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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第七章
347/630

30.母、目覚める

 

「何、馬鹿なことを言っているのよ! 貴女、こうかもしれないああかもしれないと自分で勝手に考えているだけで、好きになって貰えるように頑張ったの? 次席だか筆頭だか知らないけれど、そんな家柄だけで好きになって貰えると思っていたの? そんなの関係ないくらい好きになって貰えるように、努力をしたの? じゃあ、頑張りなさいよ! やらないままで終わったら、悔いが残るわよ。そうね。確かに、貴女には私の知らない事情や過去があるでしょうよ。でも、そんなのがあったとしても、貴女という人間を好きになって貰えるように、まず努力なさいよ」

 オルティアは面食らった。

 幻獣のしもべ団の中には異類の女性も複数おり、オルティアはこの島の生活について彼女たちに教わるように言われた。

 長身の美女、彼女と同年代の女性、成人したかどうかの少女三人に引き合わされた。

 そのうちのクロティルドという女性が家事全般の割り振りをしているそうだ。

 それで、オルティアに何ができるのか聞かれ、実は、と家のことを少し話した。貴族の子女で異能の訓練に明け暮れていたから家事は何もできないという話からいつの間にか許嫁がいることにまで話していた。

 少女たちが黄色い歓声を上げて恋愛話の続きをせがんだ。

 そこで、貴族として異類として、結婚は血族を残すためのものであり、好きかどうかは二の次、三の次なのだと言った。

 それに対してカランタという赤毛の少女が絡み、あまりこういった恋愛話や自分の事情を打ち明ける経験がなかったオルティアはつい話し過ぎてしまった。

 そこに、クロティルドが自分が好かれる努力をしたのか、と問いかけて来た。

 彼女の言うことは耳が痛いことばかりだった。

 しかし、真実でもあった。

 自分は好かれる努力をしてきただろうか。

 家に縛られていたのは自分だ。

 オルティアという人間を好きになって貰えるように、何故力を尽くさなかったのだろう。何故主席とか次席とかではなく、エミリオス自身にオルティア個人としてぶつかっていかなかったのだろう。

 アメデの言う通り、離れてみて分かることもあるということか。

「もう、仕方のない人ね」

 クロティルドは苦笑して涙を流すオルティアの頭を抱き寄せた。気づけば視界が歪み、泣いていた。自覚して慌てるオルティアを宥めるように、クロティルドが背中を叩く。

 クロティルドは面倒見が良く、裏返せばお節介だった。

 それは領地で親しんだ領民の母親たちとよく似ていた。

 遠慮のない言葉で条件反射のような上澄みの感情をそのままぶつけられた。

 そこには気遣いなどない。

 そして出会い頭だから届いた。謂わば不意打ちである。

 オルティアは自分でも意識しないうちに母親からの愛情を欲していた。

 生みの親は自分のことだけで精いっぱいだったし、育ての親は関係のない子供を育てさせてしまったという罪悪感を持っていた。

 クロティルドは強引なところがあり、持論を突きつけてくる。

 そして、面倒見がよく、生活能力に長けている。

 優美に跳ね上がった細い眉に、目じりが吊り上がった目、大振りの鼻、張り出た頬はバラ色で、唇は薄くも厚くもない。

 額を大きく出し、長い前髪が顔周りを覆うまっすぐな茶色の髪を長く伸ばしている。

 クロティルドはそこそこ美人といえなくもない容姿の二十代の女性だが、一般庶民の母親像そのものだった。

 貴族の母ではない。生活に根差して家の中を取り仕切る女性、そして、頼りになる女性だった。

 何かにつけ斜に構えるカランタも、クロティルドの小言には口うるさいと言いつつも従っている。

「ほら、また髪をくしゃくしゃのままにして。ちょっとここへお座りなさい」

 すばしっこいカランタをどうやってか捕まえて、椅子に座らせて櫛を通してやる。初めは櫛目に髪が絡まって大変そうだったが、すぐにコツを掴み、丁寧に根気よく梳いてやる。

「あら、結構艶が出たわね」

「ほ、本当?」

 手鏡を渡してやると頬を紅潮させて覗き込む。普段憎まれ口ばかりの少女のそんな姿にオルティアは内心舌を巻く。

「貴女、そばかすが目立つわね。ちゃんと野菜や果物をバランスよく食べている?」

「そんなんでそばかすが治るの?」

 懐疑的な眼差しを向けるが、クロティルドは動じない。

「本当は日焼けしないのが一番らしいんだけれど、幻獣のしもべ団としてはそれも難しいわよね。そうだ。なるべく外に出る時はつばの広い帽子を被っておきなさいよ」

 クロティルドは早速次の休みの日にカランタと連れだって街へ出かけて帽子を買わせていた。物すごい行動力である。

 驚いたことに、この島には転移陣があり、ここから闇の神殿へは転移し放題なのだという。だから、買い物へ行くにしても転移陣を踏む。ただし、乱用しないように言い含められていて、仕事以外では順番に使うことにしているのだそうだ。

