45.幻獣のしもべ団、島へ上陸す
鼻腔の奥にしつこく絡む潮の匂いや揺れる足元からようやく解放された。
だから、余計その島の美しさが強調されて感じたのかもしれない。
鮮やかな緑の野に、満々と湛えられた鏡のような湖、澄んだ清涼な風が吹き、穏やかな日差しが注ぐ。
入り江に設えられた波止場は小さいながらも十分な水深があり、大型の外洋船が停泊できる施設すら備えていた。
「綺麗な島だな」
「人間は兄貴だけだって?」
「ティオ様にはこのくらいの広さが必要だろうな」
幻獣のしもべ団はあちこち見渡し、島の豊かな自然や充実した施設に目を奪われていた。
他方、魔族は感激のあまり、島の大地に跪き、感涙にむせんでいた。
「おお、ここが、幻花島」
「夢にまで見た」
「よもや、我らがこの地を訪れることが叶うとは」
程度の差はあれ、それぞれが感激に打ち震えていた。
「あ、あれ!」
「ティオ様だ!」
視力と気配察知に優れた、そして何よりティオのファンである幻獣のしもべ団がいち早くその飛翔に気づいた。空を指さすのに、その場の全員がそちらに目をやる。
降船した者たちの注目の中、ティオは悠々と優雅な飛翔で舞い降りた。
「マウロさん! ディーノさんも!」
ティオの背から降りたシアンが見知った面々に笑顔で挨拶する。
「お疲れさまでした。道中は大丈夫でしたか?」
アーウェルやガエルが怪我を負ったことから、今回は大丈夫だったか懸念していた様子だ。
「ああ、快適なものだった。カラムじいさんやジョンのところも元気だぜ」
幻獣のしもべ団一行の後ろに目をやると、カラムが腕を上げて見せ、ジョンが笑顔で拳を突き出す。
「皆さん、ご無事のようで良かったです」
シアンの案内で幻獣のしもべ団のために建てられた館へと向かう。
「へ? 俺たちの家?」
マウロが素っ頓狂な声を上げ、他の団員たちも戸惑う。
「そうなんです。カラムさんやジョンさんの移住のことを話したら、その住まいを建ててくれたんですが、一緒に幻獣のしもべ団の拠点も作ったらどうか、と勧められて」
事後承諾で済みません、と済まなさそうに言うシアンにマウロは否定する。
「い、いや、謝られることじゃないさ。ただ、俺たちは野宿は慣れているから。いや、そうじゃなく、俺たちの館を建てた?」
「幻獣のしもべ団の館?」
「拠点ができた!」
「ティオ様とリム様の島に!」
徐々に喜びが浸透していったのか、戸惑いを押しやり、どっと沸く。
中には奇声を上げる者までおり、リムに鳴き声で諫められていた。
「へえ、リム様はしっかり手綱を取られておられるんだな」
ディーノが感心する。
ディーノによってシアンに優秀な船乗りたちだと紹介された魔族たちは館で茶を供するとシアンが誘ったものの恐縮しきりで、船で待機すると言って乗船してしまった。
マウロたちを無事に連れてきてくれた礼を述べ、いつか外洋の話を聞かせてほしいと言うと感激していた。
「わしらの家まで用意してくれたのか」
「いやあ、何から何まで済まないな」
カラムとジョンは家畜を連れての移動なのだが、しもべ団が手分けして誘導している。
家畜たちがティオに怯えてパニックに陥らないのは気配を薄めている成果だろう。
「しかし、実に豊かで綺麗な島だな。しかも、どこの領地でもないんだろう? 魔神が隠し持っていただけある」
マウロの言葉に、ある程度の事情を聞いているのだと知り、シアンは安堵した風だ。どう説明したものか戸惑っていたのだろう。
「兄貴の島!」
「流石は頭の親分の兄貴!」
しもべ団団員たちが口々に言う。つい先ほどリムに咎められたことを思い出したのか、声の音量を落としている。
「ええと、僕の領地というのではなく、単なる地主のようなもの、でしょうかね?」
当のシアンも良く分かっていない様子だ。
「おいおい、大丈夫か? 目を付けられて侵略戦争を仕掛けられたりしないだろうな? そんなことになってみろ、ティオやリムに沈められた船の残骸が目に浮かぶぜ」
