27.居場所づくり
あの小さい犬は地獄の番犬と言われたケルベロスが変化したのだという。
今はこんな姿で変な寝息を立てている。いや、ケルベロスの時も変な寝息だったかもしれないが、異様な姿で誰も何も思わなかっただろう。寝息よりももっと別のものに意識が行くから。でも、今は可愛い姿で変な寝息をたて、それすらも可愛いと言われる。外見もそうだが、彼らはすることなすことおっちょこちょいで、でも一生懸命で健気だという評価を得ている。
わんわん三兄弟とかいうふざけた呼び名で呼ばれる彼らは他者の良い部分をよく見てよく褒め、素直だと言われていた。だから、ちょっとくらい変わったところがあっても、それも可愛く思える、とも。
では、自分ならば、変な部分のない容姿も愛らしい猫ならば、もっと可愛いと思われるのではないだろうか。
わんわん三兄弟がする発言は変なことばかりだが、一面では真実を突いているのかもしれない。
シアンは可愛い幻獣が好き。力の限り、可愛くあらねば。
「可愛くあるべき」ということは他の幻獣たちも大小の違いあれど同じ気持ちを持っているようだ。巨躯を誇り鋭い気配を持つティオと一角獣も、シアンには甘える。
また、シアンの役に立つために、それぞれができることをしようと頑張っている。
カランのように怠惰にのんびりしていてもシアンは気にしていないようだが。
いや、カランも何もしていない風に見せかけておいて、裏では色々と動いているようだ。その必死さやいじましさが滑稽ではあったが、権力者に気に入られるというのは重要なことだ。その者の気持ち一つで物事の捉え方は変わって来る。怠惰を満喫するのは取り入った後で十分にできる。
まずは、役に立つところを見せておく必要がある。同時に可愛さもアピールしておかなくてはならない。しかし、この点に関しては心配していなかった。自分はとても可愛い外見をしているからだ。
機会を窺ってみたが、シアンは一人になることはまずない。
大抵リムが傍にいるか、不在でも鸞や麒麟、ユエといった武力を持たない者と交流していた。
ならば、後者といる時に割り込むべきか。しかし、鸞などの知能の高さを見くびることはできないし、麒麟の慈悲は比べられれば自分が悪者に見えてしまう可能性もある。
そこで、武闘派でも簡単に丸め込めそうな能天気リム、単純なわんわん三兄弟、道具作りにしか興味がなさそうなユエ、カランと共にいる時を狙うことにした。一角獣は言いくるめたとしても、少しでも意に添わなければあの鋭い角を向けてきかねない。ネーソスは何を考えているのか分からなく、ユルクは大抵ネーソスと一緒にいるので彼らは様子見だ。何より、カランは自分に負い目があるから強く出られない。
現に、シアン不在時に言葉の棘を翳してみせても強く反撃されることはない。
不甲斐ないものだが、こちらとしては好き勝手言えるのだから気を使わなくて済む。
「何をして遊ぼうか。かくれんぼ?」
シアンが肩の上のリムと話しながら自分がいる庭の方へ歩いて来る。
『んー。あ、シアンが転んだ、が良い!』
「それ、僕も一緒にやるの?」
幻獣たちは九尾考案の変な遊びをよくやっていた。
確かに自分の名前が「ちゃん」という呼び方をされながら何度も転んだと言い続けられるのは微妙な気分になるだろう。
『シアンもね、一緒に変なポーズをするの!』
リムのわくわくとした表情にシアンが苦笑する。
驚くことに、あのセバスチャンもリムのこの表情には弱く、今のようにいやちょっとそれは、ということも唯々諾々と従う。
セバスチャンはこの世で最も逆らってはいけない存在の一種だと幻獣たちの認識は共通している。くだらないことばかり話し合う幻獣たちだが、猫もこの一件に関しては大いに賛同する。
ティオを初めとする幻獣たちもリムには甘い。
