48.悩み相談室3
その幻獣は、自分の作るものに自信があるし、事実、自分の生産を有益なもので、周囲はそう言っている。だから、自分をもっと優先しろと言った。
九尾はにやにや笑いながら腕組みをする。
「君が作り出すものが皆の役に立って喜んでくれているんだよね。それではいけないの?」
『というと?』
「君が物を作るのに大変なら、この館の皆が力や知恵を貸してくれると思う。他の幻獣は力がある者は魔獣を狩ってくるし、技能のある者はその能力を発揮してくれている。君と同じようにね。そうやってそれぞれできることをしているんだよ。そして、他の者ができることでしてくれた恩恵を受けている。感謝し合ってね。それではいけないの?」
『でも、自分は色んな物を生み出しているし、誰よりも役に立っている。全然役に立っていない者もいるのに、そいつと一緒なんて不公平だ』
「うん、そうだね」
肯定して見せれば、カーテンの向こうで意外そうな声が上がる。九尾の笑みが深くなる。
シアンはなるべくゆっくりと言葉を続ける。
「でも、誰がその線引きをするの? 価値観は多様で同じ人でも状況によっては変わる。君が全くできないことを軽々とやれる者がすごいの? その者にとってそれは何てことないことで、その者からしてみれば、他者の行うことの方がすごいと言ったら? そしてそれが君にとっては取るに足りないことだったら? どちらがすごいの?」
言葉を切ったが、カーテンの向こうの幻獣は何も返してこない。
「例えば、僕が何もできない幻獣だったとして、でも、君が悩んでいることがあった時に一緒になって一生懸命考えて、何が一番良いのか、何が君にとって一番納得のいく形になることができるのか、探して手助けをしたとする。そんな僕よりも、君は優先されたいと思う?」
やはり、何も返ってこない。
それでもシアンは責め立てるような口調にならないように注意しながら、穏やかにゆっくりと話した。
「ここの幻獣たちは色んな考え方をする者が集まったけれど、そういうことをしてくれる者たちばかりだと思うな」
自分はすごいものを色々作れると自負していた。でも、今まで認められなかった。だから、この島に来て色んな物を作り、それを喜ばれ認められるようになって嬉しかった。それが自信に繋がり、更には過剰に主張し、より認めて貰おうとした。自分の生産を有益なものと認識し、優先して当たり前だと思った。でも、役に立たない者たちと同列に扱われ、あまつさえ、彼らは大切にされ、可愛がられていた。
嫉妬といえばそれまでで、もっと自分を見て欲しい、と思いつつ、素直に甘えることができなくて、より一層工房に籠ることになった。
「僕には君が誰だか分からないよ。姿も声も分からないから。でもね、僕はこの館の幻獣が全員好きだよ。だから、君のことも好きだよ」
そういった感情を上手く表現できない自分をもシアンは好きだと言う。
「君がすごいように他の幻獣もすごいんだよ。君がそうなように、他の幻獣も認められると嬉しいよ」
そこで、他者も同じだと気づく。
そして、ようやく思い出した。
自分は人が苦手だから、漂流してきた子供を館で保護できないと幻獣たちは話し合ったのだ。
そうやって、自分のためにどうしたら良いのかと考えてくれたのだ。シアンの言う通り。
自分のことを慮ってくれるのが嬉しかった。でも、自分はどうだろう。
例えば、自分の糾弾したことを克服しようと麒麟は頑張っているのに、今まで認められなかった分までここで認めて欲しいと主張ばかりして、このまま甘えていても良いのだろうか?
