34. 後方支援の手腕/籠の鳥殺害事件
ロイクの窺知の目、オルティアの追駆の矢は素晴らしく、また、アメデの守護があればこそ攻撃に専念できた。
完成されたトリオの予感に、マウロは非常に満足を覚えた。
そこにイレルミである。
軽い言動をするが、武術に秀で、貴光教本拠地であるハルメトヤの他、大陸西方や南東の大陸のことも詳しい。風の民や大地の民にも顔が利き、幻獣のしもべ団の職務をさらにスムーズにしてくれている。
彼らは幻獣のしもべ団精鋭部隊の諜報隊として試験的にハルメトヤ近隣の国に潜入させることにした。
イレルミはシアンと離れることに難色を示すかと思いきや、その役に立つことが目的で、そのために動けば面白いことが待ち受けていると確信しているそうだ。
マウロは動機は何でも良いと考えていた。
第一、イレルミはシアンを害そうという者には容赦しないだろう。更には隠し玉は幾つかまだ持っていそうだ。
オルティアも初任務、しかも精鋭部隊抜擢だが、故郷に近い。聞いたところによると何度か行ったことがある街だというから打ってつけだ。
そうして、マウロたちはオルティアの故郷アルムフェルトの隣国クリエンサーリにある街イラにやって来た。
マウロはナタで見た黒ローブがエディス訛りがなかったという報告を受けて、貴光教の本拠地がある国ハルメトヤ周辺に団員を潜り込ませて情報を収集させていた。こちらはナタのレジスのように定住させず交代で行っている。ハルメトヤの周辺国すべてに人を派遣できる人員はなかった。新団員が入団してもしばらくは研修で使えるようになるまでは時間が必要だ。それだけに、今まで異能を実戦で使い訓練を受けていたオルティアや武芸に秀で世情に長けたイレルミといった団員を得られたことは僥倖であったし、新人でも使える者は即使う。
オルティアやイレルミの実力は他の団員も認めている。他の新人も能力が認められれば取り立てられ、重要な任務に就けると意気盛んだ。ここでいきなり難しい任務は、としり込みするようでは先が思いやられる。
しかし、やはり慣れない環境というのは結構な圧力となる。体調を崩したり気分が落ち込む者もいた。
それにいち早く気づいたのがエメリナとクロティルドで、相手に応じた発破の掛け方で元気づけていた。麒麟とネーソスの一件から、ややぎくしゃくしていたエメリナとクロティルドは自分の役目をわきまえていて、連携を取るうち、打ち解けた。
男連中が多い中、新人たちも同性には弱音を吐けないものの、強引な異性があれこれと世話を焼いてくれるのを面映ゆそうに受け入れていた。従来の団員たちはそんな繊細な心の働きに気づかない者や、気づいてもそれを乗り越えてこそと思う者もいた。
マウロはクロティルドの変化を大いに歓迎した。
ゾエ村の異類の異能は強力だ。それに彼らはロイクとアメデと並んで準古参となりつつある。ミルスィニやオルティアの持つ異能はやはり魅力的だ。
クロティルドはいつの間にか異類の女性陣を精神的に支えるようになり、その家政の辣腕を発揮し、グェンダルと並んで後方支援で役に立っている。
後ろが安全だと思えば思う存分戦える。
シアンが豊富に用意してくれる物資や軍資金のありがたみを知っている幻獣のしもべ団員たちはそれを有機的に活用できるようにしてくれる二人に次第に頭が上がらなくなっていた。
「グェンダル、実はさ、こういうことを思いついたんだけど、こないだの素材って」
「ああ、あれはもうないぞ。防具で使い切った」
「そんなあ!」
「その特性ならこっちの素材の方が使い勝手が良いぞ」
「そ、それ、高いやつなんじゃあ」
「ああ。だから、大切に使えよ。暫く武器の更新はないからな」
「ありがとうございます!」
「クロティルドさん、今晩の飯は何? 肉?」
「そうねえ。肉と野菜の炒め物にしようかしらね。農場から野菜を貰ってきてくれる? あそこの野菜は美味しいからね」
「えー」
「幻獣に会えるかもしれないわよ?」
「行ってきます!」
有能な彼らはうまく幻獣のしもべ団に物資や仕事を割り振り、装備と生活環境の充実を行った。
