43.月見 ~餅が喉に!の巻~
あの日、レフ村の出来事から、昼間は徐々に短くなり、その分、夜が長くなっていった。昼間の暑さ、陽の日差しからそれは気づきにくいけれど、涼風が実感させるようになった。
今こうして日が大きく傾くとより一層感じる。
『今日はずっとシアンと一緒!』
秋の夜長まで共に過ごすことができるとリムが上機嫌で笑う。
芋栗なんきんの好物を前に九尾も浮かれている。秋果と言うが、季節関係なく島では採れる。
島を渡る風が秋の花野から香しい香りを届けてくれる。
シアンはバーベキューコンロに火を熾し、昼間作っておいたスープを温める。
麒麟がセバスチャンと一緒に磨いたカトラリーをテーブルに設置する。
『きゅうちゃんもこっちで食べる?』
カトラリーを使用するリムが自分もテーブルで食べるのかと、幻獣たちのために開けたスペースと見比べる。
『そっちはシアンちゃんと精霊王たちが座るでしょう? きゅうちゃんはみんなと一緒で良いよ』
九尾からしてみれば、六柱もの精霊たちと食事を摂るなど、味が分からなくなりそうだ。せっかくの秋果が台無しである。
『シアン、そっちに座るの?』
リムがどちらで食べようか視線を彷徨わせる。
「こちらのテーブルでは精霊たちに座って貰って、僕はバーベキューコンロの近くへ座るよ。リムもティオたちと一緒に食べよう」
「キュア!」
いそいそと自分のカトラリーを持ち運ぶ傍ら、ティオがリム用の小さなテーブルを嘴に器用に咥えて運んでやる。力加減もお手の物だ。
小さな幻獣が両前足にスプーンとフォークを掴み、大きな幻獣がそっと嘴に小さなテーブルを携えて歩いていく姿に、シアンの唇は自然と綻ぶ。
「フラッシュさんも来れたら良かったのにね」
『忙しそうですからなあ』
フラッシュは生真面目で博識の鸞とも気が合い、よくユエを交えた三人で話し込む。何故かそこにカランが加わることはなく、フラッシュがいる際には工房に顔を見せない様子だ。
召喚獣というよりも手のかかる友人くらいの位置づけでいる九尾はすっかり島の館に居ついて馴染んでいる。
シアンとしても、力押しになりがちなティオやリムとは違う視点で助言してくれる九尾の存在は有難い。
『カラムやジョンの所へ料理のお裾分けをしたんでしょう? あの子供の様子はどうだったんですか?』
「うん、とても活き活きと畑仕事をしていたよ」
シアンは食休みの後、カラムの農場へ子供の様子を見に行った。
しばらくこの世界に来ることができなかったので、気になっていたのだ。
「体を使っている方が余計なことを考えなくて済むのが良いんです。弟がどうしているかな、とか考えてしまうから」
子供はそんなことを言いながら、一心不乱に動いた。こんなに沢山食べさせてくれるのだから、とせっせと働いていた。
カラムもまた、子供に様々に教えてやっていた。
幻獣のしもべ団たちは成人を迎えた大人たちばかりなので、新鮮なのだろう。子供は既に十三歳だと聞いて驚いていた。
「十歳になるかならんかくらいにしか見えんがのう」
これはしっかり食べさせなければ、とジョンの所からチーズやバター、卵、ハムやベーコンといった加工食品を分けて貰っていた。
魔獣の肉を幻獣たちから貰うため、ジョンの所とは良く行き来する。燻製や干し肉にしたところで、一人では到底食べ切れない。
ディーノが時折日用品や香辛料を届けているらしく、謝礼の一部としてリンゴやトマトを貰って感激していたそうだ。カラムブランドのリンゴやトマトはリムの好物だ。
「ジョンさんのところも忙しそうだったよ」
『この島は豊かで餌になる草が良い。乳も卵も取れ放題ですからな。加工が追い付かないでしょう』
餌となる草によって、家畜の肉の味が変わってくると言う。
「料理を渡したら、お返しにと沢山いただいたよ。彼らも楽しそうだったな」
ジョン一家は以前、トリス周辺で牧場を営んでおり、その家畜が軒並み流行り病でやられてしまった。
残っていた出荷待ちの加工食品でさえ、それまでの卸先がキャンセルし、牧場を畳み、引っ越しを余儀なくされている際、シアンが島に誘ったのだ。
財産である家畜を失い、買い手がつかない牧場、つまり無一文だった彼らは、新天地で忙しいことがこれほど嬉しいことなのか、としゃかりきになって働いている。
島の幻獣も乳製品や肉の加工製品を好んで食べたし、幻獣のしもべ団たちの胃袋にも収まった。
シアンは幻獣のしもべ団たちにも料理を差し入れた。彼らは彼らで忙しくしていた。
「ちょうど良い。新しい団員を紹介する」
