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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第七章
328/630

11.うららかな春の日々 ~失敗の巻~

 


 日に日に昼間の時間が長くなり、島は穏やかな気候に包まれていた。

 ログインしてリムの姿が見えないことから、庭で幻獣たちと遊んでいるのかと思い、足を運ぶ。

「リム~?」

『は~い』

 姿が見えないが返事は聞こえる。

 庭を眺め渡し、うららかな日差しを浴びて、草若葉の透明感のある輝きを放つ若草色に目を細める。木の枝には濡れたような色をした新芽が早々と顔を出す。

『シアン!』

 その梢を揺らしてリムが姿を現し、飛びついて来る。

「リム、今日も良い天気だね。ね、花見に行こうか」

『花見?』

 いつものお出かけとは違うのかと小首を傾げる。

「うん、まあ、いつもと違わないんだけれどね。花も沢山咲いていると思うし、そうだ、ハーブも採取して来よう」

「キュア!」

 片前脚をぴっと上げて賛成の意を表明する。

 幻獣たちに声を掛けて回る。

 一角獣がユルクとネーソスを呼びに行こうとするが、目的地をユルクの寝床である湖にしたので、のんびりと一緒に歩いていく。

 いつもはせっかちな一角獣も、麒麟とシアンに挟まれ、ゆるゆると脚を動かし、周囲の景色を楽しむ。

『わあ、花びらが流れてくるよ!』

 川の水面が花びらを運んでいる。強風が吹いたのか、列をなしている。

「まさしく花筏、だね」

『綺麗だね』

 一角獣とは逆の側にティオが並ぶ。

「あれ、ティオ、花びらがついているよ。ふふ」

 後頭部や体に花弁が付いている。

 鋭い眼光を今は和ませ、春霞に花びらを纏って佇む。霞がうっすらと全ての事物の輪郭を優しく溶けさせる中、ティオの艶やかな茶色の毛並みに薄紅梅、朱華色、石竹色、薄紅などの浅紅色の花びらがふたひらみひらついた姿は、とても美しい光景だった。シアンの伸ばしかけた手が一瞬止まる。

