66.リムの苦手なもの ~自分を客観視すべき~
可愛い研究会を始めるにあたって、カランがシアンの似顔絵を地面に描いた。
『シアンはもっと可愛いもの!』
『じゃあ、リムが描いてみるにゃ』
「キュア!」
リムは眦に決意を込めて棒きれを握り締め、地面に向かう。
…………。
「キュア……」
『い、いや、俺も無理に描かせて悪かったよ』
『幻獣のしもべ団に絵が得意な人間がいるって言っていたから、描いてくれるように頼んでみる?』
落ち込むリム、視線を泳がせるカランに、ティオが悠然と提案する。麒麟はおろおろと一同を見渡す。
『で、でも、この可愛い研究会はいわば、幻獣の集会です』
『それを他の者を召喚するのは』
『いかがなものかとっ!』
わんわん三兄弟が反対する。
一連の流れを並んでみていた九尾が隣の鸞にそっと木の枝を渡す。
鸞が仕方なしに描く。
『わあ、シアンだ!』
『そっくりだね。シェンシは珍しい植物を見つけた時、すぐに採取せずに絵を描くから、上手になったんだよ』
目を輝かせるリムに、本人よりも嬉し気に麒麟が解説する。慌ててしまい、鸞が絵を描くのが上手なのだということを失念していた麒麟である。
『どうしてすぐに摘まないの?』
『どういった環境で育つかわからないままに採取してしまえば、寿命をいたずらに縮めてしまうからな』
小首を傾げるリムに鸞が答える。
『らんらんはりんりんと長く共に在るから、慈悲の性が移ったんだね』
九尾が二度三度頷く。
『慈悲の獣、麒麟レンツ様!』
『その対を成す鸞シェンシ様!』
『流石の高位聖獣、四霊の二角!』
わんわん三兄弟が褒めたたえる。
『でも、リムもドラゴンで四霊の一角と言えるよね』
九尾が唇の両端を吊り上げる。
そのリムは鸞のように上手な絵も描けず、麒麟の慈悲はない。
『『『……』』』
「キュア……」
わんわん三兄弟とリムがしょんぼりとしおたれる。
『じゃ、じゃあ、気を取り直して、可愛い研究会を始めるにゃ! 今日の議題は自分の特性を活かした可愛いを目指すことにゃ!』
重苦しい雰囲気を醸す一角に、カランが慌てて可愛い研究会開幕を告げる。
『特性?』
小首を傾げるリムに、カランは何とか気を逸らせることに成功したと内心安堵する。
『なるほど、可愛らしさにも色々な方向性があるということだな』
察しの良い鸞がカランに乗ずる。
『それはどんなものなのですか?』
わんわん三兄弟が鸞に見やりながら尾を振る。
『君らは天然の可愛いをまい進すると良いのにゃ!』
リムとわんわん三兄弟にカランは言う。
『天然?』
『そのままで良いということにゃ』
『でも、ぼくも頑張るもの!』
リムがむっとへの字口を急角度にする。
『何もするなと言っているのではないのにゃ。今のまま、シアンに体当たりの可愛いをぶつければいいのにゃ』
『なるほど、今まで通り、ご主人を慕えば良いということですね!』
『アインスの言う通りにゃ!』
褒められて満面の笑みで尾を振り、その両隣で同じく褒められた気分で残りの二匹も尾を振る。
封印されていたので分裂する(可愛くなるために小さくなる)のが精いっぱいのわんわん三兄弟は、カランからしてみれば、路線は間違っていないのである。
全ては、可愛いのために。シアンの可愛いのために。
『例えばレンツにゃ!』
突然、指示棒をびしっと向けられ、麒麟が後ろに首をのけぞらせ、慌てふためいて左右を見渡し、再びカランに視線を戻す。
『我?』
『そう、レンツはそのほのぼのさを活かすべきなのにゃ。あのシアンと一緒にのほほんとした空気を醸すことができる貴重な逸材なのにゃよ?』
指示棒を持ったまま前脚を組み、少し斜に構えて麒麟にちろりと視線を流しやる。
『それはティオやシェンシ、九尾にはできないことなのにゃ。もっと自覚をして、自分の特徴を大切にして活かすべきだにゃ!』
『確かにレンツがシアンと話している時の雰囲気は好きだな。カランには出せないものね』
『ああ、そこだけ時間がゆったりと流れているようにも見えるな。カランにはできないゆえな』
『癒しの空間ですものねえ。カランだと苦笑するしかないでしょうが』
ティオと鸞、九尾が口々に言って頷く。
『一々俺を貶すのをやめるのにゃ!』
