34.幻獣のしもべ団の憤慨
拠点に転移陣があり、それが闇の神殿へと通じるというのは願ってもないことだった。
まず、どの街でも隠ぺいされていることだ。魔族だけが使うのではないが、貴光教関係者が用いることはまずない。
それだけで、幻獣のしもべ団としては有難い緊急避難路となった。
しかし、所在を掴まれてしまうと、闇の神殿に多大なる迷惑を被らせることとなる。
マウロは団員に闇の神殿の転移陣を用いる時は周囲の警戒を徹底させた。
また、拠点への行き来は仕方がないにしろ、闇の神殿は経由地として用いる。
そうすることで黒ローブに足取りを掴ませることなく活動することが可能になった。
逆に言えば、それはエディスの黒ローブたちを躍起にさせた。
彼らは国境を越え、貴光教の中枢から助っ人を借り出し、むきになって幻獣のしもべ団を潰そうとした。
本拠地では翼の冒険者と称されるグリフォンが神託の御方だということに懐疑的である。しかし、それはあの威容を目にしていないからだ。考えようによっては良い機会だ。総本山が座視している間にグリフォンと既知を得て、その一番乗りの配下となることができるかもしれない。そのためには、幻獣のしもべ団という結社は邪魔だった。
ならず者集団かと思いきや、一向に尻尾を掴ませず、直接戦闘に当たれば中々に手ごわい。装備品も徐々に向上していっているし、あれは間違いなく転移陣を多用している。どこからそんな資金が出ているのか不可思議だ。
彼らが仰ぐ翼の冒険者はエディスの英雄と称され、他の街や国でも浸透していきつつある。そんな彼らが巨大な金銭を得ていることは想像に難くなかったが、仕えられる立場の方が金銭を出すなどとは想像することすらできなかった。
神出鬼没で事あるごとに自分たちの邪魔をし、武力もあり、今までのように簡単に瓦解させることができない集団に対して、エディスの黒ローブたちは暴挙に出た。
子供を使って幻獣のしもべ団を調べさせ、あわよくばその主要人物の暗殺を目論見、彼らが辿った航路へ送り込んだのだ。
同時に、自分たちの追撃の手も緩めない。
何とかまた、幻獣のしもべ団に同志を送り込めないかとあの手この手を使っていた。やつらがエディスにいた頃は簡単にできた。情報を抜いて来るだけに留まらせてしまったことが悔やまれる。甘かった。こんなに邪魔な存在になると知っていれば、団長マウロの首を取って来させたものを。
腹立たしい思いが一層、エディスの黒ローブたちの追及を厳しいものにしていた。
一方、幻獣のしもべ団たちは新しい拠点を得て、転移陣を用いて活動範囲拡大と移動経路精査を行っていた。
元は密偵集団の集まりだ。
特に冒険者の時に密偵職種についていたオージアスや、彼に師事し今や双璧を成すアーウェルによって新団員の教育は進められている。
ゾエ村の異類やロイクとアメデといった強力な武力を持つ者たちにも一通りの密偵技術を学ばせている。
知っているのと知らないのとでは連携するにしろ戦術を立てるにしろ、全く違ってくるのだ。不測の事態が起きた時、仲間がどういう風に動くか予想を立て、それが同じ方向性を有していれば失敗も最小限で抑えられる。
また、同じ訓練に励むことは一体感を得られ、団結にも繋がる。
良いことづくめだが、いかんせん、時間がない。黒ローブの攻撃が激しくなる中、併せて純粋な戦力の確保が急務だった。
忙しい。
その一言に尽きるが、充実しているとも言えた。
強力な戦力である異類のガエルが毒で倒れたこともあり、黒ローブを軽視することなく、闘志を燃やしていた。
何より、幻獣たちのすぐ傍に拠点を構えることができたのだ。しかも、いつの間にやら種類が増えている。