特にクロティルドは洗濯や掃除といった戦闘とは関わりのないことを割り振るのに、やる気にさせるのが上手かった。
「そんな汚い格好で……シェンシさんが見たらどう思うかしらね」
「もし、あの家令が用があってこちらに来られてこの散らかり様を見たら、不興を買うのではないかしら」
お陰で男連中もてきぱきと洗濯掃除を行う。
マウロとしても幻獣のしもべ団がだらしなく不潔な恰好をしていたら縁者である翼の冒険者の評判が落ちかねないので好ましい限りだ。
それまでエメリナに集中しがちになる家政を他の団員が手分けして行うようになった。
料理なんてしたことがないという新人にも、首魁であるシアンが料理人で、幻獣たちは美味しいものを食べるのが好きなのだと言うと、いつか自分が作った料理を食べて貰えるかもしれない、と訓練そっちのけになったのには参った。
幻獣のしもべ団の形が整いつつあることに安堵しながら、マウロは無精ひげが伸びて来た顎を撫でながらイラの娼館から出た。
「頭」
呼ばれて視線をやると、早朝の街角にオルティアが立っている。その傍らにはイレルミが一見だらしなく見える格好で背中を壁に預けている。
「変なところを見られちまったな」
悪びれずににやりと笑う。
マウロたちはイラにやって来て報告を受け、諜報隊は初任務に就いた。
今日はその初日になる日だったが、マウロは娼館に前泊していた。
前日にそれまで情報収集を行っていたグラエムたちから娼婦が殺害されたことを聞いており、情報収集と楽しみを兼ねた。
生粋の密偵がいないチームなので念には念を入れておこうと思ったのだ。
「何か分かりましたか?」
「ああ。お前たちも情報収取か? こんな時間は人通りもないだろう」
「俺もそう言ったんだけれどね」
イレルミがへらりと笑って肩を竦める。それでも、二人一組の言いつけは守っている様子だ。
「そうなんですが、時間帯を変えてあちこち見て歩こうと思いまして」
真面目なオルティアの言葉にマウロは頷きつつ、ちらりとイレルミを見やる。
オルティアは戦力としては申し分ないが、密偵としては何一つ身についていない。そもそも、マウロは諜報隊結成とはいえ、この初任務で成果を上げることを目的とはしていない。まず実践を経験し、追々密偵の心得を身に着けてくれればよい。逆に言えば、黒ローブたちを相手取るにはまず武力を要求される相手なのだ。
イレルミは軽い男だが、マウロの思惑を掴んでいる。だから、視線の合図にも微かに頷いてみせた。彼に任せておけば大丈夫だろう。頼もしい限りだ。
「まあ、そんなに肩ひじを張る必要はないぞ。連中の動向を探るのだって交代でやるんだ。まだ密偵のことは何も教えちゃいなんだ。まずは現場の雰囲気を掴んでくれればそれで良い」
イラでは娼婦が殺害された事件が起こった。その際、怪しい風体の男が目撃されたという情報を得ていて、それでマウロは念を入れ、オルティアは緊張を覚えているのだった。
マウロが娼館に探りを入れたところ、怪しい風体の人間が黒い布を頭からかぶっていたかどうかは分からなかった。
目撃者は日常的に酔っていて、それであまり信ぴょう性がないというのが大方の見解だ。
殺害された娼婦キルスティは美しい女だったが臆病で、客の取り合いなど起ころうものなら自ら身を引く人間だったらしい。
「だから、こんな稼業は性に合わないんじゃないかって思っていたんだよ」
娼館で働く洗濯婦が鼻をすする。
キルスティについては評価は分かれた。
「ああ、綺麗な子だったねえ。細身で儚げな」
「ふん、あんな不感症の小娘、この商売は向いていなかったんだよ」
そういった声が上がる中、洗濯婦は様々に話してくれた。
「後はそうさねえ、ああ、キルスティの友達があんたみたいにその不審者を探していたよ」
「不審者を探していた?」
「そうだよ。仲が良かったからね。悔しかったんじゃないかい?」
「おいおい、不穏だな。仇討ちでも考えているのか?」
「ありえるねえ! マイレは気が強いから!」
「そんなで良くキルスティだっけ、その気弱なのと友達になったな」
「そういうものさね。人間、自分にないものを求めるんだよ」
人の欲が剥き出しになる場所で働く所為か、洗濯婦は哲学的なことを言う。
