3.街中で ~黄金の菓子~
シアンのゲームプレイはほとんどNPCたちと過ごすこととなった。
名前を交換し合い、連絡を取り合うことができるプレイヤーはフラッシュだけだった。
そのフラッシュと彼女の召喚獣九尾と再び会った。
街中で料理に必要な調味料や調理器具を物色している最中に声を掛けられた。
「料理の方は順調のようだな」
「フラッシュさん、きゅうちゃんも。お二人は買い物ですか?」
「ああ、私は最近錬金ばかりしていてな。店を持ったので商品を作るのに忙しくてね。ちょっと散歩がてら材料を買いに来たんだ」
生産職のプレイヤーは自分たちが作ったものを商業ギルドで販売する他、委託販売や自分の店を持って売ることができる。店の形態としては露店、屋台、立派な建造物としての店を構える。
「きゅうちゃんをお供に?」
「召喚獣は戦闘でなくても呼び出しておけばMPは消費するが、多少なりともレベルが上がるんだ」
『シアンちゃんはきゅうちゃんに興味がおありですかっ!』
シアンは見上げてくる狐の傍らにしゃがみこんだ。
『そちも悪よのう』
と言いつつ、やはり、きゅっきゅっきゅと笑いながら、扇子で口元を覆っている。
「いえいえ、お代官様にはかないません」
返しながら、手に入れておいた果物を差し出し、「こちらをどうぞお納めを」。
すう、と九尾の赤い目が細められた。
『越後屋、ここは黄金最中とか黄金かすていらではないのか?』
受け取った果物を矯めつ眇めつしながら聞く。やはり、扇子はすぐに消えてしまっている。代わりに、勢いよく振られるしっぽが、五つ六つ消えたり現れたりを繰り返す。
「黄金の味ですよ、お代官様」
にっこり笑ってやると、うっすら口を開き、目元を紅く染めて見上げてくる。しっぽの振りが更に早まる。
きゅっきゅっ、と歓声みたいな鳴き声を上げながら、フラッシュの足を激しくつつきだした。残像が見えるほどの速さだ。
『ねえ、ちょっと奥さん、聞きました?! シアンちゃんったら、お代官様越後屋ごっこ、完ぺき!』
「誰が奥さんか」
二人の小芝居をあっけにとられて眺めていたフラッシュが我に返ってシアンを複雑そうな表情で見やる。
「わざわざリアルで調べたのか?」
「はい、何のことか気になって」
きゅっ……!と感嘆の声が上がる。
(今のは、『女神……!』かな。僕、男なんだけど)
やはり、九尾の言うことはわからないことが多い。
「どうぞ、それ食べていいよ、きゅうちゃん」
『これはご丁寧に』
両前足で捧げ持ってぺこりとお辞儀する。
ぱかんと大口を開けてかぶりつく。
ご丁寧に果汁を顎の下まで滴らせるリアリティの再現性だ。
「はは」
シアンはハンカチを持っていないことにその時気づいたが、そのまま袖で拭いた。
『いや~ん』
言葉の割に嫌がっている風情ではなく、逆に楽しそうだ。
「きゅうちゃんは本当に楽しそうだねえ」
フラッシュが息をのむ。それを追求する前に、九尾が声を上げる。
『もちろん! 楽しまなきゃ、人生損々!』
「そっか、人生で損をしている、か」
そうそう、と頷かれる。
素直なら九尾がいう通り、この世界を楽しんだ方が良いのだろうか。
それでもまだ、主目的として音楽をする勇気はなかった。
でも、この仮想現実の世界で現実との違いを試してみるのも楽しいかもしれない。
「そうだよね、楽しまなきゃ、ね。せっかくこの世界に来たんだし」
つぶやくシアンの脳裏にはお使いクエストから派生したクエストで、達成報酬として得た楽器が浮かんでいた。
ギターに似た、シアンが弾いたことがない楽器で、ためらっていてまだ使っていない。
中世ヨーロッパに親しまれたその楽器は異世界の雰囲気によく馴染む。せっかくなのだから楽しんでみようか、と九尾を撫でながら思うのだった。
二人と別れた後、市場へ向かっていた最中に、人とぶつかった。人通りが多い道ではあったが、逆方向から来る人間を避けられないほどではない。シアンの腰の高さほどの身長の子供と衝突した。不自然に思える動きに、違和感を覚えて懐を探る。財布がない。
