61.去る者
「一体、これはどういうことだ、オージアス⁈」
マウロの怒りに満ちた視線に晒されながら、オージアスは薄く笑って見せた。
「どうって、見ての通りさ、頭」
その女と出会ったのはサルマン国の国都で自由行動となった時だ。
酒場で意気投合して二階の宿屋へ、という典型的なパターンであったが、少し変わっていたのが、それが一夜限りではなかったことだ。
オージアスがナタの貴族に張り付くレジスと連携を取るという任務でしばらくサルマンの国都に滞在したのがその大きな理由だ。
それでも、一か月もいた訳ではないし、定期的に報告のために拠点に戻ってもいた。
短期間のうちに、これほどのめり込むとは自分でも意外だった。
どこか影があるところに惹かれたのだが、それは以前、盗賊の手引きをしていたことがあったことからの自責の念によるものだった。
そうと知った時は、もうその恋人と添い遂げる気持ちでいた。
結社のこともある程度話してあったから、オージアスがそう言い出した時、女はのらりくらりと躱した。
彼女の気持ちも同じだと思っていたので、どういうことだとその裏を探った。
この時ばかりは自分の調査能力が恨めしい。
彼女の過去を知った。それでも、添い遂げようという気持ちに変化はなかった。
「昔のことだろう?」
そう言うと、彼女は表情を曇らせた。
従兄弟が現役でまだ盗賊と関わりがあるという。
サルマンの国都でも翼の冒険者の威光は行き届いていた。
短時間滞在しただけなのに、鮮やかに立て籠り事件を解決したというのだ。人質は無事で、犯人たちも五体満足で捕らえたという。
そうやって手加減をすることもできるのに、何故、仲間を、しかも何も悪いことをしていない者を害するのだ、とオージアスは不可解な気持ちになる。
その反発心が少しくらいなら良いだろうという気の緩みに繋がった。
彼女から恋人が翼の冒険者の支援団体に所属していると聞き出したその悪党の従兄弟が吹聴して回ったのだ。更に、博打でこしらえた借金の取り立てから逃れるために、幻獣のしもべ団の名前を出して神殿へ逃げ込んだ。
その情報を掴んだ幻獣のしもべ団はオージアスに突きつけた。すぐにマウロに注進に走らなかったのは、古参のオージアスの顔を立てるためだった。
にもかかわらず、オージアスは開き直った。
悪党が勝手に名前を騙っただけで、自分に非は一片たりともない、と。
「密偵が情人に情報漏らして、その係累の悪党に利用されるなんざ、なんて体たらくだ!」
全くその通りである。密偵なら恋人の係累を調べておくくらいの慎重さは必要だ。情報を漏らし、利用されるなど、密偵失格である。
歯噛みする幻獣のしもべ団団員の姿に、恋人の方が別れる意志を持った。
彼女の従兄弟はといえば、自分のせいで恋人と別れることになる、と詰られたと仲間に愚痴る。
迷惑を掛けたと後悔する従兄弟とは別に、仲間は幻獣のしもべ団の権力を使おうと考えた。
翼の冒険者と言えば、サルマンの国都にある冒険者ギルドのギルドマスターが一目置く者である。
その頃には処置なしとばかりに、マウロに報告が上がっていた。
マウロはすぐさまサルマンの国都へやって来て、先の言い合いと相成った。
「お前は何をしたか分かっているのか。もう既にシアンに迷惑が掛かっているんだぞ⁈」
言いつつ、マウロは掴んでいた者を放り出した。
「こいつはお前の恋人の従兄弟から話を聞いて、神殿に騙りを掛けようとしていた。翼の冒険者の名前を前面に出してふんだくろうとしていたのさ。目を覚ませ! お前は利用されそうになっていたんだぞ!」
マウロはサルマンの国都へ手勢を連れてやってき、情報を集め、際どい所で防いだのだ。
「首魁が築き上げた名声を汚す部下がどこにいる!」
「俺はシアンの下についた覚えはない」
激昂するマウロと反対に、オージアスは静かに見返した。
「何だと?」
ぎらりとマウロの目が光る。
「俺たちは俺たちなりにやってきたじゃないか。自分たちの集団なのに幻獣のしもべになるなんて」
「今更何を言っている。嫌だったのなら、しもべ団を結成した時に抜ければよかった」
