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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第五章
238/630

44.引き取り

 

 港町ニカでの用事を済ませたシアンたちは闇の神殿の転移陣から一旦、島へ戻り、セバスチャンに一角獣を引き合わせた。

 その後、ログアウトログインを挟み、ナウムの紹介状を携え、サルマンの国都に向けて出掛ける。

 九尾は海中の遠出で長らく不在にしたので、いつフラッシュに召喚されても良いように、島で待機すると言って残った。

 ちなみに、召喚主であるフラッシュには海中旅行を洒落込むため、しばらく召喚に応じることができないと断っていたのだという。そんな理由で召喚を断る召喚獣は前代未聞である。事後報告を受けたシアンはフラッシュに何らかのお返しをしようと心に決める。

 一角獣も島に残ると言った。

 あちこち連れまわして疲れただろうとシアンは頷いたが、当の本人は元気いっぱい、島を新たな縄張りとしていち早く掌握したいのだと張り切って出かけて行った。

 わんわん三兄弟はバスケットの中で安らかに昼寝を立てていたので、起こすのに忍びなく、留守番をして貰うことにした。

 バスケットの中は居心地が良いらしく、気に入ってくれて何よりである。

 なお、こちらもディーノから購入した魔族謹製の代物である。


「ユルクはまだ戻って来ていないのか。随分疲れていたみたいだし、帰って来たらゆっくり休むように伝えてくれますか?」

『畏まりました』

 恭しく一礼したセバスチャンから麒麟と鸞が無事に天帝宮に到着したことを聞いたシアンは安堵して、今度はサルマンの国都を目指して転移陣を踏んだ。

 兎の幻獣の姿をした妖精はとても腹を空かしていた。人間社会で生きるために幻獣化して働いていたとも聞いた。

 わんわん三兄弟が追いかけて脅かしたことも何かの縁かもしれない。

『シンバル、直っているかな』

「修理に出した時に大丈夫だと言っていたから、心配はないと思うよ」

『あの兎も島に来るの?』

「どうだろうねえ。一緒においでよ、って言ってみようとは思っているんだけれど」

 会って誘いはするものの、随分警戒している様子だったから、断られることも念頭に置いていた。

『美味しいものがいっぱいある、綺麗な場所だよって言う!』

 リムがシアンの肩の上でぴっと片前足を掲げる。

「ふふ、来てくれると良いね」


 工房へ到着すると、職人がシアンの顔を覚えていたらしく、すぐさま奥の部屋からシンバルを持って来た。

「あれ、これは修理に出したものではありませんね」

 楽器から目を上げると、ばつの悪そうな顔つきの職人と視線が合う。

「いや、その修理するよりも作り直す方が早いって言うから、さ」

 それを言わずに、修理したものだと引き渡すのはどうなのだ、と思いつつ、シアンは買取りを申し出た。

「ああ、他の方が作ってくださったんですね。宜しければ、修理に出したものとは別に、こちらを新しい物として買います」

「そうか、じゃあ、これ、あんたが持ち込んだやつだ」

 そちらも一応修繕はされていた。だが、楽器としては役に立たないだろうというのが見て取れる。

「あの、こちらを作ってくれた職人さんとお会いできますか?」

 シアンの申し出ははっきりしない態度で却下された。

 仕方がないと引き下がったシアンは今度は兎の姿の幻獣がいる工房へと向かうことにした。


 厩舎に行き、幻獣たちにシンバルを見せる。

『あれ、前のと違うね』

 すぐに気づいたティオが小首を傾げる。

「うん、直してみたけれど、綺麗な音が鳴らなさそうだから新しく作ってくれたみたいだよ」

『わあ、新しい楽器! 演奏が楽しみだね!』

 輝く笑顔のリムに、ティオが嬉し気に頷く。


 シアンはフォマーが務める工房に行き、親方を呼んできてくれるよう頼んだ。いぶかしむ職人に、ニカのナウム・ブルイキンという商人から書簡を預かっていると伝えたら、血相を変えて奥に飛び込んでいった。

 すぐに必死の形相の大柄の中年男がやって来る。

「あ、あんたがブルイキン様から手紙を預かってきているって?」

 慌ててしどろもどろになりながら言う。

「はい。こちらです」

 ひったくるように書簡を受け取り、慌てて工房を出ようとする。

 驚いたシアンが声を掛けると、ギルドへ行くのだという。

「手紙を読んでもらうのさ。こういう時のために会費を払っているんだ」

 親方は字が読めないそうだ。

 工房にそれぞれ適した内容の図案の看板が掲げられているのは識字率が低いためだ。

 シアンは使い出がないスキルポイントでもってゼナイド隣国であるサルマンの言語を習得している。本来は、文字や単語を覚えることから始めるのだ。

 シアンが読んでやろうとしても、真実を言っているかどうか懐疑的になるだろうから、と控えておいた。

 親方が行ってしまった後、手持ち無沙汰になったシアンは厩舎で幻獣たちと共にいた。


 渋面の親方が戻って来たのはそれからすぐのことだった。

「ここにいたのか。丁度良い」

 ナウムは遠く離れたこの街にもその権威が行き届いている様子で、渋々ながらも、工房の親方は厩舎に顔を出した。

「おい、チビ、どこだ?」

 胴間声でぞんざいに呼びながら厩舎の隅に積まれた藁を足で払って奥へ進む。それはあの兎の姿をした妖精を探しているのだろうか、それでは蹴ってしまうのではないかと心配しながら、シアンも視線を彷徨わせる。隅で壁に立てかけた杵に隠れる風情で、小刻みに震える体を丸めた姿が見えた。

