28.遠出しよう ~きゃっきゃきゅあきゅあ~
フラッシュと話し、こういう時は冷却期間を置いた方がいいという結論に達した。
少しこの街を離れて遠くへ旅してみるか、他の街へ行くか。
選択肢にしばし考える。
フラッシュの存在は大きかった。
シアンのことを思って、言いにくいことをきちんと言ってくれ、ティオやリムのこともよく考えてくれている。シアンの知らないことを沢山教えてくれる有り難い人間だ。
『目立つというか、目を付けられたというか。こちらが大人しくしていれば図に乗るようなら、思い知らせてやるのも一つの手だよね』
風の精霊ににこやかな笑顔で告げられるが、どうやって思い知らせるのかが気になるところだ。
精霊はともかく、ティオやリムには人間の社会のルールに従ってもらわなければならない。
三人で向かい合い話す。
「前も言ったけど僕は君たちに人間とは対立してほしくないんだよ。人間は弱いんだ。だから徒党を組む。一人一人は小さい力を束ねて大きくするのが得意なんだ。役割分担だね。でね、いろんな知恵を出し合って、できないこともできるようにしてきたし、難しいこともかなえてきた。ティオやリムが避けて通る動物や植物の毒を集めてうまく利用してきたりとか、そういう感じでね。一人一人は弱いけど、沢山になったらとんでもなく強いんだよ」
『油断しちゃ駄目だってことだね』
『何かありそうだったら逃げたらいい?』
前脚を立てて座ったティオが言うと、羽根を動かし器用に滞空するリムが首を傾げる。
「うん、そうだね。なるべく目立たない方がいいんだけど、十分に目立っちゃったからなあ。でも、この街はティオやリムを受け入れてくれているし、フラッシュさんもきゅうちゃんもいるし」
居心地が良い。
『では遠出をしよう。少し離れるくらいならいいだろう?』
せっかく遺跡に行ったにも関わらず、宝箱や遺物はなく、鰐革と蛇革くらいしか手に入らなかった、準備にも散財させたから、と風の精霊が遠方に位置する山へ行くことを提案した。よい鉱物が採れる、と言われ、フラッシュが鉱物、特に鉄が手に入らないと言っていたのを思い出して軽い気持ちで頷いた。
トリスやアラステア周辺は行きつくしたので、また新しい景色が見れるとなると楽しみだ。風の精霊の加護を受けたおかげか、ティオの長時間高高度の飛行も苦にならない。
遠出の準備をしながら歌を口ずさんでいると、リムが一緒に歌う。楽しげに歌うのに触発され、次々と歌ううち、シアンも立ち上がっていた。
リムの両前足を両手でそれぞれ握って向い合いながら、体でリズムを取る。リムは後ろ脚をタップダンスをするように時に激しく、時にゆるゆると動かしながら、しっぽを左右に振る。揺すりながら、徐々に上がってく尾だけでなく、全身で「楽しい!」を表わすのに、シアンの気持ちも加速し、テンポの良い歌を口ずさむ。
リムの尾が左右に振りながら徐々に上向きになっていく。テンションが上がるにつれて尾も上がるのか。斜め上の角度で左右に振られる。
ふと視線を感じてそちらを見ると、九尾がいわゆるお座りのポーズでこちらを眺めている。
『きゅうちゃんも、シアンちゃんとリムがきゃっきゃきゅあきゅあしているのを見ると癒されます』
はしゃいでいた自覚はあるので、シアンの顔が赤らんだ。
九尾が鼻で指し示す先を見ると、ティオがうっとりとシアンとリムを眺めていた。
「ティオも一緒に歌おう」
声を掛けるといそいそと近づいてくる。
三人で歌いながら飛び跳ね、すっかり空腹になってその日の夕食はいつにも増して美味しく食べることができた。
ティオに乗ってリムと歌を歌っていると、見たことがない景色が見えてきた。
「ティオ、リム、あれ見て!」
赤い三角形の岩山がいくつも点在している。
三角形に斜めに筋が入り、麓から山頂まで規則正しい模様を作っている。
『風が強い地域だから、風で削れたんだよ』
風の精霊が説明してくれる。
『はっきり言えば、叔母の仕業だね』
「あんなに固そうな岩にくっきりと跡を残せるなんて」
『あっちにも変わった地形があるよ』
風の精霊が指し示す方へティオが向かってくれた。
途中、赤い山に接近すると、無数についた細かいひだがあるのがわかる。ボードのハーフパイプみたいな、円筒を半分にしたような谷間にいくつもの細い筋ができている。狭い間をひだの斜め上に走る角度に沿って徐々に高度を上げたり、崖にできたひだの傍を縫うようにして飛ぶ。