しかし、シアンだけは甘いようでいて、しっかり一線は守っている。逆に言えば、一番リムを諭すことが出来る人間だった。
自分勝手させてくれない人間を最も慕うリムを変わっているとは思うが、何しろあのセバスチャンがリムと並んで最も恭しく扱う存在である。
やはり、シアンに好かれるのが一番だ。
シアンもリムを時に咎めるのだから、実はそれほど好きではないのだろう。
では、シアンの第一になることができれば、ここで唯一好き勝手が許される存在になれると言うことだ。
『シアン、リム、庭遊びをするのかにゃ?』
見上げて小首を傾げて見せる。どの角度が一番可愛く見えるか、努力家たる者、日夜研究に励んでいるのだ。
『うん! 猫も一緒にする?』
『そうだにゃ。仲間に加えてくれるかにゃ』
『うん、良いよ!』
遊んでいると幻獣たちが次々に参加し始め増えることはままある。だから、広い庭に行くために移動する。
驚くことに、館の敷地内にいくつも庭があり、見事に整えられていた。館も広く、ロングギャラリーなどでは大型の幻獣も遊ぶことが出来、実際、雨の日にはそこで過ごすこともあるそうだ。幻獣たちは悪天候に影響されないが、シアンの体調を心配して幻獣たちは室内で過ごす。
島自体が温暖で天気が良いことが多く、魔力に溢れ、猫はまだ狩りに行ったことはないが、獲物に溢れているのだという。
素晴らしい環境だ。
ぜひともここで長く住みたいものだ。
『それにしても、前の可愛い研究会は酷かったにゃあ』
『何が?』
リムが首を傾げるのに猫はほくそ笑む。
『積極的に参加しない者が多かったことにゃよ。シアンのための可愛いを研究するのに、みんな、やる気がないのかにゃ』
猫はシアンのために、を強調しながらも、非難しているのではなくなるべく気づかわしげに聞こえるように、しかし、その実、幻獣たちの締りのなさを喚起した。
『自分がしたいことがあるからと言って出席しないのもいれば、出ても発言しないのもいるのにゃ』
『寝ているのもいるね!』
リムは大抵可愛い研究会に参加しており、それだけに色んな幻獣の参加する姿を見てきている。思いがけず援護射撃を受け、猫は調子づく。
『そうにゃよ。折角、みんなでシアンのためにと思っているのに。その和を乱すのはにゃあ。寂しくなっちゃうにゃ。それに、みんなで集まる良い機会にもなるし、意見を交わし合うこともできる機会にゃ。参加しないのも、発言しないのも、寝るのも勿体ないにゃ』
可愛い研究会など催すのだから、幻獣たちも自分と同じようなものではないか。しかも、シアンの好む可愛さを研究しているのだ。のんびりしている風にみせかけて、幻獣たちは結構なあざとさを有しているのだ。
「そう? 好きな時に参加するので良いんだよ。もちろん、積極的に参加してほしかったり、話を聞いてほしかったり意見がほしかったりすればそう呼び掛けて依頼するのも良いけれど、興味のない者に強制させてはいけないよ」
猫のおためごかしをシアンは軽やかに躱す。
『シアン、ぼく、シアンとも一緒に勉強会したい!』
リムがシアンの言う呼びかけて依頼する、という言葉に反応した。
「じゃあ、また語学の勉強会をしようか。遠出した時や招待状を出した時に役に立ったものね。語学は使わずにいるとすぐに忘れちゃうから」
『うん!』
話題が変わってしまってはしつこく言い募ることはできなかった。不審に思われてはいけない。
まあ、良い。
少しずつ、毒を注入していこう。
徐々に体に巡っていき、最後には猫の言葉に浸され、幻獣たちを疎み、猫を好み大切にしてくれるようになるだろう。
『カラン、何しているの? かくれんぼ?』
庭遊びのための広い庭にやって来ると、茂みに後ろ脚と長い尾が見えている。体の大部分は茂みに隠れて見えない。
音がするほど勢いよく体が引き抜かれ、振り返ったカランは慌てて言う。