「あ、あそこに」

 シアンとしては自分がそっと呼びかけたかったが、まだこの工房の従業員なのだから、勝手なことはできない。

「おう、返事くらいしろや!」

 怒鳴りつけながら荒い足音をたてて近寄る。

 兎の姿の幻獣は逃げたい一心からか、シアンの足元へやって来た。それをすかさず抱き上げる。一瞬、逃げようともがいたが、親方が近づいて来たのを察知し、シアンの腕の中に潜り込むようにして体を縮める。

「手間が省けたな。これで良いんだろう?」

「では、僕が引き取っても宜しいと言うことですね?」

「おう、ブルイキン様の手紙にそうしろと書いてあったからな」

 シアンは安堵のため息をついた。乱暴な仕草の男に、すっかり兎が委縮しきっている風に見えていたからだ。

「あんたも酔狂だねえ。いくら幻獣だって言っても、そんな汚い何の役にも立ちゃしねえのを引き受けるなんてな」

 しかも、ただではない。珍重されるヒュドラの素材と引き換えに他国にも影響を及ぼす実力者に口利きをしてもらったのだ。

 シアンとしては、この怯え切った小さな幻獣を安心して暮らせる環境へ送り出してやることの方がよほど重要だった。

「それでは、僕はこれでお暇します」

 会釈して立ち去るシアンに、親方はくれぐれもナウムに宜しくと言って別れた。


 腕の中の兎は親方が言っていたように薄汚れていて、以前会った時よりも痩せているように思えた。

「とりあえず、僕が住んでいる所へ向かうね。温かくて消化に良い物を食べよう」

『ぼくはリンゴとトマト!』

 リムがティオの背の上で主張する。

 腕の中に気を取られ、更にリムの声にそちらに意識が向いた。つまりは注意力が散漫だった。シアンは何かに躓いてたたらを踏んだ。

 歩みを止めたシアンに付き合い、ティオも立ち止まる。

『シアン、どうしたの?』

「これって、もしかして猫?」

 一歩後退し、屈みこんで眺めると、柔らかい感触のそれは大きな猫のように見えた。

『猫にしては妙な気配だね』

 ティオの言葉に、シアンは胸騒ぎがする。それでなくとも、腕の中で震える妖精を早く落ち着かせたい。

「英知、この倒れているのは?」

 シアンの呼びかけに答えて、風が吹く。

 細い枝が細かく動き、日に透けた緑を絶え間なく揺らす。つい、と一際大きく梢をたわめ、疾風はシアンの眼前で螺旋を描いて人の姿を形成する。

『それは幻獣だよ』

 こんなところに、また幻獣が。国都とはいえ、そんなに頻繁に幻獣に遭遇するものだろうか。しかも何故通りの隅で倒れているのか。幻獣といっても意思疎通ができないのだろうか。

 疑問は尽きないが、まず確認すべきことがある。

「ええとその、無事なの?」

『ああ、生きている』

 安堵したのも束の間、風の精霊の言葉は続く。

『大分、弱っている。そのままでは死んでしまうね』

「どうすれば助けられる?」

 一匹も二匹も同じだ。

 シアンは即座に助けようと心に決める。

『そちらの妖精と同じく、飢えと消耗が激しい。栄養と休息があれば十分だよ』

「分かったよ、ありがとう」

 以前、勢いよくシアンが作った野菜のスープを食べていた妖精が、今また飢えて弱っている。もう一匹、同じような境遇の者が地面に横たわっている。片方を助けるのなら、もう片方も助けるのも道理だ。

 シアンが礼を言うと、風の精霊はとんでもないことを話した。

『シアン、この猫は偶然出会ったのではない。天帝宮が君に会うようにここに誘導したんだ』

「天帝宮。確か、きゅうちゃんや麒麟、鸞がいた所だよね」

 今、まさに麒麟と鸞が挨拶しに行っている場所だ。

「どうしてそんなことをしたの?」

『君に保護してほしかったんだろうね。薄々、君に精霊の加護があることに気づいているんだ。だから、君の傍ならば弱った幻獣が力を取り戻しやすいと予測しているのだろう』

 そして、それは事実なのだと麒麟が霊力を取り戻したことから、シアンも知っていた。

「精霊の力を利用しようとしているとしても、それは幻獣のためなのかな?」

『そうだろうね』

「じゃあ、特に問題ないよ」

 面倒ごとを押し付けられたという認識はないシアンは、一つ頷いただけで済ませた。

「ティオ、リム、僕はこの幻獣も助けようと思うのだけど」

『じゃあ、島に連れて行く? 背に乗せて運んでも良いよ』

『ぼくが乗せてあげる!』

 賛成してくれた二頭にも礼を言う。リムが猫をティオの背に乗せ、可能な限り急いで街を出ると、一路、島へ向かう。


 サルマンの国都からは転移陣を用いるつもりだったが、予定が狂う。保護した幻獣が心配なシアンはなるべく現実世界の都合をつけて時間を取った。

 シアンは島へ戻ってすぐにセバスチャンに二頭の幻獣を保護したこと、弱っているので休息と栄養が必要だと言われたことを伝えた。

 万事心得た有能な家令はすぐさま寝床と消化に良い料理を作り、外傷の有無を調べ、汚れを拭き取り、看病の手配を行った。その合間にシアンにユルクが戻って来て島の湖で寛いでいると聞いた。

 シアンは安心して後のことをセバスチャンに託し、ログアウトすることができた。



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