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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第六章
272/630

28.貴光教総本山の燦たる双星2

 

 彼はハルメトヤ出身ではなかった。

 小さな国の片隅の村で生まれ育った。兄弟が沢山いたから家の手伝いは足りていて、村はずれに住む老婆を助けることで薬草や食べられる草花を貰うなどして家計の足しにしていた。そうこうするうち、老婆に様々に教わり、草花の扱いが上手いと認められ、更に教え込まれた。薬草から貴重な香油を取り出すのは大きな収入源のようで、そちらは関与させてもらえなかった。薬草の手入れから始まり、最終的には軟膏を作れるようにまでなった。

 そのように育ったせいか力も体力もなく、際立った魔法を使えるでもなく、周囲からは役に立たないという烙印を押された。

 成人後は働き手としてよりも食い扶持を一人分減らしたいと家を出された。

 狭い村のことだ。

 家を出されてもどこにも行く場所がない。しょうことなしに最も近い街へ行き、一度は工房で働いたものの馴染めず、日雇いの仕事を探した。

 工房に弟子入りするのは、大体が成人前から始める。年齢制限などはないが、小さい子に混じって職人や親方の怒声を浴びることに耐えきれず、飛び出した。

 冒険者崩れとなり、薬草採取の依頼を受けて日銭を稼いだ。それも魔獣が跋扈する場所には行くことはできない。

 街にはそんな人間が溢れていた。

 その彼に転機が訪れたのは、ちょうど薬草を採取し、冒険者ギルドへ行ったものの、折り悪くごった返しており、時間をずらそうと近場の酒場に入った時のことだ。

 そこで食事をしていた商人風の男が突然、泡を吹いて倒れた。

 酒場での出来事である。

 すわ、悪い物でも入っていたのか、と酒場の主は青ざめ、料理を食べていた客たちは慌てて食事を中断する。全員が倒れた者のことよりもまず真っ先に自分のことを心配していた。

 酒場に入ったばかりで食事を口にしていなかった彼だけは物見高い気分で倒れた男を観察した。

 そこで、老婆に教わった知識が活きた。

 嘔吐や痙攣、手足のむくみと言った症状から、間違って、山菜にとある毒草が混入したのだろうと当たりをつける。

 水を飲ませ、喉の奥に指を突っ込み、吐かせる。

 それを何度か繰り返した後、所持していた薬草を噛み潰して飲ませる。

 処理する前の代物だったが、こういうのは時間との勝負だ。

 そして、彼の予想は正しかった。

 とにかく、商人は一命をとりとめたのでそういうことだろう。

 命の恩人の彼に、商人はいたく感じ入り感謝した。

 そして、何かお礼をと言うのに、金銭を受け取るだけでは一時的に懐が温かくなるだけで、その場しのぎでしかないと思った彼は、実は職を探している、と相談を持ち掛けた。

 商人からしてみれば、彼の腕は己が身で実証済みである。

 彼の手当ての適切さを高く買い、それならば、と神殿で働くことができるように口利きしてくれた。

 正直、信心などなかったし、戒律に縛られるのは窮屈で仕方なかった。しかし、一生食うに困らないというのは何よりも魅力的だった。神殿という世界的規模の組織の中で安穏と暮らすことができるのだ。これ以上の僥倖はないと思った。

 そして、事態は彼の想像以上となった。

 薬草園で働けることになったのだ。

 まさしく水を得た魚のようだった。

 彼の手に掛かれば、育ちにくい種だと言われていたものもすくすくと育った。

 全ては幼い彼に様々に教え込んでくれた村の老婆のお陰だった。ともあれ、彼の業績はのろのろとその地位を強固なものにした。

「ハルメトヤ国へ?」

「そうだよ。君の豊かな才能を埋もれさせておくのは勿体ない。ぜひ、貴光教の総本山でその手腕を発揮してほしい」

 あからさまなおべっかには興味はなかったが、総本山でならば、充実した器材が揃っているだろう。

 彼は一も二もなく飛びついた。

 そして、広大な薬草園に感激した。

 ここは彼の理想郷だった。

 整った環境、豊富な器材、各地位から集まって来る薬草に関する情報。何より薬の有意性が認められており、薬師の地位は低くない。最もそれは「特別な薬」を作るためなのだと言いうことは、ここへ来る前からその処方に携わっていたので熟知していた。

「特別な薬」がどういった使われ方をしているかは興味がない。

 ただ、どういう風に人体に影響を及ぼすか、持続時間や加工の有無といった薬草に関することだけに関心を向けた。

 つまり、この仕事は非常に彼に合っていたのだ。

 ここでも、彼は頭角を現し、今では専用の研究室を持つようになった。地下であるものの、動物実験をする上では逆に都合が良い。

 ただ、最近、前までは興味を持たなかったことに注意が向いたり、以前は考え得なかった思考の癖のようなものができていた。人間なので思考パターンに規則性が出てくる。それが少し変わったのものの、本人は気づくことはなかった。

 彼は研究のことしか頭になかった。それに没頭することができる環境が整っているのに、他のことに意識を向ける必要もあるまいというのが持論だった。

 にも拘らず、最近ではある街から薬草を取り寄せなければならないと思えてならないのだ。自分はそんな国も街も知らないはずなのだ。何故だかその街に有用な薬草が手に入るという考えがこびりついて離れない。

