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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第六章
300/630

56.麒麟の慈悲2

 

 麒麟に果物を食べさせようとして怒れるネーソスに噛みつかれたエメリナは、鸞がネーソスの甲羅から作り出した薬で治癒し、事なきを得た。

 惨状にカラムは子供らに現場を見せないようにしながら、ジョンの所に大至急シアンか家令を呼んでくるよう送り出した。農場から馬を駆けさせた方が早い。

 麒麟は人間の血を浴び、寝込んだ。

 九尾は自身が凶獣となった時のことを思い出し、不安定になる。

 ティオはいつもの通り、悠然たるものだが、一角獣は怒り狂い、わんわん三兄弟は不穏な雰囲気に怯え駆け回る。ユエは以前自分が言ったことを想起して落ち込み、カランは鸞の薬作成を手伝ったり一角獣を宥めたり珍しく駆けずり回る。

 ユルクは黙して語らないネーソスに何も言わずにただ付き添った。浜辺で並んで寄せては引く波を眺めていると、ネーソスは隣にユルクが確かにいるかを時折確かめる様子を見せる。感知能力に長けているのだから、わざわざ見る必要はないのに、視界に入らないと不安そうにした。

 ネーソスは隣を泳ぐ同族が次々に人に狩られた経験を持つ。すぐ傍にいた者がいなくなったと感知した瞬間、もはやそれまでなのだ。だから、手を出されたと知った瞬間に反撃しないと時機を逸す。

 ネーソスはユルクが好きだった。この島へ来て様々な幻獣と出会い、中でも麒麟を好んだ。殺伐とした世界とは別世界に住んでいる彼らがマイペースに過ごすことを守りたいと思うようになっていた。

 リムはシアンに頼まれてカラムにエメリナの脚が元通りになったと伝えに出かけた。

 シアンは幻獣たちを落ち着かせるのに忙しい。

 そんな折、幻獣のしもべ団の拠点から駆けつけて来たクロティルドが、門扉の前でシアンを捕まえ、幻獣たちは危険だと騒ぐ。

 ゾエ村の仲間たちが飛び出していったクロティルドに嫌な予感を覚え、後を追ってきたら案の定だ。

「幻獣のしもべ団の結成由来を知らないのか?」

 アシルが苦々し気に言う。

「危険なのには変わりないわ!」

「だったら、退団するんだね」

 釣り込まれそうな笑顔の普段と打って変わって、冷たい表情のロイクが言い放ち、門扉の前に立ち、シアンを庇う。

 その様子が自分が悪者だと断じられているように思え、クロティルドを苛立たせる。

「だって、エメリナは果物をあげただけだと言っていたわ。攻撃していないのに、噛みつくなんて、危険じゃなくて何だと言うの? 第一、成り立ちの時はティオとリムだけだったんでしょう? 少なくともあの亀をどこかへやってしまうべきだわ!」

 幻獣のしもべ団は幻獣たちが自分たちのできないシアンの手伝いを、代わって手下にやらせるために結成されたのだ。シアンは団員の安全第一とは言うが、元々はそれが主体ではない。ロイクの言う通り、危険を避けるのであれば、退団するしかない。

 ネーソスを仲間にしたのはシアンと幻獣たちだ。幻獣のしもべ団が口を出すことではない。

 有能な家令はシアンの手前、一応、クロティルドの主張を聞いてから動いた。

 騒ぎ立てるクロティルドの首筋をセバスチャンが軽く抑えると、その場にくずおれるように気を失った。途端に静寂が辺りを支配する。

「ち、違うの、違うの」

 うわごとのような声に、その場にいた全員が視線を向ける。

「エメリナさん、起きて来てはいけませんよ。まだ寝ていなくては」

 足に包帯を巻き、松葉杖をついたエメリナが不安定な体勢で立っている。慌ててやって来たと分かる風情だ。

 そして、その後ろには他の幻獣のしもべ団の姿がある。彼らは寝室を抜けだしたエメリナを追って来たのだろう。

「わ、私が悪いの。彼らは、幻獣は人間よりも純粋なの。だから、私がいけないことをして、悪いと思ったらもうそれでいっぱいになっちゃったのよ」

「分かっている、誰もネーソスが悪いなんて思っちゃいないさ」

「さ、帰るぞ。お前は休まなくては」

「私が悪いの、ネーソスをどこかにやるなんて言わないで」

 エメリナは仲間たちに促されつつも、シアンやゾエ村の異類たちを懇願する思いで見やる。

 どこかにやれと言った当の本人は気を失っている。自分たちに言われてもそんな風に考える者はいないが、エメリナの必死な様子に誰もそれを言い出せないでいた。

「ネーソスは誰にも何もされないさ」

「それってどうなんだよ。クロティルドだっけか。あの人はきつい物言いだったけれどさ、言っていることは間違っていないだろう。敵対行為をしたのではない人間に噛みついたんだぜ? そんなに狂暴な方が大事なんだって言うのかよ」

