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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第七章
342/630

25. 偏狭/ニアミス

 

 忌々しい魔族が積極的に行動するようになった。

 中央の黒の同志から発せられた伝達によると、佞悪ねいあくどもはそれまで罪の意識の最中を生きていたことから解放され、それで活発に活動するようになったのだという。

 そのまま大人しく山脈と海に囲まれた土地でひっそりと暮らしておれば良いものを。全く忌々しい。

 彼らは自分たちの神への偏愛を棚に上げ、魔族の独特の宗教観を異端だと断じ、あまつさえ、力で排除しようとした。

 彼らは心の底から「自分たちの信ずる」神を愛していた。

 悪気なく、全くの善意から「自分たちの信ずる」神の愛を説いた。

 無知の者どもを啓蒙するための説法だった。

 貴光教は清浄を教義に掲げる。

 そのため、表立って異教徒の弾圧や都合の悪いことを言いふらす者の排除をするのは外聞を憚った。それは美しい世界にするために必要不可欠なことだが、無知蒙昧な輩には必要な死というものに理解が及ばないからだ。そういった人間たちに根気強く説教していくのが聖教司の務めだ。

 そこで、聖教司の務めを超える部分を補う存在を作り出した。

 当時の大聖教司が自分の思うままに動かすことが出来る軍隊を作り上げようとしたのが黒の同志発足の端緒だ。

 窓を潰した光の届かない部屋でただひたすらに神に祈りを捧げ、光を求めたその大聖教司は優れた徳の持ち主なだけあって、神の啓示を得ることができた。

 その後、彼を慕う聖教司たちを次々に同じ環境に送り込むと、数人が暗闇に光を見出し、数人が不思議な光景を見たり、不可解な模様を見たりした。

 そして、その大聖教司は神への愛のために、と掲げ、暗部の仕事をすることを言い含めたのだ。

 期せずして、感覚遮断による洗脳が行われたのだ。

 感覚遮断は五感への刺激を極力減少させる。食事と用を足す以外は何もさせずに、動くことさえ許されない。

 脳が正常に機能するには、さまざまな感覚刺激が必要である。

 この混乱に付け入り、清浄であるために手を汚すという矛盾することを承知させた。

 その大聖教司に骨の髄まで服従する私兵たちは目立たないよう、また、まかり間違っても貴光教と関わりを誤解されぬよう、黒い装束に身を固めた。顔を晒すことが出来ないことを次々にやってのけた。

 そして、白手袋や赤手袋といった技量に優れた者の称号を目指して切磋琢磨する組織に成長していった。

 本拠地にしかなかった部隊は遠方の貴光教を布教する聖教司を助けるために、四方に散った。大聖教司の系譜が各地で脈々と受け継がれるようになったのだ。

 ゼナイド国都エディス支部の黒の同志たちもそんな由緒ある系譜の末席に連なる。

 それが、最近失態続きで、とうとうトップがすげ変わった。

 新しく着任した者は前任者の轍を踏まぬように、と躍起になって幻獣のしもべ団を追い回し、その活動の邪魔をしようとした。

 奴らは着々と団員数を増やしている。翼の冒険者が各地で旗印となっているためで容易に人が集まる。看過することはできない事態だ。

 そこで、彼らは新入団員に紛れ込み、拠点を内部から食い荒らそうとした。

 しかし、エディスで一度露見したことから、警戒厳重で潜り込むことは難しい。一般人を脅して指示通りに動かしても、その怯えを読み取られて審査ではねられてしまう。刺客としてもいざという時に役に立たなければ逆に自分たちの情報を抜かれる可能性がある。

 ならば、と薬師に依頼して洗脳したが、意識の混濁が急に起こり、こちらも入団審査に受からない。

 昨年秋にそれまでの薬師長が本拠地へ栄転して行ったので、目覚ましい薬を入手できないのが痛恨事だった。薬師長は腕の良い薬師を引き抜いて行ったのだ。

 役に立たない薬師に文句を言えば、先だって、子供を幻獣のしもべ団に送り込むために人質に取った家族の監禁を手伝ったのに、と逆に怒りをぶつけられた。

 そのことについても、誰かが逃げる手引きをしたに違いないのに、それをのうのうと見過ごしていたのだ。全く、薬師というのはどんくさい。

 薬草や薬のことしか能がないのに、それすらもろくな代物を寄越さないのだ。

 結局、幻獣のしもべ団が船に乗った港から小舟に乗せて送り込んだ子供は、帰って来ることはなかった。恐らく、海の藻屑となったのだろう。殉教することができて、神の国へ行けたに違いない。あの母親の下にある限り神の国へなど行くことができなかったので、今ごろは自分たちに感謝しているだろう。

 しかし、逃げるのを手引きした奴らを見つけることが出来なかったのが厄介だ。そして、母親と弟が見つからないことも。あの女は屑だ。自分が楽をするために子供を利用するどうしようもない人間である。そんな人間が黙っていられるとは思えない。

