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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第六章
290/630

46.悩み相談室1  ~七夕の願いじゃないよ/そろそろ本気を出して良いよね?~

 

 それまで自由に暮らしていた幻獣たちが島の生活するに当たって窮屈な思いをしているのではないか、何か悩んでいることがないか、とシアンは彼らの意見を汲み取ろうとした。

『ふむ。悩み相談室ですな!』

 シアンは相談した相手を間違ったのではないかという一抹の不安を感じた。

 勝手な思い込みから事実とは乖離した考えを膨らませていき、行き違いとなる。そうならないためにもコミュニケーションを取っておきたい。

 折よくリリピピも戻ってきている。

 一度、一頭ずつ話をしてみるのも良いかもしれないと思った。

 シアンが考える風なのを見て取った九尾が二度三度頷く。

「良いように言う必要はないんだよ。正直に話し合って、妥協できる点を探していくのも良いんじゃないかな、と思って」

『良いではありませんか、幻獣たちのお悩み相談室! 助手はこのきゅうちゃんにお任せあれ!』

 完全に面白がっている。

 九尾は闇の精霊の力を借りて、誰が話しているか解らないようにしようと言い出す。誰の相談か分からなければ、話す方も正直に打ち明けられるのではないかというのだ。

 それもそうか、とシアンは勧めに応じて闇の精霊に頼み、それを幻獣たちに伝えた。

 ティオが無言でシアンの隣に佇む九尾を鋭い眼光をやる。九尾の顔に汗が伝う。

「ティオ、これは僕が必要だと思ったんだよ」

 シアンが苦笑しながら言うと、ティオは仕方がないとばかりに鼻息をつく。

『わたくしも、ですか?』

 リリピピが目を丸くする。

「うん、もちろんだよ。急なことだし、ここに慣れていないだろうから、順番を後の方にして貰って、ゆっくり考えてね」

 部屋の一つを、中央をカーテンで仕切る。向こう側に扉があり、幻獣が入って来れるようにした。シアンは九尾と並んで座り、カーテンの方を向く。その前に置かれたテーブルに茶菓が乗っているのは家令の気遣いである。

 九尾は早速カトラリーを操って菓子を頬張っている。

 待つほどもなく、扉が開く音がして、部屋に入って来る者がいた。ティオなどは音もなく歩くが、闇の精霊の力のお陰か、カーテンの向こうの気配は読み取れない。

『シアン?』

「うん、ここにいるよ」

 答えながらも、強烈な違和感を感じる。姿が見えず、声で相手が分からないというのは不思議で、そして、奇妙な嫌悪感に似た感情を覚える。不審や警戒が湧き、それを努めて抑え込む。

 シアンの葛藤を見て取り、九尾が口を開く。

『先ほども言いましたが、こちらからは姿も見えないし、声も気配も分かりません。安心して、普段不安に思っていることや、言いにくいこと、言いたいことをお話ししてください』

『きゅうちゃんもいるんだ!』

 ぱあっと明るく声が弾む。

 シアンははっと息を飲み、耳を澄ます。

『ぼくがね、一番に思いついたんだよ! あのね、シアンがいっぱい起きていますように!』

 七夕のお願いじゃないんですから、と混ぜっ返す九尾を他所に、シアンは安堵して涙が滲んでくるのを堪えた。

 リムだ。

 シアンは知らず、名前を呟く。

 シアンは自分の名を呼ばれて、その声が全く記憶にないもので、姿も見えないことがこんなに不安で不快に感じるものだとは思いもよらなかった。

 この世界へ来て、ティオと出会い、リムが卵から孵り、隣にいる九尾に色々教わりながら、彼らと共に旅してきた。もはや、ティオもリムも九尾も、自分にとってなくてはならない存在となっていたのだ。

 この過酷な世界で守ってくれ、シアンの作った料理を美味しいと言ってくれ、音楽を楽しみ、美しいものに目を奪われるだけではない。大切なことや心から音楽を楽しむことを教えてくれ、シアンに音楽を取り戻させてくれた。

