17.黄金の大地 ~食材探して世界を股に/つい食べちゃった~
秋の爽やかな空気の中、昼間はまだ日差しが強く、足下の海面が眩しく反射させる。
粉雨にあったが、すぐに通り過ぎる。傍らの風の精霊の助力のお陰か、シアンたちは濡れることはなかった。
ティオが上昇気流に乗り、シアンは雲の上の人となる。
風のまにまに漂う徒雲の最中を上昇し、雲塊の上に飛び出す。
そこには雲の錦が広がっていた。
白くまろやかな塊の作る黄金の影が、峰々を成す。
白い雲と陽光と雲の塊の影とが作り出す光景に、リムが歓声を上げる。
『わあ、綺麗だね!』
「うん、本当に。眩しいね。ティオ、大丈夫?」
『運転手が光の乱反射で舵を切りそこなうのは事故の元ですからな』
リムが歓声を上げ、シアンは騎乗したティオを心配し、九尾がふざけた物言いであるものの、重要なことを言及する。
『平気だよ。感知能力で何とでもなるから』
ティオはこともなげに言う。
「ねえ、英知、炎の精霊はどんな存在なの?」
『良く言えば頼り甲斐がある、悪く言えば押しつけがましい、だね』
金色の光の精霊は豪放磊落で、かつ大雑把である。
銀色の光の精霊は繊細で峻厳だ。
闇の精霊の弟は癒しと冷厳を併せ持つ。
闇の精霊の姉は嫣然と冷酷を兼ね備えている。
大地の精霊は実り糧を育て、平等に厳しい。
水の精霊もまた、生命を育む優しさと、時に妬心に駆られて奪い去る。父親の方は穏やかに見えて、何者にも侵されない強靭さを持っていた。
風の精霊は殆どの生物になくてはならないもので、常に自由。そして、時に荒ぶり、強固な物を削り変化させることさえある。
でも、シアンには金色の光の精霊は大らかで、銀色の光の精霊はどこかいとけなく思える。
闇の精霊の弟は穏和を、姉は洒脱な愉悦を感じる。
大地の精霊からは安心感を、水の精霊からは深い思いやりを貰っている。
そして、風の精霊からは知恵を。知識ない自由は不自由だ。
「炎の精霊にはどんな風に感じるのかな」
シアンの唇に笑みが登る。
水の精霊をして豪胆と言わしめた、力を持たない料理人兼吟遊詩人に、風の精霊は片眉を跳ね上げて見せる。
ようやく常の表情を取り戻しつつあることに、シアンは安堵した。
自分がそうさせたのだという自覚はないままに。
麒麟が島で豊富な魔力に癒され、プレイヤーが魔力溜まりと同じくMPを回復させていったのと同様、ティオもまた島にいることによって豊富な魔力を摂取し続けていた。
強靭な肉体を持つ種族かつ大地の精霊の加護を得て、濃厚な魔力にも耐え得たというのも大きい。
人の身では長時間居続けることは逆に害になるという弊害に関しては、島の管理者であるセバスチャンが調整をつけていた。
ティオはその調整が不要である。島で過ごすだけで魔力総量を伸ばしていった。
その潤沢な魔力と強靭な肉体で飛翔し続けた。風の精霊がまたそれを後押しし、騎乗者の環境を整えた。
常になく急速度で空路を急いだ。
もたついていては焦れた風の精霊が先行するのではないかという懸念を払拭することができないシアンも、ティオの体力を気遣いつつも彼の采配に任せた。
休憩を取ろうと高度を下げた下の光景に驚いた。
見渡す限り、黄金が広がっていた。
時になだらかに滑らかに丘陵を作り、時に迷路図のような細く長くうねる襞を作る。丘陵が風で削り取られ濃い影をなし、コントラストを作る黄金の斜面がどこか艶めかしくさえ思わせる。
「砂漠だ」
『ずっと黄色い地面が続くね』
風の精霊によると、シアン一行は南西にある別大陸にまで移動していたのだそうだ。
『気温が高くて湿度が極端に低いけれど、シアンは平気?』
シアンの呟きにリムもまた下方を覗き込み、ティオが心配する。
『シアン、ぼく、襟巻、する?』
言いつつ、いそいそとシアンの首を長い体で一巡させる。途端に柔らかい毛並みにひんやりした感覚を覚える。
「とても涼しくて心地よいよ」
気温の急上昇に気づかずにいたことを自覚する。ため息交じりに言うと、リムがうふふと嬉しそうに笑う。
それを振り向いた九尾が羨ましそうな視線を送って来る。
