41.餅つき ~特訓中につき/帰って!~
月見の当日、ログインした後、まずは餅つきに用いるせいろを見に工房へ向かおうとした。
部屋の前で待ち構えていたリムにせいろは既に庭に設置されていると聞き、そちらへ向かう。
今日は一日中、それこそ夜まで一緒にいられると上機嫌のリムは、シアンの肩の上で小さく歌っている。シアンの背中に垂れた尾が節に合わせて振られる。
シアンもまた今日を楽しみにしていたが、リムの様子に一層気持ちが高揚する。
廊下の中央から階段が上下に優雅に腕を伸ばす。降りた先の一階エントランスでティオが待っていた。
彼もまた、最近不在がちだったことを残念がってくれていたのだろう。ログインした気配を察知して出迎えてくれたのだ。
腹に頬をこすり付けてくる。その首筋を撫でると喉を鳴らす。
三人揃って庭へ出ると、幻獣たちとセバスチャンが賑やかにしている。
バーベキューコンロの上に大鍋が置かれ、その上にせいろが何段も積み上げられていた。
「ありがとう、ユエ、立派な物を作ってくれて」
「みゅ!」
後ろ脚立ちし、腕組みして胸を逸らす。
『シェンシときゅうちゃん、カランも手伝ってくれたの』
九尾の愛称を呼ぶユエにシアンは少し目を見開き、破顔する。
「そうなんだ。みんな、ありがとう」
ユエも随分ここに慣れてきた様子だ。
特に、道具作りをする上で色んな知識や助言を貰う先の三頭には一目置いている風である。
ティオは幻獣のまとめ役として、リムは美味しい野菜を作ってくれるカラムを島に連れて来たことから、彼らにも一目も二目も置いている。
なお、セバスチャンには無条件服従の態であるが、シアンは気づいていない。家令が有能な所以である。
その家令は抜かりなく、シアンが目覚める時間に合わせてもち米の水切りを行ってくれていた。ざるに上げておくだけだが、美味しい餅に仕上げるために重要な作業である。
『誠に僭越ながら』
「あ、やっておいてくださったんですね、ありがとうございます」
勝手にやっておいたことを詫びる家令にシアンは笑顔で礼を言う。
「水分が多めだと腰がない餅になるからね」
なるほど、と頷く鸞、美味しい餅になると良いな、とわくわくするリム、頑張る、と意気込みくるくるその場を駆け回り、そっとセバスチャンの手でシアンの作業の邪魔をしない位置に移動させられるわんわん三兄弟、せいろの出来具合を確かめるユエとカラン、それを麒麟、ユルク、ネーソスが揃って覗き込む。
ティオはシアンの傍に付き添い、一角獣は杵と臼に興味津々である。早く使って見たくてうずうずしている様子に思わず笑みがこぼれる。
『ユルクは小さくなるのが大分上手になりましたなあ』
後ろ脚立ちし、前脚を背中の方へやった九尾の言葉に、シアンはユルクの方に目をやる。
シアンが一抱えにできない太さに、二十メートルはあった長さの体を持つユルクは十メートルに満たないほどに小さくなっている。
シアンと目が合うとひゃっと飛び上がり、そそくさと麒麟の影に隠れようとする。
「ユルク? どうかした?」
何かあったのだろうかと近づくと、ちょろり、と麒麟の背の向こう側から顔を出す。
『あ、ううん、あの、小さくなってまた一段と紐っ子みたいになっちゃったかなあと思うんだけれど、その』
「そう? 普通の蛇でも大きいもので十メートルだと聞くから、まだ大きい方だよ」
リムが言う、ふーん、蛇がいるな、の域に達するのはまだ先だ。見た者は大蛇にぎょっとするだろう。
「ふふ、でも、やはり、その紐っ子というのは何だか可愛い響きだね」
言いながらたわめる鎌首を撫で、首を巡らしてやり取りを眺めていた麒麟と、ね、と言いながら笑い合う。ユルクは目を丸くする。
『そ、そう?』
「そうだよ。今だって、レンツの影に隠れようとしても、全然隠れられていなかったよ」
『ユルク、かくれんぼ、上手じゃないの?』
「そうだね。ネーソスに教わって、特訓中だものね。そのうち、一番上手く隠れられるようになるよ」
『わあ、楽しみだね!』
リムがぱっと笑顔になる。
『ネーソスも責任重大にゃ』
せいろの様子を確認し終わったカランが加わる。
ユエは杵と臼の使い方を一角獣に教えている。
最終確認を終えたせいろにセバスチャンが蒸し布を広げる。
シアンはその上にもち米を入れ、均す。
「さて、これでお湯を沸かすんだけれど、英知、廻炎、頼めるかな?」
細い枝が細かく動き、日に透けた緑を絶え間なく揺らす。つい、と一際大きく梢をたわめ、疾風はシアンの眼前で螺旋を描いて人の姿を形成する。
『承知した』
