22.火山 ~神獣も攻撃してくるならお土産です/暑苦しい/ドラマティックバイオレンス!~
それは時折噴火する活火山で、山肌は黒々と冷え固まった溶岩で覆われている。
近づくにつれ、熱気を感じた。そして、硫黄の臭いが鼻腔に届く。
そして、離れた先からもその頂点の火口から炎を視認することができた。
ティオは上空から直接頂上に向かわず、山肌に沿って上昇する気流に乗った。上空には熱せられた大気が陽炎を作っている。
山腹に空いた火口からマグマが噴き出す。
赤い噴水のごとく跳ね上がる。
列をなした火口から溶岩が勢いよく流れ出るのはさながら火のカーテンだ。
『溶岩が流れた後の土壌はミネラル分が豊かで、十年後には植物が根付く』
鋭く尖った岩肌のおうとつの狭間に動くものがあった。黒い岩と同化する色彩のトカゲのような姿をしている。ところどころ黄色い斑点がある。そして、無数に蠢いている。
そのうちの一匹が低空飛行するティオに向けて炎を吹き付けて来た。それが呼び水となり、あちこちから炎を浴びせかけてくる。ティオは危なげなく躱し、旋回してひと蹴りする。シアンの身長と同じくらいの大きさのトカゲは呆気なく鋭利な岩に叩きつけられ、動かなくなる。
一匹が倒されたことで、残りの群れはざ、と音をたてて引いていく。
「オアシスで会った商人たちが言っていたトカゲかな?」
『これは火を食らい、それによって皮を再生する』
『シェンシとユエに持って帰ろう』
風の精霊の言葉に、良い素材になりそうだとティオが鋭い鉤づめで持ち上げる。
『トカゲの肉は美味しいですかねえ』
『わんわん三兄弟、食べるかな?』
商人たちが薄気味悪いと言っていた魔獣も、幻獣たちにとっては土産に過ぎない。
高く澄んだ鳥の鳴き声が尾を引き、そちらへ目をやると、朱色の尾羽が炎のように燃える鳥が勢いよく飛んでいく。一直線に山腹の火口に潜り込む。
『焼けちゃったの?』
岩を溶かしていることから、マグマに触れれば焼けるということを学んだリムが誰にともなく聞く。
『いや、あの鳥型の魔獣は太陽と崇められている炎の神の眷属だ。火に飛び込みその体を燃やし、灰の中から生まれ変わる』
マグマがぼこりと盛り上がる。それは長い首、羽の形に姿を変え、どろりとした粘液が流れ落ちる。
炎をまとった鳥が飛び出して来て、シアンたちに迫る。
「キュア!」
リムの鳴き声一つで、中空で静止し、表面が見る間に凍結される。落下を始める前にリムが声を上げる。
『英知! シェンシとユエのお土産が地面に落ちたら壊れちゃう!』
『分かった』
神鳥もこちらに敵意を向けその力を振るってくるのであれば、それはもはや土産の一つであり、それを粉々にしないために精霊の力を借りる。
どこまでもマイペースな一行であった。
鳥型の神獣も回収して、頂上を目指す。
ティオの飛行速度について来れる者はなく、熱気に乗ってふわりと舞い上がる。
頂上にも火口があった。
大地にぽっかり穴が開き、岩々が燃えている。朱色に黄色、白に輝き、ごうごうと音をたてている。大地が唸るような不気味な音と岩が溶け崩れる音、炎が風を巻き込み揺らぐ音、全てが不穏な雰囲気を醸していた。
『兄上!』
火口から一際高く火柱が立つ。それが収縮し、人影を取る。
ライオンの鬣のごとく豪奢な赤毛、筋骨隆々の体に橙色の眉毛と睫毛、青い瞳、黄色掛かった白い肌をしている。大ぶりの鼻に唇、華やかな美貌を持つ三十前後の男性だった。
シアンの傍らに浮く風の精霊をまっすぐに見つめて賞嘆する。
『ああ、その香しき風、正しく穎悟の化身! 風の精霊王! お会いしたかったです。わざわざ俺を尋ねてお出で下さったのですか? この上ない僥倖に存じます』
喜色満面で熱心に言い募る。
『暑苦しいですなあ』
九尾は豪胆にもそう独りごちた。
風の精霊は無表情で言葉を発しない。
シアンはティオの背の上で風の精霊と炎の精霊を見比べる。口を差し挟むことははばかられる。
太い眉をしかめて炎の精霊がシアンを見やる。
『そちらの人間から兄上の力を感じますが、もしやその人間が?』
『そうだ、彼がシアン。私が加護を渡した』
見るからに取るに足りない者風情に、だが、尊敬する兄がなすことに文句をつけることはできない、という雰囲気だ。
そして、風の精霊はそれ以上の言葉は発しなかった。
炎の精霊はせっせと話しかけるが反応を見せない。
傍で見ているシアンが困惑する。
