50.カランの来し方 ~死んでも生きる~
カランは後ろ脚立ちし、前足に掴んだ物を見下す。そこにはボールがあり、「鼻ちょん」と書かれていた。
大事そうに仕舞う。
『俺もマジックバッグを貰うかにゃあ』
狩りをしない自分が貰えるはずもない。
先日の悩み相談でそれを言えば良かっただろうか。
でも、あの時は語尾をつけず、話し方も変えた。姿は見えず、声も聞こえなかったのだから、カランが話したとはシアンには分からなかっただろう。あの妙に鋭い狐はどうか分からないが。
他の幻獣たちの話し方や会話の中身で大体誰が誰か判明してしまい、消去法で特定できてしまうとは思いもよらないカランだった。
カランはあちこち彷徨って、飢えて腹がひりついて痛くて感覚もなくなって来て、これで死んでしまうのだと思って気が付いたらこの島に連れて来られていた。
二足歩行して人語を操る巨大な猫の姿に驚かないのかと、怖くてシアンには聞くことができなかった。だから他の幻獣に聞いたら、無言で九尾に視線をやった。二足歩行をしてふざけたことを言い、カトラリーまで使う狐の姿に、カランは総毛立った。
ともあれ、弱っているし行く所がないので休ませて貰うことにした。自分は何も奪われるものがなく、命すらも失いそうになっていたのだ。何の利用価値があるのか分からないが、好きにすれば良い。
ひと冬の暖を取らせて貰うだけのつもりが、この島は居心地が良すぎた。
カランの一族も麒麟や鸞、ネーソスのごとく珍重され、乱獲されそうになったので、村から出ないようになった。元々、縄張り意識が強い種族でもあった。
でもカランは好奇心から村を出た。
同族は面倒くさがりの個人主義だ。そのくせ、寂しがり屋の一面があって、時折、毛玉みたいにくっつき合う。冬など特に、中に潜り込もうと毛玉が格闘する。
外の世界は見るもの全てが珍しく、あちこち見渡していると、人間がおり、二足歩行する大柄な猫というのに気味悪がられた。
折り悪く子供連れと行き会い、小さい子が泣き出し、その兄だろう子が石を投げてあっちへ行けと言った。
恐ろしかった。
同族は俊敏かつ怠惰で、獲物を狩る時くらいしかそんな乱暴なことをしない。
後はボス争いくらいだ。
あれは壮絶だ。
とにかく、カランは驚いて逃げ出し、うっかり人の積み上げていた荷を崩してしまい、更に怒鳴られる羽目になった。
怖くて恐ろしくて、とにかく逃げなければ、とあちこちを駆け回った。
それを助けてくれたのもまた人間で、女性だった。
「怪我をしているわね」
そう言って手当てしてくれて、ミルクを温めて飲ませてくれた。
初めてできた人間の友人だった。
よくへたくそな歌を歌っていた。
二十代半ばの、子供が中々できないからと離婚された女性だった。
人間世界のことを色々教えてくれて、数年ほど、カランはその女性の元に頻繁に遊びに行った。
同族たちはあまり出入りすると村の場所が人間に知られてしまうからと良い顔をしなかった。カランも極力気を付けるようにしていた。
カランを普通の猫として接し、二足歩行するのを見ても驚いたものの、嫌うことなく、訪問を歓迎してくれた人だった。
けれど、病で死んでしまった。
子供もいなく、夫も失い、実家に帰ることができなくて懸命に働いた女性は、最後に、カランという友達を得て幸せだった、随分慰められたと遺して逝った。
その時はまだカランという名を得ていなかったけれど。
遺品整理をするのに二足歩行している所を他の人間に見られ、気味悪がられて追い立てられた。
その後、転々とした。そのころはもう故郷の村への出入りを禁止されていたのだ。禍を招くことをする者だと。
彼女の記憶が強く残り、人間が恋しかったが、誰もカランを受け入れてはくれなかった。
そんな中、また仲良くなれた者がいた。今度もまた人間の女性と仲良くなった。猫の振りをしていたからだ。
随分大きい猫ねえ、と笑ってくれたときには胸が高鳴った。
家人が家の中に動物を持ち込むのが嫌で飼って貰うことはできなかった。
