26.貴光教総本山の燦たる双星1
暗殺騒ぎの後、大聖教司の一人、オルヴォ・カヤンデルにももう一度会った。
「もう慣れたか? 何かしてほしいことがあるか?」
新人が良く言われる言葉に、アリゼは首肯した。
こういう時は控えめな希望を述べることにしている。欲がないと思わせるのはうまくない。欲がある人間は欲がない人間を信用することはできないからだ。
「先日の黒の同志、あの方はとても素晴らしい技量の持ち主でした」
「そういえば、お前は黒の同志出身なのだったな」
アリゼのことも調査済みか、と首を垂れつつ短く返答をする。
「それがどうした。お前はこの街出身でもない。旧交を温めたいという訳でもあるまい」
「ご炯眼恐れ入ります。仰る通り、黒の衣を脱ぎしばらく経ちますが、エディスの薬草園にいるころには同志たちが足を運んでくれ、様々に話を聞くことができました」
それも今は途絶えてしまった。
「ふむ、情報が欲しい、か」
全くの炯眼だった。
アリゼは首を垂れたまま答えを待った。返事をしなかったのは大聖教司の声音が確信を持っていたからだ。
「良かろう。元黒の同志で今は薬師、しかも他の街から来た者など珍しかろう。先の護衛についていた者に話を通しておくゆえ、数人と引き合わせて貰い、何かしらの情報を得てくると良い」
「有難き幸せ」
アリゼの意図を正しく読み取りつつ、好きにさせた。
この人は英邁で、かつ、部下が力を持つことを厭わないのだな、と貴光教の中でも評価に値する人間だと位置づける。
おお、神よ
偉大なる神よ
見よ、蒙昧な者どもよ
絶望がひたひたと押し寄せる。
讃えよ神を
崇めよ神を
主への絶対の忠誠を
心身を捧げよ
おお、神よ
偉大なる神よ
聖教司見習たちが歌う祝詞は歌とも呪文ともつかない、その空気を漂うような不思議な響きを礼拝堂に充満させていた。
当時の人々にとって本来の音楽とは、世界を調律している秩序のことである。
同様の秩序が人間の心身をも司っているとされ、人間の音楽とよばれた。調律作用が狂うと病気になったり性格が曲がると言われている。
ふと、翼の冒険者たちはこんな秩序だった音楽ではなく、心が弾むような音楽を奏でていたなという考えが浮かぶ。
「あんたが、薬師見習のアリゼ?」
声を掛けられて、ぼんやりしていたことを自覚する。
慌てて立ち上がって振り向くと、聖教司見習と同じくるぶしまである貫頭衣を着た若い男性二人が立っていた。
「ヒューゴ隊長に言われて来た。俺はエイナル、こっちはラウノだ」
くすんだ金髪を短く刈り込んでいるのがエイナルで、茶色の髪に丁寧に櫛を通しているのがラウノだ。
エイナルはやんちゃでとっつきやすそうで、ラウノは穏やかで芯の強そうな印象をそれぞれ受ける。
「付いて来てくれ」
言って踵を返す。アリゼが歩き出すと、ラウノはその後ろに続く。
まるで連行されている具合で、彼らにとっては警戒する気持ちがあるのだろう。
礼拝堂を出てすぐの小部屋に案内され、椅子を勧められる。
簡単なテーブルとイスが二脚あるだけの室内を、窓から陽光が差し込み照らしていた。
エイナルと向かい合って座り、ラウノが扉に背を預けて立つ。
「それで? 何が知りたいんだ?」
「私はここへ来て幾らも経っていないのです。イシドール師に付き従って参りましたが、今はとてもお忙しくて会うこともできません。ここのことや周辺の出来事を教えていただけないでしょうか?」
アリゼは下手に出て頭を下げた。
いくら大聖教司を通したからといって、いや、だからこそ、頭ごなしに言われれば、適当にあしらわれるだけだ。
「あんたただの薬師見習だろう? 薬草の世話をしていたらそれで良いんじゃないのか?」
「はい、それも大切なお役目です。ただ、私はエディスでこの職に鞍替えする前は黒の同志と同じ職務を負っておりました」
その話は聞いていなかったらしく、エイナルが口笛を吹いた。
「エイナル」
「何だよ、ラウノ、固ぇこと言うなよ。ゼナイド国都のお仲間だったんだってのに。なあ」
開けっ広げな笑顔を向けてくるのに、微笑みながら頷く。
「できれば、お気遣いなく接してください」
そこでアリゼは薬草の取り扱いを得意としていたため、黒の同志から薬師に転向することになったこと、その経緯から薬師になっても黒の同志たちと親しく接していたこと、その際、色んな情報を得ていたので、それができなくなって随分心もとない気持ちになっていることを語った。