まじめな鸞までもだるまさんが転んだや可愛い研究会に参加しているのは、何でもくだらないと思わず、一度やってみようと思ったからだ。
ここの幻獣たちは麒麟の食事事情を慈悲の性質だからで片付けずに一緒にどうすればいいかを考えてくれ、それを麒麟が喜ばしく思っている。どれほど仲が良くても、悪いことではないかと感じれば制止すれば良い。都合の良い時だけ彼らを頼るのではなく、いくらかはその行動に付き合ってみようと思ったのだ。
後日のことである。
あまりに見事な農作物ができるので、ルノーはカラムの農場で静物画を描いていた。静物画はテーブルに置かれた物を描くことが多いが、はちきれんばかりの生命力を感じさせる一瞬を切り取ってみたいと思ったのだ。
狩りの帰りにカラムにお裾分けをして、ついでにトマトやリンゴを貰おうと思ったリムが、そのルノーを見つけた。
『あ、狐顔!』
「えっ⁈ わあ、リム様!」
狐顔とは、ルノーを同類視した九尾が言い出したものだ。眦が切れ上がった様子から連想したようだ。切れ長の目が涼やかな見目良い青年である。
『狐顔は絵が上手なんだってね! カラムの野菜を描いているの?』
リムが近寄って来て絵を覗き込む。先日の可愛い研究会で描いてみたシアンが可愛くなかったのが殊の外残念で、それだけに写生上手ということに関して評価するきらいがある。自分ができないことを得意とする者を高く評価する傾向にあったのだ。
『わあ、美味しそう! 紙の中で野菜が生きているね!』
紙の中で対象が生きている。
そのリムの言葉をルノーは生涯忘れることなく、輝かしい指針とした。
リムと並んでトマトやリンゴを食べたこともまた、ずっと覚えていた。
そして、リムが楽し気に鸞が植物を採取せずに絵を描くのだ、知識不足の状態で徒に命を奪ってしまわないようにという気遣いからだと語った。
ルノーはいたく感じ入り、それを幻獣のしもべの仲間たちに話した。鸞の研究室へ招かれたことのあるアーウェルもまたルノーの言を後押しした。
鸞はガエルを助け、アーウェルにアドバイスしてくれた幻獣だ。幻獣のしもべ団は行く先々で各地特有の植物だと聞くと、土付きで採取してくるようになった。
鸞は既知の植物であろうとも、どの地域にどんな風に育っていたのか知るだけでも有難いことだと喜び、逆にしもべ団団員たちを嬉しがらせた。
ルノーは鸞に倣って各地を訪ねる合間に模写を行った。持ち帰ったそれらの絵を見ながら団団員たちと一緒にいろんな場所の話をし、シアンや鸞、その他の幻獣たちが耳を傾けてくれるのが、楽しみの一つとなった。
鸞だけでなく、カランやユエ、時に一角獣などから思いもよらない答えが返って来ることがある。無論、ユエが人慣れする頃のことなので、大分後のことである。
幻獣のしもべ団団員たちが見た景色を見てみたいね、と言い、実際出かけて行き、帰って来て楽しかったよ、教えてくれた通りだね、と言って貰えるのが誇らしかった。
帰って来たリムが後ろ脚で跳ねながら、満面の笑顔で言うのだ。
『あのね、狐顔が描いていた通り、とーっても美しい景色だったよ! 面白い形の花もまだ咲いていたの!』
対象の性質や精いっぱい生きている様子、多様なものが調和した景色、そういったものを鮮やかに切り取って、見るものに訴えかける。そういった絵を描きたかったのだと、ルノーはリムに教わった。深層意識にあったものを教えられた。
そして、鸞を始め、幻獣たちと接して色んな事象や価値観を知った。他者を尊重することも含まれている。
そんな場所をシアンが作り出した。シアンのために様々な存在が尽力した。
この夢のような場所を守るために、ルノーは自分ができることをしようと常に考えていた。
幻獣のしもべ団団員たちが持ち帰った植物や資料、情報を元に、鸞の研究は研鑽を積んでいく。
『どこにどんなふうに生えていたのか知るだけでもありがたいことだよ』
『そのうち世界中の分布図が描けてしまうかもしれませんねえ』
『それは壮大な夢だな』
その時、鸞は自分で書を記してみようという考えが芽生えた。
その話を聞いた九尾が百科事典を作れば良いという。
『百科事典ってなあに?』
リムは九尾から百科事典のことを教わり、鸞に満面の笑顔で言った。
