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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第五章
242/630

48.名づけ ~えっへんする?~

 

 鸞は再生能力を持つ生物の研究を重ねた。

 中には若返るものまでいるのだと言う。

『不老不死や若返りは永遠の夢! 古の皇帝や女王が財産を投げうって探させた代物ですよ!』

 とは九尾の言だ。

 鸞が書から拾い上げたのはベニクラゲという生物だ。

 成体となって成熟すると、何かのきっかけで体が退化する。つまり、若返るのだ。

『クラゲは受精後、孵化して幼生となり、ポリプという形態になって岩に付着する。その後、ヨウナストロピラになる。これは皿を重ねたような形態で、その皿が分かれて分裂して浮遊する。エフィラという形態を経てクラゲとなり、その後、死んでしまう。普通はこれをさかのぼることはできないのだがな』

 ベニクラゲは成体となった後、何らかのきっかけでポリプに戻る。これらの過程を繰り返すのだ。

『十回の繰り返しを経たものもいるという』

「それだけ若返って寿命が延びたということだね」

『うむ』

 シアンの言葉に鸞が頷く。

『この若返りの能力は他に、ヤワラクラゲも持つと言われている』

 言いながら、鸞はベニクラゲの模写を見せてくれた。

 短めの円筒状で、触手が付いたかさの縁から逆の方に向けていくつか筋がでて、中央の中心に赤い球を守っている。細長くまっすぐな触手が何本も生えている。


『そんな生物もいるんだねえ』

 感心しつつ、麒麟は鸞の活き活きした表情に嬉しくなる。

『りんりんも同じくらいすごいですよ。何て言っても、その角が万病の薬となると言われていますからね』

 九尾はそうは言ってくれるが、鸞のどこか腹を括った様子で研究に発奮する様子に、自分も何かしなくては、と思う。

 以前、幻獣たちと話し合った植物を自分で育てること、それをまずやってみようと思う。

 動物を生じさせたのは自分と言われているが、正直なところ、相当前のことだから本当に自分がしたのかどうか、どういう意思を持ってしたのかもわからない。けれど、今度は、自分の意志で植物を育ててみようと思った。それを人間に教わるのだ。ちょっと面白そうではないか。

 麒麟は気づいていなかった。自分もまたわくわくとした輝く表情をしていることに。


 兎は鸞や麒麟が目的意識をもってそれぞれができることに取り組もうとしているのを見て、とても良いなと思った。何より、楽し気なのが羨ましかった。

 今では工房に籠っていることが多いものの、島での生活にも少しずつ慣れて来た。

 出会い頭に自分を追い掛け回した子犬はわんわん三兄弟などと呼ばれているが、しっかりとそれぞれが名を貰っていた。

 彼らはしょげ返って謝罪してくれ、反省の意を表して自分たちの食事を分けてくれようとまでした。兎にとって、食事を他者に与えるということはとんでもなく大きく重いことだ。それを率先してしようとしてくれたことから、信用できるのではないかと思った。

 この館で唯一の人間はシアンだ。

 彼が作る料理は美味しく、奏でる音楽は楽しかったり優しかったりする。聴いていると体が自然と丸まってゆるゆると眠くなったりもする。未だかつてないほど、穏やかに安定している。

 何より、腹を満たすことができ、好きなことに没頭できるという、夢でも見ているのではないかという境遇だった。

 元から好きだった野菜が、肉とともに煮込まれると深い味わいがある。リムが言っていたカラムという人間が作った野菜はまた格別だった。本当に大地の恵みがたっぷり詰まっている。


 その美味しいものを提供してくれるシアンはやはり、皆に好かれ、大事にされていた。

 幻獣たちはこぞって彼に名前を貰いたがった。

「前に言っていた名前なんだけれどね、考えてみたんだ」

 麒麟と鸞が顔を見合わせて喜ぶ。

「麒麟は慈悲深いという意味のレンツ、鸞は思慮深いという意味のシェンシ、でどうかな?」

 安直すぎるかな、と首を傾げるシアンに、麒麟も鸞もぱっと顔を輝かせる。

『わあ、綺麗な響きだねえ!』

『うむ、素晴らしい名だ。名は体を表すと言う』

 名前負けしないようにしないと、という鸞に、麒麟がシェンシ、と呼びかける。それに返事をした鸞が麒麟をレンツと呼び返す。何度も呼びかけ合う姿に、気に入ってくれたのだと知り、シアンは胸をなでおろした。


