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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第六章
245/630

1.幻獣たちと ~シアンが転んだ!/可愛いのために/省略不可~

 

 樹木の種類の違いから濃淡を作り出す山は、遠目には苔むしているように見える。巨人が撫でればビロードの感触を覚えるのではないだろうか。

 その山の斜面に黒々と雲の影が横たわる。青空に悠々と流れ、山に様々な形を落としていく。

 雲は折り重なる山裾に湛えられた湖にも陰影を作り、その狭間を、ざ、と風が奔る。

 光も闇も、大地も水も風も、全てが身近に生々しく感じる。

 シアンは山々が折り重なる裾野に湖が横たわる光景を丘から眺めることを殊の外好み、対面の小高い丘に時折出かけては顔を出す岩に腰かけて寛いだ。傍らにいる幻獣はその時々で変わる。

 四季折々の変化を楽しんだ。

 そこは魔族の間で幻の花の島と呼ばれた。美しい景色の穏やかな気候、豊かな植生を持つ場所だった。

 島には多くの稀有な高位幻獣が住んでいた。


 その日、シアンがログインすると、庭の方で幻獣たちのはしゃぐ賑やかな声が聞こえて来て誘われるままに進んだ。

 いつもなら、リムがいち早くシアンを見つけて飛んでくる。

 その日は少しばかり事情が違った。

 リムは幻獣たちと遊んでいた。

 変なポーズを取って静止しながら。

 四つん這いになる他、後ろ脚立ちする姿はよく見ていた。だが、今取っている姿勢は、四つん這いで左前脚と右後ろ脚を外側へまっすぐ伸ばし、右前脚と左後ろ脚を地につけているというものだ。

 不安定な状態にもかかわらず、体幹は全くぶれない。


 リムだけではない。

 わんわん三兄弟、一角獣や麒麟、鸞、ユエまでが妙な恰好で静止している。

 わんわん三兄弟はリムの格好を真似ようとしているのか、だが、不自然な体勢で体を支えるのが難しいらしく、地に着いた足が小刻みに震えている。懸命な表情で耐えている。

 彼らは闇の上位神の眷属であったケルベロスが分裂した姿で、長らく封印の地に留まっていたため、大半の力を失っている。


 真面目な鸞もまた変な恰好をしている。

 片脚を上げて前へ突き出し、もう片脚で立つ。翼を開いているのはバランスを取るためか。

 麒麟は後ろ脚で立ち前脚は揃えて前へ掲げ、半馬身を大きく持ち上げている。いわゆる棹立ちの状態である。

 鸞と麒麟は幻獣が多く住まう天帝宮という場所からこの島に移り住んだ聖獣である。面識を持つ前に九尾を介してリムの成長痛への薬を煎じて貰ったことがあり、移り住みたいという彼らの意見をシアンは快く受け入れた。


 一角獣は逆に前脚で体を支え、後ろ脚を跳ね上げている。何かを蹴り上げた直後のような体勢だ。頭を下げているので、長く鋭い角が地面に着きそうである。

 一角獣は古の王女の願いを聞き入れ、国を豊かにするためにその魔力を与え続けていた。長らく閉じ込められたことによって、憎悪に歪んでしまった魔力をフェルナン湖に流し、湖の水質調査に訪れたシアンが彼を解放した。