ティオが体を斜めに傾けると、ひだの上を加速して滑っていく躍動感を感じる。自分が横に九十度ひっくり返ったレーンを走る球体になった気分だ。
崖が途切れた時には体が投げ出されたかのような落下しそうな気がして思わずティオの首にしがみつく。
『面白かったね!』
「う、うん、すごかった……」
リムがけろりとして平然と言うのに、シアンは呆然と答えた。
ティオがゆるりと減速し、赤い土に降り立った。
「ティオ、どうかした?」
『少し休憩しよう』
珍しくセーフティエリア以外に降り立つのに不思議に思ったが、シアンのことを気遣ってくれたようだ。
「うん、じゃあ、水を飲もうね」
水分補給を済ませると、リムが辺りを物珍しそうに見ながらふらふらと飛んでいく。
「あまり遠くへ行かないでね」
『はーい!』
元気良い返事はしかし、リムの遠近基準はいかほどだろうか。
岩は直線の襞を描くものもあれば、波打つ襞に沿って大きくせり出したり引っ込んでいるものもある。いずれもなめらかな造形美を醸している。
『シアン、あっちに人間が寝ていたよ』
しばらくして帰ってきたリムが言った言葉に驚いた。
「こんなところで? セーフティエリアなんてなかったよね」
風の精霊を振り仰ぐと頷いた。
『少し待って、調べてみる。……うん、呼吸も脈拍もある。でも、大分衰弱しているみたいだ』
「ええと、様子を見に行って、盗賊とかじゃなさそうなら助けたいんだけど、いいかな?」
『いいよ』
あっさり三者に同意され拍子抜けする。
見ず知らずの他人を助けることに重きを置かないと思ったのだ。
「え、いいの?」
『何かあっても君に障りがないようにするから』
微笑みながら風の精霊が保証するのに、違う意味で背筋に蟻走感がする。
「リム、案内してくれる?」
『はーい。こっちだよ』
肩には乗らず、シアンの目線と同じ高さで先行する。
ティオは後ろから付いてくる。
蛇行する渓谷の中へ入る。両側から迫りくる高い岩の天上から幾筋もの光がまっすぐに降りてきて、向こう側の岩肌をにじませる。赤い流れの中を歩いて行くと迷路にいる気分になる。
もしくは時の流れが目に見えるようになったかのような、不思議な心地になる。
なめらかに緩やかに途切れることなくどこまでも沢山の筋が流れゆく。ここを正しく辿ると、過去や未来が見えたりして――-。
シアンがぼんやり埒もないことを考えていると、リムが止まった。距離感を失わせる迷路然とした地形でも順路を辿ることができたようだ。
『あれだよ!』
確かに仰向けに倒れている人がいた。
「英知、水を飲ませてもいい?」
風の精霊はどうぞ、という風に掌を上に向けて差し伸べた。
ティオが前足でつついて体をひっくり返す。顔の下半分をひげに覆われた全体的に埃っぽい姿の四十代ほどの男性だった。水を取り出して、後頭部に手を差し入れて持ち上げ、唇の間に少しずつ入れていく。男の喉ぼとけが動き、水を嚥下した。
低いうめき声がしてうっすら目が開く。
「大丈夫ですか?」
「み、みず」
「もう少し入れますね」
かすれた声で催促され、シアンはまた水を飲ませた。
人の頭は重い。体重の約一割ほどもある。倒れている男は大柄で引き締まった体で立派な骨格をしている。
頭を支えた腕がそろそろ限界を訴えてきた。リムにタオルを出してくれるよう依頼したが、男がそれを止めた。
「いや、いい。もう大丈夫だ」
ゆっくり上半身を起こし、ひだが無数に横走る壁に背を預けた。
「助かった。本当に危ないところだった」
眩暈でもするのか目をつぶっている。
「僕たちもちょうど休憩を取っていたんです。せっかくだから、ご一緒にどうですか?」
マジックバッグから柑橘系の果汁と砂糖と蜂蜜と塩を水で割った飲み物を取り出した。先ほど出し忘れて水を飲んだが、経口補水液の代わりに大量に作ってあった旅のお供だ。
「うめえ! え、これ砂糖と蜂蜜? そんなもの大量に入れてんのか。どんな金持ちだよ、あんた!」
回復が速い。倒れていたのに随分元気だ。
砂糖と蜂蜜は希少なものではあるが、この世界では、都市で暮らす者なら口にしたことがあるだろう。高額なので機会が少ない、くらいの希少さだ。そうでないとプレイヤーが手に入れられない。
「汗を大量にかくと水だけでは体調を崩しますからね。下手すると命にかかわります」
ティオとリムの深皿にも入れてやる。
「げ、グリフォン! そっちの小さいのはなんだ? 翼が生えているけど」
