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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第七章
330/630

13.狂乱

※グロテスクな表現を含みます。ご注意ください。

 

 アーロはその日、ガラスに映った自分の顔、その両端についている耳が、左右で大きさが違っているということに初めて気づいた。

 元々、容姿に興味はない。

 身なりも上司に不興を買わない程度に整えるだけだったが、地下の研究室に籠るようになってからは、途端に関心を失った。

 まずもって時間がないのだ。

 不要なことから切り捨てて行かなければ、やりたいことが大量にあってこなしきれない。

 貴光教の暗部と聞いて胡乱に思っていたが、どうしてどうして有能だ。

 ナタから薬草を仕入れることを依頼したらすぐに手元に届いた。

 それを用いて実験しているうちに、ふと、非人型異類を被験体にすることを思いついた。

 大正解だった。

 種類によって、大きな反応を見せるものがあったのだ。

 これほどの反応を見せる薬草なのだ。その薬草が手に入る場所でなら、きっと同じ研究をした者がいるに違いないと考えた。

 あまりに飛躍した思考だが、それをおかしいとは思わなかった。

 そう考え始めると、きっと研究した者が記録を残したに違いない、それが手に入れば研究も大幅に進む。早くそれを手に入れなければ、という思考に脳は占拠された。

 アーロは再び暗部に打診したいと申し出た。

 上司であるイルタマルは再びの、しかも短期間での暗部を動かすことに難色を示した。

 それを宥めすかすだけの話術も忍耐力もなく、苛々するのを隠すのが精いっぱいだった。一々うるさい、いいからぐだぐだ言わずに早くやれよ、という言葉を何度飲み込んだか分からない。

 大体、アーロはイルタマルが嫌いだ。憎んでいると言っても良い。

 そこではたと我に返る。

 そうだっただろうか。

 確か、このキヴィハルユの薬草園で働き出して、当時から上司であったイルタマルを苦手とは思いはしたが、憎むほどではなかった。

 実績を挙げたアーロが押し出す形となって、イルタマルもまた出世した。だからか、地下の研究室で他の声に煩わされることなく研究に集中したいという要望にも応えてくれた。研究室に籠るようになってからは、会う機会もめっきり減った。

 憎む理由もないはずだ。

 そこまで考えたものの、まあ、そんな些事は良いではないかという心の声に従って、考えるのをやめた。

 有能な暗部でもまだ研究資料は手に入っていない。

 まだ、あれが目を覚ますには早い。時が必要だろう。ほとぼりが冷めるまでは。

 それがいつなのかは分からない。

 一年先か、十年先か、果たしてそれまでにアーロが生きていられるか。

 そんな不確かなことを待っていられるほどの寿命はない。

 ならば、自分で見つけ出してやるしかなかった。

 アーロは薬草園で薬草を育てる下積みを終えた後は、貴光教が信者に用いる「特別な薬」を調合することを担った。

 そこで、従来の薬に他の薬草をブレンドすることで更に薬効のある薬を開発した。

 それが何を意味するか、分かっていた。

 だが、貴光教だけでなく他属性の神殿では日常的にこうした「特別な薬」が用いられることがままあった。常用すれば精神に多大な影響を及ぼすと知っていながら、指示には忠実に従うのが人間心理である。

 イルタマルなどは、薬でしか瞑想を得ることができないのはまだまだ。薬を用いずに得ることが出来なければならない。それでこそ、我が身が神との交信をし、えもいわれぬ素晴らしい体験をすることができるということなのであると言った。

 その言や善しと称賛し、イルタマルを引き上げたのがヨアキムだ。

 有能な部下としてヨアキムと接見したことがある。あれはまだヨアキムが大聖教司になる前のことだった。

 この人は自分と同じでそして決定的に違うと思った。

 同じなのは手段を択ばないことだ。アーロは薬効を確認するためには動物実験はおろか、被験者に人を扱うことも辞さない。その点がヨキアムと同じだ。

 ヨキアムからそれを嗅ぎ取った。

 違う点は、アーロはそれを手段としていることだ。あくまで薬効を確かめるためだ。

 でも、ヨキアムはその点が全く違うと感じた。

 根拠はない。

 単なる直観である。

 そして、アーロは今日もその直感の赴くままに実験を繰り返す。

 非人型異類に関する資料が手に入らないのならば自分で実験を繰り返すだけだ。

「キィィィ、キィィィ」

「はは、さっきの猿と同じ悲鳴だな」

 一人でいると独り言が多くなる。

 たまに被験体が人間の場合、言葉を聞くこともあるが、大抵は今のように悲鳴か、意味をなさない喚き声だ。

「さて、大型の猿と同じ大きさの人間の子供だ。結果も同じかな」

 その非人型異類は扇状の頭を振りながら獲物に近寄る。身体は細く長い。子供が檻に身体を寄せ、少しでも醜悪な生き物から離れようともがく。檻が軋み声を上げる。その音に反応して、非人型異類が子供に飛びつく。