「ちょっと、待って!」
待てと言われて待つ人間はいないという。
子供は駆けだした。シアンも後を追うが、すぐに狭い路地へ入り、何度も角を曲がり、姿を消してしまった。
速度を重視した戦闘職ならば、捕まえることができたのだろうが、駆け出しの料理人では簡単に撒かれてしまう。
足を止めて辺りを見渡すも、影も形もない。戸惑いは、初めて踏み入れる街区の素っ気ない冷たさに、不安へと変じた。それを打破する声が掛かる。
「兄さん、災難だったね」
「え?」
路地にある家の窓が開いていて、そこから青年が上半身を乗り出している。薄い褐色の肌に黒い波打つ髪は襟足を短くしている。垂れ目で唇が薄い。白い襟付きのシャツを無造作に着ている。
「掏摸にでもあったんだろう?」
「どうしてわかるんですか?」
思わず肯定してしまったのに、爽やかに笑って言われた。
「狙いやすそうだから」
裏世界の人だろうか、と警戒したのを察したのか、青年は建物を示した。
「ああ、俺はそっちの世界とは関係ないからね。ここ、俺の店だし」
「お店?」
「そう、よろず屋」
「よろず屋?」
聞きなれない言葉にオウム返しになると、もの知らずだなあと笑われる。はっきり言われるが、毒はない。そして、ゲーム経験の浅いシアンにしてみれば、武器屋防具屋といった明確な名称でなければわからない。
「何でも屋だよ。日用品でも雑貨でも、服でも、とにかく仕入れてきて売っているの。俺は魔族だからね。選り好みできないんですよ」
魔族というのは聞きなれない種族だったが、この世界にはエルフやドワーフといった人間の姿に似た別種族がいるそうだから、同じようなものかと聞き流す。
「食品も取り扱っていますか?」
「その時の仕入れによってはね。見てみて」
示された入り口の傍には看板がかかっていて、食料品や雑貨、服の絵が描かれている。
「お邪魔します」
店内は青年の言う通り、多種多様なもので溢れている。清潔に保たれているし、種類別に分けて陳列されているので、雑然とした印象は受けなかった。
最近、ようやく外へも出始めた戦闘能力皆無の冒険者だと言うと、軽くて丈夫なブーツを勧められた。
「とにかく歩くからね。良いやつを履かなくちゃ。お安くしておくよ」
「ありがとうございます」
食品ではなく、他の物を勧められたが、説明にもっともだと言われるままに購入する。
「あれ、そういえば、お兄さん、財布を掏られたんじゃないの?」
購入する段になって言われた。
「小銭入れを盗られたんです。金額が多い方は服の奥にしまい込んでいたので無事でした。あと、僕はシアンと言います」
「なんだ、意外としっかりしているんだ。俺はディーノね」
人好きのする笑顔を向けられる。
「一応聞きますが、掏摸にあった場合、警察、ええと自治団体に届け出た方が?」
「ああ警邏ね。うーん、少額だったらお勧めしないなあ。盗られた金銭はまず返ってこないのに、長時間拘束されてあれこれ聞かれて疲れるだけじゃないかな」
「わかりました、ありがとうございます」
NPCでもディーノや街の外に同行したパーティのような気さくで気遣いをしてくれる魔族や人間もいれば、小さい子でも財布を掏り取る人間もいる。まさしく雑多で多様な者たち住まう別の世界だ。
ディーノの店を出て、周辺を歩いてみることにした。大きな通り、分かりやすい道をよく利用していたが、こういった小道もまた楽しい。
うす暗い石畳の小道を歩く。鉄棒にぶら下がった木製の看板が次々と顔を出す。うす暗い道の先には小さなアーチ型に切り取られた光が差し込む。アーチをくぐると、光が差す小さい広場に出た。中央には噴水がある。
初めての路地や道を歩き、探検気分を満喫してログアウトした。
その頃には掏りに遭ったくさくさした気分は晴れていた。