「ごめんね、もっと起きていられるようにするね」

 どうしても、現実世界が主体となる。

 今後は更に楽器の練習もこちらの世界で行うことにしようと決める。

『うん!』

 満面の笑顔で答えているだろう姿が目に浮かぶ。

『……シアン、そっちに行っちゃダメ?』

「ふふ、また後でね。セバスチャンにおやつを貰っておいで。」

 シアンは耳を澄ませてリムが駆けて行く気配を窺う。

 扉が閉まり、ほっと息をつくと、九尾が茶を勧めてくる。

 リムはドラゴン種の中でも中位クラスの種族なのだと鸞が教えてくれた。

 上位属性精霊二柱の加護を受け、万物を知る風の精霊から教示を受けたドラゴンでもあった。元々知能が高い土台に磨きがかかる。影響を与えた本人は意識していないが、そこにシアンの一種独特な価値観が加わる。

 リムはシアンと長時間ずっと側にいてほしいと願わなかった。それがシアンを害するとわかっていたからだ。無理を願ってシアンを困らせたり切ない気持ちにさせたくはなかった。

 リムは卵から孵って一年を迎えようとしている。長命種の一年だが、それはかけがえのない年月だった。

 シアンがティーカップから唇を離すと、ノッカーの音が響く。

「どうぞ」

 扉が開く微かな音、閉まる音がする。

 カーテンの向こうの気配は全く読めない。

 入ってこなかったのかと思った時、仕切った部屋半分の中央部分から声が届く。

『誰の声かもわからないんだね』

 静かなのにどこか重々しさを感じさせ、ふとティオが向こう側にいるのではないかと思った。

『そうです。さあ、今こそ、普段胸に収めていることを詳らかにするのです!』

 九尾が今度こそは面白い話を聞きたいものだと身を乗り出す。

『狐がリムに変なことを教える。そろそろ本気を出して良いよね?』

「きゅっ!」

 静かな威嚇に九尾がシアンの腕に縋りつくのを宥めながら、予想が当たったことに苦笑する。

 声が分からなくても、案外喋り方や物言いで分かるものなのだな、と安堵する。

「他の人のすることが全部自分の思い通りになることなんてないよ。きゅうちゃんが教えてくれることからリムが自分で取捨選択することだから。もう少し長い目で見てやって」

『むう』

 不満げな唸り声を上げながらも、仕方がないとばかりに鼻息を突く様子に、ふふ、とシアンはため息交じりに笑う。

「リムがセバスチャンにおやつを貰っているから、一緒に食べに行っておいで」

 扉の開閉で出て行ったことが知れる。

 シアンからしてみれば、これほど多種多様な幻獣たちが館のような一所で暮らせるのは彼らが高位幻獣で知能が高いからだが、ティオがしっかり幻獣たちの手綱を握っているお陰だとも思っていた。

 ティオは視線一つ、うなり声一つで場の空気を塗り替える。

 リムが皆から好かれ尽くされるとしたら、ティオは幻獣のまとめ役だ。幻獣の中でも最も強い部類に見える。嘴は岩を粉砂糖のごとく易々と砕き、爪は岩を溶けたバターさながらに切り裂く。

 幻獣たちはみなで美味しいものを食べて音楽を楽しむのを好んだ。

 ティオは調理することで、味が多様になるのだとシアンに会って初めて知った。

 シアンの料理は平坦な味ではなく、旨味がある。

 味蕾を優しく刺激する丸みを帯びるまろやかさがある。

 シアンは単調な味に辛さ酸っぱさ甘さ苦さなど様々な刺激を与えてくれる。

 それまでの毎日がただ力に任せての繰り返しだっただけなのだと知った。

 景色を美しいと思うことや料理の複雑な味わいを感じること、音楽を楽しむこと、それらを共有すること、心からシンプルにすごいねと言われて嬉しいこと、皆みんな、シアンと出会ってから知ったことだ。

