し、首筋を冷やしてくれる。
強い雨は降るのが唐突ならば、止むのも突然だった。
無数の緑葉から蒼く生命力があふれ出す。
強い日差しが緑を蒸らし太く匂い立たせる。
ティオが通ってできた隙間を歩く。足下は根や葉で歩きにくい。
ティオの体がすり抜けた後、元に戻ろうとする下映えに脛を打ち付け、思わず痛いと声を上げてしまい、幻獣たちが過剰反応した。
かすかに鳥の声に混じって猿の鳴き声がする。
甲高い声に葉擦れの音がひっきりなしにする。
『ティオの気配に恐れをなしたのか、一匹も近寄ってきませんねえ』
九尾が遠くに聞こえる甲高い猿の鳴き声は仲間同士に伝達する警戒音だという。
リムが興味深そうに肩の上で長い首を伸ばしてあちこち見渡すので、柔らかい毛並みが首筋や頬にかかって擽ったい。
カランも周囲を見渡している。
「そうなんだ。あれ、でも、ティオ、気配を薄めているんだよね」
独り泰然とするティオに視線をやる。
『ううん、今はやっていない』
「そうなの?」
『うん。ここでは威嚇しておくくらいがちょうど良い』
途端にカランが眉尻を下げる。
『この大陸はそんなに危険な場所なのかにゃ』
『うん。精霊がいるから大丈夫だろうけれど、シアン、一応、気をつけてね』
あっさり肯定され、カランが首を竦める。
『今までだって、シアンちゃんの行く先は危険がない場所ばかりだった訳ではありませんよ』
「そうだよ、カラン。気にしないで。こういった場所は初めてだから、良い採取ができそうだよ」
九尾がカランを気遣うのに、シアンも頷く。
『第一、どんな状況でもティオさんがいたら、シアンちゃんは安全です』
現に、今も生命力あふれる森にも関わらず、何の動物も現れない。
大きく垂れさがる葉の木を見上げる。
「これはヤシかな?」
『そう。葉から蝋が採取できる。葉に覆われた蝋を削り取ったり煮沸して取り出す。これから採れる蝋は融解温度が高く、艶出しにも用いられる』
「じゃあ、持って行こうかな」
『そうにゃね。ユエなら何かに使いそうだにゃ』
風の精霊の言葉はカランにも届いていた。猫との違いである。
他の種のヤシもあった。
「どの木も高いな」
『これは屋根葺きに用いられる』
『家の上にかぶせるの? わあ、乗ってみたい!』
リムの想像ではふかふかの屋根なのだろう。
『他に籠や敷物、容器などに用いられる。果実は飲料とされ、種子は食用とされる。油も用いられるが悪臭を放つ』
「キュア~」
リムが鼻を抑える。
五感が鋭い彼らにとっては重要なことだ。
「ふふ。とりあえず、果実や種子を採取しておこうか」
『あれ、面白い形をしているね』
採取するシアンにティオが嘴で指示した木は、細長いポールの頂点に枝で円形状に蓋をし、そこに葉が覆い垂れ下がった。
『本当だ。面白~い』
リムが飛び上がって天辺近くで矯めつ眇めつする。
『それはシダ植物だ。こういったシダ植物の後に裸子植物の針葉樹林に変じ、そして、被子植物の熱帯雨林が広がっていった』
「そうなんだ。変遷しているんだね」
『……』
風の精霊の言葉に頷くシアンを、カランが何とも言えない表情で見やる。
『カラン、深く考えるといけませんよ。その深淵に嵌まり込めば抜け出ることは容易ではありません』
九尾が肩に片前足を置き、首を左右に振って見せる。
「どうかした?」
問いかけるシアンにカランは躊躇しつつ口を開く。
『シアンはこうやって世界の真理を何気なく教えられて行っているのにゃね』
「うん? そうだね、英知にはいつも沢山のことを教わっているよ」
『その内容が問題なのにゃよ。風の精霊王は万物を知る。でも、殆どの人間が知らないことばかりにゃよ。さっきの植物ひとつ取っても、誰も知り得ないことなのにゃよ』
そういえば、こちらの世界の知識水準は現実世界とは大きく乖離していた。医療治療でさえ占星術に従って行われるほどで、そこに魔法要素が加わって、シアンにはよくわからない代物だ。