何でも小さいころ、ヒツジやヤギ、鶏と一緒に暮らしていてうんざりしていたらしい。結婚して家庭を持ったら、絶対に動物は外と決めていたそうだ。
仲良くなってしばらくした頃、彼女が危ないことをしようとしたので、勇気を振り絞って話しかけた。
彼女は驚いたものの、受け入れてくれた。危ないことをしようとするのを諦めさせるのは中々骨が折れた。
でも、お陰で親交を深めることができた。
その日、カランはいつもの場所で彼女を待っていた。
彼女は来なかった。
カランはずっと待った。その場で丸くなって眠りながら、遅れてごめんなさいという声を待った。
彼女が結婚して遠くへ行ったことを後から知った。
待ち続けて不審に思った村人に捕らわれた身としては、言っておいてくれよ、と内心愚痴りたくもなる。
裏切られたような、置いて行かれたような、実はそんなに好かれていなかったのか、という悲しみで胸が痛かった。
事情をある程度話して同情してくれても、新しい生活が始まるのに忙しく、忘れられるくらいのものだったのだな、という諦念に捕らわれた。
村人の隙をついて、何とか逃げ出した。
それから、方々を旅してまわった。
食べられないことが多かった。
でも、いじましくも、人の作った物を奪おうとは思わなかった。
その者と仲良くなり、盗人だと知られたら、折角心を許してくれたのが台無しになる。
飢えは体力を奪い、狩りの能力も失っていった。
そうして、あちこちの人間の街や村を横目に彷徨い続けた。
冬に旅するのは自殺行為であるが、ひと冬のねぐらにしようと潜り込んだ廃屋を追われ、すっかり雪化粧された森沿いの街道を歩いたこともある。
歩くうちに季節を越え、暖かくなってくるだろう。
そうだ。歩いているうちに、春が近づくのだ。一歩、一歩。
逆側の斜面も白く覆われ、ところどころ岩肌をのぞかせている。
丘の上に立った時、初めて坂道を登っていたのだと気づく。見下せば、温かみのある薄いオレンジ色の壁に濃いオレンジ色の三角屋根を頂く館がある。向きによって日が当たりにくいのか、雪をかぶっている。
旅では美しい景色を見ることができた。
雪と氷に閉ざされた山を背景に下その半分ほど隠す茶色の山脈が湖面に映っている。涼し気で突き抜けた風景だ。山が高いはずなのに、空の広さが印象に残る。
別の所では、鷲が羽を畳んでその下に嘴を突っ込み、丸く長くなって寒さをしのいでいるような、先が太くなった円柱のような大岩に見とれたりもした。
でも、それだけだった。
綺麗だねとか、鷲みたいだね、と言い合う者がいない。
孤独だった。
寒くてひもじくてみじめで悲しかった。
それでも、何とか冬を越すことができた。
夏を迎えて慢心したのか、自分がいつ倒れたかも気づかない内に、街の路地傍で倒れていた。もう体はろくに動かなく意識も遠のいた。
次に目が覚めたら、この島にいたのだ。
知れば知る程変な場所だった。
これほど多くの高位幻獣たちが集まり、自分ができることをして暮らしている。何より、いるかいないかさえ不明だった精霊王という存在、それが六柱全てが顕現するのだ。そして、セバスチャンという家令。彼には絶対に逆らってはならない。
その彼らの中心にいるのがシアンだ。
彼は人だが、異世界から来ている。
もはや、何が何だか分からない。とんでもない場所だった。
幻獣たちは誰かに何らかの問題があれば、一緒になって考え、共に本人が納得するように収めようとする。
みなシアンが大好きで、彼の役に立とうとする。
シアンも彼らが好きで、そんな幻獣たちの中に混じって、シアンを好きで、シアンから好かれるということが、この上ない僥倖で、得難いものなのだと、ここへ来て初めて知った。
カランは人間が好きだった。
気味悪がられ、石もて追われたけれど、それでも、撫でられ膝に乗せられて愛でられた記憶が忘れられないのだ。
リムのタンバリンが燃やされ、みなで慰め合った。フラッシュという人間は先んじて作っていた。羨ましさもあるが、意思疎通をする幻獣たちをそこまで愛して尽くしてくれる人間が存在するということに一種の感動を覚える。
