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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第六章
297/630

53.小さな漂流者の家族1

 

 オージアスは路地の壁に身体を押し付け、少しでも向こうから見えにくくなるようにしながら、荒い息を整えた。

 広いエディスの隅々まで知り尽くしていた。

 この街へやって来て一年と経っていないが、一度はここに拠点を置いたのだ。そして、このエディス支部を任されたとあっては、密偵としては当然のことだ。

 向こう側から荒い足音が複数やって来る。

 オージアスの向こう、路地の奥側の女性が身じろぎする。それを押し止め、声を出さないようにジェスチャーする。

 足音が通り過ぎるのを息を顰めて待つ。

 常にない荒々しさが先方の怒りを現している。

「やっこさんたち、殺気立っているな」

 逆にそこに勝機を見出せる。

 何、いざとなれば街の有力商人や神殿へ逃げ込めば良い。

 軍資金もたっぷり預かっている。

「そら、行くぞ。何も話さず、子供をしっかり抱いていろよ」

 オージアスの言葉に女は何度も頷いた。

 信用ならないとは思いつつも、仕事だと割り切る。

 路地の向こうの通りの左右を窺い、素早く出ると、何食わぬ顔で人通りの流れに乗る。

 女もあたふたふたと出てくる。

 毛布でくるんだ子供はぐったりとして力がない。

 オージアスはマウロに命じられて、エディスの黒ローブの隠れ家に乗り込んだ。

 幻獣のしもべ団エディス支部を任されていたオージアスは黒ローブの隠れ家を幾つか把握しており、そのうちで最も人を匿う、言い換えれば捕らえることができる場所、広大な敷地を持つ薬草園へと忍び込んだ。

 幻獣のしもべ団員と手分けして薬草園を探り、自分の読み通り、拠点の島に漂流して来た子供の母親と弟を見つけた。同時に、マウロが言っていた「他の国の貴光教の暗部として動く黒ローブは自分たちに無関心な理由」をも掴んできた。

 我ながら大手柄だと思う。

 自分を信じて任せてくれたマウロ、ついでにディランにも面目が立つというものだ。

 オージアスはその子供が黒ローブに蹴られ、地面に倒れ伏す所を我が目で見ていた。親子が監禁されている部屋の窓から一部始終を目撃した。

 オージアスが覗き込んだ際、親子は食事中だった。一応生かしておくために食事は与えられている様子だった。

 そっと窓を少しばかり動かし、隙間を作る。室内の声が聞こえてくる。

 女は子供にそんなに食べられないだろう、お母さんが食べてあげるといって半分残った食事を奪い取った。子供は怒りもせず泣きもせず、無表情でひもじそうに口をもごもごと動かしていた。

 しばらくして部屋の扉が開き、現れた黒ローブにお前の息子は何をやっているのだと喚いた。女は次はこの子を使ってください、とまだ五、六歳くらいの子供を差し出そうとしたのだ。子供は得体のしれない者の剣幕に怯えその場で固まって兄ちゃん、兄ちゃんと兄を呼んだが泣くことはなかった。

 これでこの子が例の子供の弟だと分かった。

 そんな者が使い物になるか、と黒ローブは弟を蹴りつけた。黒ローブが行ってしまうと、すかさずオージアスは部屋に入り込んで弟を連れ出そうとしたところ、女が自分も連れていけと騒ごうとしたので仕方なしに連れて行くことにした。弟は意識はあったが、ぐったりとして動けない様子だ。吐いていないが、腹が痛むようで、身体を丸くして腹を庇っている。

 正直な所、女はどうでも良いが、弟だけは助けてやりたかった。

 ガエルの毒を取り除く薬を作ることができる幻獣がいるくらいだ。何とかなるだろう。ただし、可能な限り急ぐ必要がある。

 オージアスは大胆にも用意してきた黒い布をしもべ団団員と二人でかぶり、まるで女を連行しているかのようにして薬草園を出た。秘密主義の黒ローブたちは仲間同士でも任務のことについて話し合わないのだろう。呆気ないほど簡単に出ることができた。