マウロは心づけをはずんでそれとなくマイレのことを聞き出した。
洗濯婦から聞き出した友人マイレはマウロが訪ねて行くと顎を上向けた。太い眉に厚い唇が色っぽい。
「それで、目ぼしい情報は手に入ったの?」
そんな小生意気な仕草も可愛らしく思えるから娼婦は不思議だ。その魅力で翻弄し、めくるめくひと夜の夢を見させる。
「あんた、殺された子と仲が良かったらしいな」
そんな風に直截に聞くマウロに目を見張ったが、どうかしらね、と肩を竦めて見せる。
肝が据わり、頭も良い。
「友人は残念だったが、危ない真似は止すんだな」
「何で貴方にそんな風に言われなくてはいけないの?」
マウロがマイレの身を案じて言った声音に真実を見出したようで、警戒は解かないまでも言葉の硬さは和らぐ。
「そのおかしな風貌ってのが心当たりがあるやつじゃないかと思ったんだがね。どうも空振りだったようだ。ただ、確証はない。もしあいつらなら、関わらない方が良い」
幻獣のしもべ団はこの娼婦の一件で結局目ぼしい成果をえることができなかった。情報収集は殆どがそういったことばかりである。その中からどの情報がどれに繋がり、どういう事象を伝えているのかを読み取る。
気が遠くなる作業である。
だからこそ、幻獣のしもべ団は気負いなく気長に仕事に励んだ。
情報精査と組み立てを得意とするディランは今は遠い南西の地だ。
なお、娼婦殺害事件は彼らに別の火種をもたらした。
眉をしかめ苦悩を表す。
ねっとりまとわりつく官能に腰がむずがゆくなる。
滑らかな肌が薄っすら汗ばんでいる。むっちりと弾力のある肌は吸い付くようだ。
えらと顎、首筋に掛けて撫でる指の力加減が絶妙だ。
高い鼻、つんと尖った鼻頭に思わずかぶりつきたくなる。
グラエムはひと時の夢に酔い痴れた。
身支度を整えて部屋を出ると、階下の騒がしい声が届く。
敵娼はまだ働く様子で、胸元が開いたしどけない姿でグラエムの後から一階へ降りる。
「あっ、ミームちゃん!」
どうやら次の客候補が待っていた様子だ。
「げっ、グラエム!」
そして、それは幻獣のしもべ団の同僚だった。
「お先に、フィオン」
グラエムはてかる額を拭いながらにやりと笑って見せる。
「貴様、俺のミームちゃんに!」
「やめろよ、彼女の仕事だろう?」
フィオンの双子の兄フィンレイが困惑した風に止める。
全くその通りで、フィオンの彼女を所有物のように言う口ぶりが癇に障る。
「あらあ、またいらしてくれたの。嬉しいわ」
ミームがフィオンにしなだれかかると鼻の下を伸ばす。
今度はグラエムの眉間にしわが寄る。
彼らはイラの街で珍しく三人一組となって任務に就いた。そして、昨日マウロが引き連れたロイクとアメデ、そして二人の新人と交代した。
新人にはまだ密偵技術を教えていないので短期間の任務だと聞いた。次の交代の時に名乗りを挙げるかな、とフィオンとともに階段を上っていくまろやかな尻の輪郭を見やりながら思う。
「お前ら、まだ残っていたのか?」
「頭」
振り向くと、正面入り口からマウロが入って来ていた。昨日交代した後、名残を惜しもうとこっそりやって来たのが見つかってしまい、グラエムはばつの悪い顔をする。
「仕事が終わったんならさっさと帰りな」
「そ、そんな~。俺はこれからだってのに。後生ですよう」
その情けないフィオンの声音に、思わずグラエムは吹き出す。
「てめえ、自分は先にすっきりしたからって!」
フィオンが階段を駆け下りてくる。
「やめなって。お店に迷惑だよ」
制止する兄の声が逆に火に油を注ぐ格好となる。
グラエムとフィオンはイラの街で娼婦が殺害された際、妙な恰好をした者を見たという証言を聞き、遊里へやって来て、同じ女性に入れあげた。あれよあれよという間だった。
げに、女性は恐ろしい。
男性の悋気を煽り、訪問を途切れさせないのだ。
なまじ、幻獣のしもべ団の給金が良いのが裏目に出た。
安くはない女性を取りそろえた館に通い詰めることができた。
そして、とうとうニアミスしてしまったのだ。
「大体、俺が先に客になったってのに!」
「そんなもん、順番なんか関係ないだろう」
