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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第六章
260/630

16.甚風と共に


 犬三匹でヒョウ、犬の群れが走る様子やつむじ風を意味する。

 その猋の隣に風がつくとヒョウ、激しい風、という意味を成す。

 わんわん三兄弟が懸命に走り回るよりも激しい風が吹いた。

 凶飆は荒れ狂う暴風を意味する。

 暴風は雨を伴い、台風となった。

 海面温度が一定以上上がると、台風は発生する。渦巻き状の風が中心に向かって下から吹き込みながら上昇していく。

 物質が溶けたり気体に変化するときに熱を吸収し、その逆の場合には熱を発する。

 これを潜熱と言う。

 一グラムの水が水蒸気になる時に吸収するエネルギーは約六百カロリーだと言われている。逆の変換も同じエネルギー量を放出する。

 台風の中では上昇気流が起きる。この上昇気流が積乱雲を作る。これが雨を降らせる。

 この雨が広範囲に激しく降り続ければ相当量となる。よって、この水蒸気が水になる時に放出されるエネルギーは莫大な数値となる。

 台風は海上にて水分を補給して雨を降らせることで莫大なエネルギーを持つこととなる。

 この台風に乗って、風の女王が島に到来した。

「物すごい嵐だね」

 居間の壁一面のガラス窓から外を見やる。そこから見える庭は昼なお暗く、風が吹き荒れている。

『風がすごい音を立てているね』

 リムもシアンの肩から上半身を伸ばし、外を覗き込む。

「湖のユルクは大丈夫かな」

『ユルクは水中に潜ってしまえばなんともないにゃ』

 シアンの懸念をカランが軽く払拭する。

「それもそうか」

 頷いたシアンは勁風の中に人影を見た。

「あれ、英知の叔母さん?」

 呟いた途端、彼女と目が合った。

 激しい音をたてて、眼前の窓が開く。木枠を、蝶番を、ガラスを激しく揺さぶりながら、突風が吹き込んでくる。

『あははははははは!』

「にゃにゃ!」

「カラン、リム、大丈夫?」

 目を開けるのも難しい暴風の最中、シアンは肩の上のリムの体を抑え、もう片方の手を、後ろ様に転がるカランに差し伸べる。

『風の、力加減をして』

 冷厳と言い放ったのは、シアンの影からするりと抜け出した闇の精霊だ。

 常のおどおどした自信なげな風情はどこへやら、凛とした眼差しで部屋の中を飛び回る風の精霊に告げる。

 部屋の隅に控えていたセバスチャンが膝をつき、額を床につける。

 台風は熱帯低気圧だ。暖められた空気が冷やされ、勢いを失っていく。

 緩風がゆったりとした服の裳裾をそよがせる風の精霊は三十代女性の姿をしているが、その表情にはあどけなさがあった。褐色の肌に緩やかに波打つ緑掛かった黒髪、薄い水色の瞳が好奇心に富んだ光を宿す。

「英知、どうしたの?」

『台風が発生したから、それに乗って貴方に会いに来たのよ!』

 子供のような笑顔を向けられた。



『まあ、なに、これ! 美味しいわ!』

「そう、それは良かった。でもちょっとこぼしているから、拭こうね」

 大人しく拭かれ、目が合うと自然と微笑むシアンに釣られて笑顔になる。そんな様子に他の精霊たちが目を丸くする。

『よくぞ触れさせたものじゃ』

 大地の精霊がリムが良くするように目を丸くする。

「あ、触られるのは嫌だったかな」

 つい幻獣や銀の光の精霊にするように接してしまい、流石に年上に見える異性にすることではないか、と手を引っ込める。

『ううん、貴方なら構わないわ。そっちも食べたい!』

 シアンは自分を訪ねて来たという風の精霊を茶菓でもてなした。

 何が好きだろう、と作り置きの菓子をあれこれ並べているうちに、テーブルの上を皿が埋め尽くす。

『これは? リンゴを使ったお菓子だよ!』

 リムが自分の好物のリンゴを用いた菓子をいそいそと差し出す。そう言えば、風の精霊に初めて献上したのはリンゴで花を形作ったものだ。

『リンゴ?』

「ほら、前に花の形をしたのを渡したでしょう? あれはリンゴで作ったんだよ」

『まあ、あれね! とても美味しかったわ。でも、全く形が違うのね』

 興味津々で矯めつ眇めつする。

「リムもリンゴが大好きなんだよね」

『うん。後はね、トマトと、オレンジと、シアンが作った料理!』

 満面の笑みでぴっと前脚を上げて訴えかけるのに、闇の精霊はいつもの穏やかな笑顔を向ける。

『まあ、そうなの。わたくしもリンゴはとても好きよ』

『ぼく、シアンの料理のお手伝いをするんだよ』

 リムが胸を張ってふんすと鼻息を漏らす。

「このお菓子も一緒に手伝ってくれたんだよね」

『うん! ティオも一緒に手伝ってくれたんだよ』

 何事かと駆け付けた後、その場で成り行きを見守っていたティオの背にリムが飛び乗る。

『わたくしもやってみたいわ!』

 色々試してみたが、光の精霊と似たり寄ったりの力加減の苦手さから、ジャガイモの薄切りをお願いすることにした。それを油で揚げて塩を振って食べる。

『美味しいね!』

『本当ね!』

「英知が薄く薄く切ってくれたお陰だね」

 シアンはリムと風の精霊と顔を見合わせてうふふと笑い合う。バーチャイムを壊されたあの風の精霊ともこうやって笑い合うことができるのだ。縁とは本当に不思議なものだとしみじみ思う。