 億劫だった。

 彼の今の貢献度ならば、取り寄せることは可能だろう。

 しかし、他国のことである。

 労役課に適当な理由をつけて研究資金を得るという訳にはいかないのだ。

 確実に事を運ぶためには、腕利きを用いる必要がある。

 とすれば、貴光教の暗部部隊に頼むしかないが、そこは煩雑かつ複数の手続きが必要で、曖昧な申請理由では通ることができない。

 有用な薬草を手に入れるため、と言っても、根拠を示さなければならない。

 そんな煩わしいことをするくらいならいっそ薬草園で薬草の世話をする方がましである。それに、いま進めている動物実験の被検体の反応を事細かに観察して記録したい。

 なのに、早く手に入れろと脳裏で急かされる。

 彼はそうした思考に煩わされていた。



 あれからエイナルとラウノは任務で使用するからと言って、アリゼに「特別な薬」の扱い方を聞いて来たりした。

 貴光教で取り扱う「特別な薬」は多様にあるが、大きくは二つに分かれる。信徒に用いて奇跡を実体験させる物と敵に用いる物だ。

 エイナルとラウノは後者に関して、分かれば儲けもの、くらいの温度感で尋ねてきた。

 幸い、エディスで取り扱っていた物だったのでアリゼにも説明することができた。

「この毒は浅く切りつけるだけでは効果が薄いです」

 そう説明した時、ふたりはさっと顔色を変えた。心当たりがあるのだろう。

「そうか、だから……」

「いや、アリゼは黒の同志出身だったのなら、俺たちがどういった任務を請け負っているか知っているだろう」

 目を見開いて思わず呟いたものの言葉を濁すエイナルに、ラウノが否定する。

 そうやって有益な話をすることによって自分も仲間だと認められたようで、ラウノの口数が増えて行った。

「では、矢か槍かな」

「槍の名手なら他の隊にいるんだがな」

 エイナルとラウノの隊には扱う者がいないか、得意としていない様子だ。

「でも、あの人、応援要請を受けて遠征していなかったっけか?」

 エイナルの言葉に、何故かラウノはアリゼの方を見やる。

「そう。エディス支部へ呼び出されていた。つい先日帰って来たばかりという話だ」

 アリゼははっと息を飲んだ。

 最近、魔族が活性化し、反撃されるようになったとはいえ、他へ、それも中央への応援要請だ。エディス支部が誰を目の敵にしていたか知っているアリゼとしては、翼の冒険者の支援団体が瓦解してやいないかと気が気ではない。

 ラウノは古巣の様子が気になるだろうと話を聞いて来てくれたらしく、問うまでもなく、詳細を教えてくれた。

「エディス支部ではとある結社を潰す必要があると考えているそうだな。一度は非人型異類を用いた新種の毒で追い詰めたものの、活動の勢いは止まらずそれどころか、席巻しつつ移動している。その進撃を止めるために槍遣いを借り受けたのだそうだ」

 知りたいことを先んじて調べて教えてくれたことに感謝すると、エイナルが口を挟む。

「新種の毒ってやつもエディス由来だろう?」

「そうです。イシドール師が作り出しました」

「すげぇよなあ、あれ!」

 エイナルが目を輝かせて満面の笑みを浮かべる。

「俺も使ってみたことがあるけれど、対象を即死させないで数日生かした後、命を奪うってところが、使い勝手が良いよな!」

 その間に対象の知っている情報を聞き出したり、泳がせておいて芋づる式を狙うなど、多様な用い方ができて重宝しているのだそうだ。

「かの槍遣いが入っても手ごわく、引き分けに持っていくのがせいぜいだったという」

「え、あの人がいて? 一騎当千って言われているのに?」

 驚愕するエイナルにラウノが頷いた。その表情は苦々し気だ。

 ラウノは親しくなるにつれその胸の内を漏らすことがあり、いつぞやには自分はこうやって様々な任務に就き、中には他聞を憚る類のものもあることが苦痛に思える。ただ、神へ祈りを捧げていることだけが肝要なことではないか。そう話した。

 神への愛と残忍な行為への嫌悪感の狭間で揺らぎつつも、自分たちの存在意義でもある武力の高さを脅かそうとする者を許容できないのだろう。

 エイナルも実践では高い能力を持っているそうだが、ラウノは頭一つ抜きんでていると聞く。噂好きの女性たちからの情報で、どこからどうやって仕入れてきているのか、アリゼには不思議である。そして、その信憑性が高いことについても。

 彼女たちは身近な同年代の異性の存在には敏感だった。ラウノ派エイナル派がいると聞いて呆れたものである。

 ラウノは実力者で敬虔な者だった。

 身内と判断すれば普通に接するが、それ以外に対しては口が重い。

 翻って、エイナルは他人の垣根をひょいと乗り越えてすぐに親しくなることができるタイプだ。

「エディス支部ではその結社が拠点を持って、そこに集結しつつあるのではないかと考えているらしく、近々、刺客を送り込むそうだ」

 アリゼは息を飲んだ。

 その様子を見たエイナルとラウノがまた情報を掴んだら教えに来ると口々に言う。

 エイナルとラウノはアリゼよりも三、四歳年上だ。隊の中では若手ながら、功績を挙げていると聞く。二人一組で行動するものの、ライバルでもあるのだろう。そして、同じ年頃の男女が集まれば、その視線を独り占めしたいと思うのも良くあることだ。

 アリゼはそんなことはどうでも良かった。

 翼の冒険者の支援団体の拠点、そこに翼の冒険者が訪れる可能性はないとは言えないだろう。そこへ刺客が潜り込んだら。

 アリゼは血の気が下がるのを感じた。



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