「英知、きゅうちゃんやティオの周辺の温度と湿度調整をお願いできる? ええと、深遠と水明にお願いした方が良いのかな。あと、稀輝、日差しを弱めてくれると嬉しいんだけれど」
『承知した』
『このくらい涼しければ良い?』
『乾燥は体力を奪うものね』
『任せておけ』
精霊たちが各々請け合う。各属性の助力を風の精霊が微調整してくれる。
当然のごとく、言及しなかったシアンとリムもその恩恵を受けた。途端に口内の渇きや皮膚のひりつく感じが消える。
『おお、心地よい。いやはや、やはりシアンちゃんの傍が一番居心地が良いですな!』
精霊様々である。
本来であれば、口内が乾き、発熱、倦怠感、嘔吐感、意識の混濁などが生じてもおかしくない環境である。
一片の雲がない空を進む。
人影のないセーフティエリア、というのが中々見つからなかった。
マジックバッグに水や食料といった物資は潤沢にあるので、砂の最中でもシアンたちは一向に困らないものの、やはり生物が休息を取るには木陰や水場がないといけないのだろうか。点在するセーフティエリアは必ず水場に隣接していた。
まずそういう場所が少ないことと、少ないと人が集いやすくなることから、人が不在という条件が当てはまるセーフティエリアは見当たらない。
『向こうの方に大きな街があるから、この辺りは人が多いんだろうな』
ティオが忌々し気に言う。
『ティオ、この場合、人がいても仕方がありません。それより、シアンちゃんを早く向こうの世界に送ってやることが優先されますよ』
九尾の言葉を最もだと受け入れる。
ティオはシアンやリムのためになるのであれば、どんな者の言でも受け入れる。ふざけた言葉なら跳ね除ければ良い。その際、ちょっとばかり蹴りが強くて、相当な勢いで飛んで行くかもしれないが、それはまあ仕方がないことだと思っている。ちなみに、飛んで行くのは狐本人の場合もあり、スイカの種のような物の場合もある。
ともあれ、ティオは小さなオアシス全体がセーフティエリアになった場所に降り立った。
砂地は思いの外足を取られ、ブーツの底から熱が伝わる。が、すぐにそれは和らいだ。
威容を持つグリフォンが舞い降りたことに、ラクダを何頭も連れた商人らしき者たちが驚き慌てふためく。眠たげな半眼、きゅっと上がった口角、愛嬌のある顔をしたラクダは、ティオが威圧感を抑えているのか、やや落ち着きなく足を動かす程度で済んでいる。
「すみません、ええと、僕たちは冒険者です」
シアンは知る限りのこの世界の言語で繰り返す。
すると、覚えたての魔族の言葉に反応を見せた。
「冒険者? ではこのいやに大きくて立派なグリフォンは貴方のテイムモンスターなのか?」
片言の魔族語が返って来て、シアンは何でもやっておくものだな、と感心する。
「僕はシアンで、グリフォンがティオ、小さい子がリムで中くらいの子がきゅうちゃんです。みんな、旅の仲間なんです」
驚かれはしたものの、流石にこれほどの威厳を持つグリフォンがテイムされはしまい、と妙に納得された。
「あの、もしかして、貴方はグリフォンを見たことがあるんですか? 僕はティオしか知らないのですが」
「おお、見たとも!」
商隊が襲われ、命からがら逃げたことがあるのだそうだ。
「その時、早々に荷を諦めたのが功を奏したのさ。やっこさん、荷馬車から転がり出た食料を貪るのに夢中で、その隙に距離を稼ぐことができた」
それでも、その時の仲間を幾人か失った。それほどに凶暴で大食漢、身体能力に富んでいるのだと言う。
「まあ、グリフォンは魔獣とは一線を画す幻獣だ。俺たちが巣の近くを呑気にうろついたのがまずかったのさ」
野生だから、普段敵意がない者も飢えれば牙を剥く。
「その時のグリフォンよりも随分大きくて毛艶も良いし、何より翼が美しい! 黄金でできたようじゃあないか! うん? そうだな、そう、目に知性が宿っている」
黄金の砂に覆われた民は誉め言葉にも黄金を持ち出すようだ。そして、同行人もまた、喋れはしないが、魔族の言葉を聞き取りはするらしく、興奮した態で付け加える。シアンと話す男がそれを拾い上げて、二度三度頷く。