 そして、リムという異種族の弟ができた。自分単体だったら卵を助けようと思わなかっただろう。それではリムに会えなかった。

 自分と違う個が発する言動から教わることや喜怒哀楽を感じた。

 それは、全く別の、初めての視点だった。



『シアンは何をしたら喜ぶの?』

 扉が閉まったと思ったら、そんな問いがすぐさまカーテンの向こうから投げかけられた。

「これは幻獣たちのための悩み相談だよ?」

 いわば聞き取りだ。逆に聞き取られ、シアンは苦笑する。

『我も役に立ちたい!』

 聞かん気な風に言う。

『これ、カーテンや闇の精霊王の力を借りる必要あるんですかねえ』

 九尾もこれまでの幻獣たちが誰なのか分かっている様子だ。

「みんな、個性豊かだからねえ」

 シアンとしてはそう言う他ない。

 シアンや九尾はあずかり知らぬことだが、闇の精霊ならば言葉遣いも分からないようにできた。しかし、シアンの脳が違和感を感じ、強い拒否反応を示したため、緩和させたのだ。

『何? 小さい声で聞こえない』

 カーテンの向こうで蹄で絨毯を掻いているじれったそうな様子が想像がつく。

「ええとね、そうだ。シェンシやユエが採取に行きたいって言っていたから、ついていってあげてくれる?」

 強いと言えば、一角獣もとにかく強い。ずっと一人だったので頼られると嬉しい様子だ。

『もちろん』

 鼻息を漏らして答える。

「そう、ありがとう。君に任せておけば大丈夫だね」

『でも』

 珍しく言い淀む声に、シアンは促すことなく待つ。

 言おうか言うまいか逡巡したあと、ぽつりと漏らす。

『我はティオほど強くないし、シアンを背に乗せられない』

「君は僕の一番槍だからね。僕が君の背に乗っていたら、自由自在に突進することは難しいでしょう? 君は背中に荷物があったとしても大丈夫かもしれない。でもね、僕は弱いから、君の突進の勢いに耐えられない。僕がティオの背中に乗せて貰っていたら、安心して突撃していけるでしょう?」

 シアンは迷うことなく言う。すぐさま言葉が出て来たのは普段からそう思っていたからだ。

『うん、そうだね。だったらいいや。ティオが我よりも強くても。認めるよ。我よりも強い者がシアンを守っているんだったら、安心して一番に突進していける』

『まあ。愛が嫉妬を超えたわ。水のわたくしが加護を与えた者が、嫉妬を超えることを成し遂げる場面を見届けることができるなんて!』

 突然、水の精霊が顕現し、声を上げる。

「水明、遠慮して」

 シアンは静かに短く言う。

 今は一角獣の内情の吐露を真面目に聞いているところだ。

 有無を言わさない短い言葉に水の精霊は目を見開き、次に、あてやかに微笑み一礼して姿を消す。

 カーテンの向こうの幻獣は水の精霊の気配に気づくことなく部屋を出て行った様子でシアンは胸をなでおろした。

 上位存在にも決然と拒否して見せることができるのだから、大したものだと九尾は思う。単に怖いもの知らずでも、死に戻りを簡単に考えているのでも、甘い見通しからくるものでもない。

『まあ、シアンちゃんですから』

「きゅうちゃん?」

『ほら、次の方が来たようですよ』

 一角獣はティオやリムに遠慮を見せるが、彼とて精霊の加護を得た幻獣だ。この館の幻獣の中でも三番目に武力に優れた存在である。

 一角獣はその後、シアンの言葉を励みにひみつの特訓を行う。その結果、突進に磨きがかかる。一直線だけだったのが弧を描いて加速するようになった。

 元居たところに戻れなくても、君たちと一緒なら。

 縦横無尽に空を、大地を、輝く途を、彼らとともに超えてゆくことが、この上ない喜びとなった。



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