火を熾していないバーベキューコンロから炎が一際高く躍り上がり、激しくゆらめき、そこから人の顔が浮き出てくる。かと思うと、ふ、と炎が掻き消え、炎の精霊が顕現する。
『兄上と俺に頼むなんて、何を燃やし尽くすんだ? この島くらいならすぐに終わるぜ?』
「戻っていいよ、廻炎」
シアンは笑顔で拒絶した。
「稀輝に頼もうかな」
もはや炎の精霊に頼らない方向で考えを進めている。
『待て待て! じゃあ、何をさせようとしたんだ』
「この鍋がしばらくの間水を沸騰させて蒸気を出し続けて欲しいんだ。大量に必要だから、君たちの力を借りようと思ったんだけれど」
『光のは加減を不得手としているからな』
風の精霊がふ、と唇を綻ばせる。
その柔和な表情に、炎の精霊が見とれる。が、次の瞬間、我を取り戻して唖然とする。
『ま、待て、そんなことで呼び出したのか? 精霊の王たる力をそんなことに使うのか?』
戸惑いを口にする炎の精霊には取り合わず、風の精霊がシアンの意を汲む。
九尾は一連の成り行きを後ろ脚立ちし、前脚を組んでにやにやと眺める。
『水蒸気を上げ続けなければならないのだったら、湯が足りなくなったらいけないな』
「そうなんだよ。足すのは水じゃなくて、常に沸騰した湯なんだ」
『あら、では、わたくしが手伝いましょう』
鍋の水から立ち上る湯気のごとくするりと白っぽい靄が現れ、人型を取る。
「水明、手伝ってくれる? でも、水じゃなくて湯じゃないと駄目なんだよ。常に湯気を切らさないでいる必要があるんだよ」
炎の精霊は水の精霊が呼ばれもしないのに現れ、自ら助力を申し出るのに、愕然とした。
『あら、それは炎のが何とでもするわよ』
「そう? 廻炎、やってくれる?」
『あ、ああ、任せておけ』
そんな簡単なことはできて当然だ。むしろ、本来ならばそんなことで呼び出すなどと、と激高するところだが、何となく分かった。
この人間は日常の何てことのないことしか願わないのだ。強大な力を持っても、それを大きなことに使おうとしない。そして、それを各精霊たちがこぞって手伝うのだ。
『それで、その水蒸気で何をするんだ?』
「餅を作るんだよ。今日は満月だから、餅を丸めて月見をするんだ。他にも料理を沢山作るから、みんな、食べてね」
風の精霊と水の精霊が嬉しそうに是と答える。
『ふん。料理をするのなら火加減は重要だろう。そちらも力を貸してやろう』
『あら、頼もしい。そうだわ。シアン、かつお節を作るのに火加減が難しいと言っていたわね。炎の加護を得たのだから、炎に手伝わせると良いわ!』
「水明ったら、力を貸してくれるのに、そんな言い方はしちゃ駄目だよ」
またぞろ炎の精霊を驚かせたことに、人の身でありながら、精霊王に意見し、無事どころか嬉し気に受け入れられていた。
九尾は心の中で、シアンちゃんのことですから、一々驚いていたは身が持ちませんよ、と呟いた。
「ふふ、水明は出汁が効いたものが好きだものね」
『ええ、先日のキノコがふんだんに使われたスープはとても美味しかったわ』
「キノコは今が旬だからね。また作るね」
『ありがとう。楽しみにしているわ』
合点がいく。この人間の作る料理が目当てで手伝っているのだ。俗に言う胃袋を掴まれたのだな、と炎の精霊は考えた。
実際は、精霊たちが好む味を知り覚え、それを作ったら共に賞味し、その味わいや楽しさを分かち合う。そこに助力を得るための対価という感情がない。そういったことを水の精霊だけでなく、他の四柱の精霊が好ましく思っているのだが、炎の精霊は未だ知り得なかった。
精霊たちがもち米を蒸してくれている間、シアンは臼に湯を張り、杵を入れて温める。
『シアン、臼も杵も綺麗にしてあるよ』
「ありがとう。ふふ、これはね、洗うんじゃなくて、温めるためにしているんだよ。もち米の温度を下げないためなんだ」
ちょっとばかり不服そうなユエにシアンが笑う。
『それなら、僕がずっと温かいままにしようか?』
木漏れ日がきらめきを増し、風に揺れる度に輝きを零し、ついには眩いほどの塊をなし、人型を取る。
「稀輝、お願いできる?」
常になくそわそわとした様子に、シアンは笑いをかみ殺す。つい先ほど、リムから光の精霊に風の精霊がもち米と小豆を手に入れてくれたのだと話した、楽しみにしていたと聞いたばかりだ。待ちきれなくて出て来たのだろう。
『稀輝、折角ユエが作ってくれたんだから、燃やしたらダメだよ!』
リムがきゅっとへの字口を急角度にする。
『う、うん』
少し自信無さげな様子に、リムは躊躇なく闇の精霊を呼んだ。
『深遠! 稀輝が熱くしすぎないように見張っていて! 熱くなったらちょっとだけ冷たくして!』