真実が大半を占めるために破綻なく語り終えることができたと思う。
「なるほどなあ。確かに、俺たちみたいな者に取っちゃあ、情報はなくてはならないものだ。それがいきなりぷつんとなくなったら、不安になるのも当たり前のことか」
「縁もゆかりもない土地にきたばかりだからなおさらだろうね」
エイナルとラウノがそれぞれ得心が行ったように言う。
「そうなんです。噂話を拾うにしても、日中は薬草園で仕事をしていて、時間を取ることができません」
「真面目にやっていりゃあそうなんだろうな」
含みのあるエイナルの言葉に首を傾げてみれば、くっと喉を鳴らして笑う。
「労役課の特定の人間は必要のない用事を作って、外へ出てふらふらしているぜ」
「え、でも、規則では」
「そう。労役長の承認を得て、外出が許される。つまりは納得させられる用事がなければ出られないってことだ」
エイナルが皆まで言わせずに喋る。
対照的に、ラウノは無口だ。
「でも、出ている者がいる」
「そうさ。ヨセフィーナって名前だっけか」
「そうなんですね」
表情が動かないように注意する。
「日常化しているらしく、あんたみたいに規則破りじゃないかと言及した者もいたが、何だかんだ理由を付けられて、他所へやられたよ」
あり得そうなことだとアリゼは頷いた。ただ、ここで下手に言質を取られるのはまずい。アリゼは話題を変えることにした。
「あの、地下の研究室に籠っている薬師の方がいらっしゃるんですが」
「ああ、あいつね」
すぐにわかった様子だ。
詳しく聞いてみると、以前まではそうやって地下研究室に籠っていたのではないそうだ。
「最近、動物実験を頻繁にするので籠るようになったらしい」
「動物実験? 確かに有用なことではありますが、どうして地下に研究室を作ったのですか?」
「地下研究室は元々あったものらしいがな。まあ、人気が無い場所の方が捗るんだろう。被検体が金切り声を出しても、耳目を気にすることなく研究を進めることができるだろうからな」
つまり、死体が出るような研究を行っているということだ。
そう聞いても顔色を変えなかったアリゼを、エイナルは面白そうに眺める。
試されている、と感じた。
表情を取り繕いながら、アリゼは自分の直感が正しかったことを知る。
地下室の薬師は新しい毒薬を作ることを任されているのではないだろうかという疑念が半ば確信に変わりつつあった。
だから、彼はアリゼの同僚が左右の耳の大きさに気づかないくらい、他者との接触を最小限にしているのだ。それは何かを秘匿しているからに違いない。
同僚の薬師見習に地下室の研究者の左耳だけがやけに大きくなかったか、と聞くと、素材を持って行っても、顔を見ないことも多いから分からない、という返答を受けた。後に、その研究室に行った際に顔を見る機会を作って確認したと教えてくれた。何故今まで気が付かなったか分からないくらい、明確に左耳の方が大きかった、とはしゃいで笑い転げていた。
地下室の研究者は頑なに同僚を室内へ入れようとはせず、情報が掴めなかったので、ここで聞くことができて良かった。後はすそ野を広げていけば良い。
その後、薬草園のことや薬草のこと、薬師や労役課、その他の部署の人間関係、キヴィハルユ周辺の街や村、ハルメトヤ国の周辺のことなど様々に聞いた。
驚いたことに、エイナルは薬のことに関してもある程度知っていて、ここにはアリゼの知らない薬草もあり、それについても教わることができた。
これで仕事にも張り合いが出るというものだ。いつかはその現物を育て、処理加工まで手掛けてみたいものである。
「今日はどうもありがとうございました」
「いや、俺たちも有用な情報を得ることができた」
「流石は薬師見習だな。いや、見習にして置くのは惜しい情報だった」
エイナルもラウノも予想外に手にした情報に満足しているようだった。結果は上々だった様子だ。
「あの、もし宜しければ、またこうやって情報を頂けるとありがたいのですが」
「ああ、いいぜ。俺たちも得るものがあるしな」
大聖教司の権力は凄まじいもので、一回限りではなく、今後も期待ができる模様だ。




