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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第六章
276/630

32.小さな漂流者1

 

 漂流者は鸞が煎じた薬を飲ませた後、セバスチャンに預けられた。

 天帝宮から持参した薬草の根茎を処方した。衰弱した者を元気にさせる効力があるという。

『衰弱から食事がままならず、そうなると激痛を伴う発作が起き、嘔吐を催す。そういった場合によく効くのだ』

 他に、解毒剤、口内炎、扁桃腺炎に用いる。

 鸞から詳しい作用を聞き、この薬があの時手元に有れば、エディスで出会った小さい子供、エディに効いたのではないだろうかと考えた。すぐにその思考を払い退ける。後からああしておけばこうしておけば、と考えることは多々ある。でも、手元になかったものがあったならば、などとはあり得ないことだ。

 幻獣たちは庭で円になって寛ぎ、新しく拾った子供をどうするかを話し合った。

 魔獣の雛を拾った時と同じ反応である。

 彼らからしてみれば、脆弱な人間の子供は似たようなものなのだろう。

 以前、リムは魔獣の雛を拾って飼うのだと言った。それをシアンが種を異にする者と育てるのは大変だと諭した。

『あの小さいのも元気にしてあげるの!』

『しかし、リム。ユエが人を苦手としているから館では保護できないぞ』

「みゅ……」

 島に来る前、人間社会にいたころは自分の話題が出れば、なるべく事が大きくならないように願いながら息をひそめていたユエだ。揉め事が起きれば、最終的に自分が悪いと帰結することが多かった。けれど、ここでは誰が悪いではなく、どうすればより納得できる結論が出るか、今後改善することができるかを話し合う。だから、ユエもなるべく自分の考えを話し、自分なりにできることをしようと思うようになった。

『かと言って、衰弱が激しいから目を覚まして歩けるようになっても、すぐに動かすのは無理じゃないかな』

 麒麟が気づかわし気に鼻息を漏らす。

『そうだね。少なくとも敵から逃げられるくらいに回復しないと、すぐに魔獣にやられてしまう』

 一角獣が同意する。

 彼にとっては素早く移動することは死活問題だった。

『じゃあ、目が覚めて本人の意志を確認した上で、ここでしばらく養生するのを勧めてみるのはどうにゃ』

『そうだね、それが良さそうだ』

 とぐろを巻いたユルクが鎌首を上下させる。隣のネーソスは聞いているのかいないのか、動かないままだ。

『世話はセバスチャンに頼む他ないね』

『目が覚めて、幻獣に取り囲まれていたり、匙にスープを掬ってあーんってされたり、着替えを手伝われたりしたら、驚くでしょうからねえ』

 ティオの言葉を九尾が補足する。

 幻獣たちは子供の状態が安定するまでは姿を見せないことに決まる。

 言われてみれば、シアンは随分慣れたが、ここの幻獣たちは変わっている。それをおかしいとも思わなくなっていたという自身に、シアンは内心、軽い衝撃を受けていた。

 軽い衝撃で済んでいるところがシアンのシアンたる所以だ。

 思えば、風変わりな幻獣ばかりが集まったものだ。

 その最たる幻獣である九尾が話は纏まったとばかりにシアンに最終結論を求めて来た。

「うん、僕もそれで良いと思うよ。あの子供が目を覚ましたら、遅かれ早かれ、どこかの神殿に預けようと思う」

 その場合、幻獣のしもべ団に船で近くの港に送って貰うことになる。

「運が良ければ、その港町から家族の元に帰れるかもしれないしね」

 必要経費は渡しても良いが、家族に会えるまでの協力をするとは言わなかった。それをシアンがするならば、幻獣たちが巻き込まれるし、代わりに幻獣のしもべ団を動かすのであれば、要らぬ負担を掛けることになる。船で送り届けるだけでも破格なのだ。

 話が纏まり、シアンがセバスチャンに伝えた。

 家令は恭しく一礼して請け合った。

 シアンがログアウトした後、子供は目を覚まし、消化に良い食事を与えられ、ここが島に建つ館であること、子供は波打ち際に流れ着いたのを保護されたことを教えられた。そして、まずは十分に体を休めてから事情を聞き、近くの港町に送ってやる旨をセバスチャンが話す。