 それをじっと見つめる兎の視線に気づいてシアンは微笑んだ。

「僕が住んでいる世界ではね、色んな国で月にまつわる話があるんだ。中には兎が住んでいて、薬を作っている、というのもあるんだよ。月を見上げて君みたいに物づくりをする兎がいると信じている人たちがいるんだ」

 兎は呆気にとられた。

 取るに足りないと言われていた自分と同じ姿の兎が、見上げる月にいて自分のように物づくりをしているという話があるというのだ。いや、自分も今、月にいるみたいに幸せではないか。これが夢ではありませんように、夢でも覚めませんように、と最近よく祈っている。

 では、これからは月に向かって祈れば良いか、などと考えていたら、シアンが続ける。

「そこから連想して、月、という意味でユエという名前を君に贈ろうと思うんだけれど、どうかな?」

 兎は声もなくシアンを見つめた。まさか、自分の名前も用意してくれていたとは思わなかったのだ。

『ほう、月で物づくりをする兎か。格好良いな』

『うふふ、素敵だねえ』

 鸞と麒麟も褒めてくれ、じわじわと喜びが沸き上がって来る。

 その場で身軽に跳躍する。

 初めての居場所、名前を貰った。

 夢のような場所で、今まで見上げる月のような手の届かないと思っていた場所で、好きな物づくりに没頭していられる。食べるものや安全のことばかりを心配しなくても良いのだ。怒声と暴力とに怯えず、穏やかで自分を認め笑顔を向けてくれる者たちに囲まれている、まさしく名は体を表す境遇を得ることができた。

