71. 春が近い ~滝を遡り/危ないことしちゃ駄目の巻/仕方のない狐ね!~
庭で育つ薬草とも称されるハーブをセバスチャンから貰ったシアンはレシピも教わって、料理をすることにした。
ティオに豚肉をミンサーに掛けて貰い、幻獣たちと手分けしてハーブの他、分葱や玉ねぎを細かく刻む。それらと醤油、コショウ、ナツメグの粉末を混ぜ、ひき肉に加えて捏ねる。
用意して寝かせておいたパイ生地に打ち粉を振り、綿棒で伸ばす。型抜きやコップで丸く切り抜く。余った生地はまた丸めて伸ばし、切り抜く。
天板にくり抜いた生地を乗せその上にタネを乗せ、皿にその上に生地をかぶせ、生地の端を押さえる。表面に溶いた卵黄を塗る。
オーブンで焼き色がつくまで焼く。
そのハーブのパイを振舞われたディーノが次にやって来る際、ハッカやシナモンといった香辛料を携えて来た。
ハッカは茎の上部に白い小さな花が密集する。オジギソウのような左右がやや内側に折れた葉を持つ。
『ハッカは香水代わりに用いられる。精油が含まれている』
シナモンは最古の香辛料の一つだという。
『クスノキ属の植物で、主成分は、シンナムアルデヒドだ』
風の精霊の言葉に頷く。
魔族で人気の出ているもので、娯楽に縁遠かった彼らも日々を楽しんでいると聞き、シアンは喜んだ。
『あ、これ、焼きリンゴの時に使ったやつ?』
リムが覗き込みながら鼻を蠢かす。
「そうだよ、よく覚えていたね」
『銀色の稀輝がね、金色のが好きじゃないんだったら、自分が食べたかったって言っていたの!』
「そうなんだ。また作ろうね」
今度は銀色の光の精霊に振舞おうと言うと、リムが満面の笑みを浮かべる。
『うん!』
ディーノは古くから万能薬として珍重されていたというハーブももたらした。
「これはハンドクリームにも混ぜるんです。冬場は手荒れをするでしょう」
『アルニチンという物質を含む。頭花を乾燥したものはアルニカ花と呼ばれ、外用薬として外傷の他、かゆみ止めに用いられる。根を乾燥したものはアルニカ根といい、解熱剤として処方する。また、肌を保護する作用もある』
風の精霊が詳細を語る。
シアンが料理人だと知っているので、気を回してくれたのだろう。ありがたくいただいておいた。
冬芽が春を待ちわびる頃開かれた可愛い研究会は再び実技となった。
座禅を組む。
九尾やカラン、ユエのように後ろ脚立ちする幻獣の方が珍しいのだ。うまくできなくて次に移行する。
滝行を行う。
ネーソスは滝つぼでも怯まずすいすい泳ぐ。
ユルクなどは小さくなっても常と同じ力を発揮できるように修行だ、とばかりに三メートルの体で滝の遡りを試みる。
リムが隣で同じく泳ぐようにして飛び上がる。
雪解け水の冷たさをものともしない。
『あ、あいつら、ただ者じゃないにゃ』
『すごいねえ』
カランが額の汗をぬぐう仕草をしてみせ、麒麟がおっとりと称賛する。
『リムですから』
『ユルクは海流の激しい場所でも悠々と泳いできたらしい。ま、当然だろうな』
九尾と鸞が頷く。
『我もできるよ』
『水明の加護があるんだから、水は障りにはならないだろうね』
一角獣が胸を張り、ティオが当然だとばかりに頷く。一目置くティオに認められ、一角獣は嬉し気に戸惑う。
照れくさそうに頭を地面の方に向け、せわしなく顔を動かすので、鋭い角の先がふらふらと揺れ、その先にいたユエとリリピピが逃げ惑う。
わんわん三兄弟は水が怖い。
自分たちが兄貴分だと慕うリムの勇姿に、物すごく勇気を振り絞り、頑張って頑張って滝へ近づく。
結果は溺れ流され、あわやと言うところをリムとユルク、ネーソスにそれぞれ助けられる。ネーソスは甲羅の上に子犬が乗れるほどの大きさに変化した。