幻獣たちはそれぞれが力や能力を持つ一目で高位と分かる気配を感じる。シアンの支援団体というので好意的だ。普段接するどころか存在すら不明瞭な幻獣たちの息吹を間近に感じることができ、幻獣のしもべ団たちは張り切っていた。
冬は旅をしにくい。ともすれば命を失うことに直結する。それまでに各地で登録をしておきたい。
そんな最中、マウロはシアンから報せを受けた。島に漂流者があり、それが黒ローブの間諜だという。
体調が回復したら港町まで送って行ってほしいという書簡を神殿経由で受け取り、思わず、握りつぶしそうになった。ぎり、と奥歯が鳴る。
シアンからの手紙には島に流れ着いた子供は黒ローブの命を受け送られてきたと書かれており、戦慄する。人質を取った上で子供を使い、更には島にまでその手が伸びたというのだ。
「頭? どうしたんですか?」
常にない様子に、ディランが眉を顰める。
マウロは無言で皺の寄ったシアンからの手紙を渡した。
空いた手で髪を乱暴にかきむしる。
「間諜? まさか、島にまで」
「俺たちの動きから予測されたんだろうさ。ちっ、迂闊だったぜ。よりによって、首魁に近づけさせるなんてな!」
吐き捨てる。
自分の愚かさが悔やまれてならなかった。
「兄貴らしいですね。潜り込んだ相手を気遣うなんざ」
ディランがオージアスに書簡を渡してやりながら唇の片端を吊り上げて笑う。
冷静な言葉はだが、その目は全く笑っていなかった。
「兄貴が子供に甘いってところを突かれましたね。後は偶然のなせる業、といったところでしょうが。……二度目はない」
最後の言葉を低く呟く。その目には暗い光が灯っていた。
他者の怒りを見ると案外冷静になれるものだ。
マウロは煮えた頭を冷やし、顎に手をやった。
間諜は敵内部に潜入して情報を持ち帰る者、敵国の民間人を情報源にする者、敵の間諜を情報源にする者など様々にあり、複数用いるのが普通である。
黒ローブたちはその閉鎖的な特性から、潜入して情報を抜くことがせいぜいであったが、今回は民間人を情報源にしたのだ。
それはたまたま子供の母親が自ら近づき、我が子を差し出したからなし得たことだ。今後方針を変え、一般的な間諜を使ってこないとは限らない。
「密偵技術向上も戦力増強も急務だが、やはり別動隊を作りたいな」
小さい呟きはディランにしか聞こえなかった。
オージアスと一緒に書簡を覗き込んだ新人が悲鳴染みた声を上げているのを脇目に、ディランが片眉を跳ね上げる。
「前に言っていた諜報隊ですか?」
潜めた声に頷く。
密偵集団で、情報取得に特化した姿を消して動く者たちが必要になる。以前からそう考えていたマウロは実は既に実践に移していた。それがレフ村に潜入させたレジスである。
「頭、島に戻りますか?」
オージアスがマウロに手紙を返しながら言う。
「どうするかな。シアンは子供を送るのはまだ先のことだと書いてはあったがな」
本当はシアンは人質に取られた家族を取り戻したいのではないかと考えた。手紙には、もはやエディスには戻れないこと、何故なら黒ローブに姿を見られては命が危ないことを子供に言い含めていると書いてあった。
「子供からしたら、危険な真似をしてしまえるほどの人質です。取り戻したいんじゃないですかね」
オージアスが胡乱な視線を向けてくる。
「そりゃそうだろうさ。ただ、世の中、何ともできないことはごまんとある」
ディランが肩を竦めて見せる。
「そんなことは俺だって先刻承知だ」
オージアスが腹立たしい表情になる。
「兄貴の方がよりやりきれない気持ちを抱えているんだ。それを抑えて最善の方法を取ろうとしている。それは何でだと思う?」
まだ事態が腹に据えかねているのだろう。ディランが鋭い眼光でオージアスを見やる。
