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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第六章
273/630

29.貴光教総本山の笑劇2

 

 結局は、器の小さい人間なのだ。

 自分たちが正しい、正道だと思っている。

 そう認識しているだけで、悪気はない。悪気はないが思いやりもない。

 自分たちは思いやりがある良い人間だと思っているが、それは自分の都合の良い範囲でのことだ。自分の気に入らない、自分勝手な欲望とバッティングしない範囲での優しさでしかなかった。

 またゴスタとヘイニに呼び出されて苦言を呈されたミルカはその日、厄介な仕事を押し付けられて疲れていたこともあり、これではらちが明かない、と思い、ヨセフィーナと直接話すことにした。

「私のことで気に入らないことがあったら直接言ってほしいの」

「そんなことはないわ」

 ではどうして何度もゴスタとヘイニに呼び出されるのか。

 喉まで出かかった言葉を呑み込み、ミルカは精いっぱいの気力をかき集めて笑ってみせた。

「そう、それは安心だわ。これからも、宜しくね」

 これでしばらくは平穏が訪れるだろう。

 ミルカはそう考えていた。

 けれど、そうは問屋が卸さなかった。

 その翌日、ゴスタとヘイニに捕まったのだ。

 そして、もっとヨセフィーナに親身になってやれと言われる。

 苛立つ気持ちを抑えて、努めて冷静に、特に冷たくした記憶はないと言うと、アリゼには親身になってやっているじゃないかという答えが返ってくる。

「はぁ⁈ 私はアリゼより一つ二つ年上だから面倒見てやっただけですよ。新入りだし」

 思わずミルカは素っ頓狂な声を出す。

「そこだよそこ。アリゼは新入りだから面倒見てやったんだろう? ヨセフィーナも君より後に入ったじゃないか」

「入った時期はそんなに変わらなかったですよ。だから、ヨセフィーナが入った頃は自分の面倒を見るのが精いっぱいで」

「そうじゃなくて! そんなこと言っていないだろう。誰がそんなこと言ったんだ。そうじゃなくて!」

 ゴスタがむきになって声を荒げる。

 それを落ち着かせるように、力任せに繰り返したフレーズをヘイニがわざと静かに用いる。

「そうじゃなくて、今は君は新入りの面倒を見てやれるくらい、余裕があるんだろう? ではヨセフィーナの面倒を見てやることもできるはずだ」

「いやまあ、そうかもしれませんが、ヨセフィーナの方こそ面倒見て貰いたくないと思いますよ。もう入って大分経つんだし」

 普段は穏やかな物言いのゴスタの剣幕に驚きやや恐怖を感じていたミルカは、それでも彼らの言い分に不満を感じていたので、それが態度に現れる。

「そんなことないよ。ヨセフィーナは君の手を待っている」

 ヘイニはにこやかに言う。

「つまり、私に彼女の仕事を手伝えと?」

「そんなこと言っていないだろう。君は上げ足を取ってばかりだね。優しくしろと言っているだけだ」

「ゴスタ師の仰る通りだ。君は軋轢を作りたがる傾向にあるようだね」

 誰が言っていたのだろうか。確かに、ヘイニは自分の非を責められないように相手に落ち度を大きく誇張して攻める。そこに誠意はない。反省より自己防衛の方が重要なのだ。

 ストレートに自分の言うことを聞かないことが悪なのだと言えば良いのに。

 と、思っていたら、ゴスタは直球だった。

「そうだ。彼女を邪険にしたら許さんぞ!」

 もはや何とも言い様がなかった。

 その日はそれで終わった。

 ミルカはそれからも特段、何の変りもなく過ごした。ヨセフィーヌに殊更親切にすることもなく、殊更意地悪をするでもなく、なるべく関わらないようにしていた。

 しかし、後日、ミルカは最後に二人に呼び出され、別の神殿へ行って貰うことになったと言われる。

 あれは関わってはいけない人種たちだ、となるべく遠巻きにしてのらくらしていたら、追い出されることになった、と言うミルカにアリゼは呆然とした。