ティオが目を眇めたのは言うまでもない。
『地獄の番犬……』
濡れそぼって館へ帰り着いたわんわん三兄弟はシアンに風呂に入れて貰い、危ないことしちゃだめだよと言われて揃って項垂れた。
『座禅と滝行だっけか? 方向性がおかしくないかにゃ。精神統一に到達する前に疲れるにゃ』
「シアンのために! めざせ! 可愛い!」と書かれた紙を丁寧に畳みながら、カランが今回の実技を言い出した九尾を胡乱気に見やる。
ともあれ、今後も幻獣たちは真剣に活発に議論し合った。
研究熱心な幻獣たちは「シアンが好きな可愛い」は仕草や話す内容、内面であると結論付ける。
それを、手っ取り早く外見を可愛く見せようとするのが間違いなのである。
その日はようやく現実世界の忙しさから解放されたフラッシュがログインしていた。
居間で茶を喫しながらのんびりしている。
現実世界では忙しいのだから、こちらの世界ではゆっくりしたいというところか。
シアンは茶菓を配った。
九尾は久々に召喚主が姿を見せて嬉しかったのだろう。ついつい冗談口が過ぎ、リムを怒らせた。
『もうっ、きゅうちゃんは仕方のない狐ねっ!』
リムがぷりぷり怒る。心なしか、黒い丸い瞳の眦に当たる白い毛がきゅっと吊り上がり、への字口が急角度になる。
フラッシュが茶を吹いた。
「リム? 仕方のない狐って……どこでそんな風に聞いたの?」
シアンは戸惑って尋ねた。
その様子に怒りの情動がやや薄れたのか、リムが小首をかしげて不思議そうな表情を浮かべる。
『リム? どこで誰がそんなことを言っていたんですか?』
九尾が笑顔でじりじりとリムに近寄りながら尋ねる。
『えっと……』
何となく九尾の笑顔に不気味なものを感じ、また、シアンの様子などから、不穏なことを読み取って言い淀む。ちなみに、フラッシュは茶を駄目にした後、腹を抱えて笑っている。
『誰がきゅうちゃんは仕方のない狐って言っていたの? リム?』
にゅっ、と緩急つけて隙を突こうと伸びた九尾の両前脚を逃れて、リムが上に飛び上がり、シアンの肩に乗る。
『ひみつだもの』
「リム、そんな風に言っちゃいけないんだよ?」
シアンが眉尻を下げながら言う。
「いや、確かに九尾は仕方のない狐だよ。リムが正しい」
「きゅっ!」
フラッシュの擁護の言葉にリムが僅かに持ち直すものの、九尾の苛立たし気な声にフラッシュと九尾を忙しなく見比べる。
「リム、きゅうちゃんに色々教わったり、遊んだりして仲良くしているでしょう? なのに、そんな言い方しない方がいいよ。きゅうちゃんが嫌な気分になるよ。リムだって言われたくないでしょう?」
リムがはっと息を飲んだ。その勢いに逆にシアンが驚く。
シアンの顔を窺い、顔を首こすり付け、そわそわ動き回って落ち着かない様子なのに、視線で促した。
『シアン、ぼくのこと、仕方のないドラゴンだって言う?』
恐る恐る、上目遣いになりながら、そっと尋ねるのに、息を漏らしながら笑った。
「まさか。少しも思わないよ。リムがたまに自分で我儘って言うのだって、一緒にいたいってことくらいだし。ちっとも我儘じゃないよ。僕もずっと一緒にいたいって思うし。一緒にいると楽しいよ」
『ぼくも! シアン大好き!』
破顔した顔をシアンの首にこすりつける。
ひとしきりシアンにくっついた後、肩から飛び上がり、九尾の目の前に出向いた。
『嫌なことを言ってごめんね、きゅうちゃん』
『まあ、いいですよ。それにしても、誰から聞いたの?』
『ひみつなの』
明らかに誰かを庇っている様子だ。
「大方、私がいつも言っていることを真似たんだろう。九尾の自業自得だな。少しは普段の言動を顧みろ」
取りなすようにフラッシュが言う。
『今度からは、仕方のないきゅうちゃんね、って言うね!』
