20. 魔族の国
魔族の国インカンデラは大陸南西に位置する。山と海に囲まれた場所だ。
ディランとリベカは島から転移陣を踏み港町から船に乗った。
以前、初めて島に渡った際、魔族の船に乗った場所から、今度はインカンデラへ向かう。その港町は島の北東に位置するので、西北西の魔族の国へ行くのは遠回りだが、乗船の紹介を依頼するには顔見知りの船乗りに声を掛けるのが一番だ。
シアンと声を交わしたのを自分の目で見ているのだ。魔族に対してこれ以上にない身の証を有している。
高い船賃を取る曰く付きの船意外は、乗客にも神経を使った。
海上の船の中という閉鎖された空間で刃傷沙汰でも起こされればとんでもないことになる。船乗りは荒事に慣れた腕自慢が揃っていると聞くが、厄介事は避けようとする。
特に、魔族は昨年まで閉鎖的な国だった。
多くの商人たちが彼らと取引したいと望む中、一獲千金を狙う不届き者が入国しようとするので入国審査が厳しいのだそうだ。
そんな中、幻獣のしもべ団を騙る者も出始めていると聞く。
ディランとリベカが波止場に姿を現した際、船員たちがいち早く気づき、歓迎の姿勢を見せた。インカンデラへ行きたいと言うと、快く自分たちが乗せて行くと言った。
ただ、商談をする船がまだ到着しないのでそれを待つことになると言われたが、ディランもリベカも腕が確かで気の良い船乗りたちが操る船に乗せてくれるのなら、否やはない。
周辺で情報収集を行いつつ、乗船日を待った。
船旅の日々は快適だった。
「あんたらを乗せていると、本当に天候に恵まれる! こんなに早く着くなんて思わなかったよ」
その日の昼下がりには魔族の国の港町に到着すると告げに来た船長が上機嫌で言う。
「道中、また魔獣に襲われたけどね」
「新しい武器防具の性能を試せた」
リベカが肩を竦めて見せ、ディランがふてぶてしく笑う。
「いやあ、頼もしいね」
船旅の最中、手隙の船員に乞われるまま、島での出来事を辺り障りのない範囲で話す。
一角獣の突進に関しては今一つそのすごさが伝わっていない雰囲気だったが、わんわん三兄弟の愛らしさに驚き気に入り、良く聞きたがった。
ただ、何といっても彼らのお目当てはシアンとリムである。
「そうか、黒白の獣の君は花帯の君の料理を手伝われるのか」
「すごいなあ」
「ああ、とても器用だ」
「インカンデラでは今、美味しい食べ物を集めているんだ」
「それに、自国でも栽培できるように育ててもいる」
「料理の幅も広げようと試行錯誤している」
どうやら、活発化した魔族の商人たちは翼の冒険者が大陸西方のあちこちの街や村で料理を習ったり食材を手に入れたりしていることを聞き、本国に広まったらしい。
「いつか本国に来られたら、目ぼしいものが何もないつまらない国だと思われたくはないからな」
「ああ、ぜひ楽しんでいただきたい」
ディランとリベカの脳裏にトマトとリンゴが溢れる魔族の国の光景が広がる。
そして、船乗りたちの言葉をディランは利用した。
入り江の向こう側に船が進むと、濃い緑の山の景色は一変した。山の斜面に張り付くようにして無数の家々が立ち並ぶ姿を現す。茶色をベースにした朱色、オレンジ、赤茶といった屋根がならび、白い壁が光を反射して眩しい。
建物の数から相当数の人口を予感させる都市だった。
埠頭にも活気が溢れ、人や物の出入りが盛んなことが分かる。
閉鎖的な風潮にあった最中でも、その港町は玄関口として機能していたそうで、貿易船が出入りする施設が整えられていた。
今は魔族の国のどの港町も建設ラッシュなのだそうだ。
そうしてインカンデラに入国し、審査の際、自分たちは幻獣のしもべ団だと名乗ると、応対する役人がまたか、という表情をする。それににやりと笑ってディランは入国理由を言ってのけた。
「翼の冒険者はいつかこの国にやって来る。つい先年まで閉ざされていた国だ。支援団体として先んじて調査するのは当たり前だろう?」
堂々たる発言にその言や善し、と通された。
「お前は本当に肝が据わっているな」