『ジャガイモはこんな風にしても美味しい』

 一角獣が皿の上のジャガイモ料理を矯めつ眇めつする。

『ベヘルツトはね、ジャガイモが好きなんだよ! カラムがいっぱい美味しいのを作ってくれているの!』

 大地の精霊が好々爺の表情で楽し気に語るリムを見やる。

『パリパリした感触が楽しい』

 ティオが面白がって嘴で砕く。細かい破片が頬の毛についているのを笑いながら叩き落とす。

『エールが欲しくなるの』

『止まらないな』

『この薄さが良いわ』

『手軽に食べられるね』

 大地の、光の、水の、闇の精霊たちも口々に言う。

 カランも誘ったが、揃い踏みする精霊たちにしり込みして、ユエの様子を見てくると工房へ向かった。入れ替わるようにしてやって来た一角獣もまた最初は緊張していたが、水の精霊の近くにいることで緩和されてきつつある様子だ。

 なお、九尾はフラッシュに呼び出され、麒麟と鸞は研究室に、わんわん三兄弟は寝床でもあるバスケットでお昼寝中である。

『シアンとティオがお願いして、大地の精霊がね、頑張って野菜や果物を育ててくれるの!』

『そうなのね』

『そうなの! それでね、稀輝がたっぷり太陽の光を注いで、風が雲を運んできて、雲が雨を降らしてくれて、植物が育つんだよ。皆の力を合わせて、美味しいジャガイモを作ってくれたんだよ』

『そう、皆の力を合わせて』

 一生懸命語るリムににこやかな表情を浮かべる風の精霊の瞳には理知的な光が宿っていた。

『それとね、風の精霊がうすーく切ってくれたから、パリパリの美味しいのが作れたんだね!』

『まあ、わたくしも力を合わせたのね。リムが他者のために色々動くことができるから、他の者も貴方のために動くことができてよ』

 それはリムの本質を突く言葉だとシアンは思った。

「本当にそうだね。うん、僕もそう思うよ、風の精霊王。あなたは流石は英知の王だね」

『英知……わたくしも?』

 思いも掛けない言葉を聞いた、と戸惑いを垣間見せる風の精霊にシアンはふわりと笑う。

「そうだよ」

 風の精霊も微笑む。

『ジャガイモ、もうない! 英知、また切って!』

 リムが小さな前足にジャガイモを掴んで掲げて見せる。

 真正面から見ると、つぶらな目、得意げに蠢く鼻の下、きゅっとへの字口が続いている。不快気に見えないのはふっくらした頬のせいか。無邪気なおねだりにシアンは風の精霊と顔を見合わせてうふふと笑い合う。

『ええ、良いわよ』

 ひとしきり菓子を楽しんだ後、折角だからとリムがタンバリンを持ち出し、シアンもバイオリンを構え、ティオが大地の太鼓を叩いた。

 風の精霊は弾むリズムにこちらも無邪気に笑い、手拍子をして飛び回る。

 静かな聴衆ではなかったが、その分、盛り上がりを見せた演奏会となった。

 散々食べて笑って楽しんで。

 風の女王は去り際に残した。

『シアン、炎のが配下の者たちに貴方のことを悪く言っていたわ。それで、炎の眷属たちが貴方を狙っているそうよ。もう行くわ。久しぶり会えて心楽しかった』

 加護を貰った精霊たちはシアンがアダレード国から目をつけられ、冒険者ギルドに国に売られたことを契機に、各上位神を通じて各所に特定の人間や幻獣に余計な手出しを控えるよう下知した。その後、水の属性も増えた。

 そのことによって、グリフォンという世にも稀な幻獣を騎獣とする翼の冒険者が神託の対象に違いないと半ば確信し、神殿は様々に便宜を図り、国は余計な手出しを控えていた。

 ゼナイドはそんな最中に王室によってシアンを害したのだが、当の本人が責め立てることはなく、また、エディスをドラゴンゾンビから守った報奨金を断っている。国としてはそれにかこつけて一角獣解放の報奨金をも含めて渡そうとしたにも関わらず、受け取りを拒否されたのだ。天帝宮だけでなく神殿からの締め付けが厳しくなっている。

