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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第六章
254/630

10.貴光教総本山へ

 

 レフ村で手に入れた非人型異類の素材と薬草を配合して作り上げた毒は、それに侵され苦しめ続けながらある程度生き伸びさせる、という生殺しの残忍な毒だった。

 レフ村で抑止力として飼われていた事象を暗示させる。

 貴光教の暗部、陽が指さない陰の部分を担う黒の同志間において、非常に有用な毒だと評価された。

 黒の同志たちは貴光教の教えを広めるために人の精神に作用する薬草を研究した。その過程で毒を取り扱うことも増え、徐々にそれをもって邪魔者を排除するようになった。その有用性が認められ、薬草を育てその研究をする部署までできた。

 その一角を担うエディス支部の薬草園で新たな毒が発見され、その非人型異類の素材を加工することの成功は薬草園の大きな転換期となった。

 その功績が認められ、エディス薬草園の長である薬師長イシドールの本拠地への栄転が決まった。


 貴光教本拠地はハルメトヤという国にあり、総本山の神殿がある国都キヴィハルユを目指す。

 ゼナイドから幾つも国を通過する。

 その本拠地への栄転に、イシドールはアリゼも連れて行こうというのだ。

 気が進まなかった。

 黒の同志たちはその特異性からか、エディス支部でも権力争いの激しい居心地が良いとは言えない場所だった。本拠地となればどれほどのものか。

 黒のローブを身に纏っていた時には、縮こまって浴びせられる罵声にびくついているだけだった。

 薬草園に来てようやく息をつけたのだ。

 しかし、アリゼが欲しいものはここでは手に入らない。

 神秘書しかり、貴光教の地位しかりだ。

 だから、アリゼはイシドールの言葉に一も二もなく飛びついてみせた。そうするしかなかったのだ。渡りに船であった。心情としては裏腹なものだったが。


 功労者の門出の安全を期すために、中枢から黒の同志が派遣された。それがエディスの黒の同志を刺激した。それでなくとも、翼の冒険者の支援団体に手痛い反撃をくらい、静電気を帯びたような状態だった。

「我らでは護衛たり得ないとでも?」

「薬師長もその補佐も、元は我らエディス支部の黒の同志から排出した者。連携も取れようほどに」

 散々アリゼを無駄飯食いと罵っておきながら、都合の良い時には仲間扱いする。

 総本山の黒の同志たちは射殺さんばかりの眼光にどこ吹く風で、急かされるようにして手早く諸々の引継ぎと家移りの作業を行い、エディスを後にすることになった。


 ゼナイドを出たことがないアリゼには不安だらけだ。

「何、心配することはない。お前は私の傍で薬草を育て、毒の研究を続ければ良い」

 今まで通りだというイシドールはアリゼの肌を、体臭を楽しんだ。

「男の五感に残る女」

 イシドールはそうアリゼを称した。

 女性らしく蕾が綻びかけた容姿が視覚を、手触りが触覚を、立ち上る体臭が嗅覚を、体の隅々を舐めることで味覚を、愛撫で上がる嬌声が聴覚を刺激する、と言うのだ。

 キヴィハルユに行けば、この関係も変わるのだろうか、と自分をまさぐる男を見上げながらアリゼはぼんやりと考えた。



 頑丈な車輪に厚いクッションを備えていても、長時間の馬車の旅は疲労と身体の痛みをもたらした。

 それでも、途中は街の宿で寝台を使えたし、路銀の不安もなく、食事を抜くこともなかった。

 代り映えのしない車窓の光景が徐々に変化し、いつしか全く別のものになっていたこともある。

 見たことも味わったこともない料理を食べ、通りすがりの市で売り出される植物をねだって買って貰ったこともある。

 そうして時折甘えて見せればイシドールは我儘を寛大に受け入れる上司という立場を得ることができ、満足そうで思わぬ収穫だった。

 時に甘えることも必要なのだとアリゼは学ぶ。


 何より、翼の冒険者の噂を耳にすることができた。

 大きな街だけでなく、村ででも聞いた。

 自分たちの村にやって来て、畑を荒らす魔獣を狩ってそれを皆で食べて音楽を奏でてくれたのだ、と村人たちはむっつり顔を笑顔に一変させる。

 釣られて顔が笑み崩れないようにするのに努力を要した。

 ああ、あの人は活躍しているのだ、こんなところにも来ていたんだ、短時間でこんなに余所者を嫌う村人の心を掴んだのだ、相変わらず幻獣たちと仲良く音楽をしているのだ、そういった様々な思いが胸に去来し、これだけでエディスを離れた甲斐があると思えた。


 イシドールたちは神託の御方の配下ではないかと予想される翼の冒険者の動向を気にしている。面白いのは本拠地の黒の同志たちはそうは見做していない風情であることだ。

「ふん、あのグリフォンの威容を目にしていないからそう思えるのだ」

 ジェフなどはそううそぶいた。

 そう、彼もまたイシドールに引き抜かれて本拠地へ行くことになった。

「魑魅魍魎が跋扈する場所らしいから、手勢は多い方が良いってことなんだろう」

 肩を竦める彼は、貴光教では好まれる金髪、見目が良い特性を活かし、薬の作成や薬草の手入れよりも、折衝事を主に行っていた。どこから手に入れたのか、貴光教の聖教司服を身に付けた姿は聖教司そのものだった。アリゼには胡散臭いと思える笑顔を浮かべて必要な道具や素材、時には人材を携えて来た。以前、薬草園で働いていたハーフエルフもジェフが連れて来たのだった。