「リベカもな。じゃなきゃ、大陸西方の西南端に来ようとしないだろう」
「何を言うんだ。大陸西方の最大の秘境だぞ! 行かない訳がない」
インカンデラは大陸西方の西南端だと思われているが、その実、西南端は魔族の領地ではない。しかし、北側をドラゴンが住む山脈に遮られているという立地のため、誰も住まない。
そう、南を海に囲まれた肥沃で広大な魔族の国はその領土の北側を横たわる山脈にドラゴンが住まうために外界から背を向けて過ごすことが可能だったのだ。
西側は前述の通り、人が入り込まない空白の場所でその向こうは海だ。東側の国とは穏やかな友好関係を結んでいる。歴史はあるが強い軍事力を持たない小国がのんびりと政を営んでいる。
急斜面に密集して家々が建つ街は物資と陽光に溢れ、気候も暖かく、階段や上り坂にさえ慣れれば住み心地が良いだろうと思わせた。
行き交う街の者の褐色の肌は濃淡あって黒い髪が多く、中には茶髪もある。こしが強くウェーブしていたり真っすぐだったり多様である。掘りの深い相貌はみな一様に整っている。眉も太い者がいれば細く整える者がいたり、二重瞼の大きい瞳や切れ長の瞳、厚い肉感的な唇に酷薄そうな唇はどちらも魅力的で、様々な容貌は生気に溢れていた。
ディランとリベカはこの日のために魔族語を学び、読み書きは不自由なくできる。
肌の白さから一見して異国の者だと分かるだろうが、気にせず店先で物珍しげに食材を眺め、香辛料やドライフルーツといった保存に優れた食材を買い求めた。
この街の美しさや賑やかさに言及すると、喜んでおまけをしてくれる。彼らも彼らが尊崇する者に食されるとは思ってもみないだろう。
街は活気に溢れ美しく、吟遊詩人にも歌われている。
日の出を迎えた朝、緑濃く花々に囲まれた昼、暮れなずむ夕を船上から眺めるのに甲乙つけがたし。けれど、闇に煌々と灯る紅灯のなまめかしさは船でよりも街で味わいたい。
そういった吟遊詩人がインカンデラで増えていると聞く。
「兄貴の影響は大きいな」
「予想通りだがリンゴとトマトが多いな」
「予想以上にジャガイモもある」
「情報、早いな!」
「ある程度流さなければ、明後日な方向へ暴走しかねないから、ディーノが故意に当たり障りないことを出しているんじゃないか?」
「ディーノも大変だな」
リベカが全く思っていなさそうに言い、にっと笑ってトマトにかぶりつく。日差しが強く、喉が渇きやすい。ディランもオレンジを割って瑞々しい果肉を味わう。
観光客然とした緩い雰囲気を醸す二人だが、見るべきものを見、聞くべきことを聞き、知るべきことを知っていく。
大通りから外れたそこそこ賑やかな道を歩いていると、ディランたちの脇をすり抜け、細い路地に駆け込む子供の姿が見える。走って来る気配に気づいていた二人は即座にその子供の様子を観察し、薄汚れて痩せていることを見て取った。
「ったく、クソ餓鬼が!」
後を追いかけて来た体格の良い男が立ち止まって忌々しげに吐き捨てる。確かに彼の体では細い路地に入られては追いかけにくいだろう。
「掏摸か物盗りにでもあったのか?」
ディランが声を掛けると、振り向いて怪訝そうな表情を浮かべる。
「ああ? 違うよ、店先であんな汚い格好で立ち止まられたら迷惑なんだよ。なのに、追い払ってもやって来る。金はあるってんだが、そういう問題じゃねえ」
「何が問題なんだ?」
「貧民窟の餓鬼にうろつかれちゃあ、客が逃げるってんだよ!」
八つ当たりなのか、乱暴に言い捨て、男は去って行った。
「串焼きの店か」
屋台で焼く肉の匂いは吸引力がある。
バーベキューコンロの鉄板の上に乗せられた肉の匂いに幻獣たちがそわそわする姿を思い出し、ディランは笑う。リベカが視線で問うので答える。
「幻獣たちもあの匂いには抗えないからな」
「私たちが代わりに買っていってやる?」
リベカもディランの言葉に同意するようでそんなことを言う。万事につけ、どこか冷めた態度でいた彼女もまた、世界へのかかわりを大きく変えた一人だ。
「そうだな。他にも串焼きの店はあるし」