軍艦が来ても被害を被るのはあちらだ。だが、そうなっては手を出した方も面子を重んじて躍起になることも考えられる。
「その点は大丈夫だ。お墨付きがある」
ディーノが保証するのに、マウロは矛先を収めた。軽い調子の魔族の若い商人はだが、底知れない何かを感じさせるのだ。それに、魔神から島を貰ったと聞いた。そんな場所に手を出せばただでは済むまい。
「ええと、あと、この島には転移陣もあるので、闇の神殿を通じてではありますが、行き来は便利ですよ。皆さんも登録して置いてくださいね。あ、あと、これは口外しないでほしいのですが、こちらの転移陣は闇の他に、大地と風と水の属性の神殿へも通じます」
転移陣は同じ属性同士の神殿にしか行き来することができない。シアンはその常識を覆した。
驚きすぎて声も出なかった。
例えて言えば、水から空気を取り出します、というようなものだ。
呆然としているうちに連れて来られた先には、家と言うよりも館という呼称が相応しい瀟洒な建物があった。部屋数も十分にあり、五十名弱の幻獣のしもべ団員すべてが居住することができそうだった。
「こちらをご自由にお使いください。一応家具も入れてくれているのですが、足りないものは揃えていってくださいね」
にこやかに言いながら、シアンはその資金だとばかりに小袋を手渡してくる。
「いやいや、こんなにして貰う訳には!」
その感触にようやく我を取り戻したマウロが固辞する。
「でも、今回、僕が無理を言ってカラムさんたちを連れて来てもらったのですし」
「何を言っているんだ。拠点の住まいを貰った上に家具付きだぞ。第一、ここには転移陣登録がてら、ってことだったからな。いや、確かに、こりゃあ、至れり尽くせりだな。ここを中心にしてあちこち飛び回ることができる」
その転移陣を使用するだけの資金はシアンから十全に貰っている。
これで、機動力のあるシアンの行動範囲をカバーしやすくなった。願ってもないことだ。そして、恐ろしいのはシアンのはそれを狙っての行動ではないということだ。単に自分たちの手伝いをしてくれる幻獣のしもべ団の便利が良いように程度の気持ちだ。
シアンは幻獣のしもべ団の拠点を建てて貰ったと言った。つまり、自分でしたのではなく、第三者が行ったのだ。その口ぶりから自分が思い立ったのではなく、気を回してしてくれた風だ。
そうやって、マウロたち以外の者からも何かしてやりたいと思わせる人間なのだ。
それが回りまわって、幻獣のしもべ団にもこうやって恩恵をもたらしてくれる。自分たちもシアンのために動く他者のためにそうありたいものだ。
シアンは幻獣のしもべ団にこの島全体を取り仕切る家令を紹介してくれた。三十代の怜悧な美貌の男は端正な身なりをし、セバスチャンだと名乗った。
生きるために危機管理能力に長けざるを得なかった面々は、一目で彼に逆らってはいけないと感じた。
シアンから自分を良く助けてくれるのだと説明を受けたセバスチャンは美しい所作で一礼する。シアンの本心からの言葉が、意図せずセバスチャンに翼の冒険者の秘密結社を認めさせた。
シアンの足元には子犬が三匹纏わりついていて、それも幻獣だと言う。
「あとは今は狩りに出ている一角獣や大きな水蛇のような姿をした者と、兎の姿をした者や猫の姿をした者がいます。あ、それと麒麟と鸞ももう少ししたら帰って来ると思います」
「え、ちょ、ちょっと待て。何匹増えたんだ? この子犬が三匹で」
「あ、いえ、彼らはケルベロスと言って、本来は一頭なんですが、分裂したんです」
何だそれは、と思わずにいられなかったが、一々疑問を呈していては話は進まない。シアンとはそういう人間だった。色々規格外なのだ。ともかく、現状把握が第一だ。
「犬と一角獣と水蛇と?」
「後は兎と猫に麒麟と鸞とで七頭ですね」
「麒麟と鸞と言えば、聖獣の上位に坐します」
混乱するマウロにディランとカークが補足する。
マウロはやはりゼナイド王室に捕らえられていた一角獣はシアンと共に在ったのか、と考えたが口には出さずに置いた。ディランとカーク、もしかするとリベカや他の幻獣のしもべ団も気づいている者がいたかもしれない。