 ユエは道具を作るほど、器用なだけあって、右前脚を右後ろ足の甲につけ、左前脚と左後ろ脚を高く掲げるというポーズで静止している。

 外見は兎の姿をした幻獣で、元は妖精であり、人の工房で働いていたが、待遇が悪く、衰弱と飢餓の最中、シアンに島に招かれた。


 幻獣たちは高位存在であり、身体能力にも優れている。シアンの目は魔力補助を用いずに銘々珍妙なポーズを取っているのだと見抜いていた。

 その幻獣たちが放射状に向き合う先の樹の前に、九尾が後ろ脚立ちししている。九尾は静止する幻獣を見渡した後、両前脚を幹につけてそこに顔を伏せて高らかに声を上げた。

『シアンちゃんがこ~ろんだ!』

 シアンが実際にずっこけた。

「……だるまさんがころんだ、じゃないんだ」

 なるほど、それで幻獣たちは静止しているのだな、と合点がいく。ただ、それぞれ珍奇なポーズを取っているのは何故なのか。


 九尾が振り向く前に、随分離れた場所にいたリムがひとっ飛びで九尾の背中にタッチした。

「キュア!」

 気配を読み取っていたらしく、ゲームは終わったとばかりにリムがそのまま旋回してシアンに向けて飛んで来る。

「リム、お早う。みんなと遊んでいたの?」

『うん! きゅうちゃんが色々遊びを教えてくれたの。難しい恰好をしてね、ちょっとでも動くと失格なんだよ!』

 それであの妙な恰好をしていたのか、と得心が行く。

「それにしても皆ぴたりと止まっていたね」

『とっくんしたもの!』

 リムが中空で後ろ脚立ちする格好で胸を張り、えっへん、と言う。への字口をきゅっと急角度にして誇る様は愛らしい。


 見上げれば、庭の樹木の太い枝の上で猫が居眠りしている。

 ユエと同じ時期にこれも衰弱しているのを拾い、助けた幻獣だ。一メートルを超す体長で後ろ脚立ちしてそのまま歩き、人語も数か国語を解するという。

 ティオは付き合いきれないとばかりに別処で我関せずで過ごしているのだろう。


「そっか。楽しそうだね。ユルクも一緒に遊べたら良いのにね」

『ね!』

 小首を傾げるリムとうふふと笑い合う。

 ユルクは一抱えもある二十メールにも及ぶ水蛇だ。黒い蝙蝠の翼が四対ついているレヴィアタンの孫である。武闘派の祖父と比べて穏やかで悪く言えば呑気な性質で、祖父がやきもきして修行の旅に送り出し、この島に住み着いていたのだ。


 庭は様相を異にするものがいくつかあって、今みたいに複数の幻獣たちが遊べるくらいの開けたものもある。

 庭から長く伸びた石畳の両脇に花々が咲き乱れ、石造りのアーチを潜り抜けると、平らに刈り揃えられた緑の壁が美しく姿を現す。シアンの背よりも高い壁は迷路の様子を呈しており、幾つ角を曲がっても、向こう側に着かない。