ディランとリベカは子供に渡せなければ自分たちの食事にすれば良いと適当に買い込み、先ほどの細い路地を通った。
焼けた肉の匂いに小さい子供の頭がいくつか見え始める。
「お、いたいた」
「お前、さっきこれを買おうとしたんだろう? 俺たちが代わりに買ってきてやったぞ」
言いながらディランは手を差し出した。掌を上に向けている。
「代わりに買っただけだからな。代金は貰う」
ディランの顔と掌と、そしてその逆の手にある包みを代わる代わる見つめた先ほどの子供は、おずおずと手にしていた銅貨を置く。
「ほら、熱いから気をつけろよ」
銅貨一枚では足りないが、そのくらいの誤差は許容範囲内だ。何しろ、幻獣のしもべ団は鍛錬を兼ねた狩りで金銭を得ている上に、首魁がふんだんに軍資金を用意してくれる。あちこちの街へ行って買い食いするのは楽しいですよね、と笑うシアンは必要最低限のものだけではなく、楽しんできて欲しいと言う。
だからこそ、幻獣のしもべ団はシアンや幻獣たちに土産話や、保存の効く食材を持ち帰るのだ。最近はそこに土付きの植物まで加わった。館の鸞の研究室の近くの庭には植生豊かな植物が育っている。
子供が包みを広げると匂いが濃く漂う。
ディランとリベカを物陰から伺い警戒していた子供たちが、辛抱たまらないとばかりに、わっと集まって来る。
「押すな、危ないぞ!」
ディランに金銭を払った子供が一番体が大きく、彼の言うことは良く聞くようで、子供たちの勢いは緩んだ。
「それで足りるか?」
「小さいのは一人一本も食べられない」
思わずリベカが呟くと、子供がいっぱしの口を利く。
「久々の肉が食べられた。礼を言う」
しっかりした物言いに、ディランとリベカは目配せをしあう。
結局、串は一本も残らず、子供らのリーダーは小さい子が残した物を食べた。
「俺たちは見ての通り、他国から来たんだ。この国のことをもっとよく知りたいと思っている。そこで、お前に頼みたい。この国のことを教えてくれたら報酬を出す」
言って、ディランは銅貨を数枚取り出して見せた。
手に着いたタレを舐めとる子供がちらりと見やる。他の子どもたちは食べ終わったら潮が引くようにいなくなった。
「どんなことでも良い。どういう食べ物がよく食べられているとか、どういう風に食べられているとか。最近、どんな旅人が来るかとか、今までこうだったのにこう変わったとか」
子供はさっとディランの掌から銅貨を取り、一歩後退って見上げてくる。
「兄さんらは幻獣のしもべ団だって言って入国したんだろう? そういう奴はいっぱいいる。でも、それが認めて入国できたのは今までいない」
「まあ、俺たちは幻獣のしもべ団だからな」
ディランが肩を竦めると、子供が鼻を鳴らす。不遜な態度にディランもリベカも内心おやと思う。
「知っているだろう、ほら、花帯の君とか黒白の獣の君とか」
「知っている。でも、俺はそんなやつら、尊敬していない」
ディランもリベカも目を見張る。しかし、柔軟な思考をする彼らはそんなこともあるか、と一つ頷くに止めた。
「あんたたちは何で俺を助けたんだ? 見ての通り、魔族だぞ」
「魔族だから助けたんだよ」
リベカの言葉に、今度は子供が目を見開く番だった。
「俺たちの親分が魔族に尊敬されていて、そのおかげで仲間を助けてくれたことがあるからな」
相変わらず幻獣のしもべ団だと言い張るのか、と言わんばかりの胡乱気な視線を送って来る。
掌の中の銅貨を空中に放って掴み取る。
「まあ、いいや。金額分はきっちり仕事はする。そうだな。異国から来たばかりなんだったら、まずはこの国の流儀からか。後は何だか随分食べ物のことにこだわるんだな」
「聞いたことがないか? 花帯の君は料理人で幻獣たちは美味しいものを食べるのが好きだって」
またその話か、と言わんばかりに鼻にしわを寄せたが、気を取り直して様々に話してくれた。
思った通り、子供は情報通で、下町寄りの話題ではあるものの、多岐にわたって語った。何より整然と筋道立って話す。