 どうかしたのか、と首を傾げるティオに首を振って、花弁を取ってやる。

 ふ、と一陣の風がシアンの指先から花びらを浚っていく。うららかな春の日差しにひらひらと舞っていく。

 萌え出る草芽、それを食む動物、そして彼らを狙う肉食獣、圧倒的な生命力に満ち溢れていた。冬の間溜めていた活力が溢れ出ている。

 春の気配に包まれ遥か霞んで見える山笑い、鼻腔をくすぐる風も柔らかく暖かい。

 茂みを揺らして草食動物の群れが飛び出し、空には大型の鳥類が円を描いている。目的地の湖の手前にある小さな湖では数種の水鳥が泳いでいる。

『まさしく、春、ですなあ』

 後ろ脚立ちして両前足を腰の後ろに持っていきながら歩く九尾がしみじみ言う。

『きゅっきゅっきゅ、ここはもはや天帝宮と同じ聖獣の地! 今こそ、狐千年王国の礎を!』

『本当に良い気候だにゃあ。この時期の睡眠の甘美なこと!』

 カランが九尾の言葉を聞き流してあくび交じりに言う。

『カランは冬は寒いと言って暖かい所で寝ていたの』

『秋は美味しいものでお腹がいっぱいになったと言って寝ていました』

 ユエの言葉にアインスが同意する。

『夏は暑いと言って木陰でへたっていましたっ!』

 エークが追撃する。

『カランが活動的なのはいつなのでしょうや!』

 ウノが止めを刺す。

 幻獣たちと賑やかに話しているうちにすぐに湖に到着する。

 微風に水面がちらちら動き、その度に光がきらきらと反射する。向こう岸の濃い緑と更に向こうのなだらかな草原がしんと静まり返っているのと対照的だ。

 水光る湖に、幻獣たちが思わず歓声を上げ、わっと駆け寄る。

 ざ、と水をかき分け、巨大な蛇の頭が現れる。

 水滴が舞い散り、陽に輝く。艶やかな鱗を水が流れ落ちる。二十メートルほどもある体には二対の黒い蝙蝠のような翼がある。蛇の頭には両掌に乗るくらいの亀が鎮座していた。

『ユルク、ネーソス、遊びに来たよ!』

 リムが片前脚を掲げて左右に振る。

 それに呼応してユルクが水面から尾を出して振る。

『よく落ちないですね』

『ネーソスはユルクの頭の上が気に入っているにゃあ』

『定位置になりつつあるな』

 九尾が感心し、カランが二度三度頷き、鸞が呆れる。

『今日はね、お花見をして、ハーブの採取をするんだよ!』

『さっき、川を花びらが沢山流れているのを見たんだよねえ』

『綺麗だったよ』

 リムの言葉に早速花が見れたと麒麟が笑い、一角獣が同意する。

 しばらく銘々が美しい光景を楽しんだ。

 リムは好奇心であちこちに顔を突っ込み、わんわん三兄弟はその真似をして茂みに頭から身体ごと突っ込んで行く。音がしそうなほど勢いよく顔を引き抜くと、花びらまみれになっている。他の兄弟たちがそれを取ってやろうとする姿が、子犬が絡まり合っているようで微笑ましい。

 ユルクは水温が暖かくなったのは嬉しいものの、雪や氷遊びができないのが残念だと言い、ユエは島で採れる春野菜を食べることを楽しみにしているのだと言う。

 ネーソスはいつもと変わらぬ無表情で、カランは春眠暁を覚えず、と居眠りを決め込んでいる。朝どころか昼前である。

 鸞に季節の変化による植生を教わりながら、シアンはふとハーブを採取する手を止め、空を見上げる。

「リリピピ、今ごろどこら辺を飛んでいるかなあ」

『精霊王たちが助力してくれている。心配なかろう』

「そうだね。シェンシ、これはどんなハーブ?」

 鸞が請け合うのに頷き、シアンは気持ちを切り替えて尋ねる。

『これは香りも良く、のどの痛みや防腐、殺菌の効果がある』

『肉料理、魚介料理に幅広く使われ、そのすがすがしい香りとほろ苦さで料理の味を引き締める。煮込み料理にも用いられ、長時間加熱しても風味は変わりらない。乾燥したものでも風味は落ちない』

