54.小さな漂流者の家族2 ~嫌われちゃった~
「そっちの親御さんはちょっと別室へ行って話そうか」
マウロの目配せに、オージアスは手を退けて口を自由にする。
「ちょっと、放してくださいよ、何よ、人を何だと思っているのよ」
やはり、もう一度口を塞いだ方が良いのではないかと思ったが、マウロの指示でオージアスと幻獣のしもべ団団員は女の拘束を解く。
「ふん!」
今まで散々世話してやったのにも関わらず、盛大な鼻息とともにオージアスらを睨みつけた。そして、ころりと表情を一変させ、シアンに笑顔を向ける。
「グリフォンを連れているということは貴方が翼の冒険者ね!」
そう言って愛想よく助けて貰った礼を言い、時々自分がどれほど苦労をしてきたかを混ぜ、翼の冒険者を褒め、自分がどれだけ怖い思いをしたかを語り、兄のことを心配していたかを話し、自分がどんな風に大変な思いをしてきたかを伝えた。
自分のことを話す比率が増えて来て、最終的には英雄とも称される者が弱者を見捨てないでしょうね、と上目遣いで言う。
「あたしは知っているんですよ。高貴な人こそ、貧しい物に施しをしなくてはならないのだと、聞いたことがありますよ」
「貴女は施しが必要なのですか?」
女の言葉を遮ることなく、途中で口を挟めるとは思えないほど勢いよくまくしたてていたせいかもしれないが、とにかく、シアンは穏やかな表情で聞いていた。そして、さらりと尋ねる。
その自然体さは、全く女の剣幕に飲まれた様子はない。
「え? ええ、ええ、勿論!」
「そうですか。では、神殿に申し出て下さい。僕は高貴でも何でもありません」
ちょうどここは神殿ですし、と続けるシアンに女はぽかんと口を開けて見つめていた。
独特の間の取り方に大抵の者は意表を突かれる。
はっと我に返って喚き出す。
「な、何てことを! 私に神殿の情けに縋れと言うの?」
神殿は罹病者、障碍者、孤児といった弱いものを救う。喜捨の他、転移陣などの利用料によってこれらの活動を行うのである。
そして、先に挙げた者以外の老年でない女性が神殿の救済を受けると言えば、娼婦がそれに該当することが多かった。それ故、女性が神殿の救済を受けるというのは暗に娼婦であると意味した。
シアンはこのことを知らない。
ただ、施しをと自ら言うほどに困窮しているのならば、と思ったのだ。そして、同じ母親としてイレーヌとは似ても似つかない女に、嫌悪を感じてもいた。
「はい。神殿は一時的に食べることができない方に食事と宿を与えてくれると聞きます。身の振り方が決まるまでは身を寄せるには打ってつけでは?」
「馬鹿にしないで! あんた、その幻獣を使ってしこたま稼いでいるんだろう? だったら、私に施してくれたって良いじゃないか! さっき言ったよね、私はこんなに苦労して、こんなに大変な思いをしてきたんだ! そこは、優しく労わって自分から援助させてくださいと言うのが筋ってもんでしょうが!」
「何故、僕が縁もゆかりもない貴女を助けなければならないのですか?」
静かに放たれた正論に女が一瞬たじろぐ。
いつもならば、すぐさま反発するところであるものの、シアンの穏やかだが芯のある風情、間の取り方にペースを乱される。
形勢を立て直して女は再び口を開く。
「何故って、あんたは英雄だろう? 英雄なら困っている人を救わなくちゃ!」
「どうしてですか? 困っている人全員を救える者なんていませんよ」
「誰が他の人間の話をしているんだよ! 今! まさに目の前にいる私が困っているんだよ!」
大声で喚いた後、大きく息をつき、ようやくシアンの前にティオが出てきていることを知り、後退する。
「だ、大体、あんた、その魔獣で荒稼ぎしているんだろう? 少しばかり恵んでくれたって良いじゃないか! 独り占めするなんて強欲ってものだよ!」
ティオを魔獣呼ばわりしたことで、幻獣のしもべ団たちの眦が吊り上がる。
シアンを英雄と持ち上げたり、その連れた幻獣を魔獣と断じたり、忙しいものだ。
以前から、エディスの英雄などとは都合の良い時だけ祭り上げられる言葉なのだと思っていたシアンは苦笑するくらいで済むが、幻獣のしもべ団は違った。
ディランなど、剣の柄に手が掛かっている。
「彼が命がけで行ったことで得たものは彼自身のものです。貴女にどうこう言う権利はありませんよ」
「だったら、あんたはどうなんだい! 強い幻獣に戦わせておいて、甘い汁を吸っているのはあんたの方じゃないか」