「え? カランタの扱いが上手い理由? そうねえ、村では散々男女ともに小さい子の面倒を見て来たからかしら。憎まれ口を叩かれてもやらせることはやらせる! という気概が重要なのかしらね」

 つまりは子供の憎まれ口に一々取り合わず、とにかく強引にやらせてしまえば、子供もどうしてそれが必要なのか、追々分かって来るということだ。

「カランタは自分の子みたいに扱ってくれたり構ってくれるのが嬉しいのよ」

 そう言うのはカランタと同郷からやって来たというミルスィニだ。

 黒髪を短く切った硬質な少年めいた雰囲気を持つ少女だ。

 暗にカランタが母親像を求めているのだというミルスィニも、クロティルドが適役、つまりは母親のような存在なのだと思っているのだろう。

 中世的な容貌をしていても、やはり年ごろの女性らしく、ミルスィニも恋愛事情に興味津々で、オルティアの話を聞きたがった。

 出会った当初から泣き顔を見られたのだから、年上の威厳などないも同然だ。やや物堅いと思われがちな自分が早くに馴染めたのだと思うことにする。

 ロラやクロティルドと同じゾエ出身のリリトは可愛らしい少女だった。卵型の顔に小さい鼻と小さい唇の持ち主だ。しかし、隠ぺいの異能を使って立派に密偵として働いているという。

 そして、ロラ。

 まくしたてるようにして言い募ったクロティルドのことを苦笑しながら謝ってくれた。

「私が夫を亡くしているから、あんな風に言ったのだと思うのよ。こんな世の中じゃあ、いつ簡単に失ってしまうかもしれない。だから、その時できることをして精いっぱい生きなさい、そう言いたかったんだと思うわ。生きているんだから簡単に諦めては駄目だと。私に気を使ってそれが言えなかったから、あんな風に一方的になってしまったけれど、決して貴女を責めようとしたのではないのさね」

 オルティアは何と言って良いか分からなかった。

 そんなロラは夫とバディという二人一組で戦闘を行っていたそうだ。夫の死後、その遺志を継ぐかのごとく戦闘能力を有するようになり、今はクロティルドと組んでいるそうだ。

「正直、私はこの異能に振り回されているばっかりで、家政はクロティルドが一手にやってくれているの。もちろん、人数が多いから陣頭指揮というか、割り振りとか全体の把握とかをね。本人はもっと自分が率先してやるのが性に合っているんだろうけれど、男連中も自分のことは自分でやって貰わないとね」

 そう言って肩を竦めるロラに、オルティアはクロティルドに家事を教わることにした。ここでは身分など関係ない。今までできなかったのなら、これからできるようになれと言われた。

 クロティルドはカランタにするように、丁寧にオルティアの面倒をも見てくれた。

 時折遠慮会釈もなくエミリオスのことに言及してくるところがやはり、お母さんだ。

「でも、遠く離れているから」

 あたふたと言い訳して見せると、それならば手紙を書けという。

「手紙?」

「貴女、貴族だから文字を書くのは得意でしょう? 漠然としていることも紙に書き出せば心の中が整理できるのではないかしら。それに、面と向かって言えないことも伝えられるしね」

 気が進まなかったが、紙と筆を用意されてしまっては逃れられない。

 オルティアは考え考え文字を綴った。

 しかし、手紙に向き合うのは案外良かった。

 文字に起こす際、なるべく誠実であろうと思えるからだ。

 そうしてみると、自分がどれほど逃げ回っていたかを実感する。

 何しろ、エミリオスは自分を妻にと求めてくれたにもかかわらず、オルティアは自身の気持ちを一つも伝えていなかったのだ。

 まずは無事に幻獣のしもべ団に入団し、本拠地で暮らしていること、機密事項なので場所を明かせないが、とても豊かで気候の良い場所で、充実した施設が整っていることをしたためた。

 その後が続かない。

 色々考えた末、恥を忍んでクロティルドに相談した。

「そんなもの、難しく考えることはないのよ。彼のことをどう思っているかを書けば良いのよ。そして、申し訳ないと思っているのなら、謝れば良いのよ。許すかどうか、受け入れるかどうかは向こうの問題よ。貴女がどうこうできることではないわ」