 その迷路庭園の広く取られた道幅からティオが悠々と歩いてくる。シアンがログインしたのに気づいてやって来たのだろう。


 木影が残暑の眩い陽光を遮る傘の役割をしてくれる。シアンがログインする前に日向で随分遊んでいた幻獣たちを促して、緑陰に入る。

 喉が渇いているだろうから、おやつはすぐに食べられるものが良いだろう。桶に水と氷を入れ、トマトやリンゴ、キュウリ、瓜、小ぶりのスイカなどを浮かべる。

 カランに声を掛けているうちに、待ちきれなかった一角獣が鼻を桶に突っ込んで、氷を水ごと口に含み、ぼりぼり食べる。

「……一頭一桶必要だったね」

 シアンが呆然と呟く。

『桶に水、となれば馬は飲み干すでしょうからな!』

「暑いもの、喉が渇いていたんだよね」

 九尾に答えていると、一角獣が聞きつけて顔を上げる。

 あれ、失敗した?と目を見開き、徐々に萎れていく一角獣の首筋を軽く叩く。自分が幻獣の食べる量を読み間違えただけだと伝える。


 音もなくセバスチャンが桶を三つずつ両手に下げてやってくる。重いものを持っても姿勢正しく優雅に歩いてくる。

「持つのを手伝いましょうか?」

 シアンでは一つの桶を両手で持つので精いっぱいだ。

『いいえ、シアン様の御手を煩わせるほどの事ではございません』

 丁重に遠慮される。

「ティオも桶一つ分は食べられるよね。リムときゅうちゃんはどう? シェンシは?」

 言いつつ、桶を覗くと四つのうち、一つは水と氷のみで満たされたものがある。

「あ、これはレンツのだね。ありがとう、セバスチャン」

 執事は掌を胸に置き、恭しく礼をする。

『ぼくはシアンと一緒に食べる!』

『では、らんらんはきゅうちゃんと一緒の桶で食べましょう。同じ釜の飯を食うならぬ、同じ桶の野菜を食う!』

 わんわん三兄弟で一つ、カランとユエで一つの桶を振舞われた。


 セバスチャンは無言で一角獣の桶に氷を追加し、一礼して去って行った。一角獣は桶に水を出現させ、美味そうに喉を鳴らして飲む。

『トマト、甘い!』

 熟れた赤い野菜を一つ食べ終えたリムが今度はリンゴにかぶりつく。

『リンゴが入っているのもリムのためだろうにゃあ』

「みゅ!」

 美味しそうに食べるリムを眺めてカランが言い、ユエがニンジンを齧りながら頷く。

『野菜がきりっと冷えていて美味しい』

 普段は肉を好むティオが、暑さを感じてはいるので、冷たい野菜を喜ぶ。

『これ、九尾、スイカの種を飛ばすでない。はしたない!』

『あは。きゅうちゃん、よく飛ぶね』

 九尾が小さいスイカを半分に割って頬張り咀嚼し、種を勢いよく飛ばすのを鸞が顔を顰め、麒麟がのんびり笑う。

『ぼくも、種飛ばし! ティオ、比べっこしよう』

 スイカよりも二回り大きい顔を持つティオは、嘴を大きく開き、ごば、と噛み砕く。九尾を見やりながら。

 九尾は両前足で割ったスイカを持ったまま、体を硬直させた。硬い物をかみ砕く音が響く。皮ごと食べたティオが種をどうしたか、九尾は黙して語らない。



 また別のある日。

 ログインした後、妙に幻獣たちの気配のない館内を不思議に思い、セバスチャンに尋ねてみれば、秘密の会議を行っていると言う。

 よく九尾とリムがひみつの特訓を行っているが、幻獣全員でというのは初めて聞く。興味をそそられたシアンに、セバスチャンが隠ぺいして覗いてみると良いと勧めた。

 好奇心に負けて、闇の精霊に助力を乞うて覗き見する。

 小ぶりの庭でわいわいとやっている。

 黒板よろしく立て板を設置し、紙を張り出している。

 それを囲むように半放射状に銘々蹲ったり座り込んだりしている。

 紙に書かれている文字を読み、シアンは眩暈を感じた。

『可愛いのために!』

『単に可愛いだけではダメ! シアンが可愛いと感じる可愛いのために』

『可愛いは一日にしてならず』

『今の可愛いで満足するな』

 可愛いがゲシュタルト崩壊しそうだ。


 指示棒を持ち、立て板の脇に後ろ脚で立つカランを、幻獣たちは真剣な眼差しで見つめている。いや、若干一匹船を漕いでいる者がいる。残りの二匹のうち、一匹も目がとろんとしており、最後の一匹がカランの言葉に耳を傾けながら、二匹を突いているが、効果はないようだ。


『いいかにゃ。確かに俺たちは可愛いを目指しているにゃ。そして、ある程度の成果は出している。でも、それだけでは駄目なのにゃ。何故ならば!』

 カランはびしっと指示棒を『シアンが可愛いと感じる可愛い』という一文に突き付けた。

『他の誰かが可愛いと思っても意味はないのにゃ! シアンが可愛いと感じなければ!』

 幻獣たちがこくこくと頷く。エークがこっくりこっくりと船を漕ぐ。ウノも瞼が落ちそうだ。

 アインスはカランの言葉に聞き入って兄弟たちを起こすのを忘れてしまっている。


『そうなの! シアンに可愛いって言って貰うのが一番なの!』

 リムがぴっと片前足を高く掲げる。

『リムの言う通りにゃ。そのためには可愛いは一日にしてならず。今可愛くてもそれで満足していてはいけないのにゃ』

 カランが指示棒の先をリムに向け、大きく頷く。

 そして、紙を指示棒で指し示し、読み上げるのに、幻獣たちが続いて唱和する。


『一日頑張っても可愛いって言って貰えないの?』

 うずくまるようにして長い足を折った一角獣が首を傾げる。鋭く長い角も角度を変える。

『少し努力したくらいで成せることは、大したことではないということだな』

 鸞が首肯する。

『現状に満足せず、常に努力しなくてはいけないということなんだねえ』

 麒麟がおっとりと言う。


『シアンはよくみんなを可愛いって言っているよ』

 ユルクが鎌首を大きくたわめる。

『それにゃ。シアンはよくそう言うから、慢心が出やすいのにゃ。相手を思いやる気持ちを常に忘れてはいけないのにゃ!』

 相手を思いやることは大切であるものの、彼らの目的はもっと狭くて、シアンに可愛いと思って貰う、突き詰めれば嬉しがらせるということだ。

 まあ、これも、自分を楽しませようとしてくれているということなのかな、とシアンは納得しようとした。


『そうです。常に最先端の情報を取り入れ、日々可愛いポーズや仕草を研究しているからこそ、きゅうちゃんは可愛い狐たるのです』

 九尾がおもむろに後ろ脚立ちしてフォーエバーポーズを取る。

 リムと麒麟とアインスは笑顔で受け容れ、カランと鸞は冷めた視線をやり、ユルクとユエはどう捉えていいのか分からず戸惑い、一角獣は我関せずで聞いていない。ちなみに、ウノとエークは夢の世界へ旅立ち、ティオは離れた場所で前に投げ出した前脚に顔を乗せ、しょうもない、と言わんばかりの表情だ。一応、この場に付き合ってはいる。


