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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第七章
345/630

28.過去のツケ

 

 カランは猫についうっかりという態で食事を汚されることがあった。

 初めは徐々に、分かりにくいものだった。

 猫も器用で料理や配膳を手伝った。カランに渡したものがたまたまぐちゃぐちゃになったのだ。他の幻獣のものは綺麗に盛り付けられていた。

『あっ……、ごめんなさいにゃ』

『いや、大丈夫にゃよ。味は一緒だものにゃ』

『ほう、猫もドジっ子属性なんですな!』

『きゅうちゃん、ドジっ子ってなあに?』

『猫も、というのは?』

『ドジで可愛い子のことです。ほら、馬鹿な子ほど可愛いというアレですよ』

 揃って小首を傾げるリムとわんわん三兄弟に九尾が宣う。

『きゅうちゃん、ドジっ狐だから。魅惑のモフモフにドジっ狐属性までつけた、完全体!』

「きゅうちゃんはしっかりしていると思うけどなあ」

 変なことを言い出した狐に、シアンがずれた感想を述べる。

『そうだよねえ』

 麒麟がおっとりと頷く。

『しっかりというか、ちゃっかりだな』

 鸞が胡乱げな視線を九尾に向ける。

 軽い失敗から端を発し、徐々に積み重ねていき、時に、焼いた肉に水を掛けられたりすることもあった。シアンが見ていないところで躓いて地面に落ちたパンをカランの皿に戻して渡したこともあった。

 カランはこのくらい、食べられないことはないと表面上は平静を装って平らげた。

『ちょっと汚れたくらいで食べられないなんて。そんてひ弱じゃないんだにゃ』

『そんな。食べられないからひ弱なんて、レンツをそんな風に言わないであげてにゃ。レンツはただ優しいだけなんだにゃ』

『お、俺はレンツのことを言ったのじゃないにゃよ』

『でも、食べられないからひ弱だなんて、あてこすっている風に聞こえるから、気を付けた方が良いにゃよ』

『ごめんにゃ。そんなつもりで言ったのではないのにゃよ』

『うん。分かっているよ、カラン』

 おろおろとカランと猫のやり取りを見ていた麒麟が謝罪するカランにおっとりと笑って見せる。

 カランは島に来た当初から麒麟を好いており、尊敬してすらいた。慈悲の資質からくるとはいえ、生き物を食べず、踏みつぶさず、それを霊力不足に陥っても貫いていたのだ。物すごい信念の獣ではないか。

 そして、そんなカランの気持ちは言動ににじみ出ており、また、カランの他の幻獣を良く見てさりげなく手を貸すことを、麒麟も感じ取っていた。地面を這う生物を踏みつぶさないほどの感知能力を有している麒麟であればこそ、出会った当初から知ることが出来た。カランはさり気なく、麒麟はそのままでも十分なのだと認める発言をしてくれていることに気づいていた。

「どうかしたの?」

『カランが食べられないなんてひ弱だと言っていたのにゃ』

 シアンが声を掛けて来たのに、さも残念そうに、しょげてさえいる風で猫が言う。

『違うのにゃ。地面に落ちたパンを食べられないことはないという意味で言ったのにゃ』

「ああ、カランもユエも食事がとれない期間があったものね。好きな食べ物ができたら沢山作るからね」

 慌てるカランに、シアンは宥めるように笑った。

 途端に、幻獣たちがその笑顔に見とれる。軽く柔らかい雰囲気に、何て呑気な奴らだと猫は内心毒づいた。



 シアンは食事の後、悄然とする麒麟に気づいて声を掛けた。

『我が食べられないせいでカランが責められることになったんだ』

 慈悲深いのと何でもかんでも自分の所為にして責めるのは違うとシアンは笑う。

「誰かの上に立ち、誰かよりも良い物を手に入れようとする。そういった感情は悪いことばかりじゃないんだよ。だって、そういう考えがあってこそ、自分を向上させることができる。より良いものを作り出せるんだよ。ただ、そのために人を害したりけなしたりするのはどうかな。ちゃんと礼節をわきまえ、人の物を取ったり狡いことをするのでなければ、競争心や闘争心は良い結果を生み出すこともあるんだよ。でも、その上で、協力し合う心を忘れてはいけないね。独り占めしようとするのではなく、それぞれが良い結果を得られるように考えるんだよ」