 後は、この母親と弟を無事に南の港町までに送り届ける。

 いくら、国外にも姿を現すといえど、ゼナイドから相当に南下すれば、その支配力も弱まり、行動も狭められる。

 それでも、他国へも小隊で乗り込んで襲ってきたという話を聞いているオージアスは油断せずに事を運んだ。

 薬草園を出て幾らも経たないうちに女がお前らは誰だこれからどうするのだと声を上げるのを制して小声で言う。

「俺たちは薬草を取り扱う業者だ。変な恰好をしたのが子供を虐待しているのを助け出そうとしたのさ。辺りには奴らの仲間がうろついているかもしれない。声を上げるんじゃない」

 敷地を出てこれ幸いと一人で逃げてくれれば良いものを、そんな度胸もなく、自分を安心させるために声も潜めず危険を呼び込もうとする。

 色々思うところはあったが、今は逃げることが先決だ。

 エディスへ戻り、馬車に乗ろうとしたが、親子がいないことに気づいた黒ローブが人気のない路地を駆け回り、捜査している。上も要注意だ。連中はあんな格好をしているのにもかかわらず、屋根の上を歩き回る。奇妙な姿に気を削がれるが、連中の身体能力は驚異的だ。

 実践で密偵能力を鍛え上げて来たからこそ、オージアスは彼らの実力を評価していた。

 親子が自力で逃げ出し、街へ隠れているとでも思っている今が狙い目だ。一向に見つからないとなると、向こうも事の重大さを把握してより戦力を投入して本気でかかってくる。まだ、少人数で連れ戻そうとしている今がチャンスだった。

 弟を医者に診せたかったが、その余裕は与えられなかった。

「しっかりしろよ、絶対に助けてやるからな」

 布にくるまった弟に向けて言った言葉に女が頷き、渋い顔を隠すためにオージアスは顔を背けた。



 オージアスは無事、エディスを抜け、途中の街で一旦、弟を医者に診せた。

 女は早く逃げないと追手が来るだのそんな金があるなら食べ物を買ってくれと散々に喚いたが、幻獣のしもべ団に目配せして屋台に連れて行かせたら大人しくなった。

 弟の症状は打撲で、骨折などはしておらず、衰弱しており、栄養を取って安静にしているように言われ、胸をなでおろした。

 医者から宿へ向かう途中、目を覚ました弟に、兄の所へ連れて行ってやるからもう少し頑張れと言ったら、途端に目に生気が戻る。

 それからも、女は何度となくオージアスともう一人の幻獣のしもべ団団員の手を焼かせ苛立たせた。文句があるのなら別行動しろと言えば、だったら弟を渡せと狡猾な目つきで言う。

 エディスで乗り合いではなく専用馬車を仕立てたのがよほど金持ちだと思わせたのだろう。それからも、あれが欲しいこれが食べたいとうるさい。喚けば自分の思い通りになると変に学習させてしまったらしい。そうすれば黒ローブに見つかって自分の身も危ないのだと、何故分からないのか不思議だった。そう言ってやっても、自分の欲望を満たし、要望を通すのが優先される。

 オージアスが止める間もなく、もう一人の団員が女に自分たちが幻獣のしもべ団だと話してしまった。お前たちは誰だと喚く女を黙らせたかったのに違いない。オージアスも辟易していて強く止める気にはなれなかった。