 初めは驚き取り乱していた子供も、暖かいスープや寝心地の良い寝台、穏やかな物腰で話すこの館の家令だという男に安心し、再び眠りについた。

 その夜、静寂と闇に沈む館の廊下を、寝台から抜け出た子供が歩いていた。壁に手を付け、身を寄せ、力の入らない足を叱咤して進んだ。

 扉を手探りで見つけると、手あたり次第、開けてのぞき込んだ。

 三つ目の部屋に入り込み一通り室内を確認して出ると、窓から煌々と差し込む月の光に冴え冴えとその美貌を照らされた家令が立っていた。

「ひっ」

 短い悲鳴を上げて立ち竦む。

『何をしているのですか。部屋を出てはいけないと言ったでしょう。御不浄の使い方はお教えしましたよね』

 体力が戻っていないのだから、動き回らないように、排せつ用に陶器の容器を部屋の片隅の木箱の中に設置し、使い方を教えておいたのだ。

『さあ、戻りましょう』

 静かな声、視線だった。けれど、抗いがたく、子供は踵を返した。

 元居た部屋に連れ戻され、寝台に入った。

 そのまま眠るのだと思っていたら、そう甘くはなかった。

『それで、何をしていたのです』

 冷たく見下され、子供は身震いした。

「そ、その、館の主様にありがとうと言いたくて」

 助けてくれた礼を言いたかったのだという。

 セバスチャンの視線に晒されながらも、そう言い訳できるのだから結構な胆力の持ち主である。

 子供も必死だった。

 自分がここでしくじれば、弟がどうなるか分からない。

 それに、母にもまた折檻されるかもしれない。

 ここで死を迎えるのであれば、親の暴力はどうでも良くなるが、弟の行く末だけは心配だった。

 小さい手で自分の手をぎゅっと握りしめてくる感触を思い出す。小さな子供特有のふくふくした掌、幼い指や薄い爪を思い返す。

『こんな夜分にですか?』

 子供は歯を食いしばった。

「め、目が覚めて、言わなきゃって思ったんです。でも、夜中じゃあ、駄目ですよね」

 起きて多少動けるようになったらすぐに会って礼を言わないとと思い立ったが、確かにこんな夜中では迷惑だった、という。

『そうですね。ですが、島主様にお会いする前に、貴方の来歴を語っていただきましょう』

 冷たい目で見下され、館の主ではなく島の主だと言ったことに子供は気づかなかった。

 適当なことを言ってその場を切り抜けようとする子供は、セバスチャンの尋問の前ではひとたまりもなく、洗いざらい話すことになった。

 子供はエディスの黒ローブたちが送り出した刺客だった。

 彼らは幻獣のしもべ団が各地に散っていた団員を集め、港町から船に乗ったことから、どこかに拠点を得たのだと察した。その方角や船籍を調べ、周辺を嗅ぎまわった。

 ところが、島の周辺は精霊たちが海流と風を操り、シアンが望む相手しか近づけないようになっていた。ネーソスがやって来れたのはひとえにユルクが招いたからだ。

 黒ローブたちは翼の冒険者は子供には弱いと踏んで、スパイとして送り出したのである。シアンが以前、エディスでエディたち子供と交流し、広場で演奏した際、孤児たちを招待していたことに目を付けた。

 これ以上先へは行けないという海域で、子供を小舟に乗せ、翼の冒険者が発見して保護されるのを待ったのだ。

 杜撰かつ迂遠なやり口ではあったが、小舟がネーソスの甲羅にぶつかり破損し、その衝撃で投げ出された子供が今度はその甲羅に引っかかって島に連れて来られたと予測したセバスチャンは思わず額を手で抑える。

 行き当たりばったりな方法で、黒ローブの目論見は達成されたのだ。そして、今こうやって滅多なことでは動じない家令を絶句させることに成功した。

 子供は栄養不足でやせ細った顔にこけた頬をしていて、目だけがぎらぎらして大きく見えた。年は十三歳で、とてもそんな年かさには見えない。せいぜい十歳くらいだ。

 母と弟が黒ローブに人質に取られていて、別所に既に潜入して情報を得るということを経験している。今回はあわよくば、翼の冒険者の命を狙ってくるように命令されたのだという。

 そんな子供は翼の冒険者の話に及ぶと目を輝かせた。青白い頬も少し血色が良くなる。

 彼もまたエディスで育ち、翼の冒険者やグリフォンとドラゴンを見たことがあると言った。特に、ドラゴンがドラゴンから街を守ったと話す姿は熱が入っていた。

 セバスチャンは言葉を濁しがちになる子供をうまく誘導して、母親は弟をこれ見よがしに可愛がり、兄である子供を邪険にし、時に暴力を振るっていたことを聞き出した。その母親が薄暗い路地裏で偶然黒ローブの仕事を目撃し、自ら声を掛けたのだという。

 その後、子供は情報を得てくるのに何度か使われた。その報酬で一家は食べていた。父親は物心ついた時にはもういなかった。

 自分も弟と同じように母に褒められたい一心で、何より自分を慕ってくる弟のために、子供は懸命に働いた。

 そうして、今度は翼の冒険者の支援団体を探ってくるようにと送り込まれたのだ。

 この長い話を、セバスチャンは時折、子供に休息を取らせながら細く長く続けた。

 途中、短い休憩を挟むうち、夜が明け、朝食を食べさせ、尋問は続いた。

 それは途方もなく根気を要する作業だった。何故ならば、ろくに教育を受けていない年端もいかない者が理路整然と話すことはできなかったからである。また論理的に話す機会はそうあるものではない。

 そこで、セバスチャンは子供が思いつくままに話すのではなく、質問してそれに答えさせるようにした。

 ログインして子供が目を覚ましたと聞いたシアンがそこへ顔を出す。

「ああ、まだ顔色が悪いね」

『そうですね。話をし過ぎて疲れたのです。休ませましょう』

 セバスチャンはそう言いつつ、シアンを促して外に出ようとした。万事抜かりない家令が疲れさせるほどに話をするかな、とシアンが内心首を傾げた。更に言えば、疲れたとはいえ、挨拶くらいは交わす。

 しかし、休むのだったら日を改めようとシアンが踵を返した時だった。

 寝台の上に横たわっていた子供の唇の両端がにゅ、と吊り上がり、両眼はぎらぎら異様に光り、三日月形の笑い顔になる。がばりと勢い良く起き上がり、シアンに飛び掛かった。



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