『シェンシはね、絵がとっても上手だから、絵も一緒に描いて!』
『ふむ、百聞は一見に如かず。知識が少ないものにとって、図画で見た方が分かりやすい。確かにそれは良いかもしれぬ』
そうして、世にも貴重な書ができる。
諸書に通じる鸞は自らも書を記したのだ。そこには瑞々しく生き生きとした模写が添えられていた。
それは後に英知の書、鸞の書と称されるようになるが、殆どの者が現物を見たことがない。幻の書として称された。
その日は天気が良く、しかし、シアンにはあまり時間がなかったので、庭で遊ぶことにした。
リムと庭に向かううち、少しずつ幻獣たちが集まって来る。
「羽根突き?」
何の遊びをするかで、九尾が言い出した。
だるまさんが転んだも、こうして提案したのだろう。
『そうです。ラケットではなく、板に持ち手を付けてするので、羽子板ですね』
「羽はどうするの?」
『羽はもともと、ムクロジの種子に羽を付けたものを使うようですよ。そこは代用すればいいでしょう』
九尾は実に妙なことを知っている。
「面白そうだね」
『リムは力がありますから、持ち手さえ持ちやすくしてやれば、大きくても大丈夫でしょうし』
「ティオは嘴に挟んで遊べるかな?」
『リムと遊んでいるうちに気にならなくなるんじゃないでしょうかね?』
「あり得る」
九尾と顔を見合わせて笑う。
さっそく長方形で薄い板を持ち手部分を削る。必要な材料はすべてユエが工房から持ち出してくれた。九尾の指示の元、羽子板を作る。
本職のユエに見せるため、まずは一本作ろうと九尾が危なげなく道具を扱う。
「きゅうちゃん、器用だね」
『召喚主が錬金術が得意で、きゅうちゃんも色々できるようになりました』
まさか、そんな答えが返ってくるとは思わず、シアンが戸惑っているうちに羽子板が出来上がる。何も装飾がされていない板だが、羽根を乗せて弾ませる、揚羽根を続ける様子を見るに、完成したと言えそうだ。軽い音が小気味よい。
『やっぱり、羽根突きは追羽根がいいですね』
「じゃあ、もう一つ作らなくちゃね」
そうして出来上がった羽子板を持ち、対峙したシアンと九尾は早速試用してみた。
高く澄んだ音をたてながら、羽根が両者を行き交う。
『なかなか良い出来具合ですね』
「そうだね」
『じゃあ、お待ちかねのようだから、リムのを作りましょうかね』
九尾が指し示す方を見やると、ティオとリムがこちらを興味津々で眺めているので、手招きする。
「うん。できたら、ティオ専用のものも作ってほしいな」
『それはいいですが、この二本は?』
「一本はきゅうちゃん専用にして、もう一本は他の人が使うものにしない?」
シアンの提案に九尾は笑顔で頷いた。
『シアン、九尾と何をしていたの?』
一角獣は訝し気だ。
「これはね、羽根突きをしていたんだよ。この板を羽子板って言って、この羽を叩いて相手に向けて飛ばすんだよ」
『そして、飛んできた羽をうまく叩いて跳ね返すんです。落っことすと負けです』
『面白そう!』
リムが顔を輝かせる。
『今、リムが持てる形の羽子板を作りますね』
『ありがとう、きゅうちゃん!』
「ティオの分も作ってくれるって。ベヘルツトもやってみる?」
一角獣は見ているだけで良いと首を左右に振る。
『わあ、じゃあ、ティオ、きゅうちゃんが作ってくれたら、ぼくと一緒に遊ぼうよ!』
シアンの台詞に、ティオが何か言う前にリムが喜ぶ。リムのお誘いをティオが断れようか。
『うん。ありがとう』
前半はリム、後半は九尾に向けて言う。
『いえいえ。じゃあ、二人とも、持ち手を調節するので、ちょっと持ってみてください』
「あ、ティオは嘴に咥えて貰うんだけれど、大丈夫そう?」
『うん、大丈夫だよ』
体長の違いから、リムは飛行可、ティオは飛行不可で羽根突きを行った。
二頭ともにその身体能力の高さから、取り落とすことなく、延々とラリーが続く。
そこへ、九尾に促されたシアンとともに九尾も加わり、二対二のいわばダブルスが行われた。
このきゃっきゃきゅぃきゅぃきゅあきゅあきゅっきゅした様を、セバスチャンが心地よさげに眺めていた。
足元では前主以上に満足そうなわんわん三兄弟が尾を振っていた。




