27.貴光教総本山での再会
アリゼが薬草の葉や茎の状態を見て、肥料や水をやるという朝の労務を終え、じきに昼食をというころ、見習薬師に呼ばれて、屈めていた腰を伸ばす。
「アリゼー、こっちよ!」
畑の向こう側で大きく手を振る二十前後の同僚の傍に、彼女よりも二つ三つ年上の背の高い男性が立っていた。
桶と柄杓を持ってそちらへ向かうと、同僚が頬を紅潮させながら急かす。視線はちらちらと隣に立つロランに頻繁に向く。
「早く早く」
「これでも急いでいるんだけれどね」
「ああ、私が持ちましょう」
重い桶にロランが腕を伸ばしてくる。
「そんな、旅から戻られたばかりでお疲れでしょうに!」
アリゼが言うべき言葉を、同僚が大げさな口ぶりで言う。
「こんにちは、ロランさん」
「こんにちは、お久しぶりですね」
ロランは以前、エディスへ訪れたことがあり、その際、イシドールによって中央の人間に引き合わせてやろうと紹介を受けたことがある。彼は祭壇を背負ってあちこちを旅し、布教を続けている聖職者の鏡とも言える男だ。
そして、同僚が見とれ、浮かれるほどに見目の良い男だ。
また伸びて来たらしい縮れた金色の髪を項で括っている。眉頭から跳ね上がった眉尻が意志の強そうな雰囲気を醸している。
「戻って来られたんですね」
彼はキヴィハルユの貴光教神殿所属だと聞いていた。
「はい。帰って来てみれば、イシドールさんやアリゼさんがこちらにいらしていると聞いて、取る物もとりあえず、やって来てしまいました。仕事の邪魔をして済みません」
「いいえ、ちょうど休憩を取る時分なので」
「では、宜しければ、昼食をご一緒しませんか。イシドールさんもお誘い出来たら良いのですが、生憎、お忙しそうで。ああ、もうイシドール師とお呼びしなくてはいけませんね」
イシドールは栄転で本拠地にやって来た。この神殿で顔つなぎをし、ゆくゆくはどこかのエリア全てを統括する薬師長になるかもしれない。エディスは大国の国都ではあるが、ハルメトヤからは遠い。
付いて来たそうにする同僚に桶と柄杓を渡す。彼女は元々、交代要員なのだ。アリゼから引き継いで、この広大な薬草園の水と肥料やりの続きを行う。
「後で詳しく聞かせてよ」
それでもこっそり囁かれた。
これは後で同室全員に根掘り葉掘り聞かれるに違いない。
アリゼは顔をしかめて見せたが、それはどこか楽し気だった。
それを、ロランが暖かい眼差しで眺めており、アリゼは慌てて表情を取り繕って、建物内へと急いだ。腹の立つことに、長身のロランは足も長いらしく、あっさりと追い付かれた。
食堂で向かい合って食事を摂る。
真正面からロランを見ると、髭も当たりこざっぱりしていて、到着してすぐにとは言いつつ、身だしなみを整えていることが伺える。
貴光教は清浄を尊ぶ。身なりの清潔さも求められるのだ。
周囲の同僚、特に女性の視線を感じ、居心地が悪い。
「どうですか、貴光教の総本山に来て」
見られることに慣れているのか、気にした風はなくロランが尋ねる。
「はい。設備も薬草園も取り扱う薬草の多さも素晴らしいものです。それだけに、覚えることが沢山あり過ぎて、目まぐるしく日々が移り変わります。それに、労役課などの業務のシステムが整備されていて、万事が滞りなく進むよう工夫されているのが目を見張るものがあります」
ロランはにこやかに頷いた。
「そうですね。神への祈りと信者の方々に教えを説くこと、それらがすべてに優先されます。時間は有限だ。雑務をシステマチック化するのは大切なことです」
スープを匙で掬い口に入れ、パンを千切る。そういった動作に品があるとは言えなかったが、食堂に集まった者同様、気安さを感じさせた。
「本当にそうですね。ただ……」
「ただ?」
アリゼが言葉を探して躊躇すると、スープの匙を口に運ぶのをやめ、先を促す。
「それだけではなく、中で暮らす方々というのは人間なのだな、と思いました」
ロランの片眉が跳ね上がる。唇の両端は吊り上がっており、アリゼが自分なりの発見をしたことを嬉しく思っている様子だった。
自分たちが思うままに振舞い、意に沿わない者は排除していく。そうすることによって、独特の価値観、その場所でしか通用しないや常識を作り上げていく。それに慣れ親しんでいる者からすればそれが当然のことで、やりやすい環境なのである。
それがいかに滑稽であるか、俯瞰することができないのだ。
反面、ミルカを始めとする女性たちの溌剌とした様子が、正しく生そのものという印象を受ける。常に笑いさざめき、楽しそうである。不満や諍いはあるだろうが、それを軽々と超えて行くあっけらかんとしたところがある。
良くも悪くも人間らしい、そういうことなのだと思う。
「ただ我欲を捨て、神だけのために生きる。カヤンデル様を始めとする上の方々はそういった考えの持ち主は多いようです」
そこでオルヴォ・カヤンデルの名前が出てくるとは思わなかった。
「おや、アリゼさんはカヤンデル様をご存知なのですか?」
「はい、御尊顔を拝したことがあります」
「切れ者、という感じの方でしょう?」
ロランの言葉に、全く異論はなかったので頷いた。