 今まで、多くの者が麒麟の慈悲の性質を素晴らしいものだと褒めたたえて来た。けれど、違う見方をシアンは提示する。

「レンツはそういうのが苦手だよね。でもね、時に他者の意見に逆らったり、自分の意見を強く主張したり、負けない気持ちを持つことも大事だよ。そしてね、僕は君はそれができるんじゃないかなって思うんだ」

 驚いた。

 シアンは自分がそれができると言うのか。

「だって、シェンシやベヘルツト、きゅうちゃんやリムが嫌なことをされたら、戦ってくれるんじゃないかなって思うんだよ」

 そうだろうか。

 自分は戦うべき時に向かっていけるだろうか。

「ふふ、でも僕は本当は君が戦うことがなければ良いと思ってしまうんだけれどね」

 シアンの笑顔は柔らかく、しなやかな勁さを感じさせた。

 シアンは数値では測れない世界で争ってきた。聴く者の受け取り方次第で変化する曖昧な評価の中で戦ってきた。しかし、複数の者が発する音色を調和させ響かせることもしてきた。

 どちらか一辺倒では為し得ないのだ。

 複雑に絡まり合い重なり合った調和が生み出す美しい世界を体現してきた。

 数多の脳を震えさせ揺さぶって来た。甘美な影響を与えて来た。

 麒麟は自分は不思議な獣だと思う。

 生きとし生けるもののうち、動く物は他者を食らうことによって、生きる。自分は慈悲の生き物というのであれば、なぜ、植わわった物として生を受けなかったのか。

 動物として慈悲があるというのは矛盾しているのではないか。

 そう思い悩む麒麟に、麒麟ならばできるとシアンは言う。

 できるだろうか。

 麒麟の思いは深淵に囚われたままだ。



 一角獣の狩りは圧巻だ。

 残像を残してと良く言うが、残像すらなく、まさしく掻き消えるように狩りをする。

 まるで二頭いるかのごとく、そこにいたと思えば違う場所にいるのだ。

 そんな一角獣はティオに負けているのが悔しいと言う。

「じゃあ、頑張って強くならなくちゃね」

 獰猛な一角獣にも、シアンは他の者へ向けるのと同じ笑顔を示す。

『うん!』

「ふふ、どんな風に強くなるのかなあ? 今も十分強いものね」

 楽しみだね、と笑うシアンに、そうか、楽しいのか、と浮き立つ心のままに笑う。

 先を楽しみにし、努力する未来を見越す。

 シアンとなら驚くような眺めを見ることができるのだと思う。

 元居たところに戻れなくても、君と一緒なら。



 魔族から買い求めたブラシは、木製で艶があり、思わず触れてみたくなる。

 持ち手や毛束を纏める部分の曲線が優美だ。中央に模様が彫られている。リムのものにもティオのものにも、双方の翼が交差する様子を模している。フラッシュがリムのタンバリンに施してくれた模様をいたく気に入り、ブラシにも彫ってもらったのだ。普段、ケースに入れてしまってある。