自分ももっと何かしなくては。そう歯噛みする。
思わずため息をつくと、九尾が茶を淹れてくれる。
『もう半分以上こなしましたね』
「うん。それにしても、可愛いって重要だったのかな」
『それはもちろんそうですよ。きゅうちゃんのアイデンティティでもありますからなっ!』
九尾がさっと席を立ち、フォーエバーポーズを取る。
「ふふ」
シアンはため息交じりに笑って九尾が注いだ茶を飲んだ。
「初めの幻獣がやって来た時、誰が誰だか分からなくて、初めて聞く声のような感じがして、とても不安で、いっそ不愉快なくらいだったんだ」
もうひと口茶を飲んで、シアンはだからね、と続ける。
「僕は君たちのことが本当に好きだったんだなあって思ったんだ」
『おや、愛の告白』
「と言われると恥ずかしいんだけれど。みんな可愛くて、それはみんなを好きだからそう思うんだなって思ったんだよ」
つまり、幻獣たちが可愛いから、何かしてやりたいのだと思えるのだ、とシアンは言う。
『そういうシアンちゃんだからこそ、幻獣たちもこぞって何かしてやりたいと思うのですよ』
「もう沢山して貰っているよ。もちろん、きゅうちゃんからもね」
ティーカップを持ち上げて笑って見せると、九尾も笑みを返した。
シアンとしては困っていることや悩んでいることの他、好きな食べ物なども聞いてみたかったが、それは悩み相談室と称して誰か分からない形式を取っている上では不要だ。匿名で言いたいこと、言わば直接言葉を交わす目安箱のようなものだ。目安箱ならば筆跡で誰のものかすぐに判明するのでこういった手段を取った。
『ひみつの特訓をしているのだけれど、それとは別に、もっと強くならなくては、と思うんだ』
『おじいちゃんからまた何か言ってきたんでしょうかねえ』
強くなりたいと言って特訓をしているのは一角獣も同じだが、既に彼の順番は過ぎている。シアンも九尾と同じ幻獣を思い描いていたが、ティーカップを口元に持っていくことで返答を避けた。
幻獣たちはよくひみつだと言うが、大体においてオープンになっている秘密である。
『やっぱり強い者に教えを乞うのが良いと思うのだけれど、どうやったら、ティオに弟子入りできるかな?』
「それは……ティオはそういうのは苦手そうだからなあ。多分、難しいだろうねえ」
『多分ではなく、確実に無理でしょうねえ』
九尾をそっと突くと、こういうのはちゃんと言わなくてはいけないと断じる。
カーテンの向こう側でしょんぼりしたため息が聞こえる。
「ええと、ベヘルツトは? 彼もよく特訓しているよ」
同じ水属性だし、と心の中で付け加える。
『でも、精霊王の加護を持っているのに、頼めないよ』
『ティオもそうですが』
同じ水属性の精霊の加護を持つ方が恐れ多いのだろうか。
「ベヘルツトならば快く一緒に特訓をしてくれそうだよ」
『あんなに強いのに、まだ頑張るんだねえ』
シアンの言葉に感心したように答える。
「一度、ベヘルツトに話してみるけど、無茶しないでね」
『うん。ありがとう』
後に、シアンが一角獣にそれを依頼すると、任せて、と鼻息荒く意気込んだ。
悩み相談室を出て、次の者に声を掛けに向かう際、ひみつの特訓といえば、リムもやっていたな、と思い出す。
あれはそう、手下が頑張っているのに、自分が言い訳していては、と言っていた。
リムは大きくなれるようになったのだろうか。
自分もまた、紐っ子と言われないように頑張らなければ。
『ああ、でも、シアンにならそう思われていても良いかもしれないな』
シアンは欠点を美点に変えてしまう特別な技能の持ち主だとユルクは思う。それは自分では持ち得なかった視点だ。
『シアンはどんな可愛い幻獣が良い?』
その幻獣もまた、自分のことではなく、シアンのことを言及した。
『リムのような元気で可愛いの、ティオのような他の者には素っ気ないのに自分には甘えてくるの、そして、きゅうちゃんのような外見はもとより内側からも溢れ出る可愛さ、シアンちゃんは選り取り見取りですからなあ』
九尾が座ったまま腕組みして、二度三度頷く。
「そんなことないよ。みんな、優しくて個性豊かで、だから好きなんだよ。どんな姿をしていたってね」
シアンは苦笑する。
『まあ、そうやって外見に捕らわれることがないから、自信をなくして黒い塊の姿になっていた闇の精霊や、黒い粘液にまみれていた前魔神にも誠意をもって接することができたんでしょうね。誰しも外見で驚いたり恐怖を感じて近づきがたいと思うことはある。でも、シアンちゃんは出会った者の本質を見極めようとする。そして対象と親交を深めたいと思い、その真心を音楽に乗せて届けることができた。だから、彼らの琴線に触れることができたのですねえ』
九尾の大仰な言葉に慌ててそれほどのことでもないと言いかけたシアンより先に、カーテンの向こうの幻獣が勢い込む。