 鸞の指し示すハーブについて、風の精霊が補足する。

『こちらのハーブもまた殺菌効果がある。そのため消毒や、他に鎮痛剤としても用いられる』

『甘く、主張が強い香りがする。熱に弱いので過熱は避けた方が良い』

 鸞は薬効を、風の精霊は料理に関する知識を授けてくれる。

「あ、これは知っている。ユエがいた街で買ったことがある。確か、小さな竜とか魔法の竜と呼ばれているんだよね」

『そうだ。消化促進、免疫力強化などの薬効がある』

『上品な香りが特徴だね』

 鸞や風の精霊に教わりながら様々にハーブを採取していく。

『しかし、この島は驚異的だな。季節や地域に関係なく採取できる』

 九尾が感嘆する鸞をつつき、そっと指し示す。その先にはティオがぽんぽんと大地を叩いている。

 大方、シアンがハーブ採取に来たからと大地の精霊に伝えているのだろう。

 麒麟は生命溢れる様に喜びを感じつつ、自省に沈む。

 一角獣は体が軽くなっていつもより早く動ける心地で地面を蹄で掻く。

『シアン、我は昼ご飯の調達に行って来る!』

 言うが早いか、空を横切る魔獣に向けて、弧を描いて突進する。凄まじい速度で白い流星のようだ。描く曲線の軌跡が白銀に輝く。

「ベヘルツトはまた一段と早くなったなあ」

『馬鹿の一つ覚えのように真っすぐ進むだけではなくなりましたね。猪突猛進は変わりませんが』

 シアンはハーブ採取を切り上げ、料理の支度にとりかかった。

 九尾がバーベキューコンロを出して火を熾し、麒麟と鸞がテーブルとイス、テーブルウェアを準備する。

 シアンはその間にアーモンドパウダーを軽くから煎りして焼き色をつける。

 一角獣はすぐに帰って来た。

 ティオは一角獣が狩ってきた鳥型の魔獣を捌く。

 調理器具を取り出し始めたのに気づいて近寄って来たユエが採取したハーブを刻む。同じくやって来たユルクとネーソスがティオの解体を手伝う。

 シアンはアーモンドパウダーとハーブにバターとマスタード、おろしニンニクとヨーグルト、塩コショウと砂糖とを混ぜ合わせる。

 適当な大きさに切って塩コショウし、両面を焼き肉に、それらを塗る。さらにダッチオーブンで焼き色がつくまで焼く。

 良い匂いに魅かれてリムとわんわん三兄弟がやって来る。

 四匹とも体のあちこちに草や花びらをつけている。

 ブラシをかけて取り終えたころにはカランもやって来て、みなで食事を摂った。

 食後にはボール遊びを楽しんだ。

 追いかけたボールが湖に落ち、わんわん三兄弟が意気消沈するのをユルクがそっと尾を伸ばして岸に上げてくれたり、茂みの中に入り込んだボールをユエやネーソスが上手く引っ張り出したり、木の枝に引っかかったボールを鸞が麒麟に向けて落としてやったり、シアンが投げた途端に突進した一角獣が角でボールを突き刺したり、それぞれがはしゃいだり歓声を上げて楽しんだ。

 沢山遊んで揃って館へ戻る。

 暖かい日差しの中、庭に毛布を乾しているのを発見したわんわん三兄弟が取り込もうとして物干し竿から落としてしまう。

『……‼』

『ああ、ど、どうしましょう』

『わ、我らはお手伝いをしようと!』

『いつものパターンですねえ。セバスチャンも想定内では?』

 九尾の諦めとも慰めともつかない言葉も聞こえていいない様子で三匹は大騒ぎする。

 シアンはそれを見て、精霊たちに洗い直して乾かして貰うから気にしないようにと話した。

 そして、広がった毛布にぼふん、と勢いよくうつぶせに寝転がる。

『シアン?』

 突然のことに幻獣たちが戸惑って首を傾げる。

「お日様の光を浴びて気持ち良いよ!」

 実はシアンが一度やってみたいと思っていたことだったのだ。

 うららかな春を幻獣たちと満喫したシアンもまた童心に帰っていた。

 シアンの一種ふんわりしたため息交じりの笑いで間を取る独特の間合いに、幻獣たちも引き込まれる。

 幻獣たちがわっと飛びつく。

『おお、これぞもふもふパラダイス!』

『きゅうちゃんもおいでよ!』

『では遠慮なく』

 いつもは距離を取るカランも気持ちよさそうな風情に負けて毛玉の山の中に潜り込んだ。

 セバスチャンは毛布の上で気持ちよさそうにうたた寝するシアンと幻獣たちを見て、怜悧な相貌に笑みを浮かべた。



 その日は空から銀糸が降り注いだ。

 気温も下がり、曇天に遮られた。

 ログインした後、居間に入り、壁一面のガラスから外を眺める。

 緑がしとどに濡れ、葉という葉から透明の雫がほつりほつりと垂れている。

 静かに定期的に落ちる様が、ざ、と音を立てて破られた。葉が大きく揺れ動く。濃い緑色に光る隙間からするりと白い毛を貼りつかせたリムが姿を現す。梢を蹴り、飛び上がる。上下する枝から弾かれる水滴が辺りに散る。