「な、何だってんだよ」
その剣幕にたじろぎ、半歩後退る。
「兄貴が動けば幻獣や俺たち幻獣のしもべ団に危害が及ぶ可能性が増えるからだよ。そうだ。兄貴は力ある幻獣がいつも付き添うし、何なら俺たちに命令すりゃあいいんだ。ところが、あの人は自分でやろうとするだろう。そうしたらどうなる? 幻獣たちも手伝おうとするだろうし、俺たちも動く。つまり、兄貴が動かなければ発生しなかった危険が起きる可能性が高いんだよ。同情するのは簡単だ。縁もゆかりもない子供と幻獣たちを天秤に乗せられるんならな」
理路整然とまくしたてるディランの腕をマウロが叩く。
最近ではうっかりシアンの肩を叩かないように、他の者も肩ではない部位に触れて合図することにしている。
「言い方はきついが、概ねディランの言う通りだ。シアンならそう考えるだろう。で、だ。俺たちがどう動くかはまた別問題だってことだな」
言って、マウロは太く笑った。
「動くんですか?」
短い言葉だったが、そこに込められた感情はディランもそうしたかったのだと物語っている。ただ、シアンが懸命に押し殺したのが分かるだけに、役に立てなくてどうにも歯がゆくても我慢するしかないと思っていた。
「ああ。やっこさんたちが俺たちの拠点に送り込んだのを真似させて貰おう。そろそろ、情報を得ておく必要もあるだろう。何を考えて俺たちを執拗に狙うのか。他の国の貴光教神殿にも黒いのはいるようだが、どうもエディスの奴らがしつこいだけで、後は積極的に攻撃してこない。この温度差を知りたい」
貴光教は光の神の威光を知らしめるために世界に広まっている。その暗部である黒ローブは大きい街や歴史ある場所、何かしらの所以のある所、あちこちにそれぞれ部隊を持っているようなのだ。その中のエディスの黒ローブ部隊が他国にまで顔を出して幻獣のしもべ団たちを攻撃してくる。
「それを調べるついでに子供の人質がどうなっているかを探って来るだけだ。シアンの思惑にはそう多くは外れないさ」
ディランだけでなく、オージアスや新人団員の表情が明るくなる。
「では、人選ですね」
ディランは早速話を進める。
「ああ、やはり密偵能力が高いに限るな」
「じゃあ、オージアスがいいでしょう」
ちょうどここにいて、事情も聞いたことだしとディランがオージアスを見やり、短く問う。
「できるか?」
「お、おお。当たり前だ」
ややたじろぎながらも、オージアスは頷いた。ディランも力強く頷く。
その目がお前ならやれる、と語っていた。
「じゃあ、決まりだな」
マウロはぱんと一つ大きく手を叩いた。
内心ではディランの持っていき方に舌を巻いていた。
つい今しがた言い合いになったばかりなのに、その能力を認め、余計なことを聞かずにやって見せろと言った。受けて立たねば男が廃るだろう。オージアスは有能なりの自負心を持った男だ。
そして、それを信じていると示して見せた。
中々どうして、将の器ではないか。
マウロは部下が育っている様を見て、感慨深かった。
「オージアスはエディス支部を任せていたから、適任だろう。人選は任せる。手下を連れていけ」
「はい!」
オージアスもやる気を見せた。
「いいか、シアンに言われている通り、俺たちの第一は生きて戻って来ることだ。それを忘れんなよ!」
「「「はい!」」」
神殿へは定期的に顔を出している。
幾ばくかの布施をしつつ、幻獣のしもべ団当ての連絡がないかを確かめるためだ。
これが殊の外役に立つ。
しかし、今回ばかりは業腹な内容だった。
「これはまた」
手紙を眺めながら、乾いた笑いが漏れる。
笑うしかなかった。
「どうしたんだ?」
流石に付き合いが長いアーウェルは、こういう時のカークは随分腹を立てているのだということを知っていた。気づかわし気にこちらを窺ってくる。