『いや、向こう側がどんなふうになっているのか、興味があって』
『何があったの?』
『茂みが深すぎて良く見えなかったのにゃ』
よほど慌てていたのか、語尾が変わっていたのを、何気ない素振りで付け直す。
「何か探し物をしていたの?」
シアンがカランの顔や上半身についた葉を取り除きながら問う。
『探し物? ぼくも手伝おうか?』
リムが早速茂みの向こうを覗き込みに行きそうな様子を見せる。
『リムは隙間に入り込みやすそうだからにゃあ。でも、別に探し物をしていたのではないから、大丈夫にゃよ』
カランはリムに誘われて庭遊びをすることになった。誘われても昼寝を理由に断ることがあるカランは、一緒について来た猫をちらりと見て頷いた。言葉の棘で傷つけられても、猫と親しくなろうという努力をしていた。猫が次第に幻獣たちと仲良くなり始めているから焦っているのだろう。
猫もシアンの前ではそれに乗ってやっていた。シアンは幻獣たちが仲良くするのを好むだろう。
他の幻獣たちも集まって来てかくれんぼや縄跳び、シーソー、はごいたなどで遊んだ。
幻獣たちは高位存在なだけあり、身体能力や五感、耐性などに優れている。中でも、ティオ、リム、一角獣は飛びぬけている。
しかし、とろい者に合わせ、それでも楽しんでいる。ティオやリム、一角獣がぶつかった時には激しく目まぐるしく動くのに対し、のんびりとした遊び方になってもきゃっきゃと歓声を上げる。
それは偏にシアンに合わせているからだと猫は見て取った。
シアンの貧弱さに合わせ、しかし、シアンと遊びを楽しむことを嬉しく思っているのだ。そのシアンと雰囲気が似ているということで麒麟も尊重されていた。
せっかちな一角獣も麒麟に接する時ばかりは気長に対応する。それでいて無理している様子はない。
猫も身体能力には自信がある。
麒麟や鸞、わんわん三兄弟、ユエといったさほど身体能力に優れていなさそうな相手にも過不足なく付き合ってやった。
『わわっ、ご、ごめん』
『良いにゃよ。もう少しこういう角度にした方が良く飛ぶにゃよ』
『こう?』
『そうそう。ほら、良く飛んだにゃ』
『猫、こちらも見てくださらんか』
『良いにゃよ』
意外なのは九尾が優れた運動神経を見せたことだ。
『いや、何。この島に滞在していればこれしきのこと。それに、多少誇示しないと侮られかねませんからな』
吊り目が意味ありげな光を宿し、こいつにはあまり関わらない方が良さそうだと判断した。
幻獣たちの好きな遊びにボール遊びがあった。
これはボールを投げ合ったり蹴り合ったりするのではない。取り合うのだ。
激しい。
特にティオ、一角獣は恐ろしいの一言に尽きた。そして、普段能天気なリムが敏速に投げられたボールに向かっていくのだ。
ボールは複数あり、体の小さい幻獣に考慮してか、シアンの掌に乗るくらいの大きさだ。
わんわん三兄弟も小さく小回りの利く体を利用して素早く獲る。
鸞も中々の飛行能力を発揮し、普段呑気なユルクもその身体の特性を活かして狭い所に入り込む。ユルクは普段は二十メートルを超える巨大な蛇だが、二メートルほどの大きさに変じて隙間に入っていくのだからずるい。
酷いのはネーソスだ。普段、鈍いというより動いているかどうか分からないほどなのに、こういう時は中空に浮き、素早い動作をする。こちらも大きさは変幻自在で、ユルクが大きさを変えられるようになったのはネーソスが教えてやったのだという。
普段、工房に籠ってばかりのユエも久々の運動だとばかりに柔軟に方向を変え跳躍する。
九尾も狐とは思えない動きでボールを追う。
リリピピという小鳥は猫は未だ会ったことはない。大方、使い潰されているのだろう。
そして、カランである。
猫はこのボール遊びをして初めて、カランが何を探しているのか分かった。