九尾がずっこけた。
フラッシュが新しい茶を吹いた。今度は淹れたてで熱かった。
「リム、そういう問題じゃないんだよ?」
『でも、だって、きゅうちゃん、仕方ないんだもの』
「自業自得だな」
フラッシュは苦笑する。
一連の流れを呆れて見やっていたティオが重々しく頷き同意する。
ひとしきり話した後、やはり久々にログインしたので生産をしたくなったフラッシュが工房へ行った。
フラッシュは工房でユエの同族である妖精の仮の姿を見て可愛さに悶絶した。あまりのことに、パーティーメンバーに話しても良いかと許可を求められ、シアンは頷いた。
後に、近々、この島を訪問したいという話をフラッシュから聞くことになった。
茶器を片付けた後、リムがぴっと前脚を上げる。
『シアン、遊ぼう!』
「うん。何をしたい?」
『庭で遊ぶ!』
「庭で何をしようか? シーソー? 羽子板?」
シアンは庭遊びを挙げてみた。
『うーん』
散々遊び倒したので、それほど気持ちがそそられないようだ。そこで、新しい遊びを提案する。
「じゃあ、縄跳びをしてみようか」
『縄跳び?』
「うん。縄を飛び越える遊びなんだけれど。まずは縄を用意しなくっちゃね」
『こちらをお使いください』
すかさず、執事が持ち手のついた縄を差し出す。まさしく縄跳びに適しているものだ。
「セバスチャン。いつの間に」
『忍びのような家令ですなあ』
シアンが驚き、九尾が遠い目をする。
新しい遊びに心を奪われたリムに急かされ、一同は庭へ移動する。
ティオの背の上で楽し気に歌を歌うリムに、シアンも微笑む。
庭木のない広い場所でリムと向かい合わせになる。リムは後ろ脚立ちする。
早朝には薄氷が張るが、昼間は大分暖かくなった。梢を渡る風も仄柔らかく感じる。
「はーい、いくよー」
「キュアー!」
まず、ゆっくり縄を回し、下に垂れ下がってきた縄を飛び越える。リムも身軽にジャンプする。タイミングを見計らって縄を回す。これを繰り返す。
リムは全く問題がなさそうだが、これは足元のリムを蹴り飛ばさないか、回して戻ってきた縄が高くなりすぎてリムの体を叩きやしないかと、シアンが気を使う。
「む、難しい」
妙に腕がこわ張った。
『シアン、大丈夫?』
『きゅうちゃんが変わりましょう!』
九尾ならシアンよりも体長の差がない。縄を渡すと、後ろ脚立ちし、さっそく回し始める。
「わ、早い!」
九尾は空を切る音が分かるほどに速く縄を回す。
「キュアッキュアッ」
リムが楽し気に鳴く。
『おお、良い調子ですぞ、リム!』
「キュア!」
「ふふ、二人とも、本当に仲が良いねえ」
延々と飛び跳ねる二頭を眺めながら、シアンが幸せそうに呟いた。ティオも喉を鳴らす。
九尾が教えることで困らされることはあるけれど、二頭はとても良いコンビだ。
珍しくセバスチャンが困惑したように眉尻をしんなり下げる。
対峙するシアンとセバスチャンを、わんわん三兄弟がおろおろと見比べる。
日脚が伸び光の春を感じるその日、シアンはセバスチャンに時間を貰って相談した。
こっそりわんわんたちは家令の足元に付き従っていたので、事の成り行きを見守った。
『魔神どもを茶会に招待、ですか。そのようなことでシアン様のお手を煩わせる訳にはいきません』
「僕の方の手間は大したことはないんです。ただ、闇の上位神ともあろう方々をお呼び立てして良いものかどうか。お忙しいのではないかなと思ったんです」
それでセバスチャンに相談を持ち掛けたのだという。
「こんなに良い場所を頂いたのだから、一度は皆さんにお会いしてお礼を申し上げたくて。それが迷惑になるならやめた方が良いんだろうとは思っているんです」
『迷惑など。彼奴らは欣喜雀躍して喜びましょうが』