 イシドールは引継ぎや人選、根回しなどに忙しく動いていた。

 薬師は私物よりも調合に関する物の方が多い。ジェフも身の回りの荷づくりを早々に終えて薬草関連の研究資料や素材の荷造りを手伝った。アリゼなどは小さなカバン一つに収まる程度の私物しか持ち合わせていない。

 貴重な紙に更に貴重な情報が連綿と綴られた、アリゼにとっての神秘書を丁寧に梱包していく。積み重ねたそれらは相当な重みとなった。

 慎重に持ち上げようとするアリゼに代わってジェフが軽々と運んで行く。

 イシドールやアリゼは黒の同志出身だが、このジェフは違う。

 こうして力仕事も軽くこなし、渉外の仕事を行う前身はなんだったのだろうという疑問が湧く。

 そうやって重いものを代わって持ち運んでくれても、アリゼを認めないとばかりにどこか拒否する雰囲気を漂わせる。

 そんなジェフと事あるごとに触れて来ようとするイシドールと三人、狭い馬車の中に押し込められての道中は気疲れさせられた。

 それもじきに終わる。


 馬車はハルメトヤの国都キヴィハルユに入市しようとしていた。

 高い壁に囲まれた大きな街である。エディスより大きいのではないだろうか。特に目を引くのは幾つも建つ塔である。

「素晴らしいだろう。最大級の堅固な城塞都市だ。何人たりとも敵を寄せ付けん」

 一体、貴光教は何と戦い、何を守ろうとしているのか。

 人の行列が続く門の脇に馬車は向かう。

「こちらは貴族や地位ある聖職者専用の門だ。向こうの門では入市するまでに日が暮れる」

 先ほどから解説するイシドールの言葉には優越が滲んでいた。


 大きく重々しい門を潜ると、整然とした街並みが目に飛び込んできた。

 茶色のレンガにところどころ朱色のものが混じっている。全体的に落ち着いた色の壁はだが、長方形の窓の上にアーチ状に色の異なるレンガを組み込んでいる。そのアーチは交互に色の違うレンガを組み込んでおり、非常に洒落ていて目を引く。店構えで注目させる造りとなっている。

 流石に大通りは華やかであるものの、一本道を入ると、清潔な道が続く。余計なものを置いていないので寂しくも思えた。

「この美しさはどうだ。流石は静謐と清浄を教義とする貴光教のお膝元だな」

 車窓の方を向くアリゼを、背中から抱きしめるようにして外を見るイシドールの声が弾む。

 栄達を果たしたのだから、高揚するのも無理はない。


 荷馬車と連なった馬車の前後左右を挟む形で、旅装の黒の同志の騎乗する馬に囲まれつつ、大神殿へと向かう。

 街の中央に位置するハルメトヤの王城よりも心持ち小さい建物は、幾つもの尖塔が高く空を貫き、威容を誇っている。その中央の塔の頂上に巨大な輝光石が収まり、正しく陽光を反射して厳かな光を纏っている。

 外観は壁一面に精緻な彫刻がなされ、あるいは細い束ね柱が立ち、あるいは飾り窓が設えられていた。

 先行する黒の同志は正面から大神殿に近づき、馬を降りた。

 数段の階段の先に大きくアーチ状に三つの口が開いており、そこから人が出入りしている。

 アリゼたちも馬車を降りる。荷物は部屋へ運び入れてくれるそうだ。


 黒の同志の隊長の案内で正面玄関に足を踏み入れると、礼拝堂が目に飛び込んでくる。

 両側の壁一面を多種多彩な色ガラスが彩り、円形にくぼんだ天井にはびっしりと絵が描かれている。アリゼの身長の数十倍ありそうな高さの天井を見上げると吸い込まれて行きそうだ。