鼻で笑うマウロに、オージアスは眉をしかめる。
「まだその時は許せた。でも、ティオがシアンのためにと言ったんだ」
「初めからティオやリムはシアンの手伝いに手下を求めていた」
「実際の下知を間接的に聞いたら白けた」
そう思ってしまったのは仕方がない、とオージアスは肩を竦める。
「好きにしたらいいさ。しかし、そのシアンのためにというのが気に食わないのに、シアンを利用するんだな」
「そうさ。命がけで「お手伝い」をしてきたんだ。正当な報酬だ。第一、使えるものは使う。俺たちはそうして生きて来たじゃないか。今更何を言っているんだ」
「あんなにまでしてくれる者に対して、それはないんじゃないか? 誠意には誠意を返すものだ。そうしなくては、いずれ自分が同じことをされるぜ」
「いや、食うか食われるかの世界だ。甘っちょろいことを言っていては踏みつけられて終わりさ」
オージアスは片頬で笑って見せる。
オージアスはマウロのために戦った。
はみ出し者集団で気楽にやっていたころ、部下の一部が反乱を起こした際、オージアスもまた痺れ薬で動けなくされた。マウロだけが逃れたのを恨みに思うなど発想すらなく、ただマウロだけでも助かってくれればと思った。
その後、マウロを助けてくれたシアンに謝意があったからこそ、幻獣のしもべになることを良しとしたのだ。
バランスよくパーティを組めなければ、食べていけない密偵はどこかの貴族に使い捨て同然に雇われるか、徒党を組んで、それこそのたうつ蛇のようになるしかなかった。そんな中、自分は運が良かった。マウロに拾って貰えたのだから。
マウロの下で働くのは性に合った。
皆、マウロを慕って集まって来た者たちばかりだった。
自分は幻獣のしもべではない。
マウロが、あれほどの男が何てことないシアンのような人間の下につくなど、到底許せるものではない。
マウロは大雑把に見えて、以前は騎士をしていた。
部下が不当なフェーデを仕掛けられてそれを庇ったおかげでその地位を失った、いわば高潔な騎士だったのだ。
そんな彼は騎士の職を辞しても、高潔さに何ら陰りはなかった。自分やディラン、カーク、グラエムに双子など様々な理由からはみ出し者にならざるを得なかった者たちをまとめ上げ、指針となった。
そのマウロは今、燃えるような目で自分を見ている。
「団員にもそれぞれの生活を送る権利はある。家族を得る権利もある。しかし、それをするのならば、けじめをつける必要がある。結社に迷惑を掛けるようであれば、その前に退団すべきだ。首魁への厚意を利用するなど以ての外だ」
「分かりました。退団します」
アーウェルは師匠であるオージアスが抜けるのを残念がった。
レフ村でティオが下知した場面にオージアスもいればこんなことにはならなかったのにと思った。
重々しくも淡々とした、けれど雷鳴のようなあの宣言、その洗礼を受けていれば、オージアスとて感銘を受けただろうに。あれはあの場であの空気に直接触れ、あの声、あの炯眼、あの威容を目にしないと分からないだろう。
自分に転機を与えてくれた全幅の信頼を置くものなのだ。
話を聞き、慌ててマウロの目を盗んでサルマンの国都へ向かい探し出したオージアスはさっぱりした表情をしていた。
もう、戻らないんだな、と悟ったアーウェルに、お前は新しい武器を手にすることによって化けたよとオージアスは言って、スリングショットを指し示した。
お前は戦闘もこなせる密偵を目指しな。噂で活躍を聞けるのを楽しみにしている、と笑う。
その姿が涙でぼやけた。
ディランも複雑だった。
オージアスの能力を大いに認めていた。
衝突することがあっても、互いに認め合い、協力し合ってここまできたのだ。
でも、目的が違ってしまっていた。
オージアスはマウロのために。
ディランはシアンのために。
ならばそれで良いではないかと思う。
シアンのために働くマウロを支えればよいではないか。
でも、それではやっていけなくなった。
シアンに害を与えるようになってしまっては。
誰が許そうとも、幻獣たちが許すはずがなかった。




