14.リム、ペットを飼う2 ~おねだり/心配性~
セバスチャンもシアンが否と言えば、いかなリムのためとはいえ、手出しはできない。
『この小さいのをね、飼うことにしたの!』
わんわん三兄弟が詰め込まれるバスケットよりも二回り小さいものに入れられた黒っぽい毛に覆われた雛をずい、と目の前に突き付けられ、シアンは一瞬間戸惑った。
『ねぇ~、シアン、飼っても良いでしょう?』
リムはシアンが目を覚ます前にセバスチャンに雛を見せて飼うのだと言った。島や館の管理をしてくれているセバスチャンに話しておこうと思ったのだ。
その際、セバスチャンは恭しく承り、ただ、シアンの許可を得てくれるように告げた。
シアンに話せば良いという認識だったリムに、きちんと許しを得る必要があると諭した。その様子を見ていた鸞は胸をなでおろした。誰もリムにそうすべきだと説明することができなかったのだ。
生き物を育てることは並大抵のことではできない。それが種を異にするのであればなおさらだ。
そして、鸞の懸念は正しくシアンも所有していた。
「リム、あのね、生き物を飼うことは難しいことなんだよ。種族が違う生まれたばかりの子供を育てるのは特にそうなんだ」
小首を傾げて期せずしておねだりする形となるリムにほだされなかった。白い毛並みに半円のピンク色の耳、つぶらな黒い瞳、ピンク色の鼻、ふっくらした頬、非常に愛らしい存在からの願いだからといって、他者の命を左右するというのは重大だ。一時の感情で決めてしまって良いものではない。
「親になると言うことはね、その生物が独り立ちできるまでの面倒を見てやる必要があるんだよ。その生物がすることの責任を負うことになるんだ」
成り行きを見守る鸞はシアンがリムの言うこと全てに首肯しないのはこういった考えからか、と得心が行く思いだった。
『でも、シアンは卵の時からぼくの傍にいてくれたもの!』
リムがへの字口を急角度にする。眉尻が下がり、気落ちする風情が伝わる。
「うん。それはティオがいてくれたからね。僕はこの世界にずっといることができないけれど、ティオがいてくれたし、何よりリムが一緒にいたいと言ってくれたもの。ティオが君の声を拾ってくれたしね」
それに、あの時、シアンと同じプレイヤーが親から卵を強奪し、反撃を食らって死に戻ったという前景がある。シアンに責任はないとはいえ、同じプレイヤーとして、という意識が多少はあった。
「それに、リム自身がこの世界で高い知能と力を持つ存在だったから。僕が育てると言うよりも一緒にいる、という気持ちの方が強かったかな」
『魔獣の雛だってシェンシが言っていたもの! すぐに一人で狩りができるようになるよ』
「リム」
ため息交じりでシアンがリムを呼べば、びくりと大きく体を震わせる。
「ふふ、僕は意地悪をしたくて言っているのでも、リムにできないと思っているのでもないんだよ。ただね、多種族の小さい子を一人前にするのは色々大変だろうということと、責任があるということを言いたいだけなんだよ」
ほっとリムが息をつく。シアンの指が頬をくすぐるのに、への字口も横に長く伸びる。
「リムはどうしてその雛を飼いたいの?」
『だって、だってね、シアンが』
「慌てなくていいよ、ゆっくりでいい。僕がどうしたの?」
矢継ぎ早に答えようとするリムに、シアンは微笑みながら、雛が入ったバスケットを置いて、リムを膝に乗せる。
『シアンがね、弱って道端に寝ていたカランを拾ってあげたもの。ご飯を食べさせあげたら元気になったの。ぼくもね、この小さいのを死なせたくないの! レンツはご飯を食べられなくて、この島からあまり離れられないの。でもね、雛は元気にしてやったら、どこへでも行くことができるようになるもの』
リムはシアンがカランを助けたのと同じく自分も雛を助けるのだと言った。けれど、それは麒麟が慈悲から他者の生命を奪うことができず、よって、中々霊力の回復が追い付かない現状を憂いて、せめて目の前で食べられなくて弱る他者を助けたいのだと言う。
『レンツはね、ぼくのあちこちへ行った話を楽しそうに聞いてくれるの。この島に来る時に見た景色をとても嬉しそうに話してくれたの。でも、あまり遠出できないの。でもね、これから植物を植えて、食べられるようになるかもしれない。雛は放っておいたら、死んじゃうかもしれないもの』
麒麟への気持ちが雛への憐憫に繋がるのだと言うリムは自分でもうまく説明できなくてもどかし気に言葉を紡ぎ続ける。
「そっか。リムは色々考えてそうしたいと思ったんだね」
纏まらない自分の考えを汲み取ろうとしてくれるシアンに、リムは元気よく是と答えた。
「雛を飼うのは良いけれど、リム、同じ種の魔獣、この場合、魔鳥かな? それが襲ってきたらどうするの? この子の親かもしれないよ?」
鸞は息を飲んだ。
確かに彼らは野生で暮らす生物だ。この島ではそれぞれができることをする、というスタンスであるものの、食うか食われるか、いつ何時自分が他者の糧になるか分からない。自分たちもそうやって他者を糧にして生きているのだから。
そして、鸞はシアンの底知れなさを知る。
この場でそれを聞けるのかと。
確かにその問題は付きまとうが、雛が独り立ちした後で迷っても良いのではないかと思う。
それを、自然体でさらりと問うのだ。
「リムはもしこの雛が自分の食料を狩れるくらいになったとして、襲ってきたらちゃんと倒せる? この子がレンツやシェンシを襲おうとしたら、ちゃんと倒せる?」