『これ美味しい』
騒ぐ男を他所にティオが飲み干す。
「そう? それは良かった。遠出のお供にしようと思うんだけど」
『賛成!』
パンに肉や温野菜を挟んだサンドイッチを取り出して食べさせる。飛翔には魔法を使うとはいえ、羽ばたきは筋肉を酷使する。相当な運動量だ。幸い、ティオは強靭な胃袋を持つ。大量に食べても苦にならない。
リムは時にシアンの肩に乗り、時にシアンの前に座り、時にティオの傍らを自前の翼で飛ぶ。シアンを乗せているので速度を抑えてはいるが、ティオの飛行についていけるのだから、なかなかのものだ。
「あんた、グリフォンをテイムしたってのか?」
目が飛び出るほど驚いている。やはり真っ先に気になるのはこれほどの幻獣を大人しく言い聞かせることができるかどうか、なのだろう。
「いえ、一緒にパーティを組んでいるんです」
「グリフォンと?」
「はい。こうして意思疎通も取れますし。ティオが狩りをして僕がそれを調理するんです」
言いながら次々とサンドイッチを食べさせる。
「ああ、美味そうにたべるなあ。しっかり役割分担しているんだな」
感心したようにうなずいた。グリフォンを従えているのではなくて行動を共にしているのだということをすんなり受け入れたことに、おや、と思う。
「食べますか? 飢餓時に固形物はまずいかと思ったんですが」
気遣うシアン、男がにやりと笑う。ひげに覆われていてもそれと知れる。
「心遣いはありがたいが、そんなにヤワじゃないんでね。食える時に食っておかないなんて贅沢な真似はできねえな」
サンドイッチをシアンから受け取り、食べる所作がどこか品があった。少なくとも盗賊やならず者の仕草ではなかった。
「いや、本当に美味いな」
『この男、怪我している』
風の精霊の言葉に驚き、振り返りそうになったが、こらえる。他の人間には見えない。変な行動を取ると無駄な疑いを与えてしまう。
「気分はどうですか? 怪我されているところとかはありますか?」
もっとよく観察してみると、服がところどころ破けたり裂けたりしている。
「あー、まあ、あちこち痛むわ。けど、あんたたちの方こそ、なんでこんなところに? ここが迷い谷とか暴風谷とか悪魔の谷とか呼ばれているのは知っているだろう?」
サンドイッチを食べ終えた男が怪訝な視線を送ってくる。助けてもらったが、不審は拭えないというところか。それはシアンの方も同じだ。以前遭遇した盗賊たちを思い返さずにはいられない。この男とは価値観が大分違いそうだが、風体が似た感じだ。それは別として、男が言う不穏な響きのする単語に驚きが素直に表れる。
「悪魔の谷って何ですか? 確かに強い風が吹くとは聞きましたし、迷路のようにも見えますけど」
「そう、その迷路。この変わった光景で距離感とか方角とかの感覚を狂わせられるんだよ。あとは暴風でまともに歩けない時もあるくらいだ。まあ、俺は最近風がましになったって知っていたからこっちに来たんだ」
風が和らいだのには心当たりがあるようなないような。何しろ、風の精霊と出会った崖の上はこの山からトリスを挟んだ北西で大分離れている。広範囲に渡り、影響を及ぼしているのか。そういえば、密林の遺跡で、元々この国は風の神を祀っていたと碑文に記されていた。風の力が遍く行き渡っているのかもしれない。
ただ、風が収まったからといって、男がここへ来る理由は不明だったから、何気なく聞いた。
「何かから逃げていたんですか?」
男が体に力を巡らせ、わずかに上体を起こした。足もすぐさま立てるようにゆっくりと動かしていく。
シアンは男の雰囲気が変わったのを感じ取った。
「ええとその、わざわざそんなところに来るのはそういう理由かな、って」
「あんたはなんでここに?」
男が片目を眇めて問うた。
「グリフォンに乗っているから迷うことはないし、ここがそんなに危ないところだとは知らなかったんです。ただ、面白い地形があるから見てみようって言われて」
「言われて? 誰に?」
「グリフォンにです。多分、上空から見たことがあったんじゃないでしょうか」
風の精霊に言われたのだが、今ここでそれを言うと更に事体はややこしくなる。それに、精霊に関しては極力他者に話さないようにしようとフラッシュや九尾たちと話し合っている。
「ああ、そうか。いや、悪かった」
しばらくシアンを観察していたが、大きく息をついて再び背を壁に預けた。
