42.港町の商人2
「その立て籠りのあった街で遭遇した兎の幻獣が働く工房と懇意にされているとか」
「そうだ。これでも色々と人脈を持っていてね」
にこやかに告げるナウムにシアンは手ごわさを感じた。今まで親しく接してきた商人は概してシアンに友好的だった。この商人と話していると、海千山千という言葉が脳裏をよぎる。だから、思い切って、率直に話すことにした。
「それで、僕があの幻獣を引き取るために口を利いていただく対価として、何をお支払いすれば宜しいでしょうか?」
ナウムはおや、という表情を浮かべる。それは作った表情の風に思えたが、定かではない。
「口利きに値をつけると?」
しかも、シアンは金銭をいくら支払えば良いのかとは聞かなかった。何を支払えば良いのか、と尋ねたのだ。
「先ほど、貴方は情報はとても価値のあるものだとおっしゃいました。では、人脈も大切なものでしょうし、そこに貸しを作るのであれば、相応の対価を必要とするのではないでしょうか」
シアンの言葉に、ナウムは満足げな表情を見せた。
「なるほど、貴方は大したご仁のようだな」
自分の言葉に、二度三度頷く。
ナウムは言葉巧みに、この街の魔族との取引きをする際の、翼の冒険者のお墨付きを欲しがった。
それはシアンが最も忌避する部分である。金銭や物に対してさほど重きを置かないが、こと他者との関与へは神経質なほどであった。自分が魔族に及ぼす影響が甚大なものであると知っているのだ。単なるネームバリューどころではない。一族を動かす力を持っているのだと、明確ではないものの、何となく感じ取っている。つまりは、伊達に何度も魔族の神に跪かれて慄いていないということだ。
神に自身よりも上位存在とみなされているのだ。その一族が関わることにお墨付きを与えてしまっては、もはや好き勝手できてしまうだろう。シアンは自分が行う買い物ですら公正な取引きをしてほしいと思っている。
「これはこれは、中々に手ごわいな!」
のらくらと躱すシアンに、だが、ナウムは嬉し気に笑う。
「よかろう。それでは、この出会いの祝儀として、口利きをしてやろう。お代は頂かん」
「いいえ、それはいけません。貴方が培ってきたものを利用させていただくのです。目に見えないものでも、歴然としています」
シアンが自分の能力を高く評価していることに、ナウムは益々満足げだ。呼び鈴を鳴らして使用人を呼ぶと、先ほどナウムの使いとしてシアンに接触した男性が盆に書簡を乗せてやってきた。
「さあ、どうぞ、受け取りなさい。何、今日の楽しい出会いへの感謝のしるしだ」
主人の常にない上機嫌な様子に、使いの男性が軽く目を見張るが、すぐに冷静な表情に戻る。商人は男から受け取った盆をそのままシアンに向けてくる。
シアンは困惑したが、傍らで静観していた九尾が受け取って置けと短い鳴き声を上げるのに促された。
使用人はちらりと九尾に視線をやって、主人から空の盆を受け取り、退出した。
ナウムも使用人も、おそらくシアンがここにいる幻獣たちと意思疎通をしているのだと知っているのだろう。そして、それを鑑みて、九尾は鳴き声を上げずに静かにしていた。リムはマイペースで時折鳴き声を上げ、ティオの背の上で動き回っている。ティオは気配を薄くして、常と変わらない様子だが、事が起これば瞬時に動くつもりだった。一角獣は初めはシアンと商人のやり取りをそれなりに興味を持っていたが、次第にそれも薄れている様子だ。ただ、以前は塔の一室でおとなしく捕らえられていた経験から、待つことは苦ではないようなのが救いだ。
だとしても、いつまでも窮屈な思いをさせたくはない。
シアンは思いついて、それではこれを対価に、とマジックバッグからヒュドラの素材を取り出した。
「こ、これは……」
初めて泰然としたナウムの態度が崩れる。
「ヒュドラの素材です」
「おお、やはり……」
流石の目利きで、本物であると分かるようだ。
生唾を呑み込む音がした。
その音で我に返った風情でシアンを見直す。
「これが口利きの対価だと言うのか?」
「はい、情報は黄金なのですよね。きっと、人脈もそうなのでしょう」