そして、シアンは言い放った。
もしリムが出来なくても、襲ってきたら自分が精霊に倒してくれと願う、と。自分はどうしたってリムたちを取るから、心を分けた後にどちらも傷つく結果となるかもしれない、と。
「野生の種の異なる生き物を飼うということはそういうことなんだと思う」
意思疎通をすることができなければ、狩る対象を限定させることは難しいだろう。
よく考えてみてね、と言うシアンに、リムはしっかりと頷いた。
そして、翌日、もし襲ってきたらなるべく逃げるようにするが、どうしようもなければ倒す、という答えを告げ、シアンの許可を得た。
鸞とともに事の成り行きをはらはらと見守っていた麒麟はリムの自分への思いとシアンの厳しい意見に感じ入った様子だった。
慈悲と共に冷厳をも併せ持つ闇の属性のわんわん三兄弟と野生の掟に忠実な一角獣とユエは、シアンの言葉を違和感なく受け入れていた。
九尾はシアンならばそう言うだろうと首肯し、ティオは二人のやることを全面的に受け入れ、ユルクはシアンの厳しさに驚き、自分を助けてくれたことを事例に出されたカランは考え込む風情を見せた。セバスチャンはシアンの言葉に深く感服した。
リムは鸞に教わって雛に餌をやり、体力を回復させた後は、あまり構い倒すことなく、なるべく野生に帰ることができるように見守った。
それは他の幻獣たちも同じで、興味津々ではあったものの、下手に慣れ警戒心を薄くさせることがないように注意を払った。
『君は他の幻獣たちを守ると言っていたから、雛を守ると言うのだと思った』
ユルクが一角獣にそう言うと、静かな目を向けてくる。
『シアンが言っていたもの。力がなくてもそれぞれができることをする。人間はそうやって街を作って暮らしているんだよ。我が力を注いだ国でもそうやって暮らしているんだよ、って。だから、我も力がないからといって取るに足らないと思わない。現に、シェンシは色んなことを教えてくれるし、ユエは便利な道具を作ってくれる』
シアンの作る料理はとても美味しいしね、と言う言葉に、ユルクも鎌首を大きく動かして同意した。
そうして体調を戻した雛は元気に外界へと戻って行った。
シアンはこっそりとセバスチャンに、ふわふわと毛が逆立つ雛を覗き込む幻獣たちというのは、とても可愛らしくて牧歌的で心温まる光景だったのですけれどねと苦笑した。
自分に心地よいものだけで世の中は成り立っているのではなく、大抵がそれぞれの事情、立場や価値観がある。それが相反しなければ誰だって優しくいられることができる。しかし、それがかち合った時どうするかが肝心なのだということを、シアンはこの世界に来る前に思い知らされていた。
そのかち合わない部分しか知らない第三者は何とでも言える。
当事者にならなければ分からないことは沢山ある。
だから、シアンはあまり他者の事情に容喙することはないのだ。
ティオやリムにも他者の事情を知らない者が口を挟んではいけないと言ったことがある。力ある存在が介入してしまえば、もうその者の主張が通ってしまう。正しく、力こそ正義、となってしまうのだ。
さて、そんな冷淡な一面を見せたシアンではあるが、とある日、リムの爪が抜けたのを見て、シアンの腰も抜けた。
「リ、リム、どうしたの⁈ どこかに打ち付けたの? 痛い? 血は出ている?」
数瞬間声もなく唇を開閉したが、血相を変えてリムに飛びつくようにしてそっと小さい前脚に手を当て、矯めつ眇めつする。
「英知! 英知! リムが! リムの爪が!」
『シアン、落ち着いて。リムは痛がっていないよ』
『リムの爪が抜け落ちるほどに打ち付けたら、地面はぱっくり割れそうですねえ』
取り乱すシアンをティオが宥め、九尾が呑気に笑う。
『大丈夫。単なる生え代わりだから』
「生え代わり?」
現れた風の精霊の言葉を呆然と繰り返す。
『そう。より頑丈な爪が生えて来たから抜け落ちただけだよ』
「あ、ああ、人間でいうところの乳歯が取れて永久歯が生えてくるような感じかな?」
『少し違うけれど、その認識で良いと思うよ』
慌てるシアンに詳細を語っても浸透しまいと風の精霊は簡単に済ます。
『大丈夫! ちょっと痒くて、ほんのちょっと痛いだけだよ』
「むず痒いってことか」
リムの言葉にシアンは徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
『これはどうしますか? ドラゴンの爪などは希少中の希少の素材です。ましてやリムの爪なのです。とんでもない効果が期待されるものの、扱える者はいるかどうか』
九尾がリムの爪を拾い上げて掲げて見せる。
「素材……」
何となく、抜け落ちた爪を使う、というのに忌避感を感じる。身近にいる存在を、狩りの対象視されたことへの嫌悪感だ。呪術やまじないにでも使われるような心地もある。
『じゃあね、ユエとフラッシュに上げよう!』
「えっ」
当の本人が素材として生産に使ってくれと言うのだから、戸惑いつつもシアンは従うしかなかった。
シアンはその後しばらく生えて来た一本だけ短い爪をくすぐる、というのを繰り返した。
リムはうるさがるどころか、機嫌よさげに唇の両端を伸ばし、キュアと鳴いた。
この世界では死んでも戻って来ることができることに甘えて、自分はこの腕の中の子供と対峙することはできないのだろうな、と我がことを棚上げして偉そうなことを言ったと自省するシアンだった。