 幻獣のしもべ団の一団の中からオージアスが前へ出る。不満を露わに仲間たちを振り返って見渡す。

 家令は一連の騒動が起こったこと自体を不快に感じていたが、シアンが興味をもって静観しているのを見て取り、静かに控えていた。

 ティオも同じくだ。

 ティオは訳の分からないことを言い立てる人間たちに苛立つものの、シアンが宥めるように背中を摩るので堪えていた。もう行こうよ、と小首を傾げるのに、もうちょっと待ってね、とシアンが背筋を軽く叩く。

「少なくとも、ちゃんと言い聞かせるべきなんじゃないか? それでなくとも、力ある高位幻獣ばかり集まっているんだ。人間を餌と思わないだけじゃなく、力加減をすることや簡単に襲ってはいけない者と認識して貰わなきゃな」

 オージアスは幻獣たちの方が人間よりも大事、という風な仲間たちに物申した。以前から誰かが言わなければならないと思っていた。

「やめて、私が悪いのだから」

 エメリナは両手に顔を伏し、嗚咽を上げる。

「これ以上、私がここに残れなくなるように仕向けないで」

 悲痛な声は逆効果となり、オージアスの気持ちを逆なでする。

「おかしいだろう、そんなの。その亀を寄こせよ。噛みついたのはそっちだ」

 オージアスの眦が吊り上がる。

 シアンは門扉の外へ出た。ロイクが止めようとしたが、視線で拒否する。

 ティオが当然のごとくするりと巨躯を感じさせないほどの滑らかな動きで続く。

「ネーソスはレンツを助けようとしただけです。彼らは人語を解する。だからといって、その価値観が人間と同じとは限らないのです。その上で、僕は彼らに人との共存を説いています。彼らが納得する上でしかそれはなし得ません。もしそれが受け入れられないのなら、残念ながら、ここにいられないと思ってください」

 エメリナがばっと顔を上げ、その口からは悲鳴が迸る。泣き喚きながら、謝罪し、ここにいさせてくださいと繰り返す。

 クロティルドと同等かそれ以上の金切り声に、シアンはお静かにと言う。

 館の幻獣たちを慮ってのことだ。

 現に、門の外へ出ないようにと言っておいたティオが言いつけを破っている。誰にも束縛されないティオはシアンの言うことをよく聞いてくれる。聞き入れない時の多くがシアンを守ろうとする場合だ。

 麒麟には鸞と一角獣が、ネーソスにはユルクがついていてくれている。人間に怯えるユエにはカランとわんわん三兄弟がついている。リムが農場から戻って来たら、九尾についていて貰おうと思う。

「うるさいよ、ちょっと静かにしな」

 そう言ってリベカがエメリナの口を塞ぐ。

 その実力行使にエメリナはなりふり構わず暴れ、シアンに縋りつこうとする。

 ロイクが動く前に、ティオがシアンの前に出る。

 それはまさしく、シアンを守ろうとする格好だ。つまり、敵対者とみなされたと思い、エメリナは過呼吸を起こした。

 激しく息をする様子に、セバスチャンがこれを口に当てるように、とどこからか取り出した紙袋を渡す。リベカが半信半疑で従うと、ほどなくエメリナは落ち着いた。

 セバスチャンは頃合いを見て紙袋を回収する。あまり長い間口に当てていては逆に障りになるそうで、その見極めを行ってくれたようだ。

「僕が言ったことを守って下さったら、この島にいて下さっても構いません。ただ、幻獣たちの食事に関しては今後、僕かセバスチャンを通してくださいね」

 そこで、幻獣のしもべ団の多くは麒麟が食事をしている所を見たことがないことに気づいた。彼らは幻獣たちが美味しそうに食事を食べるのを見るのが好きだ。

 一度は共に狩りに行き、すぐ近くで食事をしていたのを見たことがある。その場に麒麟はいなかった。

 そして、普段穏やかで、歯がゆくなるほど欲のないというか、勝手なことを言う者たちに良いようにされている節のあるシアンが、断固たる態度で幻獣たちへの一線を守ったのだ。

 聡い者はそこから何らかの推論を組み立てた。

「待てよ、まだ話は終わっていない!」

 頭に血が上ったオージアスは冷静な思考をすることができなくなってむきになった。

「レンツにとって毒に等しいものを渡されたと同等だと思ってください。エメリナさんは知らなかったかもしれない。そして、レンツもまた克服しようとしていた。でも、できなかった。傍から見ていたネーソスが、エメリナさんがレンツに毒を食べさせたのと同じというのは分かるでしょう?」

 つまり、仲間が殺されそうになったから守った、そういうことだ。

「分かるかよ!」

 脊髄反射で答えた。気に入らない答えは理解不能になる時もある。

「分からなくても、これだけは従っていただかないといけません」

 シアンは決然と言って踵を返した。

 その後ろを、ティオが悠然と付いていく。幻獣のしもべ団たちには一瞥もくれなかった。

「くそっ!」

 オージアスは悪態をつきながら、地面を蹴りつける。

 自分が毒を渡したのだと聞いたエメリナがその場で泣きじゃくる。

 シアンがエメリナに事実を突きつけるのを避けるために迂遠な言い回しをしていたにも関わらず、それを暴露させたのだと知らぬオージアスは不機嫌を隠そうともしなかった。

 ゾエ村の異類たちは自分たちの仲間の暴走が引き起こした事の次第に、悄然と肩を落とした。



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