 そんな中、炎の属性に関しては、真逆のことが起きていたようだ。

 炎の、というのは炎の精霊王を指すのだろうか。配下とは、やはり神々になるのだろうか。

 スケールの大きすぎる敵対者に、シアンは呆然とならざるを得なかった。



 翌日は良く晴れた。

 魔晶石が採れる洞窟が無事かどうか気になると言うユエを連れて一角獣が出かけて行った。

 シアンがログインした途端、急風が後ろからすり抜けていく。と思いきや、急旋回して眼前につむじ風が渦を成し、長く伸びて人型を取る。

「英知、おはよう」

『おはよう。シアン、昨日叔母が言ったことだけれど』

「ああ、そうなんだよ。叔母さんが台風と一緒にやって来たんだ」

 皆で菓子を食べて演奏を楽しんだと言うシアンに風の精霊は首肯する。その硬い表情にシアンは不安になる。

 元々は無表情だったが、最近は随分柔らかい表情を浮かべるようになり、唇を綻ばせることも多くなっていた。

「英知、どうかした?」

『あの方が炎のについて言及していた。配下の者たちにシアンのことを悪し様に言い、それで眷属たちが暴走したと』

 途端に、昨日感じた言い知れない不安が頭をもたげた。

「うん。そう言っていた。炎の精霊というと、やはり力ある存在だよね」

 シアンからしてみれば、あまりに強大すぎる存在で、何をどうすれば良いのか皆目見当がつかない。

 けれど、風の精霊にとっては、それどころではなかった。

『私が行って、撤回させて来る』

「英知?」

 突如、狂風がその場を支配した。

 シアンは咄嗟に腕を上げて顔を守る。

 目をつぶる。息をするのもままならない。耳元で低く風が吠え立てる。

「え、英知! 待って!」

『止めても無駄だよ』

 自分は行くのだ、という強固な意志を感じ取ったシアンは咄嗟に言った。

「僕も行くよ。一緒に行って話を聞こう」

 不意に風が緩やかになり、シアンはようやっと瞼を開き、腕を降ろし、深呼吸した。

『君も?』

「うん。僕は当事者だからね。どうして配下の方を煽り立てるようなことになったのか、一度ちゃんと話を聞いてみたいと思って」

 言って、シアンは風の精霊の手を取った。猛り狂っていた風の精霊はその手を振り払うことなく、大人しくされるがままだ。

「それにね。君の叔母さんは君が怒って飛び出していくんじゃないかと心配していたよ」

 シアンの言葉に風の精霊は微かに顔をしかめた。シアンは柔らかく苦笑する。

「彼女は僕に決めて欲しいと言っていた」

『君に?』

 風の精霊は意外そうに僅かに目を見張る。

「うん、そうなんだ。だからね、僕も一緒に連れて行ってくれる?」

 穏やかに微笑みかけてくるシアンに、風の精霊は頷かざるを得なかった。彼はシアンのこの表情に弱かったのだ。

『分かった』

 さて、遠方へ出かけるとなると、ティオが一緒に行かない訳がない。リムも当たり前のように肩に陣取った。

 九尾もいそいそとティオの背に乗ろうとする。

「きゅうちゃん、多分炎の精霊は精霊王で、僕にあまり良い感情を抱いていないようだから、危険だと思うんだけれど、大丈夫?」

『確かに、炎の精霊王でしょうなあ。なに、風の精霊王や闇の精霊王を始めとする他の精霊王が坐すのです。万に一つも危険はないでしょう。シアンちゃんの傍が一番安全ですよ』

 炎は酸素と熱を失えば存続することはできない。風の精霊がよく取り沙汰されるが、熱を奪う闇の精霊に対してもまた、炎の精霊は弱い立場だろう。

『それに、最後の精霊王がまさかのシアンちゃんと敵対! こんな面白いこと、見逃す訳にはいきません!』

『全く、不謹慎な。お主、シアンの足を引っ張るでないぞ』

『きゅうちゃん、シアン、他のみんなも、気を付けてね』

 鸞と麒麟が見送りに立つ。

 わんわん三兄弟も危険だからと言い含められ、留守番と相成った。

『ご無事をお祈りしております!』

『ご武運を!』

『お土産を期待しておりまする!』

 セバスチャンが胸に手を当て、恭しく頭を下げる。

「後のことをお願いします」

『行ってきます!』

 シアンとリムの声を契機に、ティオが優雅に翼をたわめ、舞い上がる。

 わんわん三兄弟が数歩走り出て、上を向きながら吠え立てて道行きの無事を願う。ちらりと見えた庭の木の枝にカランの姿が見えた。寝ている振りでこちらを気にしている様子が見て取れる。

 幻獣たちの姿も館もどんどん小さくなる。

 常になく厳しいまなざしの風の精霊の先導によって、炎の精霊の下への旅路が始まった。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 雲は液体なんですよねぇ…。やかんから吹き出る白い湯気と同じです。 雲は空気中の水分(気体)が集まって、或いは冷やされて、水の粒になったものです。それが更に集まったことで重力に引かれ落ち…
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