なんだかんだと理由をつけて島に来たがる魔神たちを防いでいるのがセバスチャンである。彼は元魔神で、封印から放たれた際、シアンが光の精霊と闇の精霊に願って力を貸して貰ったので、元の性質から大きく逸脱した。だからこそ、長らく封印されていたにもかかわらず、元同輩たち複数を相手取っても一歩も引くことなく島を守り抜いている。なお、島を譲り渡したのは魔神たちなのであるが、その来襲を未然に防ぐのはセバスチャンの重要案件の一つだと自認している。
『お面の王を呼ぶの?』
「そうだよ、みんなでお茶とお菓子をいただいて……、そうだ、リム、折角だから大きくなって歌ってみようか。元々は梟の王と出会ったのも、リムが大きくなった事件が切っ掛けだものね」
『いいよ!』
「とても良い島と館を貰ってありがとうございます、って伝えよう」
『お菓子を作るの、ぼくも手伝う!』
リムがふんすと鼻息を漏らす。
こうなってしまっては、セバスチャンには止めようがない。優先事項はシアンとリムなのだ。
『畏まりました。では、魔神どもにはシアン様の御下知を申し伝えます』
シアンとしては都合がつくようだったら招待したい、というスタンスだけれど、セバスチャンからしてみれば、あくまでも許可、もしくは召喚だった。大きな隔たりがあるが、魔神たちは後者の価値観を持つ。
「あ、ええと、折角だから、幻獣たちは魔族の言葉を勉強したし、招待状を書いてみたらどうかなと思うんです。まだ綺麗に書けない者もいるかもしれないけれど、この島で楽しく暮らしています、お礼がしたいです、という気持ちが伝わったら良いなと思って」
『それは何よりの宝となりましょう』
家令の言葉を大仰だとシアンは苦笑する。
「お手数をお掛けしますが、招待状を届けていただけますか?」
家令は慇懃にお辞儀をする。
茶菓はどんなものが良いか、と尋ねれば、即答される。
『シアン様とリム様のお好きなものが良いでしょう』
この会話はどこかで聞いたな、そうか、幻獣たちの悩み相談で同じようなやり取りを交わした。
「ええと、魔神たちのお好きなものでなくても良いのでしょうか?」
『シアン様とリム様のお好きなものに多大な関心を寄せるでしょう』
セバスチャンは極めて控えめに話した。
シアンはセバスチャンが気遣って言っていると思いつつも、確かに、リムが好きなものに興味を抱くかもしれないと思いなおす。
「じゃあ、リムの好きなリンゴを使ったお菓子を作ろうか」
『本当?』
リムがわくわくとシアンの肩で後ろ足を動かす。
「ふふ、何を作ろうか」
リムの楽しい気持ちは伝染する。
準備をしておかなくては、客用のカトラリーと食器の確認を、場所は天気が良ければ庭で催した方が良いか、など様々に話すうち、シアンははたと気づく。
「ああ、そうだ、肝心なことを話していなかった。それで、あまり日にちがないのですが、もしよければ、リリピピがいる間にできたらと思うので、春にお呼びしたいのです。急すぎるでしょうか」
あと一か月ほどしかない。
「何を置いても駆けつけましょう。彼奴らもこれほどに春が待ち遠しいと思ったことはございません」
まだ招待状も出していないものの、そんな風に楽しみにしてくれるなら本望だ。
「春は僕も忙しくなるけど、時間をやりくりするから」
シアンはリムを見やる。
『ぼく、準備を頑張る!』
リムがシアンの肩から飛び上がり中空で仁王立ちして、えいえいおー、と気炎を吐く。わんわん三兄弟が釣られて鳴き出す。
『わたくしも僭越ながらお手伝いをさせていただきます』
「ありがとう、セバスチャン。頼りにしています」
その言葉こそが、セバスチャンにとっては何よりのものだった。