「今日は何を食べようか、ユエ」

 シアンが差し伸べてくる腕に抱かれて、新しい名を得た兎は丸まった。暖かで穏やかな気分のままに。



 セバスチャンがもう片方の幻獣もようやく床上げができたと連れて来た。

 驚くほど大きな猫だった。尾の長さだけで、通常の猫の体長の二倍近くある。体長は一メートルを超える。毛に艶がなく、やせ細っているのが明らかだった。

『初めましてにゃ。倒れているところを助けてくれたそうで、お礼を言うにゃ』

 セバスチャンに促されるまでもなく、シアンの前に進み出て、小首を傾げて言う。

 初めから非常に友好的に意思疎通をしてきた。

「起きられるようになって良かったよ。もう食事は採れるようになったようだけれど、まだ無理はしないでゆっくりしてね。その後で、君の身の振り方を考えようね」

『何から何までお世話になるにゃ』

 そつのない返事だったが、そこに僅かな落胆が滲むのを感じ取る。

「何か欲しいものはある?」

 自分が言った言葉が期待外れだったのかとシアンは言葉を重ねる。

『十分すぎるくらいの待遇だにゃ。これ以上して貰うと罰が当たるにゃ』

「そう? 今はまだ体調が整っていないから無理はできないけれど、もう少しよくなったら、君が好きなものを作るから言ってね」

 自分は料理人なのだと言うと、猫は嬉しそうに頷いた。


『にゃにゃにゃだね!』

 シアンとのやり取りがひと段落したと見て取り、リムが猫に話しかける。

『つい癖でこうなってしまうのにゃ』

『シアンはね、皆の体に良い植物を使って料理をしてくれるの! 皆が元気になりますようにって! 美味しいだけじゃないんだよ』

『それはすごいにゃ』

「みゅ!」

 兎がひと声鳴いて、リムと同じく後ろ脚立ちして胸を張る。何故か、自慢気だ。

『あは、可愛い鳴き声だねえ』

「本当だね。ユエの可愛い姿に似合うね。あのポーズ、リムが良くやるのと似ているね」

 麒麟とシアンが顔を見合わせて穏やかに笑い合う。

『ユエは殿が称賛されるのが我がことのように嬉しいのでございます!』

『誇らしい気持ちになるのです!』

『我らも同じく思います!』

 わんわん三兄弟が短い尾を懸命に振りながら訴える。


『ユエもえっへんする?』

『リム、えっへんて何?』

 言いながら、既にティオの鋭い視線は九尾を捉えている。九尾がさっと隣にいた鸞の後ろに隠れる。鸞は冷静に一歩横に移動し、再び九尾が炯眼に晒される。

『あのね、すごいでしょ!っていう時に使う言葉なんだって!』

『ああ、自分を誇る時に使う言葉なのか』

 リムの説明に一角獣が頷く。

『こうしてね、前足を腰につけて、胸を張るんだよ!』

『それは我には難しそうだな』

 一角獣が小首を傾げると、額からまっすぐに長く伸びる角の切っ先が空を切る。

「みゅ!」

 兎が後ろ脚立ちし、胸を心持ち逸らして、両前足を胸の前で組む。後ろ脚立ちして前足を揃えるのはよく見かけるが、腕組みする恰好は初めて見る。

『おお、確かに偉そうですな!』

 九尾が後ろ脚立ちして、こちらも腕組みをして二度三度頷く。

『えっへん!』

 リムが兎に並んで胸を張る。言っていた通り、前足を腰にやっている。

『おお、何と愛らしい!』

『流石は可愛い幻獣!』

『主様の好まれる愛らしい幻獣の中でも、超弩級を誇る可愛らしさ!』

 わんわん三兄弟がリムを褒めたたえる。


「はは、確かにリムもユエも可愛いよ。でも、皆普通にしていても十分に可愛いからね」

 シアンはしゃがんでわんわん三兄弟の頭を撫でる。

 ティオが音もなく近寄り、首を低く垂れる。無言でせがまれてシアンがその首筋を撫でると、リムも飛んで肩縄張りに着地し、頬ずりする。一角獣が角の角度を慎重に変えながらシアンに身を寄せる。

 麒麟と鸞が顔を見合わせて微笑み合い、シアンに近寄る。


 それを幻獣たちの輪から離れた場所で猫が眺めていた。

 猫に気づいたシアンが手招きしても、自分は良いとばかりに首を左右に振る。

 その表情が諦念に思えて、シアンは猫の様子を気に掛けるようにした。

 猫はそつなく誰とでも友好的に接するように見えて、実は全く心を開いていないのではないかと思えた。

 いわば、表面上だけの付き合いをしているようなものだ。

 ここを仮住まいとして考えているのならばそれも致し方ないのかもしれない。シアンもせっかく出会った知能の高い高位幻獣ではあったが、全ての高位幻獣と仲良くすることができるとは思わなかったし、彼らにも意思がある。

「この島で暮らしたいと言っているのですか?」

『さようにございます』

 だが、案に反して、猫は滞在を希望した。本調子になるまではセバスチャンも気にかけている様子で、猫の申告を伝えて来た。

「そうなんですね」

 意外だという思いが表情に出たのか、セバスチャンはシアンに猫の引き取り先を探そうかと提案されて慌てて断った。

「ううん、この島にいたいならいて貰って構わないんです」

『何か御心配事でも?』

 セバスチャンは簡単に誤魔化されてはくれなかった。

「はい、あの猫の姿の彼は本当にこの島にいたいのかな、と思って。もし何なら、この島は広いのだから、館に留まらなくても、好きな場所で思い思いに過ごしてくれて良いんです」

『しかし、あの幻獣の性は怠惰。この館で食や住まいを保障されるのは何事にも代えがたいでしょう』

「そうなんですか?」

『愛想よく振舞っているのは、ここに馴染み、居場所を得るため。シアン様が心を砕かれるほどの事でもございません』

 断じるセバスチャンにそんなものかな、と小首を傾げる。栄養失調と疲労で倒れていたことからも、ろくな食事を摂ることができなかったと伺い知れる。そんな時、安心して暮らせる場所を提供されれば、そうするのも当たり前に思える。

「じゃあ、もうしばらく様子を見ようかな」

『かしこまりました』

 有能な家令はシアンの意図を汲み、一気に増えた幻獣たちによくよく目を配ってくれている。

 現実世界と行き来するシアンでは行き届かないことがままある。有難いことだった。




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