「そうなんですか。宜しければ、グリフォンの話をもっと聞かせていただけませんか? あと、この地域のことも。お礼に、食事をご馳走しますよ」
言いつつ、シアンはマジックバッグを手に取ろうとして、九尾から代わりに大ぶりの革袋を渡される。
『シアンちゃん、マジックバッグは貴重なもの。あまり人目に触れさせない方が良いですよ』
シアンたちが話し込む間に、こっそりティオの影でマジックバッグから水や食料を取り出して革袋に詰め替えておいてくれたらしい。固めたパンや干し肉、干し果物といった、シアンたちは普段あまり食べない物が出てくる。そのため、幻獣たちは物珍しさからさほど文句なく口にする。商人たちは持ち物を極力少なくする必要にかられるので、降ってわいたご馳走に喜んだ。
量は潤沢にあり、革袋の中身を空にするころには各自の腹も落ち着く。
『後で、柔らかいお肉が食べたい』
ティオは軽食をつまんだ程度の感覚だったが。
「グリフォンといやあ、鳥の王である鷲と獣の王である獅子の姿を併せ持つ。鋭い爪に嘴、飛行することができる翼、空から舞い降りてくる災厄に等しいね。でも、そっちの旦那のほどではないよ」
商人はグリフォンのことやこの周辺のことを詳細に話してくれた。
シアンが商売敵ではなく、また、料理人であるということに驚きつつ、料理の材料集めに世界を旅すると勝手に解釈し、それは豪儀だと笑い声を上げた。
『でもシアンちゃん、あながち彼らの言うことが間違っているのでもないのでは?』
商人たちの言葉に面食らったシアンに九尾が忍び笑う。
セーフティエリア内では木陰が遮蔽してくれるものの、時折起こる突風が砂を吹き付ける。
「あんた、そんな軽装で大丈夫なのか?
そう言う彼らは頭に布を巻き、口元も飲食時以外は布で覆っている。体もまたたっぷりした布を纏っている。
日中は強い日差しから、陽が沈んだ後は極寒から守るための衣装なのだという。露出する部分は少ないほど良い。暑く乾燥した砂地に適したラクダを連れ、物資を循環させて金銭を得ている。
「この辺りじゃあ、サソリに蛇、鹿みたいなウシがいる」
『他にジャッカルやネズミ、モグラ、トカゲ、地域によってはカメ、カメレオン、スナネコ、フェネックなどが生息する。植物は多肉植物、エアプラント、ナツメヤシ、セコティオイド菌類と呼ばれるキノコの一種が生息する』
菌糸が組み合わさって複雑な構造になったものが子実体である。一般的に想像される傘と柄を持つキノコだ。これらは傘の下の襞に担子胞子を持つが、セコティオイド菌類は子実体の内側に持ち、一般のキノコとは別の姿を持つ。
『このキノコは幻覚作用をもたらす成分を含んでいることが多い』
風の精霊の説明に商人の声が重なる。
「どうだい、サソリ除けの草。これを燻すと効果てき面、寄って来なくなる。お安くしておくよ」
シアンには精霊の加護がある。それでなくとも、ティオの気配に怯えて大抵の物は近寄って来ない。敵意を持って向かってくるのはよほどの目的がある者だけだ。
しかし、この商人たちはそんなことは知らないだろうし、持っていないのも不自然か、と幾つか買い取った。
商人たちは余分にあって困るものではないよ、と言っていることから、純粋な好意から勧めてくれたのだろう。余分に持っていても良いのは彼らもまた同じだ。
近くに街があると言うので、そこでまずは旅装を整えるのも良いかもしれない。確かに、彼らの言う通り、この姿でセーフティエリアに降り立てば要らぬ考えを掻き立てそうだ。
街は砂漠の最中にあるにも関わらず、水が豊富にあると言う。
「岩と岩の狭間に門がある。その向こうに砂漠に咲いた薔薇があるのさ!」
商人が詩人なのかと思いきや、固有名詞がない、砂漠の薔薇と称される街があるとのことだった。
一度行って見ると良いと言われ、シアンは興味をそそられた。交易都市で各地から様々な物資が集まるのだそうだ。その一端を自分たちも担っているのだと誇らしげだ。