ティオは我関せずで、九尾はこれほど面白い見世物はないとばかりに傍観を決め込んでいる。
けれど、リムは違った。
シアンが困っていることを読み取って、その肩から降りた。
精霊たちに気を取られていたシアンは気づかなかった。
マジックバッグからタンバリンを取り出して、炎の精霊に近寄る。
「リ、リム⁈」
炎の精霊はそれまで出会ってきた精霊と異なり、明確にシアンに敵意を持っているのだと、もっとしっかり言及して置けば良かったと後悔した。
「戻っておいで」
危ないと言えば、逆に炎の精霊を刺激するかもしれない。
『大丈夫だよ!』
それは麒麟の食育のためにカラムにお願いしたり、ユルクの本質を見てほしいと彼の祖父に話そうとしたりしたのと同じだったのかもしれない。
誰より大切で大好きなシアンのためならばこそ、強大な力を持つ存在であっても、リムは向かっていっただろう。それは悪いことだと欠片も思っていなかった。レヴィアタンに邪険にされて落ち込んでも、シアンが慰めてくれた。取り返しのつかないことなどないし、冷たくされても大したことには感じなかった。
『上位存在には音楽や美味しいものを捧げるの! 炎の精霊は何の食べ物が好き?』
周囲を飛び回りながらタンバリンを振りつつリムが尋ねる。
炎の精霊は眉根を顰め、無視を決め込む。
『音楽! 楽しいよ! 心の奥からね、弾むような気持になるの!』
リムは小さな足でしっかりとタンバリンを掴んで鳴らしながら、中空で後ろ立ちした脚を素早く動かし続ける。
シアンはティオの背の上で身を乗り出す。
世界の粋を成す一柱の精霊王の元へ近寄ってくれとはティオに言うことはできなかった。こんなことならもっと飛行訓練を真剣にしておくのだったと臍を噛む。
炎の精霊の表情が忌々し気になりつつあるのを見て取り、シアンは下手でも良いから、自分が単身近づき、リムを連れ戻そうとした時のことだった。
『その小うるさいのを鳴らすのをやめろ』
太い腕を軽く横薙ぎに振る。
火の粉が飛び交う。
それは圧倒的な強さだった。
凄まじい勢い、高温、岩をも溶かす高濃度の魔力の籠った炎だった。
タンバリンを掴んだリムの足は炎に焼かれることはない。上位属性二柱の精霊の加護を持つのだから。しかし、木と金属でできたタンバリンはひとたまりもなかった。
「キュア!」
タンバリンが完全に炭になる前に酸素がなくなり、温度が下がる。ところが、一瞬なりとも火がつけば、流石は精霊王、半分ほど燃えてしまっていた。
『あ、あ、あ……』
呆然と半分消し炭になったタンバリンを見つめる。
見る間にどんぐり眼に涙が溜まる。
「リム!」
リムがその場で号泣する。
辺りが眩く輝いたかと思うと、すぐに闇が飲み込む。
顕現した光の精霊が激怒し、闇の精霊がリムを慰める。その優しい手をすり抜け、リムはシアンに飛びつき、しがみついたまま泣き声を上げた。
ティオはシアンを背に乗せていることを忘れ、炎の精霊に飛びかかろうとする。
九尾はそれを止めようと、背にシアンがいると叫ぶ。
突如現れた光の精霊が黄金の髪を逆立てる剣幕に目を見開いていた炎の精霊に、風の精霊が静かに近づき、腹に一撃、拳を叩き込んだ。
『⁈』
怜悧で英邁、並ぶところない風の精霊の暴力的な行為に、声もなく頽れる。
その顔を、風の精霊が踏みつけた。
炎の精霊の仕儀に凄風が吹き荒れた。
彼の叔母も甚風をもたらしたが、こちらも強烈だ。
いつもの瑞風とは違い、正しく一種の狂気を感じさせる。
シアンは声もなくティオの背の上で固まっていた。
と、低く籠った唸り声が下から不穏に響いて来る。徐々に高まっていくも、それよりも次元の違う爆音が響き、大空を震わせる。
火山が噴火したのだ。
シアンは思わず体を跳ねさせる。
ティオは平然としたものだ。
『イッツソーバイオレント! ドラマティックバイオレンス! 略してDV!』
九尾が震え上がる。
その割には茶化していて余裕がある。
お陰でシアンはある程度、落ち着くことができた。
「タンバリン、残念だったね。リムは怪我していない?」
長い体を撫でさすると、リムがシアンの胸に顔をこすりつけてから上げ、キュア、と小さく鳴いた。
ため息交じりに笑みが漏れる。
「前に言ったでしょう? 事情も知らずに他の人のことに口を挟んでは駄目だよって」
『ぼくがいけなかったの?』
リムがすんすん鼻を鳴らす。ピンク色の鼻は思わず突きたくなる。