「だから、新しくも有用な毒を作り出したアリゼさんと直接お話しされてみたいと思われたんでしょうね」
さらりと言われたことに、今度はアリゼの手が止まる。
持ち上げた匙をスープ皿に戻す。
視線で促すと、ロランが苦笑する。
「これは失礼。失言でした。大丈夫ですよ、それを知る人間はここでも少ないですから」
ロランが声を落として謝罪する。
アリゼは安堵の息をつく。
イシドールの栄転はロランが言った非人型異類の素材を用いた毒が有用だと認められたからなし得た。それを作り出したのはアリゼだが、イシドールに手柄を取られた形となった。一応、引き上げてくれはしたが、名前が全面的に出るのはイシドールだ。
アリゼとしてはそれで良かった。その考えはキヴィハルユに来てみて一層強くなった。
内部の人間、特に上の者の癖が強すぎる。手にした権力をおもちゃと同じく使いたくて仕方がない風情だ。下手に目を付けられては、いじくりまわされて壊され、捨てられてしまうのが落ちである。しかも、それが悪いことだと分かっていないのだ。踏みつけられれば痛いのだということを、身内だと認識した者以外には想像することができないのだ。
上の者といっても、アリゼはまだ中間辺りでくすぶっている者しか接しない。
唯一、オルヴォ・カヤンデルと接したことがあるだけだ。
その彼は実情を把握していた。
流石の切れ者である。
考え込んだアリゼの手にそっとロランの手が重ねられる。
肉厚で大きくて、あちこち傷だらけで、でも、暖かい手だった。そして、自分の手が冷たくなっていることをその時ようやく知った。
「すみません、不用意に怖がらせることを言ってしまって」
アリゼは戸惑ってそっと手を引き、食事を再開する振りをした。
「大丈夫です、カヤンデル様の耳目が広いだけです。引っかかるものは捨て置けず、吟味されるのが癖なのですよ」
「そうなんですか」
そうやってあの若さでのし上がって行ったのか。
「ロランさんは大聖教司様と親しくされているんですか?」
「とんでもない。ただ、私が変わり者だという噂を聞いて、面会を所望されただけですよ」
大仰に驚いて否定して見せる。アリゼの気持ちを持ち直させるためとはいえ、真実も含まれているだろう。
「しかもね、私はその時、ちょうど近くの村で流行り病が出始めた兆候があるという噂を聞きつけていたため、断ったんですよ」
「断った⁈」
思わず大声を上げてしまい、アリゼは口を手で押さえ、首を竦めた。
周囲を伺うと視線を集めたものの、すぐに散っていく。みな、自分の食事や周囲の者との会話で忙しいのだ。
「済みません」
「いいえ。驚きますよね。彼はその時すでに大聖教司の役に就かれていましたし」
なおさら驚きである。
アリゼはふと疑問に思って問いをそのまま口にしてしまった。ミルカや年若い女性たちと忌憚なく話すうちに感化されてしまったのかもしれない。
「あの方って、若く見えて実は?」
わりと年がいっているのだろうかと思い、そう言うと、ちょうどスープの匙を口に入れたロランがむせた。
咳き込みつつ、笑う。
「ちょっと、大丈夫ですか」
「ア、アリゼさん、笑わせないでくださいよ」
「私は何も笑わせるつもりで言ったのではありません」
アリゼがむくれて見せると、ロランが目を細めた。
「な、何ですか?」
「いえ、ここは貴女にとても合うのですね。キヴィハルユ所属の者として嬉しい限りですよ」
いきなり何を言っているのだと、アリゼは千切ったパンを口に押し込む。やや乱暴に咀嚼するアリゼにロランは更に笑みを深くする。
「そうそう、翼の冒険者の噂なんですがね」
ロランは翼の冒険者と実際会ったことがある。エディスで彼の話を聞いて心が躍ったものだ。
「ロランさん、その話題を持ち出したら私の興味が逸れると思っているんですね。それで? 大聖教司様って本当はお幾つなんですか?」
「何でも、港町で目撃されたらしいですよ」
そのまま翼の冒険者の足取りを話すロランの顔が若干引きつっていたため、アリゼは溜飲が下がる思いだった。
「あら、やっぱり言いたくないんですね。まあ、良いですよ。誤魔化されておいてあげます」
「ありがとうございます」
わざとの尊大な物言いをしてみせると、ロランが苦笑する。
美男はそういった表情も様になるのだな、と妙な関心をするアリゼだった。
ロランは翼の冒険者に好意的だ。だから、思わず話し込んでしまった。
また、ロランは各地の植物のことを語った。初めて聞く珍しい話に聞き入る年頃に見合う好奇心旺盛なアリゼの様子に、ロランも話に熱が入る。
特に、翼の冒険者の話を聞く時は、柔らかい表情を浮かべるので、ロランとしてもつい彼の情報を積極的に仕入れてしまう。
微笑ましいという記憶が刻まれ、後々のロランの対応に影響を与える。どうしても、その姿を忘れられなかったのだ。
幸せは去ったあとに光を放つ。
アリゼは翼の冒険者がエディスにいたころ、同じ街に住んでいた。そして、今、この眩く楽しい場所で暮らしている。
そういったものはみな、失ってから初めてどれほどの幸運だったかを知るのだ。




