47.鸞の協力/庭遊び ~増え放題/柔軟体操/シーソー~
「鸞にマティアスの足取りを掴む協力を?」
『ええ、そうです。あの通り、鸞は博識で、調べ物をするのも得意です。寄生虫異類に操られていた人型異類が使った薬物がどういったものでどういう調合をしたのか分かるかもしれません。そしたら、その経路を辿ることも可能になるかもしれませんよ』
久々に顔を合わせた九尾がシアンに言う。
港町の研究者の資料に没頭する鸞を見て九尾が言い出し、シアンは渋面になる。
『シアンちゃんが嫌がるのも分かります。鸞を巻き込みたくないのでしょう?』
「うん。鸞は聖獣なんでしょう。あまり人の世のいざこざに関与しない方が良いと思うんだ。それに、鸞が関わったら麒麟も巻き込みそうだしね」
それでなくとも、あの二頭は世間ずれしていない。穏やかで静かに、思う様に知りたいことを研究していてほしい。他者の欲に翻弄されてほしくはないのだ。
『しかし、それこそ、本人がどう思うかですよ。ほら、カラムだって、住み慣れた場所を捨ててもリムのために作物を作りたいと言ったではありませんか』
「そうだったね」
それこそ、即答で決めた。シアンの予想を大きく違えた。
「そうだね、では、話すだけ話してみようか」
シアンが九尾と連れ立って鸞を訪ねると、ちょうど良い所にとばかりに、研究の成果を語った。
『これを記した研究者はイソギンチャクの再生能力を薬に利用できないかと考えた』
「ああ、その採取を依頼されたよ。確か、移動しないイソギンチャクにしては珍しく泳ぐものだって言っていたね」
『うむ。実物を観察するのが最も手っ取り早いからな』
通常は足盤で岩などに吸いつくが、そのイソギンチャクには足盤に筋肉はなく、触手を広げて勢いよく水をかいて進む。そのため、触手が千切れることがあり、その千切れた触手から体を再生することができるのだ。
『非常に面白い生態をしているな』
「再生できるってすごいね」
『海の生物は再生するものは意外と多いのだよ』
感心するシアンに鸞が頷いて見せる。
『そうだね。例えば、ヤチクラゲは体を分裂して増え続ける。裂けた体がそれぞれ再生することによって個体数を増やす』
風の精霊が例を挙げて説明する。
『この時、口のない個体が出てしまうと、それは餌を取れずに生きていくことができない。そのため、かさの中心から放射状に伸びている放射管に複数の口を作る』
この方法で三年以上増え続けることができるという。
『おお、これぞまさしく、鼠算! 千切っても千切っても増えていく!』
妙なことを言い出す九尾を他所に、鸞が続ける。
『再生能力で言えば、ウミシダもそうだな。これは植物ではなく、棘皮動物に近い』
棘皮動物はヒトデやナマコといった動物が挙げられる。
『ウミシダは脳が発達しており、その再生能力はこれに大きく関係しているのではないかと吾は考えている』
「そうなんだ」
『ウミシダはヒトデやナマコに近い動物で脳や神経が発達しており、再生能力を持つ。良い着眼点だね』
風の精霊の称賛に鸞が畏まりつつも嬉し気だ。
シアンは微笑まし気にその様子を眺める。
鸞が軽く咳ばらいをして表情を取り繕う。
『再生能力というのはとんでもないものでな。要は悪いところを切り取った後、再生させてしまう、という方法も取れなくもない』
そこに到達するには中々難しいだろうが、と鸞が言う。
『そこまで行くと、もはや異能と言うべきかもしれませんねえ』
『ああ、異能と言ってしまいたいほどの能力だ』
九尾の言葉に鸞が頷く。
「その再生能力を持つ非人型異類のことなんだけれど」
シアンは寄生虫異類が多くの者を操って、諍いを巻き起こしていることを話した。