ミルスィニという少年然とした黒髪の少女とカランタという小柄な赤毛の少女だった。
彼女らはシアンに付き従うティオの方に視線が釘付けで、シアンの顔などろくに見てもいない。苦笑しつつ挨拶を交わす。
マウロからミルスィニがゾエ村の者の血を引いていて、同種の異能を発揮するのだと聞き、感心した。
「うちの強力なルーキーだ」
「色々大変なことがあるでしょうが、まずは安全第一で頑張ってくださいね」
シアンがそう言うと、赤毛の方が幻獣たちの制御云々に言及した。シアンは確かにと頷く。それまで幻獣のしもべ団団員たちは幻獣たちを慮る者が多かった。団員が増えればそれ一辺倒でもあるまい。無暗に人を襲わないが、不快に感じれば反撃する旨、注意喚起しておいた。
館に戻る道すがら、成人していない年若い者だが、マウロならばうまく采配してくれるだろうと結論付けた。
温まったスープを鍋ごと一旦、バーベキューコンロから降ろし、テーブルの上に移動させる。こちらは重いからとセバスチャンが運んでくれた。
その間に、肉のシイタケソース掛けを温めようとする。
『温めるくらいならできるぞ』
「廻炎。炎を使わなくても温められる?」
バーベキューコンロの熾火からするりと炎の精霊が出てくる。
『漫画的ですなあ』
こっそり漏らした九尾の呟きを拾い、炎の精霊がそちらに向く。ささ、とシアンの後ろに隠れる。そこが一番安全だと九尾は知っているのだ。
『ああ。熱量をコントロールすれば良いんだろう』
「じゃあ、頼もうかな」
精霊たちを呼び、炎の精霊が温めてくれた食事をみなで舌鼓を打つ。
スープに肉料理、魚料理、煮物やお稲荷さん、多種の果物を食べた。
粗方食べ終わった後、シアンは小豆に水と砂糖、塩を足し、ぜんざいに取り掛かる。
大鍋二つに作り、残ったバーキューコンロに網をかぶせ、餅を焼く。
『わあ、餅がぷくって膨らんだよ!』
リムが首を左右に揺らして餅が焼けるのを覗き込む。
『わっ、破れた!』
『萎んじゃったねえ』
一角獣が極限まで膨れ、破れた餅に目を丸くし、麒麟ががっかりする。
『シアンちゃん、栗も入れましょう!』
九尾が茹でた栗をぜんざいに投入する。
いつの間にか光の精霊もやって来て、ぜんざい作りを眺めている。
九尾がぜんざいを注いだ椀を受け取り、餅を入れてやり、光の精霊に手渡す。
再び九尾から渡された椀に餅を入れ、今度は九尾に返した。
椀とシアンの顔を見比べる九尾に笑う。
「きゅうちゃん、楽しみにしていたものね。先にどうぞ」
言って、九尾からレードルを引き受けようとすると、代わりにセバスチャンが手を出す。
いつの間にか家令の手にレードルが渡ったので、九尾は光の精霊と並んでぜんざいを賞味する。
シアンはセバスチャンの差し出す椀に次々と餅を入れていき、また網に置き、一渡り全員に行き届かせると、光の精霊と九尾にお代わりをよそってやる。
『はい、シアンも食べて!』
リムがぜんざいを入れた椀を両前足で掴んでぐい、と差し出す。
「うん。ありがとう」
そこへ餅を入れ、後をセバスチャンに託してぜんざいを味わった。
『美味しいね!』
「うん。ほんのり甘いね」
『餅がぱりぱりもちもちで伸びる』
ティオが椀から嘴を離すと餅が尾を引く。
シアンとティオと美味しいと言いながら食べることを分かち合えたリムが満足気に笑う。
『割れた餅の中に小豆や汁が入って、これはこれで美味しい』
『あは。そうなんだ。良かったねえ』
餅が破れて驚き消沈していた一角獣と麒麟が笑い合う。
美味しいものや珍しいものを麒麟が食べられないことが切なくやるせなかった一角獣はこれはこれで良いのかな、と思えた。
『何度もついた甲斐があったね』
『……』
ネーソスは餅つきでも皮むきでもユルクの頭の上に陣取っていただけだが、満足げに同意していた。
『蒸し器は別の料理でも使えるから、また何か作ってくれるとシアンが言っていたな』
『ユエのお陰で美味しいものが食べられるにゃ』
『シェンシやカランが手伝ってくれたお陰なの』
小豆が気に入った鸞がぜんざいに目を細め、猫舌のカランは汁が冷めるのを今か今かと待ち構え、ユエは伸びて切れない餅に四苦八苦する。
『カランは人間の街や村を方々旅したそうだな。流石の発想だ』
『まあ、でも、俺もユエと同じく食べられなかったからにゃあ』
あまりその話は思い出したくなさそうで、鸞は話題を変えることにした。
『秋の楽しみは食事もだが、紅葉などの景色を楽しむのも良いだろうな』
『ユエも工房に籠らず、あちこち行くと良いにゃ』