 エディスの黒い同志たちは各地へ散った。小さい子供を抱えた母親の足取りが追えないことから、幻獣のしもべ団が手を貸したのではないかという意見が浮上した。事あるごとに自分たちの邪魔をする集団だ。きっとそうに違いないと同意する者は多かった。

 エディスの黒い同志たちは躍起になって幻獣のしもべ団の噂を聞きつければそこへ赴き、彼らの活動を阻害しようとした。

 だが、街中で噂を聞いたと思えば煙のように消える。周辺の街道にも姿を現さない。もしや、転移陣を用いているのかと神殿を見張っても引っかからない。神殿の聖教司に尋ねてもそんな風体の者は現れていないという。

 エディスの黒の同志たちの苛立ちは募った。

 そんな折、ゼナイド隣国のサルマンの中規模の街で幻獣のしもべ団が現れたという情報を掴んだ。

 灯台下暗し。

 ゼナイドのすぐそばで何やら画策していた。

 黒の同志たちを呼び戻し、彼らの目論見を暴き、悪だくみを阻止すべく急襲した。まずは彼らが何を企んでいるのかを知る必要がある。

 そして、事もあろうに、本拠地の黒の同志がいたのだ。

 黒装束を脱ぎ、一般人に擬態していなければ露見するところだった。いや、油断していると、鼻が利く奴らは身のこなしから黒の同志であると察知しかねない。歩き方から所作から、叩きこまれる訓練の成果がにじみ出て、見る者が見ればすぐに分かってしまう。

 彼らは慎重に慎重を重ねて行動した。

 しかし、それで分かった。幻獣のしもべ団たちは本拠地の黒の同志たちをエディスの者だと思い違いをして邪魔をしようとしたに違いない。神の御為の任務を阻害しようなど、不敬極まりない。

 ただ、その慎重さが時間のロスとなり、幻獣のしもべ団の姿を見失う。

 自分たちも精鋭部隊だ。すぐに隣町に幻獣のしもべ団が集結するのを察知し、彼らが何をしようとしているのかを掴んだ。

 どうやら落ちぶれた薬師崩れの持っていたものを探していたらしい。

 そんなものを手に入れてどうしようというのか、全く訳の分からない集団だが、それを先んじて手に入れてやろうとした。

 ところが、手に入らなかった。

 幻獣のしもべ団も自分たちの姿を目にしたからか、姿を消した。大方、しっぽを巻いて逃げ出したのだろう。

 これらの件は本拠地の黒の同志たちに話すほどの事でもあるまいと報告しないでおくことにした。些事で手を煩わせることもない。

 幻獣のしもべ団に関しては、引き続き、自分たちが懲らしめてやれば良い。



 全身を覆う黒装束のうち、手袋は地位とは違う純粋な能力に寄って色が変わる。

 殆どが黒手袋を身に着けるが、白手袋を着用する者はそれが汚れないうちに仕事が終える。それに対し、赤黒い手袋をつけた者は、相当数を屠るのでその血しぶきだけで赤黒くなる、という意味を持つ。

 白手袋は剣術や武術といった荒事に特化した高い水準の技能を持つ者だけがつけることができる。

 数少ない白い手袋を着用する二番隊の隊長ハンネスは頭髪を綺麗に剃っている。お陰で隊員からは黒装束を脱げば遠くからでも判別できると評判だ。

「カハハ。隠密は仕事着の時で十分だ」

 豪放磊落な隊長は、部下たちに口では小事もきちんとして下さいよと言われつつも、慕われていた。

 手袋を誇示するように、拳を逆側の肩に当てる礼をする部下から報告を受ける。

 彼らはとある研究資料を探していたが、見つからなかった。

 といっても、どういったものなのか、具体的なことは何一つ分からないまま任務に就かされたので、元々が雲を掴むような話なのだ。いくら訓練に明け暮れる精鋭部隊とはいえ、雲を持って帰ることなどできない。

「幻獣のしもべ団自由の翼を称する結社の方はどうしますか?」

 左右の目の形が違う部下の問いに頭を撫でる。触り心地が良いのだ。

「ああ、エディス支部の連中が躍起になって追い回しているという翼の冒険者の支援団体だろう? 放っておけ。連中、アントンとこの一番隊の雄、槍使いを駆り出しても潰せなかったからってむきになっているだけだろうさ。俺たちは撤収だ」

「宜しいのですか?」

「こっちも暇じゃない。なのに、こんな遠く離れたサルマンなんぞに何度も派遣されて、やれ特産の薬草を手に入れろ、やれ訳の分からない資料を探せなんぞ言われて翻弄されっぱなしなんだ」