シアンの様子に幻獣たちがその街へ行って見ようと言う。風の精霊も頷いた。
商人たちの話は大切な相棒であるラクダにまで話が及んだ。足は肉厚で砂地を移動しやすく、寂しがり屋で群れで行動し、背が広くて足を広げて跨る。
『ラクダの長い睫毛や小さな耳は砂を防ぐためだ。鼻は自由に開閉でき砂を防ぎ、湿気を保つ。体温も気温の変化に合わせて変動し、汗の量も少ない。総じて乾燥地帯で暮らすに適した特徴を持つ』
「キュア」
リムが風の精霊の説明に、ラクダの方へ身を乗り出す。
「あんたは翼のある騎獣があるから近づくこともあるかもしれないから一応話しておくが」
ここから大分進んだ先に、火山があるのだと話した。
その山は時折、噴火する。そのため、その山では木も草も生えず、生き物は少ないのだそうだ。
『火山が島を作り出し、そこに風が種を運んできて植物が育ち、鳥が住まうようになることもある』
そうなのか、とシアンは微かに頷く。陰鬱な表情で語る商人たちはおそらく、背びれ尾ひれのついた噂を鵜呑みにしているのだろう。
「その山は炎の鳥が住処にしているのだとか、炎のトカゲがいるのだとか噂されているのさ」
風の精霊の説明に商人の言葉が重なる。
「何にせよ、薄気味悪い場所だって言うぜ。ここよりも暑いともな。悪いことは言わない。あそこに近づかない方が良い。生きて帰れる保証はない」
『そういった島ではないが、炎のは火山を住処としている』
向かう方向が判明した。
奇しくも、商人たちの警告は的を射る形となった。
休憩後、出発前にバイオリンの練習を行った。
本来は現実世界で練習をするために午後はログアウトする予定だったのだ。商人たちとは午睡をしてから出発すると言って別れ、現実世界に戻って用事を済ませてまたログインした。
事実、暑い最中に休息を取り、陽が落ちてから旅する者もいる。
今は落ち着いているものの、今朝方、風の精霊の荒ぶる様子を見ている。シアンがログアウトしてしばらく戻ってこないと知れば先行してしまうかもしれない。
現実世界の用事や、睡眠と休息を必要とするのでこの世界を離れることになる。その場合、幻獣たちの面倒を見て欲しいと告げておいた。
風の精霊の優しい気持ちを利用している気がしないでもないが、もう一人の風の精霊が、シアンの思う通りにすればよいと言っていた。シアンに決めて欲しいと告げた。そこに甘えようと思う。
とにかく、同格である炎の精霊の元へ単身乗り込ませることだけは避けたいシアンだった。
商人たちが去った後、人目がないうちにと冷蔵庫を取り出した。肉がふんだんに使われた料理を平らげたティオが力強く飛翔する。
途中、休憩した際、リムが周囲を探検しようとセーフティエリアを出た途端、植物型の魔獣と遭遇したりもした。
アーモンド形の起毛の中にうっすら口を開けた二枚貝が多数埋め込まれているような形をしていた。
一斉に口を開閉させ、笑いながら種が吐き出される。
リムが口でキャッチして、小さな顔を膨らませながら小気味よい音を立てながら咀嚼する。
「リ、リム、大丈夫? お腹痛くなってない?」
「キュア?」
慌てるシアンに不思議そうに首を傾げる。
即効性はないようであるものの、遅効性の毒物があるかどうかは不明で不安だ。
『甘い良い匂いがしていたから、食べちゃったんだね』
ティオがやって来、シアンにもう少し下がるように言われるのに足元を見下すと、セーフティエリアの縁ぎりぎりに立っていた。飛ばされた種はシアンが立つ場所にまでは届かなかったが、気を取られているうちに他の者に遭遇しないとも限らない。
「ああ、本当だ。丸い緑と黄色のものから甘い香りがするね」
『だから、つい、飛んできた種もどんな味かなあと思っちゃったんじゃないかな』
当の本人は地面に落ちた種を興味深そうに眺めている。
美味しかったのだろうか。
「背の高い木だから、種も遠くへ飛ばさないと、地中の水分を十分に吸い上げることができないんだろうね」
そうだとしても、笑いながら飛ばす必要はあるのか。その形態に嵌りすぎて夜中に思い出して身震いしそうだ。