シアンからしてみれば、それはこの異世界へやって来た当初から言われて来た言葉だ。今更である。
「いい加減にして貰おうか。ほら、別室へ行くぞ」
マウロとオージアスと二人掛かりで連れて行く。
後に、この話を聞いた幻獣のしもべ団たちは大いに悔しがった。話し手の一人であるディランなどは、マウロが止めなかったら切り捨てていたと言い、多くの者の賛同を得た。
彼らに対してシアンはあっさりしたものだった。
「お気持ちは嬉しいです。ただ、色んな考え方があって、見方があるのは当然のことだと思います。どうか、僕のことを悪く言うからといって、その考えを力でもって退けないで下さいね。勿論、相手が実力行使するなら防ぎます。嫌なことを言われたら嫌な気持ちになりますが、そういう人からは離れますし、それができないなら表面上の必要最低限のやり取りで済ませてしまいますから」
そう言って、武力での同調圧力をしないように釘を刺した。彼がこれを聞いていれば、後々のことは違っていただろうか。
母親はマウロと話し、翼の冒険者から金を引き出せないことを知ると、職探しに出かけて行った。去り際に唾を吐き、呪詛を捨て台詞にしていった。
「子供は邪魔になるからいらないだとさ」
どうやら、兄を思い通りに動かすために、これみよがしに弟を可愛がったが、いざとなればどちらも不要とみなした。こんな子供二人も連れて、再婚だってままならない、と。
シアンはマウロと母親の話が終わるまでの間、子供たちに料理を振舞い、好き嫌いなどの初対面の人間が子供に質問する一般的なことを話した。
兄弟はそれぞれ、兄が、弟がいることで安心し、片方が答えることでもう片方の口も軽くなった。
食事が終わると、ちらちらとティオやリムに視線をやる。
「こんなに間近に見られるとは思わなかった!」
「その子が大きなドラゴンになったんだよね!」
「そうだよ」
シアンはマウロに呼ばれ、オージアスたちに子供を託して部屋を出る。そのまま廊下で母親との話の顛末を聞く。
「子供は孤児院に任せるしかないな」
マウロの言葉に頷く。
しかし、子供の方が渋った。
部屋に戻ったシアンに、兄は母親が孤児院にまで無心に来るのではないかという危惧を訴える。
「あの女ならあり得るな」
大人たちは一同唸った。
近隣の街の孤児院だろうと不安だと言う。
子供にしては良く考えている。必死だったからだ。
そしてその言は黒ローブという見るからに怪しい風体の者に子供を身売りしただけに、説得力に満ちている。
シアンも子供に同意した。
母親に幾ばくかの金銭を渡すことも考えないではなかったが、そうすると味を占め、いつまでも搾り取ろうとするだろうと予想して拒否したのだ。
「確かにあの様子じゃあ、食えなくなったらどこまでも追いかけてきそうだなあ」
「もう少し大きくなって自分で稼げるようになったら、全部食いつぶされそうだよな」
揃って腕組みして頭を捻る。
シアンは再び、兄の前に膝をつき、目線を合わせて尋ねた。
「君はどうしたい?」
「お、俺は」
唇をわななかせる。
「ノエルと、弟と一緒にいたい。もう離れるのは嫌だ」
弟が離れるものかとばかりに兄にしがみつく。
その様子に唇を綻ばせてシアンが頷く。
その笑顔に勇気を貰って、スタニックと呼ばれた子供は唇を舐めて続ける。
「俺は、俺は、あの島で畑仕事をしたい」
幻獣のしもべ団たちが息を飲んだ。
兄弟は同情すべき者たちだ。あんな母親に傍に付きまとわれたら、今後の人生には困難しかないだろう。
しかし、命を狙った者がその狙われた者に、傍に置いてくれ、近くで働かせてくれというのだ。厚顔無恥というよりはあまりに哀れだった。何故なら、それを言い出した子供が一番その事実を理解していたからだ。それでも、そう言わなければならなかったのだ。弟のために。弟と引き放されないために。自分のためにも。
「うん、良いよ」
「あの島は暖かくて! エディスなんかよりもとても暮らしやすくて! 食べる物もいっぱいあって、種類もいっぱいあって、見たことのないやつもいっぱいあって! でも! でも、ノエルが寒い所で食べられていないかもしれないのに、俺だけ食べていて! 畑仕事は大変だったけれど、面白くて! 土をいじって水をやって、手を掛ければどんどん育って、美味しいものができるんだ! カラムじいちゃんは失敗しても全然怒らないし、怒鳴らないし! お、俺、あの島で畑仕事がしたいんだ! ノエルの食べる分も俺が働くから!」