「良いことでも書いてあったのか?」
そう尋ねるのは色男然としたアメデである。
カークは無言で彼らに読んでいた手紙を差し出した。ロイクが加わって三人で頭を突き合わせる。
手紙はマウロから発せられたもので、読んだら次の部隊に回すように書かれてあった。
「何だこりゃあ!」
「思い切った手に出たな」
「それにしても、杜撰の一言に尽きるよ。よく子供は無事だった」
口々に言い合う。
アーウェルはシアンを始め、幻獣たちに害がなくて胸を撫でおろした。ティオやリムに近しく接する他、鸞といった幻獣からアドバイスを受けることができ、その僥倖を噛み締めている一人だ。増えた幻獣の多様性に欣喜雀躍している。
アメデはロイクが島では体調が良く身が軽いと言うので、しばらくは拠点に留まっていた方が良いと勧めていた。
そのロイクはシアンの役に立ちたいのだと密偵技術を得ることにも積極的だ。友人であり、主とも仰ぐシアンの身に何事もなかったことに安堵した。
「団長はシアンの隠した本心を汲んで、内偵を入れるんだな。確かに、あちらの情報は得ておきたいところだが」
「オージアスなら大丈夫だ」
アーウェルが後頭部で両手を組んで笑う。
自分に密偵技術を一から教えてくれたオージアスに全幅の信頼を置いている。
それまでは身のこなしが軽く器用なだけで、戦闘能力の低さから馬鹿にされることが多かった。そんな自分でもこうやって役に立てることがあるのが嬉しいと、幻獣のしもべ団の前身の時から思っていた。
そして、シアンからスリングショットを譲り受けてからは一層戦闘補佐能力に磨きがかかった。相性もあるだろうが、弾の中身によっては戦端が開かれた途端、対峙者の一頭、一人を無害化させることができるのだ。そのことによって二頭目、二人目以降の動揺も引き出せる
そのことを間近でまざまざと見せつけられたロイクが考える風を見せた。
「俺たちも強くならなければな」
ロイクに言うと、弾かれたように顔を上げる。
「アメデ」
「そうだろう?」
肩に手を置き、軽く揺する。
ロイクは頷いた。
アメデの言う通り、少し前から考えていたのだ。
自分たちは異能を持ち、戦闘を乗り越えて来た。
それは実に役に立つ。
そして、幻獣のしもべ団の一員となった今、密偵技術をも身に付け、情報収集能力や違った戦闘方法、連携を覚えた。強力な戦闘力を持つゾエの人型異類との戦闘や、複数の人間との戦闘も経験した。
その上で思う。
自分たちは変わらなければならないと。
自分もアメデも今ある異能に満足せずに、新たな力を手に入れるべきだ。いや、義務なのではなく、ロイクがそうしたいと望むのだ。
そう話すと、アメデは反対しなかった。
「何だ、その意外そうな面は」
言いながらアメデに片手で両頬を掴まれる。その手を乱暴に振りほどきながら、眉をしかめて見せる。
「お前、ちょいちょい子ども扱いするのをやめろよな! いや、体調のことから止められると思ってさ」
「ふん、止めたって俺の言うことに耳を貸さないだろう? だったら最初から付き合うしかないじゃないか。それに、俺も新しい異能を身に付けるのは賛成だ。うかうかしていたら、置いて行かれそうだ」
「そうだな、勢いがあるもんな、この結社」
「一丁、役に立つところを見せておかないとな」
顔を見合わせてにっと笑い、双方の拳を突き合わせた。
安全で心安い村からアメデを連れ出したという意識は常に付きまとった。それを飄々と乗り越えて笑って見せてくれるからこそ、ここまで来ることができた。
自分は本当に周囲に恵まれている。
だからこそ、役に立つところを見せておきたいとロイクは励んだ。