『カランも昼寝ばかりしていないで出かけると良いの』
『むむむにゃ』
『唸り声にその語尾は不要だろうに』
それはどうなの、と鸞が呆れた。
『熱いです』
『ぷちぷちした触感が面白いです』
『美味しいで……ぐががっ』
エークが餅をのどに詰まらせ、幻獣たちがわらわらと取り囲み、何とか吐き出させようと騒ぐ。
す、とその輪の中に足を踏み入れたセバスチャンが、エークの小さな頭をとん、と叩くと餅が吐き出された。
セバスチャンが渡した椀から水を飲み下したエークはシアンに心配されながらも、新しいぜんざいの椀を貰って、今度は慎重に食べた。
すっかり餅と小豆を気に入った光の精霊は、九尾に甘い餅の中に甘い小豆が入った大福という菓子のことを聞き、シアンにねだる。
「またみんなで餅つきをしようね」
わっと歓声が上がる。
すったもんだがあったが、概ね、餅つきとぜんざいは好評だった。
静かに湖面にたゆたう月、静かに波間を反射している。そこから視線を上にやれば、煌々と輝く丸い黄金色。
闇夜に浮かぶ光を見つめていると、どんどん吸い込まれて行くような、自分の足の裏が地を離れ、どこまでもどこまでも、高く高く浮かび上がるような、月が近づき大きくなっていく、そんな心地を音楽に乗せる。
そして、気が付いたら夜の静寂に包まれている、沈黙の中に金の音色が微かにさざめくのを聴いている。
ひと夜の夢のようなひと時だった。
高音を追って低音が響き、しばらくは鍵盤に指を乗せていたシアンは、残響が夜の闇に溶けて行き、ようやっと体を起こす。
幻獣たちも精霊たちも身じろぎせず余韻を噛み締める。
シアンが立ちあがり、ピアノの脇に立って胸に掌を当て一礼すると、拍手が起こる。幻獣たちは四つ足の者は地面に片前足を打ち付け、まるでオーケストラのようでシアンはふと笑う。
「今日は月見だけれど、夜に相応しい違う曲を弾こうか」
『稀輝と深遠の音楽!』
シアンが言う所の何を意味するのか悟ったリムがさっとタンバリンを取り出す。
星々がさんざめき、銀色の粒子をまき散らすような高音の軽やかな音が響く。そこにリムのタンバリンの華やかな切れのある音が加わる。音を小さくするとリムもタンバリンの音を抑える。強く足踏みするような低音に支えられる時に、少し癖を持たせてやると、すぐさまタンバリンの音が合わせてくる。階段を駆け上がり下がるように小刻みな上下が滑らかに軽やかに繋がっていく。それをタンバリンの涼やかな音が追っていく。素早い音を奏でながら、後ろ脚立ちしたリムの足が細かくステップを踏む。右へ左へ飛びながら、楽しそうに足を動かしてタンバリンを奏でる。
新しい愛器は素晴らしく美しい音を響かせ、光の精霊や闇の精霊は顔を見合わせて微笑み合った。
その後、ティオの好きな牧歌的な歌やわんわん三兄弟が転げまわるような曲、蜂が勇ましく飛び交う曲を立て続けに奏でる。
一角獣と王女を想像して奏でた音楽も弾いた。
麒麟も鸞も、もちろん一角獣もこの曲を好んだ。
水の精霊はピアノでの演奏も気に入った様子だ。
ユルクはとぐろを巻いてうっとりと目を閉じ、その傍らでネーソスが高揚して四肢をじたばたと動かした。
ユエとカランは腹いっぱいであり、しかもそれが幻獣たちの好みの美味しいもので満たされており、さらに美しい音楽を堪能し、恍惚のひと時を味わっていた。
わんわん三兄弟はシアンが月見のために月の曲を奏で終わった後は余韻に浸ってじっとしていたが、軽快な曲が披露されると調べにのって尾を振り、ついにはそこらじゅうを駆け回った。この時ばかりは誰も咎めなかった。奏者の体の奥から湧き出るリズムに乗って、体が動き出すのを止められない。
九尾はイスに座って足を組み、茶を喫しながら音楽を楽しんだ。
セバスチャンは少し離れた所で控えていたが、存分に音楽を楽しんでいた。
奏者が休憩に入ると、すかさず綺麗に丸めた一口大の月見団子を配る。
わんわん三兄弟が綺麗に丸めた小さい団子だ。
リムが褒め、精霊に話し、三匹は面はゆそうに、尾を激しく振っていた。
炎の精霊はシアンの音楽に終始圧倒されていた。
魂を揺さぶるとは良く言ったもので、強く胸に訴えかけてかけてくる。
様々な情景が見えた。
湖面の月、夜空の星々、明るい日差しの中に散歩する麗らかさ、子犬が駆けまわる様子、蜂の飛翔、少女が身を翻すドレスの裾。
鮮やかな色彩を輪郭をもたらす旋律とリズム、和音だった。
そして、この時ようやく、シアンという人間の真価の一端に触れ、彼の役に立ちたいと思い始めた。