とんでもない言い草に、周囲で事の成り行きを身を硬くして見守っていた一部幻獣たちが身を竦ませるも、当の光の精霊は助かったとばかりに安堵の息をつく。
シアンの影が一人でに動き、ふわりと膨張し、浮き上がり、人型を取る。
『うん、良いよ』
にっこり微笑みかけ、腕を差し伸べる闇の精霊に、リムはシアンの肩を後ろ脚で軽く蹴って飛びつく。
『今日はね、月見をするの!』
『うん、そうだね』
『晴れると良いなあ。真っ黒い闇の中に丸い金色の月が見えるんだよ!』
もう何度も聞かされているのだろう闇の精霊が、それでもにこやかに楽し気に話すリムに頷く。
『おお、これで五柱の精霊王が! そのせいで最大戦力のセバスチャンがやや使い物にならなくなりそうですが、いっそ、ここは大地の精霊王もお呼びしては?』
『そうだね、シアン、雄大の君にユエに新しく作って貰ったせいろや臼や杵を頑丈にして貰っておこうよ』
九尾に賛同するティオに、精霊の力を借りるのならそれも必要かと頷く。
「雄大も手伝ってくれる?」
シアンの呼びかけに答え、大地が一瞬鳴動し、するりと地面から褐色の肌をした老人が姿を現す。
なお、九尾はセバスチャンに笑顔を向けられ震えあがっていた。
『これを強化すれば良いのじゃな』
「うん。それとね、今日は月見をするから、その時は雄大も一緒に参加してくれる? 料理も作るからね」
『それは楽しみじゃのう』
普段気難しい雰囲気が、莞爾と笑うと好々爺のようである。
『雄大! これね、ユエが作ってくれたんだよ! ぼくのタンバリン! 新しいやつだよ!』
『ほう、それはすごいの』
大地の精霊に視線を向けられ、ユエは卒倒せんばかりだ。
『ユエはね、道具作りが上手いんだよ。この島の魔晶石を使ったら色んな効力がある物が作れるんだって。雄大が島にいっぱい力をくれたお陰だね!』
「本当だね。みんなのお陰で、島が豊かになって楽しませて貰っているよ。今日はそのお礼を兼ねているから、一緒に楽しもうね」
精霊たちがそれぞれ嬉しそうにする。
炎の精霊は人の身でありながら、全属性の精霊王の加護を受け、更には全員呼び出したのがそんな理由なのだと知り、唖然とした。そうしながらも、火加減だけはしっかり管理したのだから流石ではある。
そうこうするうち、もち米が蒸しあがる。
端を口に入れたシアンが、芯がないことを確認し、湯を捨てて水気を取り去った臼に餅を移す。リムに杵でもち米を潰して貰い、粘りが出てきたら一角獣にバトンタッチして、餅つきを開始する。リムが手、もとい前足で返し手を行う。
幻獣たちに一通りの流れを説明した際、一角獣とリムがやりたいと名乗りを上げたのだ。
さて、この返し手は熱い餅を畳むようにして満遍なくつけるようにする。餅は非常に熱いため、水を用意してそれで手を冷やしながら行うが、リムにはその必要はない。
一角獣が踏み台を踏むと、杵が振り下ろされる。足を降ろすと杵が持ち上がる。その隙にリムが餅を畳む。途中、餅を完全にひっくり返し、満遍なく粒がなくなり、滑らかな弾力が出るまで行う。
百回以上つく。
分量が多いので蒸したもち米はまだある。臼に入りきらなかったのだ。
途中交代し、ティオが踏み台を踏み、あるいはユルクが把手を回し、鸞やカラン、九尾が返し手となって餅つきを行った。
わんわん三兄弟はセバスチャンに抱きかかえられ、彼が踏み台を踏むことによって参加させて貰った。
実に楽しそうであった。
踏み台を踏む脚や振り下ろされる杵、セバスチャンの顔をそれぞれ見比べるのに忙しなくしていた。
ネーソスはユルクの頭に乗り、一緒に餅つきを楽しんだ。ユルクの尾が把手を激しく回しそのせいで鎌首もぐらぐらして不安定だったから見ているシアンの方がはらはらした。
ユルクは興が乗ってきたのか、尾を激しく動かし、把手を回す。杵が非常に早く上下する。
ユルクの頭の上に載ったネーソスは微動だにしない。尾を迅速に動かすユルクに合わせて、リムが敏速に餅をひっくり返す。
「キュアッキュアッ」
リムもまたやる気に満ち溢れて掛け声が上がる。
シアンにはもはや手を出せない領域のスピードで行われる餅つきに、思考が明後日の方向に逸れる。
つき終わった餅を適量千切り取り、丸めていく作業も交代で行う。
わんわん三兄弟に板の上にまぶした餅取り粉の上に餅を千切り置いてやると、肉球で転がし、器用に丸めている。
「ふふ、三人とも上手だね」
「「「わん!」」」
幻獣たちはわんわん三兄弟に負けじと餅を成形し、大量にある餅はどんどん処理された。
そうして、餅つきは終了した。