 全身濡れても、楽しそうに尾が左右に揺れている。黒い翼が羽ばたくたびに、雨粒を細かく弾く。銀砂をまき散らしながら飛行しているのを、ガラス越しにシアンは眺めていた。

 と、リムがこちらに視線をやり、目が合う。

 それまでも楽しげに雨に打たれながら跳びまわっていたが、雲間から日が差すような輝く表情に鮮やかに変わる。

「キュアー!」

 シアンはタオルを片手にガラス戸を開けた。大きく張り出した庇のお陰で雨は入り込まない。

 シアンに向けて飛んできたリムは、ふと急停止した。庇の内側に入ったものの、自分の体を見やり、しょんぼりとうなだれる。

「おいで、リム。体を拭こうね」

 笑い声をため息で逃し、タオルを見せる。

「キュア!」

 いそいそと近寄ってくる細長い体を拭いてやる。

 精霊に願えば一瞬にして乾くが、リムとしてはシアンに拭いて貰う方が良い。

「長い間外にいたの? 寒くない? お風呂に入ろうか?」

『お風呂! 入る!』

 ふるふると頭を振ってタオルから顔を出し、小首を傾げる。

『シアンも一緒に入る?』

「え? 昼間だから僕はまだ……」

 どんどんへの字口が急角度になり、真ん丸な瞳の上の毛が垂れ下がって、まるで眉尻が下がっているかのようだ。

「あー、でも、僕も一緒に入ろうかな」

 今日はちょっと寒いものね、と続けると、尾が左右に揺れるのに合わせ、タオルがひょこひょこ動く。

 リムがついと視線を向けた先をシアンも辿ると、ティオが居間の戸口から顔を覗かせている。

『ティオも一緒?』

「ふふ、ティオも一緒に入ろうって」

「キュィ!」

「じゃあ、セバスチャンにお風呂を入れて貰おうか」

『準備は整っております』

 いつの間にか、ティオの後ろに佇んでいるセバスチャンが恭しく胸に片手を当ててお辞儀する。

 浴場に行くと、畳んだタオルを頭に乗せた九尾が先に湯を堪能していて、セバスチャンの眉間に青筋を立てさせた。

『いやあ、風呂上りのコーヒー牛乳とフルーツ牛乳は最高ですな!』

 さらにその後、風呂上りに、仁王立ちしながら両前足にそれぞれが入ったカップを持って、交互に飲む。味が混ざらないのか。

 そんな発言をし、反省していないと更に視線の温度を下げたセバスチャンに教育的指導を受けた。

 その後、幻獣たちと居間でカードゲームに興じた。

 別の日には幻獣たちとカラムの農場を手伝うこともした。

 主に苗つけと収穫である。

 他に、通常では草むしり、剪定、肥料やり、水やりなどがあるが精霊の力溢れる島では殆ど不要だ。

 カラムの下で暮らしながら農作業を手伝う兄弟たちも流石にこれはおかしいと感じている。特に、リンゴとトマト、ジャガイモなどは季節に関係なく実をつけ、しかも急成長するのだ。常に収穫できる状態だ。

 兄弟たちは島に来た当初から比べ、随分身長も伸び、肉がついた。カラムが時折トリスへ行って必要な物を買ってきてくれるのに、いつか一緒に行けるように、今度一度転移陣登録をしに行こうというシアンに慌てて遠慮した。それでなくても十分にして貰っているのだ。

 口々に礼を言う兄弟たちがもう少し大きくなれば、母親と別れた港町でも転移陣登録を行ったのだから、そちらへ行けば良いかと考える。

『どれにしようかな、九尾様の言う通り、きゅっきゅっきゅ』

 違う日には、色々あるお菓子を選ぶのに九尾が変なことをしていた。

『きゅうちゃんの言う通りなの?』

『だったら、迷う必要はないにゃ』

『二人とも、九尾の戯言を一々取り合っていても仕方ないぞ』

 小首を傾げる麒麟と胡乱な目つきをするカランに鸞が首を振って見せる。

 また別の日には、朧に霞んだ月を眺めたりもした。

 しっとりした大気にうっすらと靄を纏って輪郭の溶けた月は、いつまでも眺め飽きない光景だった。

 シアンが不在の時、リムはよく暁光を眺めていた。

 リムはこの闇と光がまじりあう夜明けの瞬間が好きだった。

 暁闇から徐々に夜明け方の明るい闇へと変じて行く。

 闇は優しく慰撫してくれる。そして、鮮やかな夜明けを暗示する。

 そんな時、ふと静寂に音楽を聴くことがある。

 柔らかく盛り上がったり、す、と小さくなったり、滑らかでたおやかな音楽だ。

 シアンがリムに教えてくれた美しくて楽しいものだ。



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