シアンとしては分不相応に良くしてくれようとする魔族への強権が渡らないのであれば、金銭だろうが稀覯品だろうが手放すに惜しくない。そして、何となく、この商人は金銭よりも珍しい品の方に価値を見出してくれる気がした。
「これをお受け取りください」
「いや、しかし、これでは対等な取引きとはいかないな」
自分が得になることを好まないのかとひそやかにいぶかしむと、内心を読み取られたかのように商人が苦笑を浮かべる。
「これほどの代物を受け取るのに、僅かばかりの対価しか支払わなかったと知られれば、わしの目利きを疑われる。それに、支払い能力もな」
そういうものか、とシアンは頷いた。
「良いだろう。では、高く評価してもらったわしの情報を渡そう。翼の冒険者と称されるほどだ。あちこちへ行くこともあろう。前もって情報を持つ者は強い」
商人は人脈を持つと自負するだけあって、様々な土地のことを教えてくれた。海を渡った別の大陸の話も聞いた。
言葉巧みにシアンの嗜好を探り、薬に興味を持っていると知れば、薬草のことや、それを扱う業界のこと、放浪の聖教司や漂泊の薬師の話をしてくれた。
商人の話を聞くうち、一人は、ロランのことではないかと思った。貴光教聖教司で奇妙なことに祭壇を背負って各地を回り、薬を処方し、布教して回っているのだという。
元気にやっているのだな、とシアンはふと安堵した。色々あったものの、彼の行いは素晴らしいものだった。
もう一人は、フードで顔を隠したハーフエルフの噂だった。薬の扱いに長け、各地で人のために働いているのだという。救われた者たちが謝意を込めて、彼女の噂をひそやかに流しているのだという。
シアンに事あるごとに絡んできた者ではないかと思われた。すごい人なんだな、と認識を改める。
ナウムの話しぶりでは、この世界の医療は学問として見る傾向が強い様子だ。
それまでに形成された学問、特に大学で教える学問がすべて正しく、有効な治療だと信じられていた。
医療は論理が重要であり、実践は取るに足りないものとされていた。
だからこそ、放浪の聖教司や漂泊の薬師は評価されなかったが、ニカの有力商人はそうではなかった。
「実際、多くの人々を救っているのだから、多数の結果を手にしている方が評価に値する」
ナウムの話の中で、この世界の医療の学識では天体の並び、占星術ですべてが定められているというのに、シアンは驚きを隠せなかった。
珍しく表情を露わにするシアンにナウムは面白そうな顔つきになる。
「占星術は大学の主要科目であり、それだけにその真理は深淵かつ難解だ。翼の冒険者が知らずとも当たり前。よろしい、秘書を呼ぼう。彼は大学で学んだのだよ」
先ほどシアンをこの館まで導いた使用人が呼ばれる。
大学で学べるのは一握りの者だけだ。学力があるだけでは滅多に入学できない。伝手や金銭が必要となる。ナウムは情報の重要性を熟知していたため、それらを使って適性のある者を大学に送り込んだ。秘書となった男は過不足なく役立ってくれている。玉石混交の研究者の中でも有益な実績を残せるだろう選別も任せられる。金銭は有効に使ってこそである。
やって来た使用人がシアンに占星術の基礎を教えてくれた。
天空の闇に浮かぶ太陽と水、風、火、地、木、獣を中心にそれらを取り巻く星々の位置関係にて時運を読み解くのだそうだ。
上位属性である光、つまり太陽とそれを取り巻く闇、そして基本属性の水風火地に、植物を表す木星と動物を表す獣星、そして星々で構成されている。
それがどう医療行為と関わってくるのか。
「以前大陸に蔓延した流行り病に対するとある国王への大学の報告書があります」
木星と地星が直線上に並んだために、人々に死がもたらされた。火星と地星が直線上に並んだために悪疫が大気に満ちた。恵み豊かな地星を火星が過度に熱したことにより、有害な蒸気を立ち昇らせ、それが流行り病をもたらしたのだという。
つまり、流行り病は星位によってあらかじめ定められた運命であり、だからこそ、医師も薬師もこれを止めることができなかったのだ。
この時、星が司る属性に属する者たちは強い影響を受けた。炎の属性と大地の属性の者たちが特に重篤になったのだという。
