25.密林の遺跡1
翌朝、三人の冒険者と別れ、シアンたちは密林の中へ入った。
トリス近辺の森とは植生が異なる。熱帯雨林の気温と湿度が高い特徴は朝からでもその前兆は感じられた。
広く厚い葉を避け、ティオが先行して作ってくれる隙間を歩いていく。
「川の流れる音がする。そっちへ行こうか?」
『ううん、このまま進もう』
『そっちは噛みついてくるのがいっぱいいるよ』
シアンの提案にティオが拒否し、リムが理由を告げる。ティオはもちろんだが、リムもこんなに生命力が密集した場所でよく特定の対象の気配が分かるものだ。そして、シアンには彼らの提案に対して否やはない。
「うん、このまま行こう」
事前に集めた情報によると、遺跡周辺の密林では蛇や猿が襲ってくるという。どちらも頭がよく、一筋縄ではいかないイメージがある。
『大丈夫、威圧しているから、そうそう襲われないよ』
どこか笑みを含んだ答えが返ってくる。
『噛みついてきても、ぼくたちが守るよ!』
「ありがとう。ティオは威圧なんてこともできるんだね」
『前から弱いのは近寄ってこなかったけれど、大地の精霊の加護で広範囲でできたり、逆に気配を消すのもできるようになったよ』
「すごいな、ティオ。石礫を放ったりする攻撃魔法だけじゃなく、色々使いこなしているんだね」
『シアンも加護がついているでしょう? できるようになるよ』
スキルに関してはもっぱら料理をレベルアップさせている。魔法関連まで手が回るのは一体いつになるやら、だ。
『ぼくも隠ぺいできるよ!』
元気よく言ったリムの姿が掻き消えた。
「え、あれ、リム?」
『ここだよー』
声と共にシアンの首筋にひんやりした柔らかい感触がくすぐる。白い毛並みが今度は見える。
「今のが隠ぺいの魔法なの?」
『すごいでしょう』
目の前から姿が見えなくなったのだから、もはや消失ではないだろうか。かなり使いこなしている。
「うん、すごいね。僕もできるようになるかな」
『シアン、がんばって!』
魔獣が潜む森をいつもと全く変わらずのんびり話しながら歩いた。本来は極力物音を立てずに警戒して移動するものだ。シアンのゲーム知識は一般と大きく乖離し続ける。九尾が知ればさもありなんとため息をつきそうな出来事だ。
「わぁ、すごい」
思わず、声を上げた。
崩れかけた建物の一部、四角の壁をアーチ形にくりぬいたものが門柱の形で残っていて、そこをつる草が覆っている。鳥居のような門に続く道の両脇は等間隔で切り出された長方形の石が積み上げられた小さな塔が点在している。いくつかは木によって破損され、石が苔むして散乱している。
「道幅は十分にあるから、ティオも歩けるね」
『余裕をもって歩けるね』
門をくぐった先に、石造りの塀があるが、そこも茶色の細い幹で覆われている。湿度が高く、昼間は暑いと聞いていたが、緑影のおかげで懸念したほどではない。風が吹くと、草が蒸れた青い匂いがする。
壁を曲がると、木の根が腰かけた建物が見えた。
半地下になった横長に広がる遺跡は、生い茂った巨大な木の根に埋もれかけていた。更には蔦も巻きつき、石づくりの屋根や庇に奇妙なオブジェが加味されている。
と、シアンの胴ほどもある白っぽい木の根の一つが動いた。
シアンが何かが動いたことに気づいた時にはすでに終わっていた。
跳躍した勢いのままティオが蛇を蹴りつけ、吹っ飛んだところをリムが更に尾で叩き落とした。
心拍数が上がる間もなかった。
「木の根に擬態していたんだね」
『食べられそうだよ』
ティオの感覚に全幅の信頼を置いている。食料として確保しておくことにした。
建物の手前に堀があり、石橋がある。大きな人の手が入った石がいくつも堀の水から頭を出し、苔と蔦に覆われている。石影をすいすいと小さな魚が泳いでいる。細長いうねりが見えた途端、体長の三分の一ほども裂け、鋭い牙がびっしり生えた口を開け、飛び上がって向かってきた。縦に長く避けた口が更にそれぞれ裂け、長細い四つの花弁のようで、隙間なく二重に鋭い牙が生えている。あの口が閉じられたら、中の獲物は細かく粉砕されるだろう。
『えい!』
キュア、とちょっと気の抜けた掛け声を上げて、リムが水蛇の胴体に噛みついて、ぽい、と放り捨てた。堀の石に当たって、水に沈み込む。
『あれは美味しくなさそう』
「堀に沈んじゃったしね」
見た目に嫌悪感があったし、食べるのはなかなか勇気が必要だ。
崩れ落ちた四角く切り出された岩が散乱する影に沿って歩く。
ところどころ崩れかけた建物が先にある。
中央に広場があり、台座がしつらえられている。
その手前の建物の屋根の上に細い木の根が束になって、空に伸びている。根がまるで淑女のスカートのようだ。そのドレープのひだを少し持ち上げた隙間に戸口がのぞいている。
「あの中に入るのかな?」
『地下に続いている』
風の精霊が言う。優秀なナビゲーターだ。