「そうかもしれないね。話を聞いて貰えない相手もいるし、大事なものを壊されることもあるんだよ。いくらリムがそれは正しいこと、良いことだと思っても、相手はそうだと思わないこともあるんだよ」
炎の精霊は風の精霊の気を引こうと必死だった。そこへ面白くないと感じるシアンが連れた幻獣が明後日なことを言いながら飛び回ったのだ。小うるさく思って振り払った程度のことだったのだろう。
「キュアぁぁ」
リムが再び泣きじゃくりながらシアンにしがみつく。それを撫でながら、シアンはティオに風の精霊に近づいてほしいと頼んだ。
『でも、危ないよ』
「それは確かに。でもね、英知を止めなくちゃ」
柔らかく苦笑するシアンに、ティオはため息交じりで、後ろに向けていた長い首を前へ戻す。
ティオもまたシアンのこの表情に弱かったのだ。それに、今はシアンに加護を与えた精霊が三柱も顕現している。炎の精霊に至っては怒れる風の精霊に飲まれている。滅多なことはあるまいと踏んだ。
シアンは炎の精霊は風の精霊の仕儀に衝撃を受けたので、火山が噴火したのではないかとふと思う。もくもくと上がっていた黒煙は白煙となり、辺りを押し包む。
精霊の加護のお陰か、シアンたちはその中でも変わらず動けるし、煙の影響を受けない。
噴出した溶岩がゆっくりと斜面を流れていき、山の裾野に広がり行く。
溶岩は行く手にある全てを飲み込んだ。それは山を下りても更に進み、周辺に住む炎の民の家や田畑を覆い尽くした。速度は緩やかだったので住民の避難は難しくなかったが、その侵攻を止めることは誰にもできなかった。後に、冷え固まった厚い火山岩が辺りを支配した。そして、多くの者が生活基盤を失った。
ただ、一つ、石造りの塔と天辺の鐘楼だけは残った。
灰色の溶岩の間にすっくと立つ塔が陽光を反射する姿に、炎の民は精霊の怒りと慈悲を感じたという。
「英知、足を降ろして。そんなことはしてはいけないよ」
自分が言わずとも分かっているだろう、と言うと、風の精霊はシアンに顔を向ける。険しい表情に、だが、シアンは恐怖を抱くことはなかったので微笑みかけた。研鑽を重ねて英知を深めていく存在だからこそ、愚かな真似はするまいと知っていたからだ。
そして、風の精霊もまた、ティオ同様、シアンの穏やかで自分を信頼しきった笑みに弱かった。自分のことを信じ評価してくれている、それを裏切りたくはないと思っていた。
炎の精霊の端正な顔から足を退ける。
『兄上! 何故そんな者の言うことを聞くのです!』
がばりと身を起こして、縋りつかんばかりの様子である。泣きべそをかいてすらいる。風の精霊はそれを、冷淡かつ平坦な表情へ僅かに忌々し気な色を混ぜて見下す。
『そっちのグリフォンは獣の分際で俺に飛びかかろうとしたのですよ!』
『わしの加護を得ている。お主に手出しはさせん』
火口を鋭く囲む大地の一角が割れ、大地の精霊が顕現する。
『私も止めるわよ』
『大地の精霊に水の精霊まで⁈』
五属性の精霊王の顕現に、炎の精霊がその場に棒立ちになる。
『自分がどの様な存在に手を出そうとしたのか、これで分かったか』
風の精霊は身の丈であれば炎の精霊に及ばないが、それよりも高く浮くことで見下す形となる。
『ましてや、闇のが心を分けるリムの愛器を壊したのだ。今後、炎はこの世からなくなるかもしれない』
炎は熱を奪われれば存在することができない。
「英知、そんなこと言わないの。深遠はそんなことしないものね」
『炎の次第、かな』
闇の精霊はシアンには穏やかに微笑みかけたものの、炎の精霊にやる視線は冷然としている。
『そうだ、こんなやつ、簡単に許してやるものか』
光の精霊が腕組みしてふんぞり返る。
「みんな、落ち着いて。事情をよく知らないリムがうるさくしたのも悪かったんだから。ね?」
『シアンがそう言うなら』
精霊たちは不承不承、そう言って矛を収めた。
ディーノが魔族を長年の苦難から解放した礼をシアンに述べた際、言っていた。
「間違いをせずに生きる者は、それほど賢くない」
間違えてもそこから学んで行くことが大切だ。間違いを恐れて新しいことに挑戦しないのは勿体ない。間違いをしたと認められない者は賢くない。自分が正しいと主張するだけでは成長しない。
自分たちはそれを目指すべきだと。
そう、ディーノは語った。
素晴らしい考え方だと思う。
炎の精霊もそうしていってほしい。
上位者に対して、非を認めその先を見据えることを提示したシアンに、他の五柱の精霊たちはそれぞれ思うことを腹に収めてくれた。