「兄貴は白い狐も連れていましたね」
アーウェルが言及する。
「あ、きゅうちゃんは他の方の召喚獣なんです」
「では、ティオ様とリム様を入れて九頭の幻獣がこの島に住んでいるのですね」
ディランの言葉に、そう言われれば九尾はこの島に住んでいると言えるだろう。説明しがたく、他のことを口にする。
「そうなんですけれど、兎と猫はつい先日保護したばかりで、まだ休養しているんです」
「麒麟と鸞は出かけている、と」
心配気に表情を曇らせるシアンに、マウロが再確認する。
「いやあ、増えたな!」
他の幻獣のしもべ団員も、更に多くの幻獣たちを間近に接することができるかもしれないと、期待に沸いた。
「リム、アインスたちにマウロさんたちのことを紹介してくれる?」
「キュア!」
シアンの肩から舞い上がったリムが、子犬に向けて何やら鳴き声を上げる。
転げまわっていた子犬たちが一斉に動きを止め、「お座り」のポーズでリムの言葉を拝聴したかと思うと、元気よく鳴き出した。
わんわんわわわんわんわわん
「ふふ、そうだよ、リムや僕のお手伝いをしてくれているんだよ。ウノたちと一緒だね」
新たに増えた人間に我関せずだった子犬たちがマウロたちに向けて尾を振り始めた。
「これはお手伝い仲間だと思われていますね」
台詞の割りにまんざらでもなさそうなのはカークだ。やる気がある者への面倒見は良い。逆に言えばやる気がない輩には手厳しい。
その物知りのカークですら知らなかった。可愛い姿の子犬であるケルベロスが地獄の番犬と称されていることを。
ともあれ、幻獣のしもべ団たちは狩りから戻った一角獣やユルクを紹介された後、カラムやジョン一家の家を見て農場や牧場の手伝いを行った。
巨大な水蛇の姿に蝙蝠の羽がついた幻獣が、空を飛んでいたりしてひと騒ぎがあったが、ともかく混乱を収めて作業を進めた。
しもべ団の館のすぐ傍にある農場も牧場も十分な敷地面積を誇り、居住区はもちろん、道具小屋や家畜小屋、水飲み場、柵までも備えられている。
すぐに農作業と牧畜ができるようになっていた。
島は持ち主と同じく規格外で、カラムの農場は植え付けしたかと思うとぐんぐん育ち、あっという間に収穫することができた。真っ先にトマトやリンゴが収穫できたのはカラムがリムを好いているからだけではないとマウロは踏んでいる。精霊の加護とはかくもすごいものなのだとロイクと話し合ったりした。
ロイクは体が弱いといっていたが、この島に来てからは体調も良く、常よりも身軽に動けるとはしゃいでいた。良いところの出だが、農作業も牧畜の世話も厭わず、進んで糞の処理も行っていた。
驚いたことにこの島の転移陣は行きも帰りも料金と魔力も要しない。本当に気軽にあちこちの街へ行くことができた。
シアンは新鮮でおいしい野菜や乳製品が手に入ったのはカラムやジョンだけでなくマウロたちのお陰なのだから、と少なくない金銭を定期的に支払ってくれた。
拠点の充実や農作業、牧畜の手伝いと並行して、島を一巡りし地形を把握し、各地の密偵業務、寄生虫異類の足取りを追うことなども行った。
後日、彼らは一角獣の狩りに度肝を抜かれたり、ユルクが獲って来てくれた海の幸に舌鼓を打ったりすることになる。
シアンは鸞に薬を作って貰っていると言っていた。
「そうか、鸞というのはそんなに博識なんだな」
薬師というのは貴重な存在だ。ピンからキリまであるが、ガエルの体内の毒を取り除く薬を煎じてくれたのは鸞だと言う。
「そうなんです。この豆腐や揚げも鸞が作り方を教えてくれたんですよ」
みなのお陰で美味しいものが食べられる、と穏やかに微笑む。
「どこにいてもシアンはシアン、だな」
安心した。
マウロたちをこの島まで連れて来てくれた魔族がここを幻花島だと言っていた。確かに幻の花のように美しく豊かで現実味の薄い島だった。それだけに、穏やかにそのままであり続けてほしいと思わずにはいられなかった。