『何と、それではベヘルツトを閉じ込めていた国の王族をも操り、魔力枯渇の暁にはティオとリムを代わりと挿げ替えようとして、シアンを捕らえようとしたのか!』
鸞はとんでもないことをしでかす、と憤慨した。
見方を大きく変じてみれば、ティオとリムに手を出そうとしたからこそ、一角獣を捕らえてその力を利用していたことの露見が早まったのだとも言える。
『自分の能力をもってして様々なことをしてみたいと思うことは良いことだ。だが、他者を無暗に害し、自分の欲得尽くで操ろうなど不届き千万!』
鸞はシアンから預かり受けた紙束を丁寧に掴んで持ち上げて見せた。
『これら生物が再生能力を持つのは生きるためだ。そして、その能力を研究し、自分たちがより良く生きるために利用しようとしている。これがその集大成だ』
同じ研究者として、また、そうして懸命に生きる生物を単なる文字としてではなく、生きた存在として考える鸞としては憤懣やるかたない話だった。
『そうですよねえ。自分の手は汚さず、宿主を操って揉め事を起こす。雲行きが怪しくなれば、新しい宿主に乗り換える。随分あくどいやり口です』
そうだ。そのやり様が卑怯に思えて忌避感を抱いてしまうのだ。
『しかも、シアンを慕う幻獣の気持ちを利用するなど!』
散々憤慨した鸞はしばらくして落ち着いた後、シアンに頭を下げた。
『腕を千切られてまでもベヘルツトを助けてくれて、礼を言う』
「そんなこと。僕は本当に何もしていないんだよ。幻獣たちと精霊たちが助けてくれたんだ」
一角獣のために頭を下げてしまえるのだな、と胸が熱くなる。
『それはシアンちゃんだからこそ。シアンちゃんがあの猪突猛進を助けようとしなければ、誰も動きませんでしたよ』
『どうだろう、シアン。吾も何か手助けをしたいのだ。吾は戦う力はないし、書物の中の出来事くらいしか知らぬが』
決意新たな強い視線を受け、シアンは苦笑する。本当に、ことごとく予想は外れるものだ。
「ううん、心強いよ。きゅうちゃんと違った風に知恵を貸してくれそうだしね」
言って、シアンは差し出された鸞の足を握った。ティオの大きく鋭い爪がついた足とは異なり、繊細ささえ感じさせた。
この器用に器材を操る足で、リムの成長痛を和らげる薬を調合し、ガエルの体に巣くった毒を取り除く薬を作ってくれたのだ。
「じゃあ、改めて、宜しくお願いします」
『承った』
鸞を巻き込むことは心苦しくあった。しかし、鸞の気持ちを無碍にしたくはなかった。
現状を知れば相手の方から協力を申し出る、それこそがシアンの持つ力なのかもしれない。
九尾は朝目覚めると体操をする。庭に出るとおもむろに後ろ脚立ちし、おいっちにとばかりに、きゅっきゅっきゅっ、と始める。
リムが小首を傾げて眺めていたが、やがて並んで体を動かすようになった。
柔軟な体を持つ幻獣なので体をほぐすことは不要な筈だ。
『いや~、これで朝ごはんも美味しくたべられるというものですよ!』
『きゅうちゃんはここでも元気そうにやっているんだね。安心したよ』
『本当にマイペースだな』
麒麟がおっとり笑い、鸞が呆れる。
そんな幻獣たちを、館の階上の窓から眺めていている者がいた。
『何だ、あの狐は……』
窓の下に広がる庭で幻獣たちが思い思いに過ごす中、狐の姿をした幻獣の破天荒さは目立つ。思わずまじまじと見つめ、呟いた。
こちらを見やる気配に気づいていたものの、我関せずのティオは庭先に直径十センチもない丸太の上に平らな板を置いた。
『リム、板の真ん中に乗ってみて』
「キュア!」
ティオに言われた通り、長い板の中央に乗り、後ろ脚立ちする。丸太の上に水平になるようにうまくバランスを取っている。