 長細い礼拝堂の奥に祭壇が設えられ、説法を行う聖教司の朗々たる声が響く。

 人々は左右に分かれて整列し、膝をついて首を垂れ、耳を傾けている。


 礼拝堂入ってすぐ脇の扉を潜り、細長く薄暗い廊下を進む。途中、何度か角を曲がり、小部屋に通された。

 そこには頭髪が心もとなくなった肉がたるんだ初老の男と彼よりも年若い中肉中背の男、でっぷりと太った円らな目をした中年の女がいた。

 案内した黒の同志は入室せずに踵を返した。

 イシドールは入室して早速挨拶を行い、握手を交わす。

 アリゼはイシドールが対応を見ているだけで気楽なものだ。

「こちらが薬草園の主にして薬師長のイルタマル師です」

 年若の男がでっぷりした女を指し示す。

「イシドールです。お世話になります」

「活躍は窺っています。こちらでもその働きに期待していますよ」

 可愛らしい声音ではあるが、どこか粘着質なものを感じさせる。

「こちらが労役全般を取り仕切っておられる労役長のゴスタ師です」

「やあ、よくぞいらっしゃいました。中央にまで届くその辣腕を期待しています」

 気さくに握手する。

 イルタマルとゴスタは白い貫頭衣を纏い、前身頃に金色の布を垂らしていた。服の中央の筋は銀色である。

 イシドールもまたこの服を着ることになる。

 だからこそ、教会内部においても役職付きの者との挨拶と相成ったのだ。見習薬師のアリゼだけなら歯牙にもかけないだろう。

「最後になりましたが、私がゴスタ師の補佐をしておりますヘイニと申します。何かお困りのことがございましたら、お声掛けください」

「貴光教本拠地に呼び寄せていただけたのは身に余る光栄です。その御恩に報いることができるよう、精いっぱい務めさせていただきます」

 簡単にジェフとアリゼの紹介をされ、頭を下げるだけで面会は終了した。


 それぞれ複数人で起居する部屋の割り当てをされ、薬草園とその研究設備を一通り見て回る。

「流石に本拠地だけあって、広大な土地を有しているな」

 高い城壁は驚いたことに三重にも渡る。薬草園はその外すぐに広がっていた。だからこそ教会は壁近くに位置しているのだ。

「この配置からも教団が薬草を重要視しているのが良く分かるというものだ」

 イシドールはそんな事業に携わることができて満足気だった。

 薬草園の仕事は大体同じような物だった。その現場特有の手順さえ覚えてしまえば、注意事項には変わりはない。

 器具も設備も素材も充実していたが、やはり危惧した通り、初めは薬草の世話だけしか任されなかった。それは一向にかまわない。植物の世話は好きだ。

 ただ、こつこつと積み上げてきた研究資料を全て持っていかれたことが悔しかった。研究に携わることができないことが辛かった。

 ジェフはイシドールに命じられて早速大神殿内部で顔つなぎを行っているようだ。イシドールも忙しなく動いている。アリゼは何はともあれ、薬草に関することを、と言われていた。


 日がな一日、薬草の成長度合いを確かめ、肥料をやり、水の分量を確かめる。液を集め、それを担当の者に渡す。

 何せ、広大な土地で栽培されている。扱う量も大量である。

 これは、大神殿や周辺の神殿で扱う分量ではないとすぐに察した。恐らく、神殿の外にも流出している。誰の指示で上はどこまで把握しているのか、探っておく必要があると考えた。

 ただ、もう少し役に立つところを見せておかなくては、と目の前の仕事に精を出す。


 薬師長のイルタマルは大ぶりの体に似合わず、よくあちこちに顔を出した。

 そして、色んなところをよく見て、少しでも部下の失敗を見つけると、責め立てた。可愛い声で人を追い詰めるやり口が実に粘着質である。

「ああら、これは何なのかしら。貴方、もうこの薬草の扱いはできるようになったと言っていたわねえ。でも、見て、ここ、こんなやり方ではちゃんと液の採取ができないわ。ねえ、どうしてこんなことをするの? 貴方、出来るって言っていたわよね。あたしの考え違いかしら? ええ、もちろん、違いますよね。そうよね、あたしが聞き違ったのではないわよね」

 そういった場面は畑仕事をするアリゼもすぐに目撃することとなった。

 また、自信家で会話に口を挟み、さも一家言あると言わんばかりの上から目線で話す。自慢話好きで、自分の話を有り難がって感心してくれるのを喜ぶ。

 ある意味、やりやすい上司とも言えた。

 ただ、正義は我にあり。

 自分が常に正しいと思っている。

 思い込み激しく、自分が思っていたことと事実が違っていると判明したら、相手のせいにする。

「あら、そんなことないわよ。これはこちらの薬剤を入れて乾かすのよ。有害物質の発生? そんなはずはないわ。気分が悪くなったってそれはその人の自己管理がなっていなかったからよ」

 そうして、理由を述べた者の意見を吟味せず、ただ自分に盾突いたという事柄だけが記憶に残るようで、その者を遠ざける傾向にあった。

 できない者も見込み違いだった者も、自分の勘違いであっても相手の所為にして避けた。


 そういった者には腰巾着が付くのは当然の成り行きだ。

 小太りで背が低い初老の男クイスマが薬師長の補佐然として付き従った。正式に任命されている訳ではないと聞いた。

 薬師長にはひたすら低姿勢で、何でも初耳だとばかりに大げさに驚いて見せる。薬師長と一緒にいない僅かの間に他の者には自分の思い通りにならないと乱暴な言動になる。

 クイスマは趨勢を見て強い方に付く。掌を返し振りはいっそ見事なものだ。

 しかし、面従腹背。

 気に入らなければ裏で文句を言う。

 下のものだと判断したら、気に入らないことにはあからさまに乱暴になる。多少上の者にでも気に入らなければ噛みつく。薬師長の威を恐れて、大抵が引く。

 そういう場所だったので、入れ替わりが激しかった。

 アリゼの寝泊りする部屋でもしばしば顔ぶれが変わった。


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