実際に手当てをする外科医や外科医を兼ねた床屋は、大学で学ぶ医師たちからは数段低くみなされているのだそうだ。
でも、シアンが出会ったロランは違った。神殿を出て方々の村々で人の状態を見て、その地域の薬草を用いて治療に当たっていた。村人からの信頼も厚かった。
カレンもまた、あちこち歩き回り、薬効のある果物を持ち、それがどのように作用するのか熟知していた。
そして、彼らはこうやって遠方の商人ナウムに評価されてもいる。
シアンは強く風の精霊の英知を実感した。この世界の知識人たちは星々の配置で病うんぬんするのだ。今ようやく啓蒙家たちが実践に即した治療を行っている。
その中で風の精霊は本質を知る、まさしく万物を知る存在だ。シアンはその彼に様々に教わって来た。それは現実世界の認識とそう変わらないものだったので当然のこととして受け入れていた。けれど、この世界では当たり前のことではなかったのだ。シアンは知らず、知識の粋の恩恵を受けていたのだ。
そして、風の精霊に及ばないまでも、鸞の博識さをも感じた。何となく知っているシアンよりよほど詳しい。
ともあれ、シアンはようやくこの世界の水準を知ったのだ。自分を取り巻く環境とともに。
ひどく感じ入ったシアンに気を良くしたナウムはまた、貴光教で怪しげな薬を使っているという噂も話した。
本来ならばそんな情報はおいそれと聞くことができないが、それだけナウムの心はシアンに傾いていた。
シアンが薬に対して興味を持っているのならばと、薬問屋の紹介状までくれた。
そして、シアンに薬問屋に立ち寄った後、もう一度冒険者ギルドに行くように告げ、戸口まで出て見送ってくれた。
一流の商人というのは、取り扱う商品のことをよく勉強しているのだな、と豊富な知識に触れ、シアンは感心しきりである。
『やれやれ、黙っているのも一苦労ですな』
「きゅうちゃんも他の皆も、長い間話し込んでしまって、ごめんね」
「ピィ」
「キュア!」
「ヒヒヒン」
それぞれ、気にしていないという返事だ。
シアンは教わった道順を辿り、薬問屋で買い物をして冒険者ギルドを再訪した。
扉を開けると、つい先ほど採取物を納品した依頼主の研究者が立っていた。
「ああ、待っていたよ」
そう言えば、あの商人は彼ら研究者の支援者だったな、と今更ながらに思い出す。
「これを貰ってくれないか」
取り出したのは製本されていない紙の束を紐で簡単に束ねたものだ。とはいっても、この世界ではまだ紙は高価なものだ。紙には印字されてはおらず手書きで、中には走り書きのメモのようなものまである。
「これは?」
「俺たちが研究した集大成だ。まだ、今の段階での、だがね」
肩をすくめる。
「そんな大切なものをいただけません」
シアンは慌てて返そうとする。
「いやいや、貰ってくれないと、俺たちが困る。支援金を打ち切られたら、研究が続けられなくなる。それに、ちゃんと写しは取ってある」
それでも、彼らが苦労して積んできたであろう研鑽をやすやすと横からかすめ取る真似は出来かねた。
シアンの表情を見て、研究者は苦笑する。
「正直なところ、金を出されても、どこの馬の骨ともわからない相手に貴重な研究成果を渡すのかっていう気持ちはある。だが、仕方ないだろう? 金がなければ研究どころか、生活すらできない」
言って、櫛目の通っていないぼさついた髪をかき混ぜる。
「だがまあ、ブルイキンさんが言っていた、あんたなら俺たちの研究をうまく使いこなせるっていう言葉は信じられる。はいそうですか、と気軽に受け取られなかっただけでも良かったよ。ああ、そうだ、ついでにこれも渡しておく」
言って、シアンに紙の束とこちらはしっかり製本されたものの随分古い本を押し付けた。
紙束の紐がずれて、散らばりそうになるのに気を取られているうちに、冒険者ギルドを出ていく。シアンが扉の外に出て見渡しても、姿はなかった。
紙束は一冊の本になるかどうかの分量だ。
その中に研究者たちの長年の研鑽が詰まっている。
シアンは慎重に持ち直し、マジックバッグの中に収めた。
後に、誰が噂したか、その街から翼の冒険者には「幻獣が心寄せる者」という新たな二つ名が広まった。