しかし、風の精霊も鸞も現実世界で通用する知識で解説してくれる。つまり、シアンに取って違和感がなかったため、すんなり受け入れることができたのだ。中には成分など、シアンには初めて聞く言葉も沢山あり、教わるにつれ、そういうものかと思ってしまっていた。
「そうか。かけ離れているということを知っておかなくちゃね。じゃあ、僕の知識もあまり人には言わない方が良いかな」
『それが良いにゃよ。言っても信じて貰えないことが多いにゃ』
シアンがすることが正しくても他の者にはそう思えないことも沢山あるだろうと言った。
「うん。ありがとう、カラン」
『いや、俺は何もしていないのにゃ』
照れてそっぽを向くカランの後頭部を撫でた。
風の精霊の説明一つとっても、幻獣たちの反応は様々だ。鸞は新しい知識を大歓迎し、カランはその知識とこの世界の認識との相違に驚き、九尾は……恐らくシアンが世界の認識と乖離していくことを面白がっているだろう。
『おう、情熱的な唇!』
九尾が見つけたのは口をすぼめた赤い唇の形をした植物だった。
『真っ赤だね!』
『九尾、ちょっと口を合わせてきたらどうにゃ?』
リムとカランも覗き込む。
『いや~ン、きゅうちゃん、恥ずかしいワ~』
同行する幻獣が変われば反応もまた変わるのだな、といつもとは違う賑やかさにシアンは苦笑する。
『あれは蝶やハチドリが赤い色に強く反応するため、赤い葉で目立たたせている。そうすることによって、奥につけた白い花の花粉を運ばせる』
『あ、あんな所にシェンシがいるにゃよ』
「え?」
カランが指し示す方に、鳥の鶏冠と色鮮やかな羽のように見える植物がある。
『鶏冠に見えるのは花で、嘴に見えるのは苞だ』
『鳥みたいだね』
ティオも首を左右にたわめて眺める。初めて見るものが多く、彼もこの密林を堪能しているようだ。
「こっちの花は鮮やかでちょっと変わった形をしているね」
『それは金魚草の仲間で「噛みつき竜」と言われている』
『ぼく?』
『噛みつくの?』
小首を傾げるリムに、九尾がにやにや笑う。
『代わりにぼくが狐に噛みついておいてあげるよ』
『えええ遠慮します!』
『種の莢が乾くと頭蓋骨のような形になる』
『ひえええ、落差が激しいにゃ!』
風の精霊の言葉に驚いたカランが傍らにスミレに似た花を見つける。
『こっちも綺麗だけれど、怖いのかにゃ』
『それは葉の表面に粘液の小さな弾を分泌する腺が並んでいる。昆虫などが葉に止まればこの粘液でからめとられる。やがて強い胃酸が分泌され、葉面を左右に巻き込むことによって胃酸を貯め、それで昆虫を溶かし、消化しつくす』
更に恐ろしい食虫植物だった。
『きゅーっ。きゅうちゃん、食獣植物はトラウマですよ。詳しく解説して貰わないでくださいよ!』
アダレードの国境を越えた際、危うく食獣植物に溶かされそうになった九尾が青ざめる。
『いや、まさか、予想以上に怖い話を聞かせて貰ったにゃ!』
九尾がカランをつつき、身をよじりながらカランも九尾をつつき返す。
『くすぐったいにゃよ』
『どこ触っているの、いや~ン』
騒ぐ九尾とカランを目を眇めて見やり、ティオがぼそりと呟く。
『シェンシとの遠出は良かった』
「はは。同行者が違うとやっぱり雰囲気が変わるね」
前回はティオが率先して傍らを長時間飛ぶ鸞を背に乗せてやろうかと気遣っていた。
『シアン、あそこに高い木があるよ!』
リムに呼ばれて振り仰げば、確かに、頭二つ飛び出ている木がある。
『その下に人間の村があるみたいだね。何十人か集まっている』
狩りに出ている者がいるとしても、小さい集落なのだなとシアンは考えた。
『シアン、行ってみよう!』
リムの言葉にちらりと視線をやれば、ティオは泰然と頷いた。