「では、手はずを整えます」

 隊長の愚痴が長引きそうだと判断した部下は息継ぎの合間に素早く言うと、礼をして出て行った。

「ちっ、上司の愚痴を聞くのも部下の務めだぞ。そんなんじゃ、手袋は変えられないぞ」

 手袋を変えることは彼らの一種のステータスだ。光の下で生きられない彼らをやる気にさせる、競争心をあおる手段だと知りつつも、やはり白手袋には憧れる。中には赤手袋を着用する者もいるが、あれは化け物だ。人間には手に入らない。

 それでも、過去、複数の赤手袋を輩出してきた。

「俺の代で出るなんてなあ」

 その赤手袋を手にした者は一番隊、二番隊の隊長がその職務に同時期に着任した後、その功績を認められて着用を許された。その後、三番隊隊長に就任した。一番隊、二番隊隊長が変更した後、その者が白手袋から赤手袋になるまでの期間が短く、三番隊隊長に就任するまでの間はさらに短かったため、初めから三番隊隊長の座を狙っていたのでは、という噂もある。実力の発揮を調整していたのではないかというのだ。流石に、就任直後の隊長の入れ替えは起こりにくい。

 一番隊と二番隊は実力と数はそう大きな違いはない。けれど、三番隊はやや劣る、というのが今までの定説だった。それがここにきて、大きく覆ったのは誰の目にも明らかだ。

 ハンネスが陰鬱な男のことを思い出していると、両目の大きさが違う部下がやって来て、撤収作業は終わり、すぐに行動に移れると報告する。

「ご苦労。お前たちも訳の分からない任務で気疲れしただろう。様子見は俺が残ってやっておくから、帰っていいぞ」

「隊長自らですか?」

「ん? お前、代わりに残るか?」

「いいえ! では、そのように申し伝え、即、帰還の途に就きます」

「力強く否定しやがって」

 出て行く部下の背中を見やりながら独りごちる。

「隊長、くれぐれも酒を過ごさないでくださいね」

 片目が二重で片方は一重の部下が言い残して、隊は麗しきハルメトヤの国都キヴィハルユへと帰還していった。

「そう言われれば、呑みたくなるってもんだよな!」

 いそいそと禿頭をさらけ出して夜の街に繰り出した。

 暗部の仕事は神経を使う。

 それだけに給金は多い。精神的疲労を慰めるのに、酒ほど心強いものがあろうか。ハンネスは独り身なのでそれを贖うものも潤沢にある。

「おお、この酒、美味いな!」

「そうだろう? お客さん、この街は初めてかい?」

 盃を飲み干し、思わず声を上げると、カウンターの向こうの店主が相好を崩す。

「ああ。暖かくなったから北上して来たんだ」

 ハンネスは同じ酒を頼みながら適当なことを言った。

「はは。ここはまだましさあ。ゼナイドなんて、ボニフェス山脈から吹き下ろす風で湖まで凍っちまうくらいだからね」

「ああ、でっかい湖があるらしいな」

 本当はより多くの情報を有している。大陸西の各地のことは調べ上げて頭に叩き込んでいる。どこへ行ってもすぐに対応できるようにしておく必要がある。

「そうそう。まあ、凍るくらいだから大した大きさじゃないんだろうけれどさ」

「いや、この街がすっぽり入っても有り余るくらいの大きさだったぜ」

 店主の言葉に隣の席で盃を傾けていた男が言う。

「ええ? そんなに大きいのかい?」

「ああ。そこが凍るってんだから、大したものさ」

 視線をやるまでもなく、店内の人間は把握している。

 三十台の冒険者風の男で、相当な手練れだ。リラックスして酒を楽しんでいる様子だが、あちらもハンネスの実力を悟っている風であった。

 しかし、声を掛けてくるのであれば致し方ない。

「へえ、兄さん、見たことがあるのか?」

 これは一緒に呑む他あるまい!

 ハンネスはそう思って水を向けた。

「ああ。春になって氷が割れて幾筋もの山脈が奔っていくのを見た。あれは壮観だったね!」

 男も気軽に答える。

 そして、押しつけがましさのない気さくさでつまみを勧めてくる。

「む、美味いな」

「だろう?」

「この酒に実に合う。店主、俺にもこのつまみをくれ」

「あ、じゃあ、俺にはそっちの人の酒をくれ」

 実に気の良い男だった。

 そして、何より酒が強かった。飲み方も綺麗なものだ。金の払い方も店主への心づけを渡すなど、胸がすく男だった。

 ハンネスもまた大いに呑み、食べた。話して笑って、時間があっという間に過ぎ去った。

「名前を聞いても良いか? 俺はハンネスという」

 この気持ちの良い男に偽名を名乗りたくなかった。

「ああ。俺はマウロだ。またどこかで出会ったら一緒に呑もうぜ」

 十ほど年下の男はにやりと太く笑って見せ、そういったのも堂に入っていると感心する気持ちを押し隠しながら、ハンネスは呵々と笑った。



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