鋭い視線に知らず息を詰めていたシアンも息を吐く。
「あんたはそんなに心配しなくていいだろう。俺に襲い掛かられてもその後ろの大きいのと小さいのが防いでくれる」
唇の片端を釣り上げて笑う。正確には顎髭がそう動いて見えた。
「やっぱり何かから逃げているんですね。すぐにここを移動した方がいいですか?」
男はシアンを不思議そうに見やった。
「あんたがなんでそんなに気を遣うんだ?」
「貴方を助けたから仲間だと思われるかな、と」
「いいや、大丈夫だ」
「では、貴方を知っている人から逃げているんですね?」
大きなものを間違って噛まずに飲み込んだような顔をする。その後笑い出した。
「いや、あんた、呑気そうなのに、どうしてどうして、なかなか鋭いじゃねえか」
呵々大笑が似合う男である。笑いを引っ込めると、眼光を鋭くした。
「悪いことは言わねえ、首を突っ込まない方がいいよ」
「そうですね」
あっさり引いたシアンを男は面白そうに見てくる。
「おや、僕に話してくださいとか、力になりますとか、言わねえの?」
「まさか。お話を伺っても、僕にできることはそうあるとは思えません。怪我をされていたということは荒事に関係するんでしょう? 見ての通り、戦闘能力はほとんどないんです」
シアンはゲーム当初の認識からそこは変化していなかった。実際は、精霊の加護を受けており、戦闘能力はずば抜けている。ただ、使っていないのと、使いこなせていないだけである。
「賢明だ。それに、あんたが余計なことに首を突っ込んだら、そいつらも巻き込むことになるからな」
「はい。肝に銘じています」
男は満足気にうなずいた。
「悪いが、食料を少し分けてくれないか? 対価は……まあ、差し出せるものはないんだが」
「構わないですよ」
「いや、こういうことはきちんと対価を要求するもんだ。困っているやつ全員に施しをできるんじゃないだろう?」
「そうですね、出会った人間だけ、という括りをつけてもそれは無理ですね」
神様でもあるまいし、と続ける。神でさえ人間全てを救うことはできない。人間はどうしたって対立するのだから。
「いいねえ、頭のいい人間は話が早くて助かる。で、だ。今渡せるものはないが、必ずあんたが困った時に駆け付ける。そういうのでどうだい?」
シアンは男を観察した。
首も腕も足も太く、鍛えられて引き締まっている。
『助けよう。これは人間にしては魔力も高い。それに、ティオとリムとは違った点で役に立ちそうだ』
風の精霊の言葉にシアンの気持ちは決まった。
「分かりました。僕はシアンと言います。拠点は、多分ご存じでしょうが、トリスです」
「へえ、俺がどうして知っているって思ったんだ?」
「グリフォン自体に驚いたんじゃなく、なぜここにいるのか、と驚いているように見えたからです」
男が口笛を吹いた。けれども、かすれていて締まらない。
「呑気そうだって言ったのは訂正しよう。いや、なかなかに鋭い」
シアンを見つめて破顔して肩を叩いてくる。
リムがシアンの肩は自分のものだと抗議の鳴き声を上げるのに、シアンがそっと宥める。
リムの言わんとすることを拾うことができない男は太く笑う。
「肝も据わっているみたいだな。気に入った! 俺はマウロ。事情の詳細は聞かない方が良い。そうだな、目印はこの布でどうだ?」
布を懐から取り出した。埃っぽくところどころ破れた服を着ていることから予想だにしない色鮮やかな布を広げた。
長方形の布を斜めに青・赤・緑の三色で染め分けられている。
「これを持っている奴になら、いつでも困った時に助けてもらえる」
男が断言して布を懐にしまい込んだ。
「僕の身の証はグリフォンということですね?」
「それとそっちの小さいのもな」
「グリフォンがティオでこちらがリムです」
「おお、マウロだ。よろしく」
ティオは気にせずサンドイッチを平らげた後、嘴をなめている。リムはシアンの肩の上で小首をかしげて男を見つめている。
「すみません、ティオは人間にあまり興味がないようでして」
「そうだろうな。グリフォンからしたら、本来人間など取るに足りない存在だろうさ」
『シアンは違う』
ティオがシアンの腹に顔をこすり付けてきた。
「甘えてんのか? いや、本当に仲が良いな」
シアンは食料の他、燃料やロープ、掌に隠れる小さなナイフなどの日用品も渡した。
「他のものまで悪いな」
「あって困るものではないですからね」