『板を動かすよ。気を付けてね』
「キュア?」
羽を羽ばたかせるものの、浮き上がりはせずに、後ろ脚立ちしつつ、小首を傾げる。
やって見せたら分かるだろう、とばかりにティオは板の端を前足で、軽く押さえたり緩めたりしながら上下させる。
「キュアッキュアッ」
緩やかな波打つ振動に、リムが歓声を上げる。尾を激しく振り、翼もふるふると動かしている。板の上でうまくバランスを保っている。
『面白―い!』
速度を早くしたり緩やかにしたりと、緩急をつけた動きにリムは大はしゃぎだ。
わんわん三兄弟も何事かとやって来て、即席のシーソーで遊ぶリムの周りを取り囲んで一緒になってはしゃぐ。
『じゃあ、次はね、もっと端に立ってみて』
『うん!』
『じゃあ、いくよ?』
リムが立つ側が地についた板の端とは逆側の板の端を、ティオが力加減をしながら踏みつけた。
「キュアー!」
板の端が跳ね上がり、リムの体が投げ出される。その勢いのまましばらく飛び、落下し始めると自前の翼を動かす。
『面白いよ、ティオ!』
『今度は、ボールを飛ばすから、それを捕まえてみて』
「キュア!」
しばらくそうやって板の端に置いて飛び上がらせたボールをリムが捕まえたり、またリム自身が投げ出されたりしてティオに遊んでもらった。
ティオに代わり、リムが板を動かしてわんわん三兄弟もシーソー遊びを楽しんだ。リムの体よりも大分大きいシーソーだが、簡単に操作していた。
「皆、楽しそうだね」
「ピィ!」
「キュア!」
「「「わん!」」」
しばらく幻獣たちが楽しそうに遊んでいるのを眺めていたシアンが声を掛けると、すぐさま元気の良い鳴き声が上がる。
『ティオが考えてくれた遊びなの!』
「そうなんだ。良かったね、リム」
『うん! とっても楽しい!』
への字口を横に緩めて満足気なリムの頭を撫でながら、ティオに笑いかける。
「ティオ、てこの原理をよく知っていたね」
『人間が使っていたのを見て、リムと遊ぶのにちょうどいいなと思ったんだよ』
その後、離れた場所に立つシアンの場所までリムを飛ばせるかなど、様々な条件付けをしてしばらく遊びは続いた。
「リム、羽は使っちゃ駄目なんじゃないの?」
『でも、シアンに届かないのはダメだもの』
シアンまで飛距離が足りないと知れると、リムがつい翼を使ってしまう。ルールが決まっている訳でなし、と楽しそうに飛び込んでくるリムに、何も言えないシアンだった。
『きゅうちゃんもやろう!』
リムがつい、と飛んでいくのに視線を追うと、九尾がこちらを眺めていた。
『えー、きゅうちゃんは見ているだけでいいですよ』
腰が引けている九尾の前脚をリムが両前脚でひっぱる。
なんだかんだ言いながら、リムに連れられて来るのを見て、ティオがリムが使っていたものよりも幅広な板と大きい直径の丸太を用意する。
『おおおおお、バランスを取りにくい!』
板の中央でふらふら後ろ脚で立つ九尾にリムが小首を傾げる。
『きゅうちゃん、ダメそう?』
「無理そうならやめておく?」
リムに続いてシアンも提案する。
『一度だけ、きゅうちゃんもジャンプしてみましょうかね』
言って、板の端に移動し、ティオを見やる。
『先生、お願いします』
何の用心棒だ。
ティオは無言で九尾が乗った端とは逆端の板を強く踏みつける。
『きゅ~~~~~~』
空中に投げ出された九尾は頂点に達した後、後ろ脚を腹に向けて折りたたみ、前脚で後ろ脚がほどけないようにホールドし、頭を体の内側に入れ、全体的に体を丸めながら、くるくると回転しながら降りてくる。空気抵抗を受けそうな尾はきっちり後ろ脚の間に挟んでいる。
「きゅっ!」