一角獣は心を預けた人間をとうの昔に亡くしても、彼女のために力を使い続けたと聞く。
同じく、それを知ったリムが小首を傾げてシアンに聞いた。
『シアンもいなくなる?』
「いつかはね。でも今すぐじゃないよ」
『うん!』
でも、高位幻獣たちは長命だ。その生のほんの一部の期間しか共に生きられない。
そんなことわざわざ言わなくても、という気持ちといつかは知ることだという考えの狭間で、リムに言おうかどうか逡巡した。
自然体でシアンに甘えるリムに、結局は言うことはできなかった。
せっせと冬支度をする屋敷の者たちだったが、幻獣の多くは身体能力に優れており、暑さ寒さに強いから不要のものだ。
では、何故そんなことをしているかと言えば、シアンのためだ。シアンがくしゃみ一つでもしようものなら大騒ぎだ。
そういえば、ユルクが以前、故郷に赴いた際、共に出かけたシアンがレヴィアタンの舞い上がらせた泥でむせたからという理由で、ティオはレヴィアタンを吹っ飛ばしたのだそうだ。
激烈に過保護だった。
けれど、カランからしてみれば、随分ありがたいことだった。
カランは長らく同族の元を離れ、人の世を彷徨った。どこにも安住の地はなかった。
そのため、体が弱り、暑さ寒さにめっぽう弱くなった。
『恐らく、俺も長くないんだろうにゃあ』
その僅かな短いひとときを、ここで多くの幻獣たちと、そして、あの異界人と過ごすことができることが、とんでもない僥倖なのだと噛み締める。
楽しいからこそ、あともうちょっと、少しでも長く、と思ってしまう。
捨て鉢な気持ちになっていた時からは信じられない心境の変化である。
『しんみりしているところにアレですがね、カランは長生きしますよ』
『九尾か。驚かすにゃよ』
振り向くと尾を青白く浮かび上がらせる白狐が佇んでいる。彼はふざけた物言いをするが、聖獣であり凶獣でもある、その性は苛烈だ。
『カランはシアンちゃんへの過保護っぷりを舐めていますね』
『なんだ、それ?』
過保護さ加減はまざまざと目にしているが、まだ何かあるというのか。
『良いですか。シアンちゃんへの貢献度が高いフラッシュがシアンちゃんが加護を得た精霊の属性魔法を使えるようになったくらいです。ティオだって加護を受けていない他属性の精霊の助力を多分に受けています』
『確かに、あいつの強さは底知れないよなあ』
大空と大地の王と呼ばれるグリフォンで、生来備わった力は十二分にある。その上に多数の精霊の助力を得ているのだ。
『リムもしかり、です』
その実力はまだ垣間見ることはないが、とにかく加護を受けた精霊以外の精霊からも可愛がられているのは何度も見ている。
『つまり、俺にも助力が及んでいる、と?』
九尾が首肯する。
『第一、カランが死んだらシアンちゃんが悲しみます。シアンちゃんが泣いたら……』
そこで思わせぶりに言葉を切るが、カランも短い付き合いの中で精霊たちのシアンへの過保護ぶりは目の当たりにしている。そして、セバスチャンもいる。
そのシアンを泣かせるような真似をすればどうなるか。
『あ、うん、俺、死ぬ気で生きるわ。死んでも生きるわ』
真顔で矛盾したことを言い切った。
この時ばかりは語尾に「にゃ」をつけ忘れるほどだった。
『それが良いですよ』
九尾も真面目な顔で頷く。
『きゅうちゃーん、カラーン! おやつ食べよう!』
やや離れた所からリムの声が聞こえてくる。
傍らにシアンもいる。
『おやつ、か。そんな贅沢なものを毎日食べられるようになるなんてにゃあ』
『まさしく極楽。理想郷!』
『だにゃ!』
顔を見合わせて笑うと、一散に駆けだした。
九尾はこうして、ティオには成し得ない部分で幻獣たちのケアを行っていた。ティオは自然と幻獣たちの統率者となり、リムはそうしようと思わない自然体で色んな幻獣たちに変化を与える。
だからこそ、彼ら初期三頭の幻獣は他の幻獣たちから一目置かれた。