 食事をろくに与えていなかったというのにどこにそんな力があったのか、というほどの力で暴れまわる子供に縄みたいに細長い体を巻き付け、腹部にある口から消化液を出し、獲物を溶かしてすすり上げて行く。

「キィィィ、キィィィぃぃぃぃぃぃぃ……」

「これはね、再生能力がとても高い非人型異類なんだ。でも、欠点もあって、乾燥に弱いということかな。粘液状の糸を出して、洞窟の天井なんかにぶら下がっていることがあるんだよ。とんでもない強度だよね。聞いている? ってもう食べられちゃったか。じゃあ、次に行ってみようか。ナタの薬草を使ってみるよ」

 早く成果が出れば良い。

 そうしたら、非人型異類を操って翼の冒険者や幻獣のしもべ団たちに差し向けてやるのだ。

 アーロは翼の冒険者や幻獣のしもべ団たちが何故か自分の邪魔をして更には自分を付け狙っているのだと思い込んでいた。そう考えるように思考を誘導されていた。

 いつからそう考え始めたのか分からない。

 しかし、貴光教の暗部は何度も使用したので中々頼みにくい。非人型異類を厭う貴光教内部で非人型異類を持ち込んで実験をしているなどと知れれば、追い出されかねない。

 そこでアーロは閃いた。非人型異類を操れるようになれば、翼の冒険者とその結社に攻撃させることができる。一石二鳥である。

 そうして、日夜実験を繰り返し研究に励むのだった。



 魔族とは魔力が高い者で褐色の肌と黒髪を持つ者が多い。

 闇の精霊を崇める上に総じて黒っぽい風貌が光と清浄を尊ぶ貴光教からは忌避されている。

 そして、その外見が整っていることもまた危険視されていた。

 神にのみ一心の愛情を注ぐべきなのに、魔族の美しさは神に仕えるべき者の心を惑わす。

 少しばかり見目が良いからといって、自分たちが優れていると勘違いしている度し難い種族なのだ。

 イルタマルはそれまでも気に入らない者や同調しない者は全力で潰しにかかり、今の地位を築いた。

 イルタマルは自分が行っていることが正しいと思っていた。

 多様な考えを持つ者が集まるのを一つの集団として成り立たせるのであれば、上澄みだけ同じ方向性を向いていれば良い。他人がどう考えていても構わない。集団として線引きされたことだけ守っていれば、そして、ある程度結果が出るのなら。そういう考え方をしなければ、成り立たない。

 イルタマルにはそういった考え方をすることができなかった。自分の価値観に同調しないものは排除した。

 秘密の部屋にはこれ見よがしに拷問の道具を並べていた。錆の浮いたそれらを選び取るヨキアムの口元は歪んだ笑みで彩られていた。

「くく、たっぷり楽しませてくれよ」

 拷問道具を舐めんばかりの態である。

 この隠された部屋は大聖教司である立場を利用してヨキアム管理下にあり、極秘なだけあってイルタマルが捕らえた魔族を連行する役目を担っていた。その際、精神障害を起こす薬草を用いる。イルタマルはその重要な任務を過不足なく務めたので、ヨキアムの覚えめでたかった。

 これまで何人の見目良い魔族に拷問した挙句、性的虐待を行って衰弱死させてきたことか。

 ヨキアムは貴光教の大聖教司という立場にありながら、そういう性癖の持ち主で、魔族排除を盾に好き勝手していた。

 ヨキアムは美しいものが好きだった。より正しくは、美しいものを引き裂くのが好きだった。

 美しい雪原を踏み荒らしてみたくなるのと一緒である。綺麗に整えられた寝台に寝転がって滅茶苦茶にするのと同じである。

 しかし、雪原や寝台は人間と違う。

 イルタマルは自分が行っていることが正しいと思っていた。

 ただ、ヨキアムのやり様は人の身でありながら狂っていると思えてならなかった。

 イルタマルは自身では認められなかったが、気が小さかった。

 ヨキアムの行う非道を正すのとは異なる、醜悪な光景を見せ続けられるという事象が続いたことに精神的打撃を受けていた。

 その鬱憤を晴らすかのように部下に当たり散らし、己の正当性を守り続けるしかなかった。

 最近、それだけでは精神的均衡を保てず、酒浸りになることが多かった。そのせいかふくよかだった体はさらに丸くなる。

 重い体を引きずりながらも、自分を更なる高みに押し上げてくれることを期待しながら、ヨキアムの拷問に手を貸すのだった。


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