「流石は翼の冒険者! エディスの英雄は弱い者の味方なのね!」

 何か違った期待を抱かせてしまったみたいだが、この女には何を言っても無駄だとオージアスたちはうんざりしきっていた。

 もはや処置なしとばかりに、マウロに押し付けてしまう気で、結局は同行を許した。

 途中、高級な宿に泊まりたがった。

「そんな所に泊まる金なんてねえよ。行きたきゃ、自腹で泊まりな!」

「だって、ねえ、翼の冒険者から貰っているでしょう?」

 それは事実だが、上目遣いで気持ち悪く笑う女のためのものではない。

 英雄が関わり合いのない人間を助け、無償でその贅沢を保証してくれると思われても困る。

「私はこんなに苦労したんだ。ちょっとくらいいじゃないか!」

 そう言って、自分の思い通りにならないと子供に当たり散らした。そして、食事を横から奪う。

「おじさん、お金をください」

 母親にそう言えと言われたのだ。

 無表情の棒読みでそう告げられ、オージアスの頭が煮えそうになったころ、ようやく港町に着いた。

 そこでマウロたちと落ち合う手筈となっていた。

「兄ちゃんに会えるぞ」

 女に聞こえないように囁くと、この時ばかりは弟が嬉しそうに笑う。それでも歓声を上げたりしなかった。大声を上げれば母親に叱られると身をもって知っているからだ。

「っはぁ~~、もう、いい加減、狭苦しくて振動が激しい物に乗りっぱなしは大変だよ。飽きるしねえ」

 至れり尽くせりなのにその言い草で、女が馬車から降りた。

 オージアスたちは大地の神殿へと向かった。

 港町だけあって、水の神殿が一番立派で人の出入りも激しい。女は指さしてあちらに行こうとうるさかったが、もはや返事すらする気が起きない。行きたいなら一人で行けば良いくらいに思っていたが、舌打ちしながらも付いて来た。こちらが舌打ちしたい。

 大地の神殿へ行き、符丁となるジェスチャーをして見せると、見習い聖教司はすぐに引っ込んで、聖教司を連れて来た。既にマウロたちは到着しているそうで、聖教司が自ら案内してくれる。

 女が目をあちこちに彷徨わせ、品定めをしている。弟は幻獣のしもべ団が手を繋いでやっている。最近ではもはや母親よりもオージアスたちに懐き、頼るようになっていた。

 部屋に入った途端、その手を振り払って走った。

「兄ちゃん!」

「ノエル!」

 そう言えば、その時初めて名前を知った。女は名前を一度も呼ばなかったのだと知る。

「スタニック、この馬鹿! 今まで何をやっていたんだい! 母さんがどれほど苦労したか!」

 叫ばれた兄の方がびくんと大きく体を震わせ、固まった。

 喚く女を二人掛かりで黙らせるのも、悲しいかな、手慣れたものになっていた。



 シアンは扉が開いた先に見知った幻獣のしもべ団団員と女性と子供がいるのを見て取った途端、傍らに立つ子供の様子が変わったのに気づいた。五、六歳の子供が駆けてくるのに、見たことのない喜色を浮かべる。しかし、同じく喜んでいられはしなかった。

 女性の甲高い喚き声が聞こえた途端、子供は雷に打たれたように体を硬直させる。

「大丈夫だよ、落ち着いて息を吸って、吐いて」

 兄の傍らにシアンが膝をついて、そっと宥めるように背中を撫でる。

 彼の気持ちが痛いほど伝わって来る。張りつめた表情に、シアンも現実世界でのことを想起させられる。

「兄ちゃん、大丈夫? どっか痛いの?」

 弟の方も兄の様子に不安げに見上げる。

 エディスで出会ったイレーヌ親子はシアンの理想の家族像だった。シリルとエディ兄弟を彷彿させる二人の子供が母親の剣幕に怯え切っているのが胸が痛くてならない。自分とは境遇がかけ離れているのに、何故か重なって思えてしまう。

 全ての親子が兄弟がイレーヌたちのような温かいものであったら良いのに。そんなあり得ないことを考えてしまう。

 シアンは深呼吸を繰り返して吐き気をやり過ごした。胸がむかむかして胃がひっくり返りそうである。

 兄との感動の再会をぶち壊した女が腹立たしくて、オージアスはつい口を塞ぐ手に力が籠り、睨まれるが知らん顔した。



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