「僕も、僕も働く!」
懸命に話す兄が自分の分まで働くと言うのに、とそれを見上げていた弟も自分もと声を上げる。
「あ、うん、良いよ。一緒においで」
シアンは子供の剣幕に目を丸くしながらもう一度諾と言う。
「あー、あまりにあっさり良いって言ったもんだから、聞こえてなかったんだろうなあ」
「あんなことしでかしたのに、あんなに簡単に良いよって言われるとは思いませんからねえ」
気安いのも考えものである。
マウロたち周囲の者の言葉に、ようやく子供が承諾されたのだと知る。
「え⁉ 良いの? 本当に?」
兄がシアンを呆然と見上げ、弟は兄とシアンとを不安げに見比べる。
「うん。一応、カラムさんには聞いてみるけれどね。駄目だったら、ジョンさんのところにも声を掛けてみるね」
「え、あ、あれ? あ、あの」
「うん?」
混乱して言葉にならない子供に、シアンが小首を傾げる。
何を言うべきか迷い、ようやく言うべきものが見つかる。
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
兄弟は揃って勢いよく頭を下げた。
「ふふ、これから宜しくね」
兄弟は幻獣のしもべ団たちに連れられて、闇の神殿に行き、転移陣登録を行う。
船で島に着いた後は家令に引き渡し、彼から注意事項を受けてカラムに預けられる手筈となった。
シアンは島に戻る前に、オージアスが掴んできた情報をマウロたち幻獣のしもべ団団員と共に報告を受けた。
「前にいた薬師長が貴光教の中央に栄転して、その部下二名が付き添って行ったらしいです。どうも、その薬師長よりも部下の薬師の方が薬作成に関しては有能だったようで。ガエルの毒もそいつが調合したらしいです」
オージアスは忍び込んだ薬草園のことに関して語る。
幻獣のしもべ団団員たちの視線が尖る。ガエルに用いられた毒は団員たちの心胆を寒からしめた。
シアンも薬を作成するようになって薬効のある薬草には毒となる成分が含まれることが多く、それだけに、人を治療するものではなく、害するためのものを作成するのは表裏一体、とても近しいことなのだと感じていた。
「その話をしていた際、黒の同志、あ、黒ローブのことを連中はこう呼んでいました。その黒の同志のエディス支部のトップを始めとする面々がグリフォンが神託の御方だとか何とか。何か、旗印か何かみたいなことを言っていました。それを自分たちが仕えずに俺たちがしもべとなっているので腹立たしいみたいです。で、その考えは他の国や街を拠点にする黒の同志たちには行き渡っていないみたいです」
「それで、俺たちを付け狙っていたって訳か」
「つまり嫉妬ってやつ?」
「男の嫉妬は醜いぜ!」
「中には女もいるかもよ?」
「黒いのをかぶっていると誰が誰だか分からんものなあ」
口々に好き勝手言うが、勝手な思い込みで散々な目に合わされ続けているのだ。
そうだと判明しても、彼らはティオの手下の座を譲ってやる気持ちは一片たりともない。第一、黒ローブたちはティオだけを神聖視し、シアンや他の幻獣たちを顧みない。ティオの意志に全く反するのだ。そして、彼らはティオの意志を知ってもその意を汲み取るかは甚だ疑問である。
「その、薬作成に関して有能な薬師という方の名前は分かりますか?」
シアンはふとオージアスに尋ねた。
「確か、アリゼっていう名の、まだ若い女だったみたいですよ」
シアンにはその名前の聞き覚えがあった。
エディスでシアンに声を掛けてきた。確かに彼女は黒ローブを着て魔族の襲撃に加わったこともある。薬に詳しいとも言っていた。けれど、毒の作成をしているなどとは。
あの子が、何故。
カラムに話し、快く受け入れてくれたことから、兄弟は農場で共に暮らすことになった。
改めて子供に会いに行き、今までよく頑張って生きたと褒め、生きてくれたを喜んだシアンに、兄が抱き付いて泣き出した。弟も釣られて泣き出してシアンの足にしがみつく。
余談だが、弟ノエルは二足歩行する九尾を怖がり、兄の後ろから出ない。
「あの狐、怖い!」
と泣き出す始末だ。
九尾はしおしおと尾を垂れるが、それが一般的な反応である。
怖くないよ!とリムがキュアキュア鳴くが、弟はリムには笑顔を見せるのに、と九尾を更に落ち込ませた。