すたっ、と着地を後ろ脚で決め、両前脚は高く掲げ、胸を張り、ばんざいのポーズを取る。
『わあ、きゅうちゃん、すごいね!』
リムが歓声を上げる。
「本当、すごいよ、きゅうちゃん!」
シアンは思わず拍手した。
『いやあ、きゅっきゅっきゅ。きゅうちゃんにかかれば、こんなものですよ』
その後、ひねりをいれたりなど多彩な技を身に着けるようになった。尾は伸ばした後ろ脚に挟んでいる。無駄に器用だ。そして、一度だけと言った九尾をうまく乗せたリムとシアンは褒め上手である。
『あは。本当にきゅうちゃんは器用だねえ』
麒麟がおっとりと笑う。
『どこへ向かっているんだろうな、あいつは……』
鸞がじっとりとした視線で、聖獣ってなんだろう、と呟いた。
『本当に何なんだ、あの狐っ……』
大きな窓の外、庭で遊ぶ幻獣たちを眺めながら、信じられない気持ちでいっぱいだった。人間とあんなに楽し気に、自分の能力を容易に晒して能天気に笑い合っていられるその光景に。
何より、二足歩行する狐なんて、あり得ないだろう。
『目が覚めましたか』
驚いて振り向いた。
人一倍気配に敏いと自負していた自分が声を掛けられるまで気づかなかった。
そこには怜悧な相貌の人型の男性が立っていた。長身の細身だが鍛え抜かれた体つきをしていた。
『まずは水をお飲みください。食事が摂れそうならお持ちします』
通常なら、警戒して部屋を飛び出すところだが、体力がない以上に、この目の前の存在に逆らうことの恐ろしさを本能的に感じ取っていた。何故こんな存在に今の今まで気づかなかったのか、という激しい警鐘が脳裏に鳴り響いている。
『警戒なさらずとも、ここには貴方を害する者はおりません。今ご覧になられていた人間の方がシアン様とおっしゃるこの館の主です。より正しくは、この島の主でいらっしゃいます。こちらには不文律がありますが、まず第一にかの方に危害を加えぬよう、しかと申し付けておきます』
返事を求める視線に、がくがくと頷いた。
手渡されるコップを前足で受け取り、中身を確認することなく一気に煽る。
中の水分を嚥下した後、空になったコップを見つめる。信じられないくらい美味しい水だった。
鋭利な気配を持つ男に気おされ、二足歩行で窓辺に立ち、前足を器用に使う自分に欠片も驚きを見せないことに気が付かなかった。
その後、セバスチャンと名乗った人型の得体のしれない存在に、細々と注意事項を受けた。
この島は信じられないことに、多くの幻獣が住まうのだという。他にも人間もいるが、最近滞在するようになったらしく、敷地面積の割りには少人数だそうだ。
これまで飲んだことがない美味い水と同じくらい美味しい料理を供された。久しぶりのまともな食事どころではない。がっつきたいところだが、いかんせん、弱り切った胃が受け付けず、それでもいじましく食べ続けようとしたら取り上げられた。食べ物を体内に摂り入れるということがこれほど快感であるのだ。更に言えば、それを断ち切られたにも関わらず、本能が彼に逆らうなと告げている。
『またお持ちします。食べられるだけにしておきなさい。すぐに眠くなるはずです。それを繰り返し、もう少し体調が整えば、シアン様にお目通りしましょう』
物言いは丁寧だが、完全に立場は自分が下だ。全て向こうが主導権を握っている。自由がない云々を言う余裕もなかった。食べ物と暖かい寝床、何より安全な居場所を提供してくれると言うのだから、大人しく従う他はない。
寝台で眠っていると、時折窓の外から幻獣たちがはしゃぐ声が聞こえてくる。
『あんな狐がいるのなら自分なんか全く普通の範疇だ』
それでも、昔言われた言葉が追いかけてきそうで、夢の中に落ちるのが怖かった。