『そうなの? シアンは外見は気にしないの?』
『貴方は外見に自信がないのですか?』
おや、と九尾が目をすがめる。
『うん……。でも、内面もそんなに自信はない』
トーンダウンする。こういうときはカーテンの存在がもどかしい。
「そうなの? 僕は館の幻獣はみんな可愛いと思うし、性格も好きだよ。個性豊かだし、それぞれ特技を持っていてすごいなと思う。いつも助けられているよ」
『そう。そうなんだ。うん。だったら良いよ』
「君は? 何か悩んでいることや困っていることはない?」
その幻獣は明確に不満はないと言い切った。
「そう? それなら良いんだけれど、後から思い出したらまた言ってね」
シアンの言葉に是と返して部屋を出た。
『あっさりしたものでしたが、今のには嘘を感じました?』
「ううん、本心だったと思う」
ここは本当に暖かい陽だまりのようで、ずっとうたた寝していたい心地にさせる。
可愛くなるために、語尾をつけたと言うのに、忘れてしまうことがあるのは、気が緩むせいだ。みな良い者ばかりで、気を張っているのが馬鹿らしくなる。
身構えている自分の方がどうかしているのではないかと思う
自分はリムのように素直に甘えられない。
例えば、リムにとってはシアンと一緒にお菓子を作って、食べて、食べかすを拭いて貰うまでがワンセットなのだ。だから、焼き菓子は出来立てを食べるのが好き。最初から最後まで一緒にできるから。
作り置きは美味しいけれど、シアンがいなければ、一緒に味わって美味しいねと言い合うことや拭いて貰うことはできない。
自分で拭いて、何となく寂しくなったので、闇の精霊を呼んでブラシをかけて貰う。
そんなことで精霊王を呼び出す方も呼び出す方だが、あっさり顕現して嬉しそうにブラシをかけてやる姿を見て、腰を抜かしそうになった。
リムはそのまま闇の精霊の膝の上で丸くなって眠ってしまった。少し鼻をぐすぐすいわせていた。ブラシをかけて貰いながらうつらうつらし、たまに小さな頭を上げて、キュアと小さく鳴く。
シアン、いない、という呟きは、闇の精霊の胸を締め付けただろう。
見ていた自分さえも、仄悲しくなったくらいだ。
それから数日、シアンはログインしなかった。
事前に本人から聞いてはいたが、ティオの隣に座ってぼんやり庭を眺めて、時折ため息交じりにキュアと呟く小さな白い背中を、セバスチャンが気づかわし気に眺めていた。
リムは色んな者に好かれ、可愛がられた。
自分もリムが好きだったし、リムも自分を好きでいてくれる。
多くの者から好かれる者に好いて貰えることが嬉しかった。
久しぶりに姿を現したシアンにリムはいち早く飛びついた。しばらく肩に陣取って、同じく不在の寂しさを埋める幻獣たちと触れ合うシアンに付き合った。
リムがふと思いついたように飛び立って戻ってみても、まだシアンは幻獣たちに囲まれていた。不在の間の出来事をそれぞれから聞いて楽しそうにしている。
気づいたシアンが笑って呼びかけるのに、リムは咄嗟にブラシを背中に隠す。
「リム? どうかした?」
『んーん』
幻獣の輪から少し離れて見ていたので、その様子がよく分かった。
『リムは久々に会ったから、ブラシをかけてほしいのにゃ』
リムが後ろに隠したブラシを取り、シアンに向けて渡してやる。
「そっか。じゃあ、ブラシをかけようか。おいで、リム」
ブラシを片手にシアンがその場に座り、膝を叩く。わんわん三兄弟が協力してクッションを引きずって来る。シアンはそこに座りなおし、リムは喜んでその膝に乗り上げる。
ティオがうっとりその様子を見つめ、麒麟と鸞が顔を見合わせて笑い合う。
何故だか自分も嬉しくなった。
シアンに抱き上げて貰うのが好きだった。
自分は一メートルを超える体長を持つ。
その分、重みもある。
だから、シアンの負担にならないようにするならば、抱き上げられない方が良いのだが、シアンは笑ってそんなことは気にする必要はないと言う。シアンが抱き上げてくれるのを、一角獣も手伝ってくれる。
博識の鸞は人間社会をあちこち巡った自分の知識を認め、ユエは自分のアドバイスに感謝し、一緒にああでもないこうでもないと言いながら色々作った。
一角獣は怠惰な自分でも守ってくれる。
他の者たちも認め、すごいと言ってくれる。
自分はシアンが好きだ。
でも、独り占めしたいとは思わない。
他者のために一緒に考え、楽しいことや美味しいもの、美しい景色を一緒に分かち合う幻獣たちと共に過ごすことは、自分にとってかけがえのない時間だった。そんな幻獣たちが好きでみなに優しいシアンが好きだったし、みなの中で同じように自分に優しくしてくれることが嬉しかった。自分一人除け者にされず、一緒に好きな仲間として遇してくれることが、殊の外嬉しく、心地よかった。