 アリゼが無事だったのはイシドールの庇護下にあったからだ。もしくは、彼女の思う通りに振舞ったからかもしれない。

 今度行く先は郷里から近くなるから、もしかしたら妹に会えるかも、とさっぱり笑うミルカに、アリゼは勝手に落胆した。自分との別れを惜しんではくれないのだなと思った。

 でも、別れ際、貴方はもう一人の妹だと抱きしめてくれた。

 しばらくして、同室の年かさの女性が言った。

「私さ、廊下であの三人の話をちらっとだけ聞いたんだけれど、ヨセフィーナが「怖い」って言ってたのをせっせと慰めていたよ。ミルカさ、言っていたよ。ヨセフィーナがミルカを怖がっているから話しかけられないんだ、だからそっちから優しく話しかけてやれって言われたんだ、って」

 仲良くしたいのなら、自分から働きかけるものではないのか。

 そんな当たり前の考えが脳裏をよぎる。

 当たり前のことが当たり前ではなくなる。

 そんなものなのだろう。

 イルタマルは管理不足だと言い放った者たちにあれもこれも出来ていない、と文句をつけ、誰それもそう言っていた、と同調圧力をかけ、追い込んだ。今は担当が変わっている。元の担当者たちは重労働に回された。

 気に食わないから、自分から遠ざけたのだ。

 こんなに好き勝手な事が許されるのか。

 他に、アンセルムという対外的な業務を行う者は、自分の補佐に好みのタイプの女性を複数置く。それはもう、一目で分かるほどだ。

 男性では失敗をした者を配下に集める。無理難題を押し付けても、自分が拾い上げてやったことと言うのを盾にできるからだという。言われた方も生活があるので、指示通り、他害することを受け入れる。

 また、上の者に甘えるのが上手で取り入るだけで、間違いを指摘されたら、自分で考えることなく、じゃあどうすればいいか、と丸投げすることしかできない者もいる。

 自分に関することを少しでも間違われると過剰反応する者もいる。

 気に食わないことがあれば、話し合おうとせず、無視して口を利かなくなる者もいる。

 周囲の者は自分に関わり合いのないことだとそういった者たちを放置して知らぬ顔をする。

 様々な者がいるのだな、と思う反面、何故そんな小さいことに拘るのか、何故それほど他者を尊重せずに思うままに振舞うことができるのか、不思議だった。

 いずれにせよ、信用し得る者は少ない。

 分かっていることは、もうミルカと会うことはないのだということだった。

 だから、それは腹いせだった。

 エイナルとラウノの関係に亀裂を入れ、袂を分かつよう仕向けたのは八つ当たりだった。

 エイナルはラウノが黒の同志として実力者であるものの、敬虔が過ぎて残忍な行為との狭間で懊悩していたことを知っていた。光の神を崇めるのに、暗部で働かなければならない。その現実に心が千々に引き裂かれるのだろう。

 それでも、エイナルは黒の同志を辞めてほしくないと思っていた。

 アリゼはそこにつけこんだ。

 ラウノがもっと残酷なことをするように仕向けさせたのだ。

 あの新種の毒と同じ時期に手に入れた薬草を焚き、煙をくゆらせながら、その向こうで涼やかな目元を蕩かせるラウノに、エイナルは唇を舐め、幾度も繰り返した。ラウノの本質は残忍なのだと。記憶の深い深い所に刻み込まれるよう、何度も何度も。

 アリゼがそう唆したように。

 アリゼもまた、ヨセフィーナと、貴光教総本山の他の者たちとはそう大きくは異ならないのだろう。

 ただ、目的が違うだけだ。

 自分が利益を享受したいだけではない。全ては翼の冒険者のためにだ。

 翼の冒険者の礎になること。助けてくれたシアンに恩返しをすること。それだけだ。

 心の底に巣くっていた、自分をないがしろにしていた者たちへの復讐という気持ちに目を背けたまま、アリゼはそう自分に言い聞かせ続けた。



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