『全く、天然で可愛いからといって、余裕なものだにゃ!』

 カランがすっかり寝入ったウノとエークに苦虫を嚙み潰したような表情を向けると、アインスが慌てて兄弟たちを起こしにかかる。

『まあ、いいにゃ。やつらは素で可愛いを体現しているにゃ。むしろ、余計なことをしない方が良いくらいじゃないかにゃ』

『そうですね。起きるとそれはそれでうるさいですし』

 頃合いかと見計らい、シアンは闇の精霊に隠ぺいを解いて貰い、徐々に近づく気配を作って貰う。

『あ、シアン、起きたよ!』

 真っ先にリムが弾む声を上げる。

『そうかにゃ。では、第一回可愛い幻獣研究会は終了にゃ!』

 第一回。

 二回目以降もあるのか。

 シアンは苦笑を漏らさずにはいられなかった。

 そして、リムに今日は何をして遊んでいたのか聞いたら、ひみつなの、と元気よく答えてくれるのだろうな、と予想しつつ、幻獣たちに姿を見せるのだった。



 各々の精霊が細々と手助けしてくれるお陰で、シアンの異世界滞在は非常に快適である。それは日常の細々したことから大きなことまで多岐にわたる。

 フェルナン湖に入水した際、風の精霊が空気の膜を張り、呼吸や水圧の調整をしてくれたことなどが挙げられる。

 また、解体や調理を行う際、手伝ってくれるリムの全身を同じく空気の膜で覆う。主に衛生面への配慮からだ。


 シアンはリンゴにかぶりついて果汁にまみれたリムの顔を布で拭いてやりながら、ふと疑問に思う。

「そうだ、リムが料理する時に英知に空気の膜で覆って貰うみたいに、食べる時もやって貰ったら、汚れないんじゃないかな」

『できるけれど』

 シアンの言葉を肯定しつつ、風の精霊はリムに視線を向ける。

『ダメ! シアンに拭いて貰うの』

『そう主張しているよ』

 リンゴを咀嚼して呑み込んだリムがへの字口を急角度にする。しかし、眦が下がって少し不安気だ。風の精霊はリムの意見をシアンがどう受け止めるかによって、対応を変える、と言わんばかりだ。

「あ、ああ、うん、別にそうして欲しい訳じゃないんだよ。大した手間ではないし。全部を英知にやって貰うのは味気ないしね」

「キュア!」

 リムが嬉し気に鳴く。

 シアンのすることの手伝いを率先してやるものの、世話するのはやめてほしくはないようだ。

 シアンもまた、リムに構うのが楽しい。

 それはセバスチャンにも言えるだろう。


 リムはよく庭を飛び回りながら尾を振り振り、歌を歌っている。興が乗るにつれ、節に合わせて頭も左右に動き出す。小さな体からリズムがあふれ出し、きらきらと真珠色の光の粒を舞わせる。

「キューアキュアキュア~」

 それを、壁一面の扉のガラス越しにセバスチャンが恍惚の表情で眺めているのを見かけたことがある。

 島の管理と幻獣たちの世話を任せているが、それが幸せな日常なのだとその表情が語っていた。


 シアンは音楽を奪われていたころ、窒息しそうな気持ちを何とか切り替えたくて別世界へやって来た。思いも掛けなく、この世界に親しむことになった。

 幻獣と出会い、力ある存在に他者への尊重と共存を説くことによって、自分もそのことを強く意識するようになった。個性豊かな幻獣たちと接し、一緒に美味しいもの、楽しい音楽、美しい景色に心を躍らせた。ともに遊びに興じ、おしゃべりすることを楽しんだ。

 セバスチャンは人の身から神にまでなるほどの実力の持ち主で、闇の精霊への敬慕と悔恨のあまり自我を失い狂い、同輩の魔神に封印されていた。

 長い間捕らわれ続けていた彼も、失った何かを違った形でも取り戻してくれたら良いと思う。




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