 リムがシアンの膝の上でブラシを掛けられるのを見て、ティオはおもむろに、マジックバッグの中から自分用のブラシを取り出した。

 嘴に咥えて、佇む。

「ティオもブラシ掛けようか?」

 喉を鳴らしながら嬉しげに頷く。

「じゃあ、ちょっと待っていてね」

 それを見ていたわんわん三兄弟が我も我もとブラシを咥えて、ティオの後に続く。

 その後に、一角獣が並ぶ。

 九尾が最後尾にプラカードを持って立つ。

 そこには、「こちらブラシ待ち最後尾。待ち時間、三十分」と書かれている。高度な幻想魔法だ。

『にゃんだ、これ』

 やって来た猫が呆れた表情を浮かべる。

『見ての通り、シアンちゃんのブラシ待ちの列です』

『大人しく並ぶんだにゃ』

『こういうのは、待っている間の雑談も楽しいものですよ。喧嘩っ早いベヘルツトは短気そうに見えて、実は気が長かったりしますしね』

 九尾が前足の指一本を立てて左右に振る。したり顔をするのが鼻に突く。

「折角だから、みんなで話そうよ」

 九尾と猫の会話を耳にしたシアンが提案する。

 麒麟と鸞もやって来る。

「そうだなあ、列も良いけれど、順番を書いた紙か石でも配っておいて、丸くなって座って話さない?」

 シアンの言葉に、鸞がいそいそと木札に墨で数字を書いて配った。いわゆる整理券である。

 その後、シアンはブラシを掛けながら、円座した幻獣たちとお喋りを楽しんだ。



『カリンも一緒に庭遊びをするにゃ』

 別の日、シアン不在時に幻獣たちが遊ぼうとするのに、猫はカランを誘った。

『猫、カリンじゃないよ。カランだよ』

『あ、そうだったにゃ』

 それから、カルン、カレン、カロン、と似た風の、でも違う名前で何度も呼んだ。

 カランがシアンから貰った名前を大切にしているのを知っていたからだ。

 リムがいればその都度訂正される。

『カランというのはね、愛しいとか抱きしめたいという意味なんだって!』

『そうか、良い名だにゃ』

 だから、いない時を狙って違う名を呼び続けた。愛しいとか抱きしめたいなんて、そんな名前では呼んでやらなかった。



『ほう、猫又になりたいのか』

『そうにゃよ』

 物知りの鸞は猫又について知っていた。

『猫又ってなあに?』

『長寿の者、もしくは魔力が高い者は尾が二股になるのだ』

『きゅうちゃん、尾が九つもあるよ!』

 鸞の言葉に、大変!とばかりにリムがどんぐり眼を見開く。

『八股でございます!』

 途端にわんわん三兄弟が騒ぎ出す。

『ちょっと、きゅうちゃんをオロチみたいに言わないでよ。まあね、きゅうちゃんほどの実力の持ち主ならばこそ、このもふもふの魅力の尾なのだよ!』

 わんわん三兄弟に嫌そうな顔をしてみせた九尾が自慢げに尾を見せびらかす。

 自分の話をしていたのに、いつの間にか話題を掻っ攫われている。

 カランはのらくらと自分の話はしない。

 だから、自分の高い志を話したと言うのに。

 自分の方が優れているのに、それに注目し、称賛されないことへのいら立ちが募った。



 カランは今日も人目を避けながら、庭で探し物をしている。

『探しているのはこれかにゃ』

 言って、差し出して見せたのはボールで、「鼻ちょん」と書かれていた。

『あっ、それ!』

 猫の声に振り向いたカランが咄嗟に両前足を差し伸べてくる。それを予測していた猫は颯爽と避け、ボールを掴んだ片前足を高く掲げて見せた。

 カランは不自然な体勢になり、相当慌てていたのかバランスを取れずにうつ伏せに倒れこむ。見上げてくる顔に驚愕の表情を浮かべているのが滑稽だ。

『拾った時は何のことか分からなかったが。やれやれ、本当にくだらないことばかりしている連中にゃね』

『っ⁈ ……くだらないことだったら、お前にはどうでも良いことだろう? それを返してほしいのにゃ』

 愕然としたカランは短い間を置いて立て直してきたのは、まあまあだ。

『それもそうなんだがにゃ。これ、そんなに必死に探していたんだろう? 返してやるのはやぶさかではないにゃ』

 カランの目の前でひらひらと振って見せる。カランは表情を取り繕った。あからさまに感情を表に出さないものの、まだ動揺しているようで、取り繕うのがばれているのはまだまだである。

 村を出て各地を彷徨い、苦労をしたと言っていたが、大方、この呑気な島の空気に当てられて、すっかり腑抜けになったのだろう。

『お前の大切な物を探して大事に保管してやっていたのにゃ。代わりにお前は何を出せるのにゃ?』

『え、ええと』

 カランは戸惑う。

 よほど返して欲しいのか、懸命に考えている風だ。しかし、猫の欲しがりそうなものを提供することはできなさそうだと、徐々に萎れて行く。

 そうだ。

 お前は大したことのない幻獣だ。

 他の者のように力があったり、知慧や技量に優れている訳ではない。少しばかり頭が良いとはいえ、所詮浅知恵だ。

 猫は打ちのめされるカランをにやにやと見やった。

『何もないのかにゃ?』

 懸命に何でもない風を装っているが、相当悔しいはずだ。

 いや、もう少し突けば、泣き出すかな?

 猫は愉悦に満ちた気分で見下した。

 爽快だった。

『仕方ないにゃあ。じゃあ、ちょっとばかり私のお願いを聞いて貰おうかにゃ。何、そんなに難しいことは言わないにゃよ』

 何にするかは考えておく、と立ち去って行った。

 踵を返す際、もはや隠すことなく絶望に染まるカランの顔を見た際、胸がすく思いだった。

 ざまあみろと思った。

 村で変わり者と言われて散々迷惑を掛けたのに、こんなに恵まれた場所でのほほんと暮らしていたなど、許されるはずがない。

 因果応報だと思った。

 カランが仕出かしたことが彼に返っていったのだ。

 愛しいとか抱きしめたいなんて、冗談にもほどがある。



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