「何を!」
フィオンが殴り掛かる。
体格差があり、グラエムは筋骨隆々だ。しかし、フィオンとて幻獣のしもべ団の古参として様々に経験を積んでいる。最近では攻撃力を上げようと新しい武器の開発とそれを使いこなすことに余念がない。シアンや幻獣たちが希少な素材を惜しげもなく提供してくれるので、武器の性能は非常に高く、扱うのに苦労するが、それを成し遂げたいと意欲を燃やしていた。グラエムもそれは同じで、熱が入りすぎている彼らを一旦訓練から引き離すためにカークが送り込んだのだ。
体力がつき、戦い方を覚えて来たフィオンの拳がグラエムの頬をかする。
「やったな!」
「やったらどうした!」
売り言葉に買い言葉で彼らは乱闘を始めた。
「頭、呆れた顔をしていないで止めて下さいよ! お店の物を壊しちゃいますよ」
「そうなったら、張本人たちに弁償させれば良い」
マウロが鼻で笑う。
「おお、何だ、賑やかだな」
そのマウロの後ろからロイクが顔を出す。
「ああ、グラエムとフィオンの喧嘩だ」
「大丈夫なのか?」
ロイクが驚いて尋ねる。
グラエムは幻獣のしもべ団で一番の体力自慢力自慢で、その分、体格が良い。
「フィオンも戦い方を知っているし、喧嘩の仕方も覚えていく必要があるだろうさ」
「グラエムの方は手加減の仕方を覚えさせる、か?」
更にロイクの後ろからアメデが姿を現した。
朝日の輝きを輪郭に纏わせ、眦あたり緩くカールした髪が顔の角度が変えた際、はらりと零れる。
「まあ、いらっしゃい! 初めてのお方ね? ぜひゆっくりしていってちょうだい」
それまで、自分を客が取り合うのはよくあることなのか、面白くもなさそうにしていたミームがぶつかるようにしてアメデの胸に飛び込んでいく。
「おっと」
アメデも慣れた様子で腰を抱く。
ミームはけらけらと屈託なく笑う。
「あなた、最高だわ。ね、私とお喋りしましょうよ」
奔放に言うのに、アメデが顔を近づけて囁く。
「お喋りだけ?」
「おかしくなっちゃう」
つい先ほどまで仕事に励んでいた頸から胸元にかけて漂う熱が、体臭を立ち昇らせる。
唇の間から漏れる濃密な息が互いに掛かる。
「ミームちゃん」
「そりゃないよ」
流石のグラエムとフィオンも殴り合うのをやめて情けなさそうに言う。
双方、殴られ瞼の上がうっすら紫色になり唇の端も切れている。そう時間を置かずに紫色ははれ上がり、頬が膨らんでくるだろう。
きっと人相が変わる。
アメデはロイクに耳を引っ張られ、女性から引き剥がされた。
グラエムとフィオンはマウロにこってり絞られている。
店の主に謝罪と共に迷惑料を握らせやれやれと息を吐くフィンレイに、階段を名残惜しげに登っていくミームに振っていた手を下したアメデが視線をやる。
「あんたは遊ばないの?」
「あー、いや、俺はそんなに女性に積極的じゃないから」
フィンレイは子供のころの虐待が原因となり、成長しても細身で、そのから自信がなく、女性に積極的になれないでいた。
「そんな風に思わず、遊んでみなよ。良いものだぜ?」
目を眇めるアメデは無駄に色気が漂っている。
ああ、これは娼婦もただの客として扱わない訳だ、と妙に納得するフィンレイであった。
アメデは街の女性の間をうまく立ち回りながら、情報を集めた。
グラエムとフィオンの顛末を聞いていたイラの幻獣のしもべ団団員の次の交代要員が、アメデを真似て、とある女性に近づき、その寂しさに付け込んで、彼女の気持ちを利用して、うまく使っていた。そのつもりだったが、その女性の縁者が利用されているのを知り、怒鳴り込まれ、大ごとになりそうになった。
結局、マウロが出張って収める羽目になった。
その後、幻獣のしもべ団では結社のためにという気持ちが先行し過ぎて他者を良いように利用することのないよう通達が下った。
利用できるものを利用せず誠実に、とは非常に甘い仕儀だ。
しかし、それがシアンのやり方だ。
彼を支える結社としては、それを実現しようと努力することが重要である。そのために何をするかを考えろ、とマウロは部下たちに話す。それだけの力と資金、人脈をシアンから授かっているのだから、と。