「お前、話すの上手いな」
「父ちゃんが学者だったんだ。理論的に話さないと相手は聞く耳を持たないからって、子供にもそう躾けたんだ。まあ、派閥争いに巻き込まれて金がないまま死んじゃったけどな」
なるほど、それで話し方だけでなく物の見方がしっかりしているのかとディランとリベカは頷いた。
「お前も分かっているだろうが、腹がある程度は膨れたら、身だしなみを整えろ。この国は外へ向けて開かれるようになった。そうすると、どうしても外見を取り繕う必要があるんだ。人はたいして知らない相手にまずどこを見ると思う?」
ディランは跪いて子供と視線を合わせて言う。
これほどの知性の持ち主が路上で冷たくなる未来を迎えさせたくなかった。
「その相手がきちんとした生活をしているかどうかで態度が変わって来るんだ。他の子らの面倒を見ることも大切だが、お前はお前で自分のことも考えろよ。誰も一番にお前のことを考えてくれない。お前しかお前を一番に考えてはくれないんだ」
甘いことは言わなかった。いつか誰かが助け出してくれるなんて言葉は子供だって信用しないだろう。
「私たちはたまにここに来る。その時に情報をくれたら、対価を支払うからな」
言いながら、後払い分だ、と銀貨一枚を子供に握らせる。
手の中の銀貨をじっと見つめていた子供が、す、と顔を上げて挑みかかるように睨んでくる。
「俺はいるかどうかも分からない神なんて信じないし、闇の君は敬愛しているけれど、だからって花帯のなんたらや黒白のなんとかなんてどうでも良い」
良い面構えだとディランもリベカもにやりと笑う。この二人はよく似ていた。
「それはそうだ。尊敬する者が心を砕く者をすべからく好きになるべきなんてことはない」
自分たちの考えと違うからといって、ディランもリベカも子供の主張を退けたりはしなかった。
「でも、魔族だからって言って助けられたのは初めて」
そう言うと、子供は身を翻して駆けて行った。
その後、ディランとリベカは魔族の商人を通じて貧民街に住む子供のことをそれとなく話し、せめて自立できるようなシステムが必要ではないかと話した。
他国民の視点、他でもない幻獣のしもべ団の言は闇の神殿にも届き、まずは食糧支援から始まり、教育と職業訓練が行われるようになった。
子供もその恩恵を受け、何度目かに会った際にはこざっぱりした姿に様変わりしていた。
姿が変わっても、子供とディランとリベカの情報と金銭のやり取りは続いた。
いつしか子供は少年になり、商人の下でしばらく働いた後、本人の強い希望で職人となる。彼が道具職人となり、シアンたちの前に現れるのはしばらく後のことだ。
「僕は子供の時分、花帯の君のことを尊敬していませんでしたよ」
「そうなんだ?」
セバスチャンが背後で無言の圧力をかける。が、青年は飄々としたものだ。
「でも、僕を助けて下さった幻獣のしもべ団の方が、商人に預けられた際に、花帯の君への尊敬を強要しないでほしいと掛け合ってくれたんです。当の本人は尊敬なんか必要とする人ではないのに、って」
「僕も自由な翼の皆さんには本当にお世話になっているんだよ」
「僕も少しでも恩を返したいと思って、楽器の状態を整える職人になりたいと願ったんです」
「そうして、こうやって楽器のメンテナンスをしてくれるようになったんだね」
「はい、夢が叶いました」
ディランとリベカは国境でもあるその港町へは転移陣を用いて時折訪ねた。そして、元気に暮らす子供から情報を買う。ようやく栄養が届き始め、身長が伸びたのを見て密やかに安堵した。
転移陣を用いて新鮮な食材を持ち帰り、リムが土産の品々や土産話に興味を示し、自分も魔族の国に行ってみたいと言い出すのはもう少し後の事である。
インカンデラの格言にこうある。
間違いをせずに生きるものは、それほど賢くない。
間違えてもそこから学んで行くことが大切で、間違いを恐れて新しいことに挑戦しないのは勿体ない。間違いをしたと認められない者は賢くない。自分が正しいと主張するだけでは成長しないという意味だ。