中は暗くて見えにくいので、普段使わない魔法を使う。職業柄覚えるはずのない魔法を使えることに詮索されたくないから人目があるところでは封印している。
「ライト」
「キュアッ!」
「ごめん、調整する!」
暗いところで急に大きな光が発生して、リムが悲鳴を上げた。シアンもまぶしかった。
使い慣れていない弊害だ。
光の球体を分けて三つ四つの小さいものを四方に飛ばす。
シアンの首筋に顔を埋めたリムの背中をなだめるように撫でる。
煌々と地下に続く階段を明るく照らす光球を先行させ、ティオが先頭を行く。歩くことはできるが、翼を広げられない幅の通路はむき出しの土がくりぬかれて続いている。
外の蒸し暑さから一転、湿気の多さは変わらないものの、ひんやりしたかび臭い地下通路を歩く。
途中、風の精霊の警告に従って、壁から飛んでくる矢を避け、せり出してくる壁に挟まれる筈が、ティオが前脚で止め、押し戻した。こういう罠は押し戻せるものなのか、潰されるのが定番なのでは、と思いつつ進む。
三十畳ほどの広い空間に出た。
正方形の部屋の中央に碑文が鎮座している。
風の精霊に確認を取り、刻まれている文字を読み取る。
「以下の文を読み取り、正しい言葉を答えよ。ただし、そう時はない」
シアンはざっと上から下まで書かれていることを読み取る。
と、そう長い時間を置かず、どこからか地響きに似た重い音が響いてくる。
不穏な音を背景に、広間に厳かな声が届く。
『刻まれた言葉を答えよ。上から三行目左端の数字は』
矢継ぎ早に発せられる問いに次々に応えていく。
シアンは初見の曲を楽譜を見ながらピアノ演奏するのを得意としていた。
コツは音符全てに焦点を合わせるのではなく、一点に目の焦点を合わせ、その周辺の音符を一気に把握し、その後離れた場所でまた焦点を合わせ、という風に一塊を短期記憶させることだ。眼球を高速移動しながら繰り返す。
問いかけは碑文のあちこちを飛び、三回目くらいの問い辺りからはほぼ全てを記憶しており、素早く答えることができた。
問われる最中にも地響きの音は大きくなり、振動が近づいてくる。
十数回繰り返したところで、地響きが止んだ。
碑文の下から何か重いものが外れた音がする。
「これ、動きそうだね」
『押してみるよ』
ティオが軽く前足で押すと、砂利の擦れ合う音とともに、碑文が後退していく。その下に地下への階段があった。
「遺跡っぽいね」
感心して言うのに、そうなの、とティオが首を傾げるが、シアンも実はダンジョンがどういうものかよくわかっていない。
ティオが翼を畳んでなんとか通れる四角く切り取られた入り口をくぐり、階段を下りる。
また先を進むと、先ほどと同じような広間の中央に碑文が佇んでいる。
読み上げる。
「欠けた数字の番号が振られた穴に入り、中から宝珠を持ち帰り捧げよ」
シアンは周囲を見渡した。
「穴?」
十畳ほどの広さの部屋は先ほどとは変わって円形だ。魔法で作り出した光球を壁際に寄せると、壁のあちこちに穴が開いているのが見えた。
碑文の続きを見ると、「1、9、2、3、8、4、5、7、6、7、6、< >、9、5、10」となっている。6と9の間の番号の穴に入れ、ということだ。
『穴、いっぱいあるよ』
リムが壁を一周してそれぞれの穴を覗き込んでいく。
「リム、何か飛び出てくるかもしれないから、あまり近寄らない方がいいよ」
『はーい』
『シアン、番号ってわかった?』
ティオが聞くのに答えた。
「うん、8だよ。ね、英知」
『そうだね』
風の精霊のお墨付きなので正解だろう。
『そうなの? ぼく、全然分からなかった』
『シアン、分かったの、すごいね』
「ありがとう。8の穴ってあるかな」
『あっち!』
一通り見てきたリムが前脚で示した。
「これだね。でも、穴が狭すぎるし、床は剣山みたいで通れなさそうだなあ」
岩のつららができていて、四つん這いで通ることはできなさそうだ。ティオも入れない。
『ぼく、入れるよ!』
「リムなら大丈夫そうだけど、気を付けてね」
リムが穴の中に飛びこみ、しばらくして宝珠を抱えて持って来た。そのまま、碑文の前に置く。放り投げたのでもないのに、地面が揺れた。試しにシアンが持ち上げてみようとしたが、相当重くて動かなかった。
歩いて通ることができない狭い穴から、こんなに重量のあるものをどうやって運ぶのか。
シアンはしみじみ、ティオやリム、精霊たちの力のありがたみを感じた。
ティオが碑文の前の窪みに宝珠を転がして入れると、かちりと何かが嵌る音がして、碑文が再び後退する。
そして、また、階段が現れる。
降りていくと、十五畳ほどの小部屋があるが、何もない。空の箱がいくつか残されているだけだった。
『何も入ってないよ!』
「もうすでに攻略されて持っていったんだろうね」
そんなものか、と思ったし、ティオもいつもの通り、ふーん、という気のない返事だ。リムは一緒に遊びに来たくらいの楽しそうな雰囲気で箱の中に顔を突っ込んだり、周囲を見渡したりしている。
「じゃあ、上に戻ろうか」