 厳然とした言葉に、けれどオルティアは励まされた。

 そうだ。

 自分はエミリオスの心の領域まで懸念し、勝手な想像で気を回していたのだ。

 クロティルドに礼を言って、再び紙面に向かい合う。

 アドバイスを受けた通り、自分の気持ちを綴った。

 そして、その手紙を出した。

 出してしまった。

 あれほど長い間共にいて、エミリオスに何一つ言ってこなかったのに、赤裸々に伝えた。

 オルティアは腹を括った。

 命のやり取りをしている人間だ。腹が括れる人間であった。

 クロティルドの言う通り、どう思うかはエミリオスの領域、彼の自由だ。

 願わくば、共に過ごした時間がオルティアの人となりを伝えていて、少なくとも悪意がないことや叶うなら誠意が通じれば良いと思う。

 ハールラ家の人間ではないオルティアとして、フィロワ家次期当主ではないエミリオス自身へ向けて、文字を綴ったことを後悔していなかった。



 オルティアはクロティルドの助言通り、手紙を書いてしばらくして返事がきたそうだ。

 そこにどうも怪我をしたらしいということが書かれていてオルティアは随分心配し、再びクロティルドを頼ってきた。

 クロティルドはオルティアの家族、できれば両親ではなく兄弟に聞いてみると良いと答えた。その際、両親に宛てた手紙も書くように言っておいた。

 オルティアはその通りにし、兄から返答がきたと嬉しそうに教えてくれた。

 そこにはフィロワ家次期当主はオルティアの手紙を読んで足をぶつけて怪我をしたらしい。喜びすぎてのことなので、心配しないで良い、と書かれてあったそうだ。出来物の次期当主だが可愛い所もあるとか、幻獣のしもべ団への支援金が予算に組まれるようになりそうだとか書かれてあったとも言っていた。

「可愛い妹のために自分も全面的に応援するつもりだ」

 と締めくくられていたらしい。

 婚約は解消していないので、行かず後家にならずに済みそうだぞ、安心していつでも帰ってこいとまで書かれていて、兄はこういう人だったのかとオルティアが驚いていた。

 恋愛絡みはてんで頼りないオルティアはだが、戦力としては相当なものだと聞く。単身でも柔軟かつ強力な力を持つが、ロイクとアメデと組むことによって、弱点を補い、より強靭になると言われている。また、そのために日夜訓練に明け暮れている。また、イレルミという新団員を加えて、精鋭部隊の一員として活動が予定されている。

 ゾエ村の男性陣も今までの狩りに工夫を加え、より多彩な戦闘をできるようにと励んでいる。

 他の幻獣のしもべ団団員たちもそうだが、彼らは実に楽しげに充実して見えた。

 そんなオルティアがクロティルドを何度も頼り、その結果、良い方向へ向かったことはクロティルドにとっても誇らしい出来事だった。

 そして、自分も変わらなければ、と強く思う。

 オルティアは素直にクロティルドの言うことに耳を傾け、一歩どころか何歩でも踏み出していった。

 ろくに事情も知らない人間からあれこれ言われ、涙を流すほど、切羽詰まってもいたのだ。そこから劇的に変えてみせた。

 彼女に偉そうに言ったのなら、自分もやってのけなければ。

 元々、観測者ではないのについて来たのは自分だ。そうすると決めたのなら、ちゃんとその役割を果たさなければならない。

 クロティルドは狭い価値観の中に生きて来て、初めて見るもの、初めてする経験に、戸惑い、受け入れることができなかった。だが、小さいリリトが頑張って、その分成果を上げて評価されている。ミルスィニだって異能が顕現したのは最近だというのに、使いこなしている。カランタも未成年なのに教わる前から観測者として務めていた。ロラとて観測者から射手となり、鋭かった感覚が加速度的に低下し、不安だろうに弱音を吐かずに頑張っている。この集団でやっていくのならば、自分も自分なりの役割を果たさなければならない。

 クロティルドはもともとゾエ村では女性の役割の中、出来ることが多かった。

 暴力や想像もつかない技術に戸惑うばかりだったが、何をすべきか、どんな考えを受け入れるべきか、どんな方針に沿うべきかが分かり飲み込めば、ある程度の結果を出すことができる。

 現に、クロティルドに触発され、オルティアは変わった。彼女に良い切欠を与えることができたのは自信に繋がった。



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